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世の中は意外と魔術で何とかなる  作者: ものまねの実


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ナイフにも剣道三倍段は適用される?

 SIDE:ソニア



 宝物庫の扉に描かれた紋章は、ルガツェン帝国を示すものと似てはいるが微妙に形が違い、古い時代のものがそのまま使われているのかもしれない。

 手を触れてみると石とも金属とも言えず、滑らかながら吸い付くような手触りは上等な布を思わせる心地よさだ。


 こんな状況でなければじっくり観察したいところだが、私の背中に視線を突き刺してきている人間がそれを許さないだろう。


 扉に触れている手に魔力を込め、紋章へ魔力を通すように送り込む。

 するとそれまで沈黙を保っていた扉から、淡い光が滲みだしてきた。

 寒々しい空間もあってか、温かみを感じるその光は、紋章の縁をなぞる様に一旦集まると、一拍おいてまた扉全体へと広がっていく。


「ここまでは私にもできました。しかし、この先が続かなかった。血が足りなかったと言うしかなく、殿下におすがりした次第」


 どうやらこの段階までは、クラレットも辿り着けたらしい。

 私にはティリマスの血が流れている。

 遡ればティリマス伯爵家にも皇族の血は入っているため、一応は紋章も反応したのだろう。


 恐らくこの先に進むには、正当な皇帝の血が必要だ。


 既に紋章へ魔力を注ぐのをやめているのだが、まだ発光は続いており、この後に何かが起きるのを期待させるような光景に、クラレットが歓喜の声を上げる。


「さあいよいよです!開け!私に帝国の夜明けを見せてくれ!」


 姿は見えずとも、あの男が狂ったような笑みを浮かべていると想像できる。

 声からして自分に酔っているのも伝わってくる。

 きっと厳かに扉が開き、宝の返す光が溢れる中に立つ自分を思い描いていることだろう。


 だがそんな瞬間は訪れないと、彼はすぐに理解する。

 全体に広がっていた光が宙に溶け出すように散っていき、紋章に残滓として残っていた光が粒となって舞ったのを最後に、扉は沈黙を取り戻した。


「バカな…なぜだ?なぜ光が消える?皇族の血ならば扉が開くはずだろう!?」


 宝物庫の扉が開かなかったことに私は納得したが、クラレットはそうではないようだ。

 初めて聞く取り乱した声から、よほどの動揺に襲われたのが伝わってくる。


 見ればクラレットの顔は強ばったまま固まっており、私を見る目には驚愕と疑念が満ちている。


「まさか…違う、のか?本当に、イサドレッド殿下ではないのか!?そうなのか!?」


 私がイサドレッド様ではないと、ここまで何度も言っていたことをようやく理解したのか、愕然とした顔が憤怒に変わり、今にも掴みかかってきそうな雰囲気だ。


「…私は何度もそう言ったわ。申し遅れました、私の名前はアルレリア、アルレリア・ユーゲン・ティリマス。ティリマス伯爵家の末の娘」


 意識して皮肉気な笑みを浮かべ、ゆっくりと貴族の女がする礼をしてみせれば、クラレットの顔がはっきりと引き攣る。


「ティリマス伯爵家の女だと?バカな、子は男が二人だけだったはずだ」


「あの頃はまだ社交の場にすら出ていない身でしたもの。知らなくとも無理はないでしょう」


 ティリマス伯爵家の子として、正式に社交の場に出る前に私は帝国を離れていた。

 そのため、クラレットが私を知らないのは無理もなく、父と上の兄二人を知っているだけで十分だ。


 この分だと、クラレットは影代女としての私の役目は知らなかったとみていいだろう。

 事が事だけに、一部の人間以外には伏せられていたため、たとえ侯爵家の人間であろうと、当主ではなかったクラレットが私とイサドレッド様を結びつけて影代女の関係までたどり着くなどあり得ない。


「あの日、確かに私は城にいた。他の皇族方の死を背に捨ててまで城を離れたのは、ひとえに皇子殿下の御為」


「ではイサドレッド様はあの時に…。なんたることだ」


 こいつらがどうやって私とロイドのことにたどり着いたのかはわからないが、私をイサドレッド様と間違えているぐらいだ。

 今日までの私達の軌跡を、完璧に把握できているとは言い難い。

 それでも、私達姉弟を二人まとめて誘拐しようとしたことから、ロイドが皇子のどちらかであることまでは嗅ぎ付けているとみていい。


 さても私の正体が知られた以上、クラレットが次に何をするのかは考えるまでもない。


「よりにもよって…イゴールめ。なぜ弟の方を連れてこなかったのだ、まったく。アルレリアだったか?よくも私をたばかってくれたものだ。もっと早くにイサドレッド様ではないと知っていれば、このような茶番など」


 クラレットの目的を考えれば、ロイドを見逃したイゴールの失態は当然責められるべきだが、それも今だからこそ言えることだ。

 ブツブツと呟いていたクラレットがその顔をこちらへ向けた時、そこにはもう皇女殿下へ向ける敬意なども微塵もなくなっており、むしろ憎悪に満ちた目で私を睨んできた。


「ひどい言い草。私は最初から言っていたわよ。皇女殿下じゃないと」


 勝手に勘違いして連れてきて、今度は勝手に怒っているのだからこの男もいい性格をしている。

 こんなのが頂点にいるとは、帝国も落ちたものだ。


「それを頭から信じるほど、私は暇ではない。皇女殿下の戯言だと思っていたからこそ、取り合わなかっただけだ。だが今はそれも悔いている。次は本物をお連れするとしよう」


「…ロイドに手を出すというの?私がおとなしく従ったのは、弟の安全と引き換えだったのは理解しているかしら?」


 今のところ、クラレットが知る限りで皇帝の正当な血を残すのはあと一人だ。

 私がイサドレッド様ではないとバレた以上、次に狙われるのはロイドで間違いない。


「それはイゴールが勝手にしたことだ。本来なら二人とも連れてくるのが最良だった。現場の判断を一任していたせいで、このような結果となってしまい残念に思う」


 私がイゴールとした約束は、クラレットにとっては守る義務のないもので、この言い分は不実ではあるが妥当なものだ。

 この男には躊躇いも束縛もなく、やるといったらやる意思がある。


「急ぎ、皇子殿下をお迎えする算段を立てねばな。…あぁ、もう貴様はよいぞ。用済みだ。いずこなりとも…とはいかぬか。せめてもの情け、待遇は変えぬ。変わらずその身は預かるとしよう」


「あら、私の命を絶つということはしないのね?お優しいこと」


「それが一番手っ取り早いのは確かだが、落ちぶれても貴様は伯爵家の子だ。いずれ帝国が栄光の階を登るとき、欲しがる輩も現れよう。その時までその命、永らえることを許そう」


 宝物庫の存在と鍵の開け方を知られた以上、適当に放置も許されず、引き続き監禁される未来が私には待っているらしい。

 イサドレッド様ではない私など、クラレットにとってはもはやどうでもいい存在と成り下がってはいるが、伯爵家の子女という身分はいつか役に立つ日も来ると考えたか。


 本心では私など殺してしまいたいだろうに、国益のためなら堪えて計算をすることができるところは、実に貴族らしいと言える。


「…ロイドに扉を開けさせたとして、そのあとはどうなるの?どうせ自由の身に戻すつもりはないのでしょう?」


「当然だ。殿下には玉座についていただく。皇帝なくして帝国は成り立たぬ。もっとも、当分は私が補佐するゆえ、実権はお預かりするがな」


「結局は傀儡か。いずれは全てを取り上げて、僻地に幽閉ってとこね」


「言葉を慎みたまえ。そのような恐ろしいこと、考えるだけでも不敬であろう」


 ロイドが玉座についてからその後にたどる未来まで、簡単に想像できることを口にしてみれば、クラレットは言葉こそそれらしいものの、顔には薄く笑みが貼り付いており、私の言ったことが妄想に収まらないと暗に示している。


 言いなりとなって宝物庫の扉を開けたとして、ロイドに待つのは決して明るい未来とは言えず、やはりこいつにロイドを渡してはならないと改めて思う。


「ところで、今日ここで起きたことを知っているのは、私達二人だけですね?閣下?」


「今のところはそうだ。貴様が偽の殿下であることは、私しか知らぬ。まぁ私の今の居場所を知る者はそれなりにいるがな」


「そうですか。では、今あなたを殺せば、ロイドを捕まえに行く命令が出ることはありませんよね?」


 そう口にした途端、私たちの間にある空気がピリと張り詰める。

 音がしそうなほどに冷たい部屋の中で、クラレットの顔からは感情が消え、私もきっと同じような顔になっているはずだ。


「なるほど、悪くない考えだ。私が死ねば、皇子殿下を探す人間もいなくなる。晴れて自由の身空を謳歌できるだろう。ただし、それができるのはこの場で貴様だけだ。武器もなく、果たしてそれをなせるものかな?」


「私は冒険者よ。素手で人を殺す方法なんていくらでもあるわ」


「ではやってみたまえ。大方、身体強化でも使おうというのだろう?おそらく叶うまいがね」


 殺気を込めて睨みつけても、怯えどころか身構えもしないクラレットの余裕丸出しの姿が癇に障るが、あえて向こうの誘いに乗るようにして全身に魔力を巡らせていく。

 私たちのような魔術師ではない人種にとって、身体強化は戦いにおいて当然の技術として身に着けているため、息をするように発動させることができる、はずだった。


 魔力が体を包むように広がり、いつもの慣れた手応えを期待していたところで、身体強化がほとんど機能していない事に気付く。

 体内の魔力を操るのを、外からかき乱されて邪魔されているような、そんな感覚だ。


 ここ数日、実戦から離れて鍛錬も怠っていたが、今更身体強化をしくじるほど鈍ってはいないと思っていただけに衝撃は大きい。


「…どういうこと?なんで身体強化が―」


 これをクラレットは予想していたような口ぶりだっただけに、原因を知っているはずと低い声で問いただしてみると、小馬鹿にしたような笑いが返ってきた。


「もう忘れたのかね。言っただろう。ここの部屋は対魔術の仕掛けが厳重に施されていると。何も魔術師だけを対象にしているわけではない。魔力を使ったあらゆる手段、例えば身体強化もその範疇にあるのだよ。体内を巡る魔力の流れを阻害された感触があっただろう?それがこの部屋の効果だ」


「そんな馬鹿な…さっきあの紋章に触れた時は普通に魔力を巡らせることができたのに」


 あらゆる魔術的なものを阻害するというのなら、先程触れたあの扉の紋章に魔力を流すことも対象となるはずだが、そうはならなかった。

 例外があるとすれば、それが抜け道となるかと淡い期待を抱くが、次いで発せられたクラレットの言葉がそれを許さなかった。


「そこが実によくできていてね。あの紋章に触れている時だけ、体内の魔力操作を邪魔されない仕組みだ。魔術による破壊を防ぐ仕組みと、紋章による鍵の開錠、これらを合わせて強固な守りとすることで、今日まで宝物庫は守られてきたのだ」


 極限まで練り上げられた身体強化を習得している人間は、拳の一撃で城塞を陥落させることもできるとか。

 それを考えれば、魔術だけではなく身体強化まで阻害するこの仕組みは何も間違ってはいない。

 開錠のための魔力操作だけはできるようにしているのも、うまく考えたものだと感心する。


 しかしこれでは、私がクラレットを倒すための手段がほとんど失われていることになる。

 技術的にはともかく、身体能力の優位は望めず、おまけに武器らしい武器も手元にはない。

 クラレットがナイフの一つでも携帯していれば、それを奪うのも一つの手ではあったが、見たところそれらしいものはなさそうだ。

 目の前の男は貴族にしては随分体を鍛えているようだし、身体強化なしでの掴み合いでは私が不利だ。


 いっそのこと、人間が生まれながらにして平等に持つ凶器である歯でも使ってやろうかとも思い始めたその時、何者かがこの部屋に駆け込んで来たのに気付く。

 城の中ということもあって、兵士が来たのかと思っていた私の耳に、予想外の声が届けられた。


 ―姉さん!


 その声を聞いて、私の体を緊張が支配する。

 今ここで最も聞きたくはなかった声だが、聞いてしまえば涙がこらえきれなくなるほど、嬉しさが波となって押し寄せてきた。


 クラレットに利用される可能性を考えれば、絶対にここに来てほしくはないのに、一度でも姿を見れるのなら何を犠牲にしてもいいと、そう思えるほどの渇望がこの再会を一層の喜びとしてしまう。


 あぁ、神よ、あなたはどこまで残酷で優しい存在なのだろう。

 これは神に祈ることなどなかった私に対する罰か、あるいは救いか。

 いや、今だけはきっと…。



 SIDE:END







 殺風景な空間の中、相対して立っていた二人の間へ、ソニアをかばうように割り込む。

 特にロイドは、抱き着きそうな勢いでソニアの隣に滑り込んでからは、男の方を敵でも見るような目で睨んでいる。


 俺とパーラもそれに倣って男を警戒しているが、実のところ、先ほどここに来てから俺の身を襲っているある事実に動揺しているのを、隠すので精一杯だ。


「…アンディ、気付いてる?」


 静かに、俺達だけに聞こえる程度の小声でパーラがそう尋ねてくる。

 やはりこいつも同じ状況に置かれているようだ。


「ああ、そっちもか。てことは、俺個人の不調じゃあないんだな」


「うん、魔術が全く使えない。それどころか、可変籠手も動かないよ」


 ここに来てから、身体強化が無理やり剥がされるようにして消え失せ、おまけに可変籠手まで沈黙するという有様だ。

 この場所、どうも普通ではない。


「言っておくけど、ここじゃ魔術も魔道具も、魔力に起因する現象は全て阻害されるらしいわ。私も身体強化がまるっきり使えないのよ」


 囁きあう俺達の声に気付いてか、ソニアが恐ろしいことを教えてくれた。


「全て阻害?阻導石ですか?」


「そのものではないそうよ。ここの部屋に幾重にも魔術対策を組んだ結果みたいね」


 疑っているわけではないが、試しに雷魔術を使おうとしてみるが、発動以前に魔力を集める工程でノイズが走るように乱されている。

 以前触った阻導石と似た気配だが、それよりも強力で複雑な何かがここには施されているのか、魔術師にとっては怪物の腹の中にいるような怖さがある。


「手持ちの攻撃手段は軒並み使い物にならないってわけですか。こりゃ逃げるだけでも苦労しそうだ」


 今回、潜入任務ということもあって、持ち込んでいる武器はさほど多くない。

 ロイドは弓を持ってきているが、それ以外だとせいぜいナイフぐらいだ。

 俺達なら可変籠手があれば十分だと思っていたのに、まさか肝心な場面で使い物にならないとは誰が予想できたか。


 一応この空間を離れればどうにかできそうなので、さっさと逃げるにこしたことはない。


「お初にお目にかかります、殿下。クラレット・コーレーン・パーシンプスにございます。エルマーク殿下かブライアス殿下、今はどちらの方かは存じませぬが、それもいずれわかるとして…よもや殿下自らお越しになるとは思いもしませんでした。こうしてお会いできたのも、まさに天の導き!」


 俺達の内緒話が終わるのを見計らったかのように、目の前の男が名乗ると、次の瞬間には何かに酔っているかのように天を仰いで低い笑い声を出した。

 どうやらこいつは今の帝国で権力の頂点にいるパーシンプス侯爵その人で、ロイド達を狙った企ての黒幕であるとみてよさそうだ。


 チラリと横を見れば、ソニアは敵を見る異様な目で侯爵を見ており、俺たちが駆け付けるまでの間に随分険呑な関係性が育まれていたらしい。


 しかし『殿下』か。

 はっきりとロイドを見てそう呼んだとなれば、これはもう確定で間違いないだろう。


 帝国には皇室の血を引く貴族は多いそうだが、正式に皇族と呼べるのは皇帝の直系のみだとか。

 他国と違って、大公や公爵といった位がないのがその証拠だ。

 ソニアとロイド、この二人はルガツェン帝国の皇女と皇子で、二十年程前の皇城陥落から逃げ延びた最後の皇族というわけだ。


 色々と腑に落ちた勢いに任せてソニアを見つめていると、俺と目が合ったソニアはバツが悪そうに視線をそらしてしまう。

 その様子は、自分達が皇族であることを知られるのを望んでいなかったというように見える。


「不躾ながら、是非殿下にはお力をお貸し頂きたく、伏してお願いいたします」


「力を貸せだぁ?なんで俺がそんなこと」


 ロイド以外は視界に入っていないといった様子で、妙に熱が込められたような侯爵の言葉は一方的な物言いだ。

 今のところ、俺達の共通の認識として侯爵への感情は圧倒的にマイナスなものである以上、ロイドも素直に話に乗ろうとはしない。

 むしろ、侯爵を殺す気満々に、矢を密かに番えているほどだ。


「帝国の明日のためにです、殿下。帝国の魂が今、この国には必要とされているのです!私と共に、新しい夜明けをもたらそうではありませんか!」


「…姉さん、こいつは何を言ってるんだ?」


 流石に侯爵の様子が怖くなり始めたようで、ソニアへ小声で助けを求める。


「向こうに扉が見えるでしょ?あいつはあそこを開けたいらしいわ。皇帝の正統な血を引く人間にしか、カギは開けられないから、あんたを引き入れたいわけ」


 ソニアが顎をしゃくって見せた先には、妙な模様が刻まれた巨大な扉があり、あそこを開くためにロイドの協力を得ようと、侯爵は鼻息を荒くしているわけだ。


「正統な…なるほど、俺達が狙われたのもそれでか。ってことは姉さん、あいつに姉さんのことは…」


「もうバレてる。扉を開けられなかったんだから当然よ」


 何やら二人だけで通じる話をされても、俺とパーラは疑問符を浮かべるしかないが、とりあえず侯爵のターゲットがソニアからロイドへ切り替わったと理解するだけで、今はよしとしよう。


「パーシンプス侯爵、協力はできない。俺は姉さんを取り戻しにここに来た。あんたの願いを叶えてやる義理はない。帝国の明日がどうのってのは知ったことじゃない、勝手にやってくれ」


 冷たく突き放すロイドの声には、侯爵への怒りがしっかりと込められており、本音ではすぐにでも殺してやりたいというのが十分伝わってくる。


「…これは困りました。できれば殿下自ら協力を申し出てくださるのが最善でしたが、やはり何事も思い描いた通りにはいかぬものだ。やむを得ませんな、多少手荒な手を使うことになりますが、どうかお許しを」


 聞き分けのない子供を諭すような穏やかな口調で、侯爵が軽く頭を下げて視線を一度切った。

 そして次にその顔を上げた時、その目が冷たく鋭いものに変わっていた。


「なに、手足の一本などなくとも困ることはありませんぞ。その身さえあれば十分……イゴール!殿下を拘束しろ!」


 侯爵が二歩ほど下がって俺達から距離をとると、誰かの名前を呼んだ。

 ガランとした空間にその声はよく響く。


 そして侯爵の言葉で警戒してロイドの方を向くと、足元から何かがモゾリと立ち上がるのが見えた。

 何の気配もなく、突然現れた影が人の形だと気付いた時には既に、俺の体は勝手に動いていた。


 ロイドを捕えようと伸ばされた手を横から蹴りつける。

 そのまま蹴りの勢いを利用して踏み込み、人影へとナイフを突き出す。


 だが向こうも俺の攻撃に剣を合わせて防いできた。

 鍔迫り合いの格好となった俺の目に、松明の明かりに照らされた人影の姿がようやくはっきりと見えた。


 このタイミングでロイドを捕まえようと動いたとなると、こいつが侯爵の呼んだイゴールという奴か。

 おそらく、ソニアを攫ってきたのもこいつだろう。

 先にロイドから聞いていた、襲撃時に気配もなく表れたという特徴が同じだ。


 魔力的な現象が封じられるこの場所では、俺達の探知能力は大きく弱体化しているとはいえ、こうして目の前にしても気配がほぼ感じられないのは、魔術以外の技術によるものだとしたらとんでもないことだ。


「おたく、やるねぇ。まさか防がれるとは思わなかったよ」


 ニヤリと笑い、刃を押し込んでこようとするイゴールに、別角度から刃物が迫る。

 俺と組み合うのを隙と見て、一拍遅れてパーラが攻撃したのだ。


 それにイゴールはすぐに反応し、身をよじるようにしてその場から素早く下がるが、そこへ矢が追撃に襲い掛かる。

 ロイドが放ったそれは、位置といいタイミングといい完璧な一撃だったが、敵もさるもので、その場で剣を横薙ぎに振って矢を弾き飛ばす。


 タイミングがズレたとはいえ、俺達の攻撃をこうも見事にいなすとはこの男、聞いてはいたがやはりかなり腕が立つ。

 今回はロイドが拘束されると分かっていたため防ぐことはできたが、あの薄い気配で今度また奇襲されたら、果たして完璧に防ぐことはできるだろうか。


 侯爵の隣に滑り込むようにして立ったイゴールは、飄々とした顔でこちらを見ている。

 それが癇に障ったのは侯爵のほうで、大きく舌打ちをすると顔をゆがめてイゴールを責めた。


「何をしている。さっさと連れてこぬか」


「いやいや、そいつは無茶ってもんですよ、侯爵様。あっちの二人、かなりの手練れです。あんなのに守られてちゃあ、捕まえるのもかなり難しいでしょう」


 立ち姿の様子と違わず、軽薄な口調で侯爵に接するあたり、イゴールと侯爵の仲は意外と気安いもののようだ。


「ならば先にそいつらを殺してしまえばよかろう。皇子殿下も無傷でとはいわん。命さえ残ればそれでいい」


「それが無茶なんですけどね……イサドレッド様の方はどうすれば?」


「あれをイサドレッド様などと呼ぶな。必ずしも生かしておく必要はない」


 そういってソニアを見る侯爵の目は、いっそ憎悪に似た感情があるように思える。

 イサドレッドというのがソニアの本当の名前なのだろうが、何があったのか、侯爵の中ではソニアがむしろ邪魔とまで言えるほどの存在になっているらしい。


 そのあたりの予想は色々とできるが、今はそれを確かめるよりも逃げることを優先したい。


「お二人とも、そろそろ逃げた方がよさそうだと思いますが」


「…わかってる。けど、姉さんを守りながらあいつに背中を見せられるか?」


「それは流石に怖いね。私らはともかく、ソニアさんは素手だし」


 ソニア以外は一応武器を持っているため、イゴールに応戦はできるが、捕まっていたため当然丸腰のソニアではまともな防御戦闘すら出来るわけがない。

 逃げるにしても、せめてイゴールくらいは追ってこれないようにしたいところだ。


「あんた達、他に武器はないの?せめて予備のナイフとか」


「生憎、今表に出している物が全部です」


 戦うすべはあるが武器はないという状況に、この中ではソニアが一番焦れているようで、自分にも武器が欲しいと強請るが、無い袖は振れない。

 俺達だって本格的な戦闘を想定していないのだ。

 本格的に戦うよりも、イゴールから一瞬でも戦闘能力を奪ってから撤退するべきだ。


 ヒュィという風切り音が聞こえ、イゴールのこちらを見る目が鋭さを増す。

 何かを払うように振られた剣先がしばし彷徨い、ピタリと止まったのを合図にして、イゴールの長身がしなるようにして前方へと飛び出してきた。


 狙いはわかりやすく、ロイドだろうが、手にしている剣が向かうのはそれ以外だ。

 はっきりと目で見えているというのに、気配どころか殺気も希薄すぎて気持ち悪い。

 迎え撃つのに油断も躊躇いもないが、どうにも変な気分だ。


 イゴールが持つ長剣に対し、こちらはナイフと弓という不利もあって、普段よりも緊張が大きいのを自覚しつつ、迎え撃つために改めてナイフの柄を握り直し、確かめるように足元を踏みしめた。

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