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キモオタの出会い


 翌日、朝のホームルームで先生が驚くべきことを言い出した。


「えーかなり中途半端な時期なのだが、本人からの早く学校に馴染みたいという希望があり、転校生を紹介する」


 教室は大騒ぎになった。かなり中途半端な時期のサプライズだ。何も今入学しなくとも春休み明けまで待てばいいものを。


「海外からの帰国子女でな、日本の生活は久しぶりみたいだから皆優しくやってくれ。ほい。入ってらっしゃい」


 教室の扉を開けて転校生が教室に足を踏み入れた。


「みなさん、はじめまして。伊集院明日香いじゅういんあすかです。宜しくお願いします」


 教室中は騒然となった。転校生はかなりの美人だったのだ。凛とした佇まい、輝くような黒髪、潤いに満ちた瞳、モデルのような小顔、160cm後半と思われる八頭身、スレンダーでいながら出るべきところ出ている。完膚なきまでの美人だった。教室中の男たちは一瞬で恋に落ちた。


「お、おい、滝川」


 井川は後ろの席の滝川に声をかけた。滝川は呆然と転校生を見つめガタガタと全身が揺れている。


「あれ、あれは、あれは我輩の、我輩の明日香ちゃんではありませんか」

「確かに苗字は違うけど、な、な名前が同じばかりか…」


 滝川はゴクリと生唾を飲み込んだ。


「み、見た目も、声も、ゲームと同じ、そのままではありませんか…あああああ我輩は夢を見ているのでしょうか…」


 井川は何度も自分の頬を叩いて、転校生を見つめた。転校生は興味深そうに教室を見渡している。夢じゃない。井川がゲームで何度も愛し合ってきた明日香そのものだ。


「あああああすかちゃあああん!」


 遠く離れていた席にいた藤野が立ち上がり、泣きながら転校生に向かっていった。手を伸ばし抱きしめようとしているようだ。教室はさらに騒然となった。


「何しようとしてやがる! このキモオタ!」


 前の席に座っていた川瀬が藤野を一蹴した。川瀬は180cmを超える体格の持ち主だ。藤野は呆気なく部屋の隅にふき飛んだ。


「何してやがる! 藤野!」

「伊集院さんに近づくな!」


 すかさず一番前に座っている男子は藤野から転校生を守るため、まるでナイトのように転校生の前に立った。転校生はびっくりして藤野を見つめている。


「おい、藤野、転校生が美人なのはわかるが飛びつくな。伊集院さんの席は、そうだな。川瀬、お前の隣にしよう」


 すかさず女子から「えぇー」という非難の声が上がる。ただでさえ美人なのにイケメンの川瀬の隣なんて優遇されすぎ、というブーイングだ。


「さぁ、伊集院さん。こちらにどうぞ」


 川瀬は明日香を優雅に誘導した。


「ありがとう、お優しいのね」


 転校生は川瀬に微笑みながら優雅に席をついた。その仕草に男子は見惚れ、女子は嫉妬の炎を燃やした。



 授業が終わり休み時間になると、教室中の男子が明日香の回りに群がった。キモオタトリオも参戦するが呆気なく部屋の隅まで蹴り飛ばされた。


 井川は携帯ゲーム機を開いて『プラスラブ』を起動させてみる。そこには自分だけに笑顔を向ける明日香の姿があった。ゲームから消えた訳ではないようだ。


「い、井川殿、これは、神が我輩たちに与えてくれた贈り物ではないでしょうか」

「俺もそうとしか思えない、ああ、リアルでも明日香ちゃんは美しい…」


 井川たちの元に藤野がやってきた。


「お、思わずゲームかと思って抱きつこうとしてしまったよ」

「藤野殿の気持ちもわかりますが、あれは変質者の行為ですよ」

「そうだ。俺もお前を蹴りたい気分だ」

「僕、もう一回参戦してくる」


 藤野はそう言うと、明日香の周りに群がる男たちをかき分け、彼女に話かけようと必死に群れの中に飛び込んだ。


「おい藤野! お前は伊集院さんに近づくな!」

「そうだこのキモオタ!」


 呆気なく貧弱な藤野はクラスメイトに蹴られ、部屋の隅まで飛ばされた。それでも明日香に近づこうと必死だ。何度も近づき、その度に蹴飛ばされている。


「藤野はすげぇな。アイツにあんな根性があるなんて知らなかった」

「我輩たちも藤野殿を見習う必要がありますね」


 2人が立ち上がった時、教室に伊良部が入ってきた。身長190cmを超える学園最強のイジメっ子の登場だ。


「おいおい、美人の転校生さんはどこよ」


 皆そそくさと明日香の席から自然に離れた。明日香は突然の大男の登場に目を丸くしている。


「おおお!! すげぇ美人じゃん!!」


 伊良部は近くの椅子を掴んで明日香の横にぴったり座った。


「あああああああ」

「くうううううう」

「おおおおおおお」


 キモオタトリオは悔しさのあまり気持ち悪い呻き声を上げた。


「ねぇねぇ、俺伊良部って言うんだけど、メアド交換しない?」

「メアド? メアドとはなんですか?」


 明日香は小首を傾げて伊良部に尋ねた。


「ケータイもってねぇの?」

「ああ、まだ携帯電話は購入しておりませんの。まだ日本に来て日が浅いので」

「んじゃあさ、俺がいいところ紹介してあげるよ」

「本当ですか? それは助かります」


 明日香は伊良部を恐れず平然と会話している。その様子にクラス中の男たちは嫉妬の炎を燃やし、キモオタトリオは発狂せんばかりの勢いだ。


「へぇ、君変わったシャンプー使ってるね。これどこの?」


 伊良部は明日香の肩を抱き寄せ、自分の鼻を髪に近づけた。さすがの明日香もこれは迷惑だったようで、


「か、海外のです。ちょ、やめてください」と言った。

「いいじゃんそんなに照れんなよ」

「照れている訳ではありません」


 明日香がかなり迷惑な表情を浮かべているが、クラスの男子は伊良部に逆らうとイジメの矛先が自分に向けられることを理解している。誰も明日香を助けようとしなかった。女子も「ふん、いいザマだわ」と思っていて、誰も助けようとしない。

 キモオタトリオも当然ながら黙って伊良部の言動を見つめていた……訳ではなかった。


「おおおおれの明日香ちゃんが」

「我輩、我輩、許せんであります」

「うわぁぁぁぁあ!!!!」


 最初に立ち上がったのは藤野だった。


「いいいいいいいいらぶぅぅぅ!!」


 藤野は叫びながらつかつかと伊良部に近づくと、明日香から伊良部の手を払いのけた。教室は藤野の暴挙に一瞬固まった。


「ぼ、ぼぼくのあああああす……」


 伊良部が渾身の右フックで藤野を黙らせた。


「なんだよ藤野、きたねぇ手で触るんじゃねぇよ。俺は転校生ちゃんと会話してるんだ」

「うぐぅぅぅぅ」


 藤野は鼻血をダラダラ垂らしながら伊良部を見上げた。この光景に残りのキモオタたちは弾かれたように立ち上がった。


「いらぶぅぅぅ!!」


 井川が渾身のタックルを伊良部に決めた。だが、伊良部の体は数センチ後ろに下っただけだった。


「んだコラ」


 伊良部は井川の胸に膝蹴りを放ち、首に肘を叩き付けた。呆気なく井川は床に倒された。最後のキモオタである滝川は明日香を守るように伊良部の前に立った。


「てめぇも邪魔すんのか? おおっ? キモオタのくせに生意気だな」

「我輩、やややややる時はや……」


 伊良部のワンツーが滝川に綺麗にクリーンヒットした。滝川のかけていた眼鏡がバキボキ折れ、滝川は床に崩れ落ちた。伊良部はボクシング部だ。所詮キモオタ如きがかなう相手ではなかった。


「くそぉぉぉぉ!!」


 再び藤野が立ち上がり伊良部に向かうが、高速の左ジャブで藤野の動きを一瞬止めるとショートアッパーを顎めがけて放った。その一撃で藤野の意識は飛んだ。


 教室を異様な静寂が包んでいた。キモオタトリオが伊良部に歯向かったのはこれが初めてだった。しかし藤野は失神、滝川は鼻血を流し床に倒れ、井川は首を押さえてのたうち回っている。誰も伊良部を止められず、止めようともしなかった。


「けっ、手が汚れちまったぜ」

「ひどい暴力を奮うんですね」


 明日香が立ち上がって伊良部を見上げた。


「あまりよろしくないわ」


 明日香は手を上げて伊良部の頬に強烈なビンタをおみまいした。パチン!という音が静寂した教室に響き渡る。


「…てめぇ。いい度胸してるじゃねぇか? ああ? この俺様に手を上げやがったなぁぁ!?」


 クラスメイトは悲鳴をあげながらブチ切れた伊良部から遠ざかった。この男はキレると女にも手を上げる。そして周囲にいる人間を巻き込むのだ。明日香は誰も助けに来ないクラスメイトを一瞥するとため息をついた。


「や、やめろぉ」


 滝川が伊良部の足にしがみついた。


「ち、邪魔なキモオタが」


 伊良部は払いのけようと足を振るが、滝川は渾身の力を込めて足にしがみつく。


「おれの、おれのあすかちゃんにさわるなぁぁぁぁ」


 井川がもう片方の足にしがみついた。


「なんだテメえら気持ちわりぃ」


 伊良部は近くにいた椅子を手にとり、両足にしがみついたキモオタに叩き付けた。ガンガンと二度三度叩きつけられ、二人は意識を失った。


「クソ共が逆らいやがって」


 伊良部は明日香を睨みつけると拳を握った。


「てめぇにもお仕置きが必要だな」


 伊良部の右フックが明日香を捉えようとした瞬間、伊良部の体はくるっと反転して仰向けに投げつけられた。


「これが小手返し」


 明日香は伊良部の手首を離しふっと息を吐いて脱力した。伊良部は何が起きたのか一瞬理解できなかったが、明日香に投げられたことを理解すると、即座に立ち上がってボクシングの構えを取った。


「てめぇ、何か格闘技かじってやがるな。クソ生意気な女だ!!!」


 右ストレートが明日香を襲うが、明日香が手首をとったかと思うとまた伊良部が反転して倒された。


「これが四方投げ」


 そのまま伊良部の手首を逆側に捻り上げる。


「いでででで!」

「あなた達!」


 明日香はクラスメイトに叫ぶ。


「女が殴られそうなのに黙って見てるつもり!」


 その声に反応したように何人もの男子が伊良部に向かって行った。


「伊良部! 伊集院さんから離れろ!」

「いつもやられてばかりだと思うなよ!」


 明日香に手首を決められて動けない伊良部を、ここぞとばかりにガンガンと男子が蹴りつける。明日香はその様子を見て満足気に伊良部から離れた。


「クソ共が、覚えてやがれ」


 伊良部はさすがに多勢に無勢と感じたのか、数人の男子を殴ると教室を後にした。さすがに女子たちもこの状況には無視できず明日香に近寄り「伊集院さん大丈夫?」と声をかけた。


「ええ、大丈夫。それにしてもみな暴力に怯えすぎです。勇気を持って立ち向かってください」


 明日香にそう言われてクラスの全男子は自分の不甲斐なさに俯いた。この間キモオタトリオはずっと気絶していた。




「あれ…?」


 保健室で最初に目を覚ましたのは井川だった。伊良部の足にしがみついた後の記憶がない。壁の時計を見るともう放課後だ。隣のベッドには藤野と滝川が眠っている。


「おい、藤野、滝川、起きろよ」


 井川は二人を揺り起こした。二人とも意識が朦朧なのか、ゆっくりと目を覚ました。


「いったい、我輩たちは、どうなったのですか…」

「何か脳が揺れてる…。すげぇ、顎が痛い…」


 3人はようやく意識を戻し、伊良部にぶちのめされたことを思い出した。そして猛烈な後悔が3人を襲った。


「僕たち、伊良部に殴りかかったよね…」

「ああ…俺なんてタックルかましちまった…」

「我輩たち、明日から生きていけますかね…」


 3人はのろのろと立ち上がり教室に戻った。当然誰もいない。まるで今日のことが夢だったかのようだ。

 鞄と携帯ゲーム機を手に3人は力なく学校を後にした。明日からの惨劇を思うと足取りが重い。


「なぁ、もう3学期も明日と明後日だけだし、4月まで休んじゃおうか?」

「我輩もそれが良いと思います」

「俺も同意」


 3人は惨劇を避けるため、もう3学期は出席しないでおこう、と話し合った。キモオタらしい逃げの姿勢である。実に合理的で正しい選択だった。


 3人はいつもの川原に立ち寄ると、土手にしゃがみこんで携帯ゲーム機『プラスラブ』を起動した。


「やっぱりリアルなんかじゃなくて、俺の明日香ちゃんが一番可愛いよ」

「そうですなぁ。なぜあんなことしたんでしょう」

「僕もバカだったよ。僕の明日香ちゃんはここにいるのに」


 3人は揃って自分だけの明日香と至福のひと時を過ごした。『プラスラブ』の放課後デートイベントはこの時間しか体験できない貴重なイベントだ。


「ねぇ、3人とも何してるんですか?」


 後方から明日香の声が聞こえた。3人とも携帯ゲーム機が突然の進化を遂げて5,1chサラウンドに対応したのかと思い、びっくりして振り返った。


「ああ、あああ、明日香ちゃん……」


 そこにはリアルの明日香、説明するまでもないが伊集院明日香が立って、興味深そうに3人を覗き込んでいた。


「あ、そのゲーム機、アメリカにもありました。3人で対戦でもしてるんですか?」


 キモオタトリオは挙動不審に陥った。無理もない。リアルで女性と会話したことあるのは自分の母親だけだ。後は時折罵声と侮蔑の言葉を頂戴する程度のキモオタだ。こんなフレンドリーに女性から会話を求められたことなどない。


「ん? どうしました?」


 明日香は固まってしまった3人を不思議そうに眺めた。リアルの明日香は本当にゲームから飛び出してきたようだった。明日香は3人の反応がないので、それぞれが持っているゲーム機を覗きこんだ。


「あら、これ私そっくり!」


 明日香は驚いて目を丸くした。


「ああああ明日香ちゃん……」


 藤野が泣き出してしまった。一番早く事態を飲み込み冷静になったのは井川だった。藤野を「バカ、泣くな」と軽く一喝すると、


「い、伊集院さん、だよね」と尋ねた。

「はい。3人とも今日はありがとうございました。助けてくれて嬉しかったです」


 滝川はまだ明日香の顔を見つめて硬直したままだ。藤野は何故か知らないが泣いている。井川は「ここは俺のターン!」と感じ、明日香にたどたどしく話しかけた。


「ご、ごめんね、俺たち弱くて、君を守れなかった」


 明日香は嬉しそうに優雅に笑った。


「いいえ。助けてくれたのは3人だけです。すごく勇気ある行動でしたわ」

「い、伊集院さん、あいつに、伊良部に乱暴されなかった?」

「ええ、大丈夫です。後で先生たちにも報告しましたし、乱暴はされていませんわ」


 井川は少なくとも自分たちの行動が無駄じゃなかったことを知った。


「じゃあ、良かった。やられたかいがあったよ」

「それにしても女の子に手を上げようとするなんて、酷い男もいるものですね」

「あいつは、伊良部は特別なんです…」


 滝川の硬直が直ったようで会話に参加してきた。


「伊良部に手を出すとイジメられます。逆らうと危険なんです」


 明日香は納得したように手を叩いた。


「なるほど。だから誰も助けてくれなかったんですね。イジメ、アメリカでも似たようなことがありました」

「はい、だから、あいつに逆らっちゃ危険でございます」

「3人ともいつもイジメられてるんですか?」


 明日香は純真かつ酷な質問を3人に飛ばした。3人とも黙って頷くことしかできない。全く情けないキモオタだ。


「あんな野蛮人、危険ですわ。許せない。本気でやってやれば良かったですね」


 その言葉の意味は3人には理解できなかった。明日香が伊良部を2回も華麗に投げ飛ばしたことは知らないのだ。ちなみに藤野はまだ泣いていた。


「明日からも気をつけましょ。では、御機嫌よう」


 明日香はそう言うと優雅に立ち去った。後ろ姿までもが美しい。3人は馬鹿みたいに見つめることしかできなかった。


「おい、藤野、いつまで泣いてんだよ」


 井川が泣きじゃくる藤野をいさめた。


「だって、僕の明日香ちゃんが現実に飛び出してきたんだよ。こんな嬉しいことないじゃないか……」

「あれは明日香ちゃんじゃない。伊集院さんだ。明日香ちゃんはここにしかいない」


 井川は携帯ゲーム機を指差した。


「そ、そうですよね…。我輩たちの明日香ちゃんは、ここにしかいない…」


 滝川は呆然とゲーム機を見つめた。明日香ちゃんは滝川に微笑んでいる。滝川はゲーム機を閉じてみた。明日香ちゃんはたちまち消えていなくなった。


「あは、あははは……」


 滝川はなぜかわからないがとても空しくなった。こんな気持ちになったのは初めてのことだった。



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