5.
ルーシーは家族への手紙を書き終えた後、万年筆を片手に白い紙にいくつもの文章を書き連ねていました。
(ライノー様に相談と言われましても……。あの執事の方ですわよね?何を書けば良いのです?特に困っていることもないのですけれど……。いえ、学園の雰囲気が何やら変なのは分かっていますわ?ですけれど、私が何をしても何やら逆効果のようなのですもの……)
ルーシーは明るい振る舞いとは裏腹に、すっかり自信喪失していました。
どんなに頑張ってもネラルウからは睨まれ、自身の周囲の者たちはそのことで更にネラルウを嘲り、ルーシーに近づくなと言うのです。
(私……私、これでは伯爵令嬢らしい振る舞いを出来てるとは言い難いのではなくて?もう黙っていた方が良いのかしら……)
ルーシーは悩みました。それに、それを文章にしようとしてもどうしても上手く書けないのです。
(でも……黙っているとスーヤーが入学してきた時にまた同じことに巻き込まれてしまうのではなくて?スーヤーにも黙っておきなさいと言うのはおかしいですわよね……。きっと私が自分自身で解決しなくてはならないのですわ……)
ルーシーは自責感が強すぎるようでした。責任感の強い者が思い詰めると、大抵良い結果にはなりません。
いじめの問題は、外から止めることも困難ですが、内から止めることも実はかなり困難です。
被害者は問題がなくとも何か問題があるからいじめられるのだと言われやすいため主張を認めてもらえず、加害者側は集団として動いている時点で自身も加害者心理になっているか、もしくは集団に属している時点で加担したくない者まで加害者と同類に見られてしまうため、告発が困難です。しかも、集団に属している加担したくない者が告発した場合、今度はその人物がいじめの被害に遭う可能性が高くなります。
その為、能力がある者はよほど上手く立ち回らなければ加害者と同類だと判定されるか、孤立するのです。
ですから、内部告発は匿名性が重要となるのでした。
自身の人生と天秤にかけてまで被害者の守護に回る者は、ある意味で狂人です。その人物は自分の人生を捨てるほどには自身の命を軽く見ているか、それでも生き残れると確信しているほど、よほど自分の知性に自信があるのでしょう。
(とりあえず……ハンカチをくださったお礼と、あとは私が差し上げられる……授業で作った刺繍を添えて、えーっと文言は……これでいいかしら?)
ルーシーが書いた文章は貴族らしい書き方ではありましたが、大まかにこのような内容でした。
『ライノー様、以前はハンカチをありがとうございました。きちんと髪を隠して屋敷に戻りましたわ!勿論、ハンカチを悪用などしておりません。
それに、本当はこのようなお手紙をお出しするのもどうかと思っておりますの……。だってこの手紙をお出しするだけでも、ハンカチの悪用になってしまうのかもしれませんわ!
悪用だと思われたのであればそうおっしゃってくださいまし!私、お約束は守りたいのですもの!
ですが、お父様が一度書いてみるようにとおっしゃいましたし、確かに私もハンカチをいただいたにも関わらず一度もお礼の手紙すら送らないなんてとても失礼だったと反省しましたから、こうして書いているところなのです。
私、まだまだ貴族令嬢としては至らないところが多いのかもしれません。
ですから、何を書けば良いのかもイマイチ分かりませんが、書いてみておりますわ!
ところで、今、学園で奇妙な事が起きているのです。私がどう発言しようとも何故かある方が孤立し、私や私の周囲の方々はその方に睨まれているのです。でも、私がその方と仲良くしようとしても、その方には理解していただけず、私の周囲の方もそれを良しとされている様子。
でも、どうしたら良いのか分かりませんの。何が正解なのでしょう?ライノー様ならお分かりになりますか?
いつだって伯爵家の名に恥じない、立派な令嬢として生きなければなりませんのに……。
今の私はそうではない気がいたしますわ。
この手紙がハンカチの悪用ではないと認められるような返事がある事を願っています』
7歳にしては大人びた、でも大人からするとかなり子どもらしいその手紙は、確かにマルガリア家に届けられました。
そして数日後、ライノーからきちんと返事が戻ってきました。手紙にはこう書かれていました。
『お手紙、拝見いたしました。確かに、ルーシー様のお父様から連絡が来ていなければ、私はあなたの手紙をハンカチの悪用と判断していたかもしれません。
ですが、今回のように周囲から言われたり、身の危険を感じたり、他に相談できる相手がいないためにやむを得ず動かなければならないことはあるでしょう。これは大人でもあります。
ですから、私はあなたの手紙をハンカチの悪用だとは判断しないこととしました。
自身の行動をすべて決めるためには、それだけの責任と能力が必要となります。
昔話に出てくる、何を食べているのかも分からない、どこにいるかも分からない、国にも縛られない魔法使いたちがこれに該当するのかもしれません。
そして、周囲の大人の価値観に左右され、その価値観を正義とし、自身が有利になるよう動く子どもは、貴族子女の中にも多数存在します。あなたの周囲がそうかもしれません。
ですから、あなたが本当に孤立している方とも仲良くしたければ、周囲の言動が何かおかしいと思うのであれば、あなた自身が周囲から離れなくてはなりません。
ただ、そうすると、勿論、あなた自身も孤立してしまう可能性は高いでしょう。それでもあなたにその覚悟がおありなら、出来るだけ早く普段は1人で行動するようにし、周囲とは出来るだけ必要な会話以外をしないこと。これが最も良い安全策です。
次の策として、自身が孤立することまでは望まないのであれば、ルーシー様自身が悪役を買って出るつもりで孤立している方を常に擁護し続けること。ですが、これはあなたや伯爵家に擦り寄りたい者には称賛されるでしょうが、周囲の者の一部や孤立している方の恨みは買うでしょう。独善的な行動でもありますからね。
2番目の案を取るのであれば、護身用の魔道具は持っておいた方がよろしいでしょう』
あまりにも不穏なその手紙でしたが、受け取ったルーシーは大喜びでした。
(まあ……!美しい便箋!筆跡も素晴らしいわ!それに、何より、悪用ではないと言っていただけましたわ……!だいぶギリギリの判定のようですけれど……。とにかく1人で行動した方がよろしいのですね!せっかく沢山お友達が出来たのですけれどね……。でも、やはり何かがおかしいのですもの……。お父様もライノー様は信用に値するとおっしゃっておりましたし、出来るだけ言われた通りに行動しなければなりませんわよね!)
ライノーは明らかにルーシーの素直さを高く見積もっていました。それは正確な審美眼でありながらも、子どもにはあまりにも過酷な行動要求だったのです。
「ライノー、手紙はどうでしたか?」
「兄上……。まあ、子どもらしい、少し変わった手紙でしたよ。私の手紙を見ても行動が改善されなければ、あの子も多くの貴族令嬢の中の1人となるでしょう」
「おや、伯爵家のご令嬢もライノーのお眼鏡にはかないませんでしたか」
「今のところはまだかろうじて善にも悪にもなっていない子どもという感じですね。学園時代の嫌な記憶を思い出しましたよ」
「ライノーは学園時代、ずっと1人でいたと執事長から聞いていますよ」
「何を言っても相手に伝わらないのであれば無駄でしょう」
「まあ……そのおかげで、ライノーは私と違って寮へ侵入されたりもしなかったようですしね……」
「危険な環境に身を置くと、暗殺されかねませんよ。姉上だって執務もせずお茶会ばかりしていますからね。何もせず、兄上の名を笠に着て偉そうにしている姉上を見ていると、寒気がしますよ」
凍てつくような表情でそう言い切ったライノーを見て、公爵は似たような顔で苦笑いをしました。
「あなたは……本当にハッキリ物を言いますね。そうでもしないと後継者を作れないではないですか」
「それだから、私は当主になるのも結婚するのも無理だと悟ったのです。公爵家に産まれて本当に良かったです。兄上には感謝しております」
「まあ……私としても執務を手伝ってくれる弟は助かりますからね……」
2人の執務机の上には、書類が山のように積み重なっていました。
「人間と話すよりは書類仕事の方がよほど楽ですよ」
「まあ……ねえ……。そうですけれど……。子どもがいるのも悪くはないですけれどねえ……」
「あのような子どもがですか?モアルズが今、社交界で何と言われているか知っています?」
モアルズは公爵の第一子で、今は30歳ほどの公爵子息でした。金遣いが荒く女遊びも激しかったことから、社交界で彼は放蕩息子と呼ばれていました。それでも、次期公爵はおそらく彼になるでしょう。
「知っていますよ。でも、子育てをユルリカに一任した私も悪いですから……」
「そうでしょうね。モアルズは姉上そっくりですよ。あのような子ばかり3人もいたら、私なら気が狂ってしまいますね」
「ライノー……あなたは本当に口が悪いですね……」
「ですから、外ではきちんと仮面を被っているではありませんか。それに、もっと言わせてもらいますけど、第三子のミクルナは絶対に兄上の子ではありませんよ。顔も違いますし、目の色だって明らかに茶色ですからね。どうして魔道具で親子関係を明らかにしないのです?」
「世の中には、明らかにしない方が良いこともあるのですよ……。政略結婚ですから、離婚も出来ませんし……。外交問題にもなりますし……」
「隣国の王女などやめた方が良いとあれほど言ったではないですか!」
「他の者よりはマシだと思ったのですよ……」
「貴族令嬢は本当にクズだらけですね。兄上が未だに浮気もなさらないことが本当に信じられませんよ!」
「女性は怖いですから……」
「まあ……それは私もですけれど」
浮気を片方の性ばかりだと断定する者も何故か存在しますが、大抵は両方とも浮気をしますし、中にはそれで子を作る者までいます。
それでも、あらゆる事情で離婚に踏み切れない者は、その事実に目を瞑って婚姻生活を続けるのです。
信頼できる配偶者を得られた者は、相当な幸運か能力に恵まれたのでしょう。
(あの手紙だけで彼女がもし行動改善できたのであれば……少しは女性を信用してみてもいいかもしれませんね……)
ルーシーのこれからの行動は、女性全体への信頼度を測る試練となっていました。ライノーにとっては。
ルーシーは全く知りませんでしたし、これは子どもにとってはだいぶ荷が重い試練になりそうでした。




