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世の中は意外と魔術で何とかなる  作者: ものまねの実


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血に沈む

 戦いにおける間合いの重要性は誰もが理解している。

 拳の間合いは剣に劣り、剣の間合いは槍に、そして槍は弓に劣るという。

 武器としての殺傷能力は勿論大事だが、相手の手が届かない場所から殴れるなら、これほど安全で楽な方法はないだろう。

 その点はSNSとよく似ている。


 同じ刃物であっても、ナイフと長剣では殺傷範囲は倍以上も違い、一般的にこの二つが正面からぶつかれば、ナイフが勝つ見込みはゼロに等しい。

 勝てるとすれば実力に大きく差があるか、真っ当ではない手段を併用するぐらいでしか道はない。

 あくまでもナイフはメインの武器ではなく、長剣の隙を補うツールに過ぎず、好んでナイフ一本で戦闘に臨む人間はまずいない。


 しかしこの世の中、ままならないことに満ち溢れているもので、ナイフで長剣に挑まなければならない人間もいる。

 そう、俺達だ。


 別に望んでそんな状況に身を置いたわけではなく、やむを得ず始まった形で、今俺達は神経を擦り減らしながらの戦いを強いられていた。




 真っすぐ腹を狙ってくる刺突は、命を奪うのに十分な威力を伴うものの軌跡は目で追いやすく、回避するのに特別な工夫も技量も必要としない。

 ただ、そのスピードが尋常ではないという点が問題だが、身構えていれば反応はできる。


 イゴールの長剣が俺の体に触れるかどうかの寸前、ナイフで刃を逸らしながら身をよじることでなんとかかわすと、肉薄する形となった相手へ向けて今度は俺が拳を振るう。

 身体強化が封じられた分だけ拳速もあまり出ないが、回避で体を捻った反動と膝の落とし込みを組み合わせ、さらに倒れこむ勢いもプラスしたことで、これが今俺の出せる最速の拳撃だ。


 さらに、可変籠手は形状を変化できなくとも、それ自体が金属の塊であることには変わらず、拳の一撃自体が十分な威力がある。

 兜もかぶっていない頭などこの一撃で形を変えてしまうはずだったが、イゴールは俺の攻撃を冷静に見極め、危なげなく避けられてしまった。


 普段の全力には程遠いとはいえ、会心の一撃と呼んでいい攻撃をあっさりと回避されたのは残念だが、生憎、俺は一人で戦っているわけではない。


 すぐさまパーラが俺の膝と肩を足場にして飛び上がり、イゴールの首筋目掛けてナイフを振り下ろす。

 だがそれをイゴールは長剣で払い、返す刃が俺とパーラをまとめて逆袈裟斬りの軌道で狙う。


 剣に乗せた勢いとタイミング、敵ながらあっぱれと感心する。

 分かっていたつもりだったがこの男、とんでもなく強い。

 身体強化なしはお互い様だと思っていたが、今のやりとりで使われた技術一つでも地力の差が大きい。


 このままなら剣筋に沿って俺とパーラは人間の()()となり果てるところだが、ここにはもう一人、俺達の味方がいる。

 ゼロコンマの世界で刃が俺の股に到達するより一瞬早く、左右から挟み込むように飛来した二本の矢が、それぞれイゴールの剣を持つ方の腕とガラ空きの額へと迫る。


 この場で弓を持ち、なおかつ二本の矢を同時に、それも別々の場所へ当てることができる技術の持ち主など一人しかいない。

 ロイドの放った矢は、攻撃に移っている人間の心の隙を突く見事なものだったが、残念なことにイゴールのほうがまだ上手だった。


 死角と言っていい位置から現れたはずの矢にも、イゴールはしっかりと反応して躱し、そのまま動きを止めることなく俺とパーラへの攻撃を続行する。


 長剣が鋭く振るわれ、それを俺とパーラはナイフで、時には可変籠手で捌きながらイゴールの隙を窺うが、防戦から一歩踏み込んだ動きへ移ることができないまま、時間と体力だけが奪われていく。

 時折ロイドからの支援はあるが、それも決定打だとはならず、数少ない矢が消費されるばかりだ。


「イゴール!」


 ある種膠着状態ともいえる戦いを繰り広げていた俺達だったが、そこへ外野からの声がかかる。

 名前を呼ばれたイゴールは、俺達をけん制するように大振りに剣を払い、侯爵のもとへと飛び退っていった。


 息をつく暇を得た俺達は図らったように揃って大きく呼吸をし、息を整えて油断なくイゴール達を睨みつける。


「何を遊んでいる。さっさと始末せんか」


「簡単に言わないでください。連中、かなり戦い方が上手い。それにこっちは一人なのに、向こうは三人がかりですよ?むしろ労ってくれてもいいでしょうに」


 困った顔で侯爵に反論するイゴールだが、俺達とは対照的に呼吸の乱れておらず、体勢も揺らぐことなくしっかりとしていて、三対一の攻防をこなした割には疲労しているようには見えない。

 パーラとロイドを横目で見れば、呼吸は既に整っているものの、その顔には焦りと疲労が表れており、きっと俺も同じような顔をしているのだろう。


「…ロイドさん、矢の残りは?」


「三つだ。そこらに落ちてるのを数に入れなければな」


 チラリと辺りを見回し、地面に落ちている矢を視界に収めたロイドが、小さく舌打ちをする。

 元々潜入が目的であったため、持ち込んでいた矢の数も多くはなかった。

 それが今、あっという間に消費されてしまったのだから、穏やかではいられないのだろう。


 一応破損は見られないので、落ちているのを拾えば再利用できるが、敵を前にしてそんなことをしている暇はない。

 俺達の手持ちの武器で唯一まともといえるのがロイドの弓なので、それが使えなくなるのは痛手だ。


「労わってほしいなら後でいくらでもしてやる。まずは仕事を果たせ」


「へいへい。まったく、人使いが荒い。ほんじゃま、ちょっとばかり本気でいかせてもらう…ぜっ!」


 本音を言えばもう少し休みたかったが、向こうが配慮してくれるわけもない。

 じゃれたようなやり取りを終え、イゴールが再び剣呑な目をすると、少し前の繰り返しのように俺達へと迫ってきた。


 多少ゆっくりとした足取りではあるが、踏み込む強さが音からして変わっており、これから繰り出される攻撃の重さが予想を下回ることはないだろう。

 本気を出すとイゴール自身が言った以上、先程よりも苦戦することは間違いない。

 三人でも苦戦していたというのに、さらに強さを増した敵とどう戦うべきか。


 チラリと、戦力になりそうな人間であるソニアを見てみたが、当てにするのが躊躇われる。

 普段のソニアなら、俺のナイフを託して戦線に加わってもらうところだが、今の彼女は万全とは言い難い。


 元の身分を考えれば拷問などはされていないだろうが、さらわれてきて普段通り過ごせる人間などいるわけがなく、今日までの時間が彼女にかなりの疲労を蓄積させているはず。

 本人は平静を装ってはいるが、俺から見ても分かる程度には疲労の色が濃い。

 あの状態の人間がイゴールと対峙するのは流石に危険だ。


「へぇ、本気ってことならこっちも全員でかかるしかないわね。ロイド!あんたのナイフ寄こしなさい!」


「ちょ姉さん!変なとこ触るなよ!?あ…いやんっ」


「変な声出さない!ちっ、なんで持ってないの!?」


 だというのに、本人はやる気満々なのがまた困る。

 弟の体をまさぐってでも武器を調達しようとする心意気は買うが、普通股間に武器は隠さない。

 まぁ男なら大なり小なり、股間に生まれ持った剣はあるが。


「ちょっと二人とも!遊んでるなら下がってよ!?もうっ…アンディ!」


「分かってる!」


 ふざけているようにしか見えない姉弟は放っておいて、パーラとともに接近中のイゴールへ向かって走る。

 今度はパーラが先を行き、俺がその後に続く形だ。


 相変わらず武器の不利はどうしようもなくても、数だけはこちらが勝っている。

 向こうの剣の射程距離に入る寸前、パーラが身を低くしてイゴールの足首めがけてナイフを、俺はわずかに跳躍しながらイゴールの顔へとナイフをそれぞれ突き出す。


 ほぼ同じタイミングで足元と上半身を襲う刃を、剣一本で防ぐのは至難の業。

 普通なら致命傷になりうる首をガードするだろう。

 俺だったらそうする。


 つまり、パーラの攻撃でイゴールは足をやられる可能性はかなり高い。

 俺達は何もイゴールを倒すことを目的としていない。

 ソニアを連れてここから逃げられればそれでいいのだ。


 足をやられれば、イゴールも俺達を追ってくることはできないはず。

 これで俺達は悠々と逃げられると、勝利を確信した瞬間、突然俺の視界が激しく揺らいだ。


「…ぅあ?」


 見えるものがグニャリと歪んでいる中、平衡感覚を失った体が溶けるように地面へ倒れこんでいく。

 視線を探るように動かしてみると、パーラが目を虚ろにして膝をついており、おそらくこいつも俺と同じ状態に陥っている。


 突然の変化はなにもこの世界が壊れたとかではなく、単純にイゴールの攻撃による結果だとは理解していた。

 斬りかかったあの時、イゴールは剣を手放し、空となった手で的確に俺達の顎を打ち抜いたのだ。

 その一撃は脳を揺らし、見事に行動不能に陥ってしまった。


 命にかかわる怪我はない。

 だが少なくない時間、行動不能となってしまう以上、死んだも同然だ。

 油断などしないと思っていた時点で油断していたのだと、この有様が証明してしまう。


 このまま立ち上がれず、止めがくるかと身構えたが、イゴールは俺達を無視してロイド達の方へと歩いていく。

 いつでも殺せる俺達などもはや脅威ではなく、侯爵の命令を優先しようというのだろう。


 俺もパーラも今の状態では、イゴールの足止めすらできない。

 ロイドは矢が残り少ないとなれば、頼りにするのはもうソニアだけとなる。

 救助にきておいて救助対象に頼るとは、なんとも情けない話だが止むを得ない。


 ボヤける視界でソニアを見つけ、そちらへナイフを投げる。

 ソニアなら弱っている俺如きが放ったナイフでけがを負うとは思えないが、正確に手元まで届くかは賭けだ。


「くっ…いい判断よ!アンディ!」


「ちぃっ!?」


 果たして俺の投げたナイフはどういう結果となったか、それは気色ばんだソニアの声と、イゴールの強い舌打ちによって知ることができた。


 どうやら俺のナイフはしっかりとソニアに届いたようで、次いで聞こえた金属が激しく打ち付けあう音がイゴールとの戦闘が始まったことを伝えてきた。


 戦斧一本で黄級を張るソニアだけあって、聞こえてくる音は俺達がイゴールと打ち合っていた時の物とは重さが違う。

 長剣とナイフでは耐久力も違うというのに、経験のなせる業か、剣戟の音は何度も続いていく。


 そうしている間に、徐々に回復してきた視界でソニア達がようやくしっかりと見えてきた。

 そこでは互角といっていい戦いを繰り広げる二人の戦士の姿があり、身体強化を封じられているからこその純粋な技術による駆け引きが、俺達にまで届くほどの死の香りを漂わせている。


 本来の獲物である長柄の斧でなくとも、イゴールとああまでやりあえるソニアの技量は流石と舌を巻く。

 その二人を見ながらロイドも弓矢を構えており、隙あらばイゴールに一矢報いてやろうという気概がある。


 このままソニアがイゴールを圧倒してくれることを期待したいが、おそらく無理だ。

 一見すると互角ではあるが、本調子ではないソニアは僅かずつではあるが動作が鈍くなっていて、それに対してイゴールは口元に笑みが見える程度には余裕がある。


 それはロイドも理解しているようで、ソニアを見る目は悲壮なものに変わっていた。

 本音では姉を下がらせたいが、前衛が二人脱落している以上はそれも難しいし、なによりソニアが弟の後ろに隠れることをよしとしないのを分かっているのだ。

 だからこそ、渾身の矢を射るべく、じっと耐えているのだろう。


 いくつもの目が命の取り合いである剣舞を見つめる中、ソニアが攻撃を受け止める音が明確に変わる。

 甲高い金属音だったものが濁りはじめ、そしてついにナイフに欠けができてしまう。


 買ってから手入れも欠かしたことはなく、それなりに質のいいナイフだったのだが、ここまで激しい戦いに耐えられるほどではない。

 単純に金属の耐久が限界を迎えたのだ。

 よくてあと三合、それだけ打ち合えばナイフは完全に折れてしまうだろう。


 ただ、その光景に目を見開いているのは俺達ばかりで、むしろソニアは冷静な顔だ。

 来るべき時がきたと、ある種諦めにも見える表情のまま、ソニアの目が俺に向く。


 何かを言ったわけではなく、打ち合わせをしていたわけでもない。

 だがその時、ソニアから何かを託されたような、そんな感情を向けられた気がした。


 そして、イゴールが再び剣を振るった時、ソニアはナイフで防がなかった。

 鳩尾のあたりを狙った剣は、今までのやり取りに則るなら確実に防げるコースのはずが、なぜかソニアはそれを敢えて迎え入れるようにして見送った。


 ブチリという張りのあるものが裂けるような音が妙に耳に響く。

 音の元はソニアの腹へ突き立った長剣だった。

 少し遅れて血が床を叩く音が聞こえてくる。

 砂がトタン板を流れるような音は、ソニアの体から流れ出てくる大量の血液が立てたものだ。


 ここにいる誰もが驚愕に目を見開いている中、ただ一人、ソニアだけが全てに先んじて動く。

 イゴールですら剣が通ったことに驚いて体を硬直しており、それが致命的な隙となる。


 ほんの一瞬、一秒にも満たない時間ぼうぜんとしたイゴールの脇腹に、ソニアの手にしていたナイフが刺し込まれた。

 あえてイゴールの長剣を食らい、相打ち覚悟でナイフをお見舞いする、ソニアの狙いはこれだったか。


「ぐぁあ!ってめぇ…」


「がふっ…ふ、ふふ、とった…わよ」


 痛みに絶叫を上げるイゴールを、ソニアは血の気の失せ始めた顔も穏やかに、不敵な笑みを見せる。

 傷を負い、膝が笑い始めた二人が、奇しくも互いを支えるようにしながら力が抜けていく。


「姉さん!」


 地面に倒れこむ寸前、ロイドがソニアへ駆け寄ってその体を支える。

 その際、イゴールがロイドへ手を伸ばそうとするが、俺とパーラが間に入ってそれを防ぐ。

 体はまだ完全に戻ったとは言い難いが、脇腹をやられて脂汗を浮かべた男一人なら相手できる。


 伸ばされていた腕をはたき、体全体で押すようにしてイゴールを後ろへと転がす。

 思ったよりも傷が浅いのか、倒れこむ勢いを使って距離をさらにとったイゴールは、まだ十分脅威となる元気があるように見える。


 ただ、膝をついたままこちらを睨む顔は痛みに歪んでおり、刺された場所が場所だけあって、これまでと同じように戦える状態ではなさそうだ。


「しっかりしろ!姉さん!くそ、血が止まらねぇ!」


 イゴールを警戒しつつ、ふらつく足を叱咤しながらソニアの下へ向かうと、そこには吹き出すように出血している腹の傷を必死に押さえるロイドの姿があった。

 俺達が近付いたことなど気にもせず、ソニアの怪我に挑むように圧迫止血を試みるロイドの顔は、絶望と悲しみに満ちている。


「ぁ…ば、か…さ…さと、逃げー」


「喋るな!ちくしょう、どうすればっ!」


 必死にどうにかしようとするロイドだが、正直、この場でできることなどほとんどない。

 溢れ出る血が池となっていることからも、このままではソニアは失血死まで一直線だ。


「ロイドさん!落ち着いて!逃げますよ!ソニアさんを背負って!」


 ろくな設備も薬もない以上、ここにとどまっても好転はしない。

 イゴールも傷を負って行動は制限されているとなれば、逃げるのが最善と言っていい。


「逃げる…?だが!」


「しっかりしろ!ソニアさんは逃げろと言った!俺達は…あんたは逃げなきゃいけないんだよ!それがこの人の願いだろ!?」


 喋ることすらつらいはずなのに、ソニアは確かに逃げろと口にした。

 致命傷を負ってまでイゴールに一撃を与え、俺達が逃げるためのお膳立てをしてくれたその思いを、俺たちは無駄にしてはいけない。


「…手を貸してくれ。姉さんを俺の背に」


 俺の言葉に歯ぎしりを起こすほどに顔を歪めたロイドだったが、すぐにソニアを背負うために俺に手伝いを頼んできた。

 本当なら少し動かすことすら危険なのだが、ソニアを置いて逃げることなどロイドにはできない。


 気休め程度だが、マントを裂いて傷のあたりに包帯代わりに巻いておくが、すぐに血が滲んできているため、意味を見失いそうになるが、今はこれしかできることはないと自分を慰める。

 せめてこの部屋を離れれば、水魔術での治療ができる。


 もっとも、人体内部は水魔術での治療も効果が薄いため、あまり期待はできない。

 できるとすれば、多少傷を塞いでの延命ぐらいだ。


「パーラ!逃げるぞ!」


「…わかった」


 イゴールにナイフの先を向けたまま対峙するパーラの背中へ声をかけ、俺達はロイドを守りながら部屋を後にする。


「イゴール!逃がすな!」


 当然、それを見逃さない侯爵がイゴールへ命令を出すが、命令された当人は傷のせいで立ち上がることもできず、俺達をただ睨むのみだ。

 ソニアと違って致命傷ではないが、あの怪我なら追ってくることはできないだろう。


 それでも怒り狂ったようにイゴールへ命令をする侯爵の声を背後に置き去りにして、俺達は城を出るために廊下を急ぎ足で進む。

 確実性をとるなら来た道を戻るのがいいが、この状態のロイドがあの狭い通路を通れるかは疑問だ。


 かといって正門を突破するには足の遅さが問題だ。

 ボヤ騒ぎを起こしたことで、今は城中に兵士が動き回っているはずで、正門へ向かう道の途中で囲まれてしまえば、数の差で捕まって終わる。

 流石に職務に忠実なだけの兵士を魔術で殺すのも忍びないので、できることなら遭遇することなく脱出したい。


 となると、どこか適当な部屋の窓を破って外へ飛び出すのがベターか。


「姉さん、頼む…死ぬな!姉さん!」


「うっ…だい…ぅよ」


 あれだけ血を流していながら、まだかろうじてとはいえ意識を保っているソニアの生命力には驚くしかない。

 それでも徐々に声から力が失われていく様に、もはや顔を覆うかとも思えるほどの涙を流しながらロイドは取り乱している。


「ロイドさん!あそこの部屋に!」


「ああ!」


 特にどこがいいとかは考えず、目についた部屋を指さしてロイドを誘導する。

 適当に選びはしたものの、他よりも立派な扉はよく目立つもので、ぶち破るのに苦労しそうだが、魔術が使えるようになった俺達なら障害にはならない。


 身体強化のありがたさを改めて実感しつつ、扉を蹴り破って部屋へと入った俺達は、威厳のある声に出迎えられる。


 ―何者だ?


 豪奢な部屋にふさわしい大きなベッドで身を起こし、たった今入室してきた俺達を険しい顔で見ているその人物は、病で臥せっているのか、かなりやせ細っていた。

 随分と高齢に見えるが、これぐらいなら何かの怪我一つで寝たきりになってもおかしくはない。


 なんとなく外見から、パーシンプス侯爵との血の繋がりがうかがえ、年齢的に推測するなら父親というのが妥当だろうか。

 老人は俺達を見て、ロイドの背中に視線を止めると、思案するように視線をさまよわせてため息を吐く。


「…ふむ、なにやら城が騒がしいとは思っていたが、お前達だな?よもや昼日中から盗みになど入るまい。その背負っている怪我人が理由か?」


 突然の闖入者にも取り乱すことなく対応できるのは大物の証拠だが、もしもこの老人が先代のパーシンプス侯爵だとするなら、今の侯爵は随分と小物に思えてくる。


「火急のことにて、無断の侵入は平にご容赦を。我らにご老体を害する意思はありません。窓をお貸りできればすぐに出ていきます」


 人がいることが意外だったか、あるいは平然と俺達に話しかけているせいか、ロイド達は言葉も発せずにいるので、この場は俺が口を開く。

 たとえ目の前の人物が先代侯爵であろうと今の俺達にはどうでもよく、すぐそこの窓からの脱出さえ目をつぶってくれればそれでいい。


「では、失礼―」


「待て」


 一方的に告げて急いで窓へと向かった俺達に、老人が制止の声をかけてきた。

 枯れ木のような体にしては力のある声の出し方をするもので、従う必要などないはずのに、なぜか立ち止ってしまった。


「その背にいるのは、イサドレッド様……いや、違う?まさか、アルレリア嬢なのか!?」


 それまで凪のように動きのなかった老人が、突然取り乱したような声を上げる。

 ソニアを見てその正体を見抜いたのか、ここに皇女がいて、しかも怪我をして死にかけているという事実は、この老人を動揺させるのに不足はないらしい。


「アルレリア?」


 ただ気になるのは、ソニアをアルレリアと呼んだことだ。

 イゴールはソニアをイサドレッドと呼び、この老人はアルレリアと呼ぶ。

 どちらが正しいかは俺にはわからないが、信じるならこの老人を選んだほうがよさそうだ。


 元パーシンプス侯爵家の当主だったとすれば、俺なんかよりもこの国で起きた様々な事情には詳しいはずなので、彼がそう言うのならそうなのだろう。


「馬鹿な、なぜここに…いや、今は聞くまい。しかしなんという傷だ。これではもう…」


「黙れ!姉さんは死なない!こんな傷、すぐに治してっ…」


「姉さん?アルレリア嬢に弟など……まさか!…なんということだ!あぁ、神よ。なぜ今になって」


 ロイドの叫びを聞き、訝しそうな顔をした老人だったが、すぐに何かに思い至ったように体を震わせると、その目に涙を浮かべて俺達…正確には、ロイドとソニアを見つめてきた。

 その顔には、ロイド達が何者かを完全に理解したからこその敬意が現れている。


「城から出ようというのですな?」


「…え?」


 ベッドの上で居住まいをただした老人からは、それまでのこちらを威圧するような空気は完全に失せ、ロイド達を案じる気配が漂ってきている。


「行く当てはおありですかな?」


「当ては…ない。だがまずは姉さんの傷を治す」


「それは…いえ、お心のままに。帝都を出て、徒歩で南へ五日ほど行った場所にミュリクという村があります。そこに、あなた様に会っていただきたい人間がおります」


「会ってほしい人間…法術師か!?」


「いえ、今のこの国にはヤゼス教より法術師が派遣されてくることはありません。もっと別の、あなた様だからこそ会うべき人間です」


「一体誰だ、それは」


「会っていただければわかります。私の口からは……」


「会って間もない人間の、それも不確かな言葉を信用しろと?」


「信用を得るためなら、この首など喜んで差し出しましょう。私の命と引き換えでかまいません。どうか、彼の者に会っていただきたく」


 老人がそう言ってベッドから降り、床に膝をついて首を差し出すような姿勢を見せる。

 俺はこの国の作法には詳しくないが、これが最上級の礼であることは察することぐらいはできる。


「…姉さんの治療が先だ。その後、気が向いたらミュリクとかいう村に行く。今はそれしか言えない」


「十分でございます。さ、お早く。追手は私のほうで止めましょう」


 ロイドの言葉に満足そうな笑みを浮かべ、老人が部屋の窓を手で示して俺達の脱出を促す。

 ここからはパーラと俺がロイドを吊り下げる形で城壁の外へと向かう。

 ソニアも加わり重量はギリギリだが、ゆっくりと降下するように飛べば行けるはず。


 腰の噴射装置を確認して手早く窓の縁に足をかけ、ロイドとロープで体を繋ぐ。

 窓の外にあるバルコニーから飛び出すため、足に力を入れたところで、ロイドが口を開く。


「老人、名を教えてくれ」


 背後を振り返ることなく、臣下のようにふるまった老人の名を訪ねる横顔は、信用を口にした先ほどの時よりも若干柔らかい。


「バルダーノ・ウルクロア・パーシンプス、元侯爵にございます」


 やはり先代パーシンプス侯爵だったか。

 薄々わかってはいたが、これで確定した。

 病か何かで当主を退き、息子が差配する城の一室で静養中といったところか。


「そうか…大儀である」


「もったいなき、お言葉…」


 突然、バルダーノを労う言葉を口にしたロイドに驚くが、助力を買って出てくれたことへの礼だとすれば、実に皇族らしい物言いだ。

 なにせ帰還した皇子の言葉だ、バルダーノには何よりも喜ばしいのかもしれない。


 感極まったように言葉を詰まらせたその声を背にし、俺達はバルコニーを助走の足場にして、城の外へと飛び出す。

 ロープで吊られる形になったことで、ソニアにも少なくない負担はかかるが、それに反応するだけの力が彼女にはもう残っていない。


 それに気付かず、ロイドはようやく城を脱出できたことで、その顔に安堵の表情を見せていたが、それを俺は見続けることができなかった。


 ここから先に、辛い別れが待っている。

 それを俺はわかっていながら、何の言葉も口にせず、寒空の飛行にただただ没頭するしかなかった。

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