クリック、トリック、リスクは承知
まったく。腹が立ってきた。何にって、このくたびれた機械にだ。そこらじゅうをうろついているくたびれた機械どもにでもあるし、くたびれた機械と題された一連の文章のことにでもある。まったく。散々な目に遭った。ちょっと書き方を変えてみようと思っただけだ。具体的にどこをどう変えたのかを説明するのは億劫なのでしないが、そんなに大したことじゃない。まあ気分転換ってやつだ。その筈だった。実際は気分転換どころの騒ぎじゃない。もう書くことを止めてしまおうかと思ったくらいだ。別に止めたって誰も困りやしないだろう。そう、だからこそだ。おれがここで書くのを止めたとて、誰も何とも思わないからこそだ。おれだけが、いつも持ち歩いている物を忘れたまま外出しているような気分で、それがなんだったのか思い出せないような気分で、抜けの悪い日々をぼんやりとした顔で過ごさなければならない、そんなのはごめんだ。
というわけで、おれはまたここに戻ってきた。たった何日か部屋を空けていただけだ。それだけのはずなのに、まったくの別物になってしまったみたいだ。よくよく考えてみれば、おれたち、なかなかうまくやっていた。だが、それだけじゃダメだった。このままではダメなような、ダメになってしまうような、そんな気がしたんだ。もしかしたら、その予感は正しかったのかもしれない。今となってはなにもわからない。おれは貫き通せなかった。中途半端でフラフラしていた。決定的にダメにしてしまったのは、おれ自身だ、ってこと。わかるのは、まあ、それくらいだ。そんなことがわかったってしょうがない。むしろ、わかりたくはなかった。
ひとつ、訊きたいことがある。この世にもうひとり、あんたがいるとして。そいつが、つまりはもうひとりのあんたが、どうしてもおれのチンポをしゃぶって欲しい、クリトリスを舐めて欲しいでもいいよ、ケツの穴でもなんだっていい、そいつが、あんたにそう懇願してきたら、あんたはどうする? そいつはあんたなんだ。どこからどう見ても、否定できないくらいに、あんたなんだ。もちろん、そいつはおれかもしれない。じゃあ、鏡を見ながら、自慰できるかい? 姿見に映った自分自身に欲情できるかい?
確かに鏡像は、鏡面とおれを結んでいるその間、あるいはその向こうを、寸分の狂いもなく精確に映し出しているように見える。そこにおれがいない間も、ずっと、映し続けているのだろうか、もしかして。
ある時点を境に、なにもかもが変わっちまうってことがあるよ。もしかしたら兆候ってやつがあったのかもしれない。おれがそれに気づかなかっただけなのかも。なにもかもが一瞬たりとも休むことなく変わり続けているけれど、ある時点を過ぎなければ、誰もそれに気づけないのかも。それとも、殆どのやつがとっくに気づいていて、おれみたいなとびっきりの間抜け野郎だけが、今さらこんなふうになってしまっているのかも。
かつてはこの辺りにだってそれなりに人がいたものだ。本当にそれなりにではあるものの。しかし、人生に打ちのめされ、失意の中で彷徨い、弱り切って、そしてひとり、またひとりと消えて行った。破れて中身が飛び出してしまったようにだ。新たな人は生まれてこず、どこか外から来る人もめっきり減っていた。いつだって足下で蠢いていた荒ぶるものたちがその隙を逃すわけがなかった。
とっくに一線は超えられていた。押しとどめていた者はもういない。いたとしても、連中は既に一線級とは言い難かった。見過ごされ、見放され、それから実質的に見えないものとされ、そして暫くずっと放って置かれて、その間ずっと侵食は進んでいたのだった。
おれたちはもう、後退を余儀なくされている。いつかどん詰まってしまうだろう。既にもうそうなっているかも。破れ目は広がり、こぼれてはならなかった筈のものまで、物の見事にこぼれ落ちてゆく様を、おれたち一同不安な目で追ってはいるが、誰ひとりとして動き出そうとはしなかった。押し返そうだなんて、そんな、考えてみるだけばかばかしい限りだ。
新しい日常。不安と不便と不満に覆われ、脅えながらただ日々を生きる。長生きだけが唯一誇れることだと、愚直にただそれだけを信じている。老後。アホくさい夢だ。もうとっくに老いている。なにもかもがもうとっくに。惨めにも老いさらばえて、そのうえ安心までしようとするのか。生き残る者はいつだって惨めな言い訳ばかりだ。みっともなく許しを請い、恥知らずに救いを求めて、自分の生を正当化しようとするんだ。
とんでもない時代に生まれてしまったものだ。まあ、とんでもなくない時代などはなかった、そう言うこともできる。束の間の凪、ラウンド間のインターバル、そんなようなものは時代ですらなかったということだ。結局は生まれてきてしまったのがなにかの間違い、そもそものケチのつけ始め、そんなふうに思っていたいが、生まれついての楽観主義がそうはさせてくれないのだった。なにかを期待し、物欲しげな目で、未来ってやつを見る。そんなもん、どこにあるんだよって話だが、まあなるようにはなるわけで、そいつが未来だっていうなら、もうそれでいいよ。未来はもうあんたらに任せた。おれは今を生きよう。
そうは言っても、なにをどうすればいいのやらさっぱりだ。腹は減るし、眠くもなるし、イカれた連中がそこらをうろついているし、大体ろくなもんじゃない。朝から晩まで、動揺しているかうんざりしているか、そうでもなければ次の予定に頭を悩ますか。今日はなにを食おうか、何時に寝ようか、煙草を買おうか、金を下ろそうか、小便をしようか、もう少し速く歩こうか、本の続きを読もうか、すぐにシャワーを浴びてしまおうか、むしろ一旦深く腰を下ろそうか。
ふう、ため息がひとつ漏れると同時に、おれはいったいなにをやっているのだろう、もっと他にやるべきこと、もっと他に頭を悩ませること、もっと他に考えるべきこと、もっと真剣に取り組むべきこと、多分なんだかいろいろとあるはずなんだが、でも、ありそうでないんだな、これが。
痺れた足を庇いながら長い長い廊下を進む。おれはどこに行くつもりなんだろう。ただ、じっとしてはいられないだけなのかもしれない。底に穴の空いたボートに乗り込んで、浮かれて陽気に振る舞っている。遅かれ早かれ、いつかは沈んでしまう。それをわかっていながら、呑気に構えているのだが、わかっているからこそなのか。諦めた方が話は早い。諦めてしまえば、諦めることさえできるのならば、あっという間に朽ちてゆき、そして崩れ去ってしまえるだろう。書くことによっておれは仕事をしているつもりでいるが、すべては生半可かつ間抜けでしかない。それをわかっていながら、わかっているからこそ、こうして文字を繋げているのだろう、格好良さげに言わせてもらえれば。
こんなつもりはなかった。こんなはずでは。それだって、いつものことだ。抜けるに抜けられない迷いようのない迷路の中の、ほんの歪みにはまってしまって、にっちもさっちもいかないでいるわけだが、それだって、もういつものことなので、とにかく飽き飽きといった感じで、それでも進もうとするのは本能か根性か、惰性か習慣か、今夜はなにを食おうか、どっちの駅で降りようか、もういっそ降ってしまおうか、なにもかも投げ出して完全降伏してしまおうか、絶対にそんなことをするわけがないのは他ならぬおれ自身が一番よくわかっているわけだが、人間は時にまったく予想だにしない行動をとるから困っちゃうよね。




