アンナ編 その1
『児童養護施設 ふれいあいの家 第3ホーム』
ある七月上旬の日曜日の夕方、明治時代に建てられた木造の民家を改装したこの施設内では、賑やかな子どもたちの声が響いていた。
この建物で一番広い和室。そこに置かれた50型テレビの前に、四人の女の子が集まっている。
テレビにゲーム機を繋ぎ遊んでいる。コントローラーを握っているのは、中学一年生のアンナと、小学四年生のマナ。
落ちてくるゼリーの色をそろえ、消していくパズルゲームだ。今はアンナとマナが対戦中。
二人の後ろでは、車椅子を使って生活する中学二年生のサユキ、それから小学二年生のナオカが観戦している。
ゲームは、落ちてくるゼリーを消しきれなくなり、枠の一番上に達するとゲームオーバーになる。
アンナの枠はかなり余裕がある。一方、マナはゲームオーバー寸前だ。
「えっと、ええっと……」
マナの表情にも焦りが浮かぶ。勝利を確信したアンナは笑みを浮かべた。
だが、その時だ。
いきなりゲームが止まった。
画面には『PAUSE』の文字が表示されている。マナがボタンを押してゲームを止めたのだ。
「サユ姉、助けて!」
マナは振り返り、後ろで観戦していたサユキにすがるような視線をむけた。
「マナずるーい!」
ナオカが声を上げる。
「だって、マナとサユ姉で同じチームって、さっき決めたじゃん。勝ったチームが今日のお菓子選んでいいって。助けて、サユ姉!」
サユキは少し考えて、それからジッと画面を見つめる。
「今、落ちてきてる赤と青のやつを赤が上になるむきで一番右端に置いて、次の黄色のヤツを横向きにして、左から一マス開けて置いてください」
「教えちゃうの、サユキちゃん!」
アンナはサユキに抗議の視線をむけた。
サユキはごまかすように笑う。
「よし。じゃあ、続きやるぞ!」
マナの声で、アンナは慌てて画面に視線を戻した。
「せーのっ!」
マナは掛け声と共に一時停止を解除する。
「それは一番左」「それは真ん中に横向きに」
そこからも、サユキは指示を出し、マナはその通りにゼリーを積み上げていく。すると、連鎖的にゼリーは消えていき、一気に形勢逆転。
「あれ? あれ? あぁー!」
そして、アンナは負けた。
和室の真ん中にテーブル。その上には、皿に盛られたチョコクッキー。
「もう、サユキちゃん、ズルいよ」
アンナは不満げにそう言ってから、クッキーを口に運ぶ。
「ごめんね。今日はチョコクッキーの気分だったの」
サユキは少し申し訳なさそうな笑みを浮かべている。
「でも、サユキお姉ちゃん凄いね。言う通りにしたらマナが逆転しちゃった」
ナオカが感心したように言う。
「はい。マナさんが一時停止してくれたので、状況をゆっくり確認出来て、どうすればいいかわかったんです」
「マナのおかげだぞ」
マナが得意げな顔を浮かべる。
「マナは負けそうになって止めただけでしょ」
ナオカがビシャリと言った。
そのときだ、大きな段ボールを抱えて、一人の職員がやってきた。
若い女性職員、リホだった。
「アンナちゃん……お届け物……だよ」
リホは段ボールの重さでふらついている。
「あ、はいっ、持ちます」
アンナは慌てて立ち上がると、リホに駆け寄り、段ボールを支える。そのまま協力して床に置いた。
「でも、私に荷物って、何ですか?」
アンナは送り状を覗き込み、動きを止めた。
「アンナちゃんの新しい制服が届いたよ。前の学校の制服で通ってもらってたけど、これからは周りと同じ制服だね」
リホは額の汗をぬぐいながら言った。それにサユキが続く。
「よかったね、アンナ。ここの中学の制服、かわいいって言ってたもんね」
するとアンナはハッとしたように顔を上げ、サユキを見た。
そして、笑ってみせる。
「あ、うん、そうだね。サユキちゃんとおそろいの制服、嬉しい。部屋に置いておくね」
アンナは段ボールを抱えて自分の部屋へむかった。
【堀井 杏奈 12歳 中学1年生】
およそ一週間前――六月の終盤。その日、アンナは両親が入院する病院に来ていた。
母はベットの上で上体を起こしている。アンナはその横に丸椅子を出して座っていた。
「ママ、話ってなに?」
アンナはニコニコと笑顔を浮かべて母の顔を見る。対照的に母は深刻な表情を浮かべている。
「あのね、アンナ。前に住んでたマンションを、片付けに行ってほしいの」
アンナは少し考える。
「あ、そうだよね。ずっと留守にしてるし、パパが事故に遭った日にそのまま出てきちゃったから、冷蔵庫の中も大変なことになってそう。本格的に夏になる前に一回片付けた方がいいよね」
母は少し迷うように視線をそらし、もう一度アンナを見る。
「……あのマンション、引き払おうと思うの」
「引き払うって……引っ越すってこと? なんで?」
母はゆっくりとうなずく。
「うん。ママもパパも入院してて、アンナは施設で暮らしてるでしょ。それでも部屋を借りてると、家賃は払い続けないといけないの。今って、ママもパパもお仕事してないから、できるだけ、出費は抑えなきゃ」
母は息を吐いた。
アンナはしばらく考えた後、ゆっくりと口を開く。
「どうしても、あの家を出て行かなきゃいけないの?」
母は小さくうなずく。
「思い出があるのはわかるけど、お金も大事なの。アンナのスマホ代だって、ママたちが払ってる。ミナミちゃんとだって、連絡とってるんでしょ?」
アンナは無意識にポケットを探った。感じる硬さと重さ――スマートフォンが入ってる。
「ミナミちゃんは……スマホ持ってないから、連絡取れてない」
母は短く息を吐く。
「……そっか。でも、他に連絡とってるお友達はいるでしょ? ママはその繋がりは大切に持ち続けてほしいの」
アンナはしばらく考えて、母に顔をむけた。笑顔だった。
「うん、そうだね。ありがとうママ」
母はまた小さくうなずく。
「ありがとう、アンナ」
およそ一週間後、七月上旬の月曜日。
この街には、私鉄のターミナル駅がある。
路線の一番端に位置する行き止まりの駅であり、電車は次々と到着しては、折り返し発車していく。
昼下がり。また一つの赤い通勤電車が到着した。
電車は車止めの手前でピタリと止まると、無事に終着駅に着いた安堵のため息を思わせるプシューという排気音を鳴らす。
扉が開き、一斉に降りていく乗客の中に、アンナの姿もあった。
アンナはセーラー襟の薄い赤色ブラウスに、ブラウスと色を合わせたフレアスカート。小さめのつばの帽子という格好。背中には小さなリュックサックが揺れている。
耳には100円ショップにて1000円で買ったワイヤレスイヤホンがはまっている。
聞こえてくるのは、カーペンターズの楽曲『愛は夢の中に』である。
アンナは人の流れに合わせ、改札口へと歩いていく。
紙の切符で改札を抜け、周囲を見渡す。すると、目当ての人物を見つけた。
壁際、三〇代前半くらいに見えるその女性がいた。
この女性は原西アツミ。児童相談所で働く児童福祉司である。
アンナは嬉しそうな表情でイヤホンを外し、手を振りながら駆け寄った。
「すみませーん。お待たせしました。アツミさん」
「ううん、大丈夫。私も今着いたばっかり。久しぶり、アンナちゃん。ごめんね、施設まで迎えに行きたかったんだけど、どうしても忙しくて」
「ううん、大丈夫です。この前も、ここまでサユキちゃんと二人で遊びに来たんです。あ、サユキちゃんっていうのは、同じ施設の女の子で、マンガとかアニメが大好きで、とっても頭がいいんです」
目を輝かせながら早口で話すアンナ。アツミは穏やかな笑みを浮かべる。
「施設での暮らしはどう? 嫌なこととか、困ったこととかない?」
アンナは少し考える。
「はい、大丈夫です。ずっと前の学校の制服で学校通ってたんですけど、今度から新しい制服で通えることになって……新しい学校の制服、ジャンパースカートでとーっても、かわいいんです」
夢中で話すアンナ。それをうんうんとうなずきながら聞くアツミ。
二人は並んで歩きはじめた。
駅ビルの横にある立体駐車場。そこからアツミの運転するワンボックスカーで数分、到着したのは、築十数年の比較的新しいマンションだった。
車を路肩の邪魔にならない場所に駐めると、アンナとアツミはそれぞれシートベルトを外して車を降りる。トランクルームを開けると、そこには未使用の段ボール箱が折りたたまれた状態で数枚入っていた。
それらを抱えて、マンションへ入っていった。
アンナたちは目当ての部屋の前までやってきた。
鍵を差し込んで回すと、パチンと音がして鍵が開く。
ドアを開けると、アンナは中に入った。玄関で靴を脱ぎ、丁寧にそろえると廊下の奥へ。
「ただいまっ」
そして、匂いを確かめるように大きく息を吸い込んだ。
「お邪魔しまーす」
アンナに続いて、アツミも脱いだ靴を丁寧にそろえて家に上がる。
二人は廊下を進み、突き当りにあるリビングへ。
「うわー、暑いですね、すぐ冷房付けます」
夏の入口。部屋は、蒸し暑い空気で満たされていた。
アンナは迷わずエアコンのリモコンを手に取ると、ボタンを押す。ウイーンという機械音とともに、冷気を吐き出しはじめた。
「ちょっとかび臭いかも。しばらく換気しますね」
それからアンナは、カーテンと窓を開けた。自動車の音、人の話し声、そんな喧騒が部屋の中に入ってくる。
「これでよしっと」
満足げなアンナを見て、アツミもうなずく。
「もうすぐ業者の人も来てくれるから、それから片付けはじめましょうか」
アンナは部屋を見渡す。
リビングの隅には、少し古いCDデッキ。
その横には、いくつかのCDがケースに収められて並んでいる。
「パパね、カーペンターズが好きでよく聞いてたんです。子どもの頃から好きだったらしいです。なんか家の音楽って感じなんです」
並んでいるCDは、どれもカーペンターズの音楽だった。
しばらく考えた後、おもむろにスマートフォンを取り出した
「最後だから、できるだけ写真撮っておきます」
カーペットの染み。櫛やブラシが並ぶ鏡台。窓から見える景色。
アンナは部屋中の写真を撮っていたが、おもむろに、動きを止めた。ペタンと座り、カーペットを撫でる。
「なんか、今日が最後なんて思えないな。本当に帰ってきたみたいな気分」
「アンナちゃん……」
アツミが声をかけようとしたその時、呼び鈴が鳴った。
「あ、業者さんかな? 私が出ますね」
アンナは立ち上がり、玄関へむかった。
ドアを開けると、数人の作業服を着た男性がいた。依頼していたハウスクリーニングの業者だ。
「こんにちは、『マイホームクリーニング』です」
アンナの後ろからアツミが顔を出す。
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
業者の男性たちは靴を脱いで、家に上がる。
「すみません。お邪魔します」
アンナの眉がピクリと動いたが、そのことに誰も気付かなかった。




