第12話 必死
「君の事情は、十中八九金銭的なことだろうね」
私が究極の選択に頭を悩ませることを知る由もないレオポルドは、しれっとそんなことを言ってきた。
確かにそれも大きな理由ではあるが、一番大きな問題は、私が継母から離れられるかどうか。
しかし一方で、継母にお金が渡らないのであれば、私が継母から離れられても一時しのぎになってしまう。それでは意味がない。
だから金銭的なことは、やはり大きな問題だ。
とはいえ、このまま後妻になるとしても、結局数年で私は謎の死を遂げる。それはそれで嫌だ。
ならば開き直って――
「私を使用人として雇い入れ、なおかつ当初の予定通りシモンズ家へご援助いただけないでしょうか?」
厚かましいことを言っているのは十分承知している。だがこの考えは、私が生き延びるには最善の考えと言えよう。
ブラックウェル公爵夫人になってしまえば、余命は片手でお釣りがくる程になる。
ならば嫁入りはせず使用人になり、援助だけはしてもらう。どう考えても非常識な言い分だ。
だが私は、幸せなどを求めていない。ただ長生きしたいだけ。だったらいっそのこと、公爵家に就職する。
この考えが最善と思ってしまうのは、仕方のないことではなかろうか。
私は言い訳するように自分を宥めた。
「君……随分と図々しいことを言うね。君の案を飲むことで、ブラックウェル家になんのメリットがあるんだい? ……いや、まあ確かに、現状の我が家は使用人が少ないから、ありがたい申し出ではあるんだけどね」
レオポルドの答えは当然の言い草であったが、思わぬ言葉も聞けた。
これには思わず、使用人として公爵家入りができるのでは、などという希望が頭を過る。
「図々しいことは承知しております。ですが、精一杯働きますので、お願いできないでしょうか?!」
私はソファーから腰を上げ、目一杯腰を曲げて頭を下げた。
みっともなかろうが図々しかろうが、私は長生きしたい。僅かでも可能性があれば、そこに賭けたいのだ。
感情のない「必死だね」という声が聞こえたが、そのとおり。私は必死なのだ。
「とりあえず座ってくれるかな」
「……すみません」
本日何度目だろう、同じような遣り取りを繰り返し、私はソファーに腰を下ろす。
「貴族の割に簡単に下る頭をしてるくらいだ、君は使用人に向いているのかもしれないね」
「はい!」
きっと皮肉を言ったのだろう。だが私は、それを当然とばかりの返事をした。
「マリアンヌ嬢……だったね。君、面白いね」
レオポルドの反応に、今までにはなかった感情を感じられた気がする。
これは認められたのではないだろうか、そう思った私は思わず口が開く。
「それでは?!」
焦る私に、「まあ焦らないで」と言ったレオポルドは、なぜか席を外してしまった。
公爵家の嫡男様が何を考えているか分からないが、私はただ大人しく待つしかできない。
「とりあえず契約を交わそう」
暫く待っていると、書類を抱えて席へ戻ったレオポルドが、おもむろにそう言ってきた。
”契約”という言葉を聞いて、継母に『間違いでした』とならぬよう、『契約の類は必ずサインするのよ』と言われていたことを思い出す。
継母の、眉間に皺を寄せた若草色の瞳から発っせられる鋭い眼光を思い浮かべ、ブルッと背を震わせた私は、レオポルドの気が変わられてはいけないと思い、文面も読まずにいそいそとサインを済ませる。
「これで契約は成立だね」
私がサインした書面を確認すると、レオポルドは口角を持ち上げた。
そんな彼を見て、私はハッとする。
そもそも私は、後妻になるためにブラックウェル公爵家へやってきた。当然ながら使用人になるためではない。
しかし書類は既に用意されたいた。ならば、私はどんな書類にサインしたのだろう?
体に刻み込まれた恐怖から冷静さを失っていた私は、書面も確認せずにサインをしていたことに気付くも、既にサインをしていまい『契約は成立』と言われてしまった。
今になって自分の落ち度に気付いた私だが、もはや後の祭り。
「……あ、あのぉ、私はこれからどうすればよいのでしょうか?」
不安な気持ちを隠せない私は、率直な疑問を投げ掛けた。
「ああ、好きにしてもらってかまわないよ」
「え?」
「僕はなかなか忙しくてね、今日はたまたまこの邸にいたけれど、明日からはブラックウェル公爵領に行かなくてはならないんだ。何かあれば、邸の者に聞いてくれるかい」
「…………」
レオポルドが何を言っているのか分からなかった。
私は書類にサインをしたが、どんな契約を交わしたのか理解していない。
状況的には、私が使用人となることをレオポルドが許可してくれた……ように思える。しかし、書類は私が後妻になる際に交わす契約用の物だろう。
となると、私の置かれた立場どうなっているのか、現状さっぱり分からないのだ。
「そうそう、父がいる居住区には絶対に近寄らないようにしてね。屋内に衛兵が立っているから、強引に突破でもしない限り、誤って侵入することはないと思うけれど」
「あ、はい……」
ん? レオポルド様の父ということは、ブラックウェル公爵のはずよね?
私が公爵の後妻になるのであれば、当然そちらに行かされるはず。でも絶対に近づくなと言われたのだから……私、やっぱり使用人として契約したということ?
よく分からないわ。
「それから、シモンズ男爵家への融資は契約どおり行なうから、心配しなくていいよ」
「はい、ありがとうございます」
あれやこれやと考える私に、レオポルドは一貫して軽い口調だが丁重に扱ってくれ、今回も心配無用だと言ってくれた。それは素直にありがたい。
これで私は、無事に継母と離れることができたのだろう。
私はホっと胸を撫で下ろす。
そんな私を他所に、レオポルドは書類を抱えて「じゃあ」と言い残し、さっさと応接室を出ていってしまった。
気の抜けていた私は、彼の言葉に「はい」と無意識に答え、レオポルドに問を発することなく見送っていたのだ。
「何やってるのよ私……」
豪著で広々とした応接室に取り残された私は、独りごちると頭を抱えてしまった。