血命戦争㉖『大胆な告白は女の子の特権』
『ねえ幹くん。
あの時のこと、覚えてるかな?』
柔らかな笑顔で、和香は幹也に語り掛けた。
「ガアアアアッ!」
(……? 少し攻撃が弱まったような?)
攻撃を受けるミヅハは微かな違和感を覚えるが、依然としてその激しい攻撃は止むことはない。
『確か、私たちが10歳の時だったっけかな。
結婚したんだよ、私たち』
「オオオオオッ!」
『私が将来は幹くんのお嫁さんになる! って言ったのが発端だっんだよね。
それで幹くんが大真面目な顔で、じゃあ今すぐ結婚しよう! って言って、あれよあれよと言う間に……その時はさすがにビックリしたなぁ』
和香は目を瞑り、かつてを懐かしむように微笑む。
『大人の真似して背伸びして……結婚式を挙げたよね。二人きりで。
お嫁さんの私は花の冠と首飾りでおめかしして……そうそう、結婚指輪は近くのスーパーに売ってたオモチャの指輪だったね』
思い出したようにそう言うと、和香はポケットから指輪を取り出した。
金メッキのリングに、プラスチックのダイヤ。
さすがに少しだけメッキは剥げてしまっているが、よく手入れの施された玩具の指輪だった。
『実は私……まだこれ持ってるんだ。
なんてことのない安物のオモチャだけど、私にとってはとってもとっても大切な、宝物だから』
和香は手のひらに乗せたそれを、優しく撫でる。
『確か、その時は結婚式の流れとかなんて分からなかったから、結構テキトーだったよね。
ふふっ……何か思い出したら笑っちゃいそう。
だって何を言えば良いか分からないから、とりあえず『永遠の愛を誓います』ばかり言ってたし』
「オオオオッ!」
『その後も高校まではずっと一緒で、でも幹くんは今年から東京に行っちゃって……。
正直、ちょっとは寂しかった。でも幹くんが私のために頑張っているの、本当は知ってたよ』
『だけど、それに甘えてばかりじゃダメだよね。
だから今度は、私が頑張る番……一歩だけ、踏み込む番』
「がグガアアアァァァッ!」
『これが永遠の愛と呼べるほどのものなのか、まだ分からない。
……でも、これだけは、たとえ神さまの前でもはっきりと言えるよ』
整った目尻から、一筋の涙が溢れ落ちる。
だがその瞳に宿る力強さは些かも失われないまま、
『――私は貴方のことを、世界で一番愛しています』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おおおおおおおっ!」
「ハアアアアアアッ!」
横浜みなとみらいの上空を、『何か』が駆け抜けていた。
それはまるで夏の嵐のように、暗雲と雷光を撒き散らす。
そして、一瞬のうちに上下左右と縦横無尽に動き回るのだ。
何も知らない一般人から見れば、それはまさに『何か』としか言い表せないものだったろう。
「ググググウウウウゥゥゥ……!」
体の内外から襲い掛かる電流を、クロキアは歯を食いしばりながら耐える。
脳まで痺れているおかげで姿勢の制御すらままならず、最早落ちているのか飛んでいるのかさえ定かではない。
だが、
「ぐうううううぅぅ……っ!」
宿敵がすぐ後ろにいることだけは、はっきりと分かった。
「オオオオッ!」
クロキアは、あえて飛ぶスピードを上げた。
途端に風の抵抗が重くなり、重力が全方向から絶え間なく襲い掛かる。
だがそれは相手も同じこと。
「ぐぅっ……!」
「ここからは我慢比べだ……!」
例えるなら、それは操縦桿から手を放してのフルスロットル。
ある時はビルの壁を砕き、またある時は船のマストをへし折り、そして観覧車のゴンドラを叩き壊していく。
肉を切らせて、骨をも砕く。
まさに不死身の体を持つ二人だからこそ成立する光景だった。
しかし、その旅もついに終わりを迎える。
――ドガアァッ!
「グハァッ!」
「ぐおっ!」
コントロールを失った二人の体は、地面に激突。
その衝撃でクロキアの体を貫いていた右腕は抜け、両者は勢いよく投げ出された。
――ゴッ! ドッ!
鈍い音を響かせながら、アスファルトの上を転げ回る二人の体。
数十メートルほど離されてから初めて、それらは静止した。
「くっ……!」
魔力による全身の外傷、さらには不時着による打撲と骨折。
それらを全て『再現修復』で治しながら、英人はゆっくりと立ち上がる。
眼に入る光景は、ベンチに庭園、そして街灯。
「山下、公園か……」
その地元が誇る観光名所は、ランドマークタワーからは直線距離でおおよそ1.5キロメートルほど。
どうやら、しがみついている間にかなりの距離を移動してしまったらしい。
「ちょっと貴方、大丈夫……?」
辺りを見回していると、驚いた表情をした一人の女性が恐る恐る声を掛けてきた。
「ああ……」
英人は振り向き、声がした方向を注視する。
そこにいたのは、二十人ほどの集団だった。
彼らはそれぞれカメラや照明、マイクなどを持っている。
おそらくは、ドラマかなにかの収録中だっただろう。
(こいつは、むしろ好都合かな……?)
今は深夜の一時過ぎということもあり、ただでさえ人が少ない。
それに収録中ということで人払いもされている状況のようだ。
「いや、あんな落ち方をして無事なワケ……」
「人の心配する前に、アンタは自分の無事を考えた方がいい。
早くここから逃げるんだ、いいな。」
「え、ちょ、ちょっと……」
戸惑う女性を尻目に、英人は後ろを振り向いて数歩進んだ。
その目が捉えるのは、自身の宿敵。
ちょうどクロキアも、落下の傷を癒して立ち上がったところだった。
「フフ……どうやら、お互い無事だったか」
「ああ、そうみたいだな」
「フフ……ハッ、ハハハハハハハハッ!!!」
英人がそう答えると、クロキアは突然大声で笑いだした。
「……」
深夜の山下公園に木霊する、笑い声。
人が、木が、波が、まるで聞き耳を立てるかのように静まり返る。
「ハハハ……いや、すまない。これは自嘲だ。
策を練り、分断し、消耗させ……そして己の命を削ってもまだ僅かに届かないとは……!
ハハハ……なるほど、ここまでの相手だったか。私を一度殺した人間というのは。
我ながら、よく二度も挑めたものだ」
「……御託はいい。そろそろケリをつけるぞ」
英人はゆっくりとクロキアとの間合いを詰める。
「ああ、そうだ……ねッ!」
言い終えると同時に、クロキアは掌から魔力の弾丸を打ち出した。
だが、狙いは英人ではない。
その先にいたのは――先程声を掛けてきた女性。
「えっ――」
彼女は恐怖を感じる間もなく、ただ口から力の抜けた声を出す。
刹那の後、衝撃と爆音が辺りに響いた。
「ハハッ」
ニヤリと笑うクロキア。
巻き上げられた煙が溶けていくのを眺めながら、その中の光景を待ちわびる。
「え、あ……」
「……相変わらず、嫌な手を使う」
煙は晴れ、中からは二人の人影が現れた。
一人は、力なくその場にへたり込む女性。
もう一人は――右腕の肘から先を失った英人であった。
「あ、貴方……その、腕が……私のせいで……」
あまりに凄惨な光景に、女性は思わず口を覆った。
「別に、好きでやっている事だ。
というか早く逃げろと言っただろ」
「ご、ごめんさない。今逃げるわ」
まだその脚には微かに震えこそ残ってはいたが、女性は力強く立ち上がる。
「ほら、皆さんも早く逃げましょう!」
「……そ、そうだ早く逃げるぞ!」
「で、ですが機材は……」
「馬鹿野郎! そんなもん置いていけ!」
「は、はい!」
そうしてドラマ撮影をしていた一団は一目散に講演を後にする。
最後に女性は立ち止まって振り返り、
「誰かは知らないけれど、頑張って!」
英人に向かって叫んだ。
「……ああ」
右腕を『再現修復』で治しつつ、英人は背中越しに答えた。
「……難儀なものだな、『英雄』というのも。
目に入る人間全てを守らねばならんとは」
「買いかぶり過ぎだ、そこまでお人好しじゃねぇよ。
ただ――助けたいと思ったから、俺は見た。
それだけの事さ」
その言葉にクロキアは一瞬笑顔を忘れ、直後に今までにない程の盛大な笑みを見せ始めた。
「……素晴らしい。
君はいつだって、私想像以上の答えをくれる」
「そりゃ良かった」
再び、両者の間に沈黙が広がった。
潮騒、風、草木の騒めき、噴水の音。
それらだけが二人の行く末を見守るように、音色を奏で始める。
周りの空気が、自然が、あるいは神という存在そのものですら、その光景に釘付けとなっていた。
それは刹那の内にある、永遠にも感じられる時間。
「――そろそろ、終わらせるか」
「――ああ、そうだね」
静かに、二人の体に魔力が灯る。
丑三つ時まであと僅か。
しかし草木は未だ、眠りの時を迎えられずにいた。
今回出てきた「船のマスト」とは、日本丸メモリアルパーク内で展示されている大型練習用帆船、日本丸の事です。
昔ながらの帆船であり、訓練用の船だったそうです。




