1、絡みつく夢
この作品は「聖騎士団本部の最年少守護者は思い悩む」の続編です。そちらを先に御覧になることをお勧めいたします。
彼女は、甘い芳香を漂わせる葛に囚われていた。
その茉莉花に似た芳香と白く可憐な花に惹かれ、葛にうかうかと近付いてしまったのは彼女自身。
その花を愛でているうちに、葛は彼女の手足に、そっと絡みついてきた。驚いた彼女が逃げようとすると葛は余計に強く絡みつき、帯の上にも幾重に巻き付いて、彼女を捕らえてしまったのだ。
もし悪しき魔物ならば祓えば良い。しかしそうすることが出来ないのは、その白い花が泣いているからだ。
――どうか、逃げないで。
――ごめんなさい、どうか嫌いにならないで。
――叶うことなら、……愛してほしいのです。
……そう切なく訴えてくる声には、聞き覚えがある。
葛が絡みついて来ることよりも、その声に応えられないことが何故か苦しい。
「ごめんなさい……」
彼女は知らなかったのだ。想う方も苦しいのだろうけれど、想われる方も、これほど苦しいとは。
その朝に限って、メグこと久我愛子は、起きてしばらくぼんやりとしていた。
「……これのせい、かしら?」
枕元には、寝る前に読んだ謡曲集。そこには、斎院の内親王と京極中納言の禁じられた恋の行く末を描いた話もあった。二人は添うこと叶わぬままにそれぞれ生涯を終えるのだが、京極中納言は妄執の果てに葛となって内親王の墓石に絡みつく。そればかりか墓石から葛を除こうとした墓守に祟り、病で苦しめる。堪りかねた内親王の御霊は旅の僧に救いを求めた。彼の妄執を断ち切り給え、と。
僧が御仏の遺し給うた最高の経典を読誦すると、さしもの京極中納言の妄執も、葛と共に消え失せたかと思われた。けれど葛は再び現れ、彼岸へ赴こうとした内親王の御霊に、前より強く絡みつく。叶わぬ恋への妄執とは斯くも救い難いのか……。
眠りに就く前、メグがこの謡曲に抱いた感想はごく散文的だった。謡曲に登場する京極葛は夾竹桃科の毒草だ。だから墓守は祟られたのではなく、葛の毒に負けただけだろう、と。
しかし夢から目覚めた今、彼女は全く違う感想を抱いていた。
(……知らなかった。恋が、これほど怖いなんて)
守護者の朝は早い。直接の戦闘には参加しなくとも体力は必要なので、メグは聖騎士団の敷地内を、トミーと二人で歌いながらゆっくりと走っている。歌える程度の負荷で走るのがコツだ、というのは先日引退したモリーが教えてくれたことだ。
ついこの前まではモリーも一緒だったのに、とメグは少しだけ寂しくなった。もしかするとそのうち新しい守護者が入って来るかもしれないが、その守護者がメグと一緒に走ってくれる保証はない。
なぜならこの時間帯、同じ守護者であるリューは剣の稽古をしているのだから。
「近頃、姫様はその歌がお気に入りですね」
トミーが苦笑した。このところ、メグは走っている間、四十数年前に起こった皇国西南部の内戦を元にした歌ばかり歌っている。右手に血塗れた刀を持ち、馬で激戦地を駆けていく美少年が歌詞に登場する勇壮な歌を。
つい先日まで、メグはその可憐な声に似つかわしい甘い恋歌を好んでいたのに。
「タレイアさんのお話を聞いていたら、何だか懐かしくなってしまって」
メグはそう言って笑って見せた。
タレイアはドミニク・トーマス筆頭顧問の使い魔であり、妻でもある。
先日初めて言葉を交わすことが出来た彼女は、皇国西南部の出身で、皇国西南部内戦の戦死者の霊を浄化すべく派遣された若き日のドミニクと出会い、恋に落ちたのだと教えてくれた。
彼の手を取って故郷を離れることに迷いはなかったのか。メグの問いに、タレイアは桜の花のような美しい笑みを浮かべた。
――故郷にはもう、私を引き留める誰かも、何物も、残っていませんでしたから。
それから、彼女は薄っすらと頬を染めると、メグにだけ、こう耳打ちした。
――それに私は、この世に生まれたその時から、ドミニクのことを待ち続けていたのですもの。
「……姫様?」
メグは我に返った。
「ごめんなさい、トミー。何だか今日はもう疲れてしまったみたい」
「承知いたしました。今日はこのくらいにしておきましょう」
トミーが恭しく頭を下げ、メグをエスコートすべく、手を差し出した。
その時――。
「何あれ。幾ら守護者だからって、お姫様扱いは行き過ぎじゃない?」
「『私は前衛の騎士と違ってか弱いの、守って』って?」
入団一年以内の騎士見習いの訓練服に身を包んだ少女が二人、こちらを見てくすくすと笑ったのだ。
気色ばむトミーを制したメグは、彼を伴ったまま、ゆったりとした歩調で少女たちの元に歩み寄った。
「ごきげんよう、エマ・ヴァンス、クレア・シュタイン。少し驚きました、この聖騎士団本部で貴女方と再びお会い出来るとは、思いもかけないことでした。ようやくお二人も最終試験に及第出来たのですね、おめでとうございます」
穏やかに微笑み、二人の成績がさほど高くははなかったことをやんわりと諷すれば、二人は面白いほど赤くなった。
「この、いけ好かない女っ!」
エマ・ヴァンスが振り上げた拳を、メグの後ろに控えていたトミーが掴んだ。
「全く。九十年前のブル・クレール城の惨劇を引き起こしたのはお前たちのような輩だろうな」
彼はそれ以上言わず、エマ・ヴァンスの拳を遠くへ投げやるように放した。
「ハワード・キャンベル卿に進言しておこう。守護者に敬意を払うことを知らないお前たちには、まだ実戦は早い、とな」
新人の中には時々いるのだ。直接戦闘に加わるわけではない守護者を侮り、軽んじる、彼女たちのような者が。
彼女たちから充分に距離を取ったところで、トミーが心配そうにメグの顔を覗き込んだ。
「何も、あの手の者たちにわざわざ声をおかけになることなどありません。……本当に、どうなさったのですか、近頃の姫様は」
メグは、何も答えることが出来なかった。
午後。聖騎士団長ハワード卿が、メグに任務を与えた。鑑定眼を持つ団員二名及びトミーとその部下十名と共同で、近隣の美術館での鑑定と浄化を行うように、と。
「新しく三点の美術品が寄贈されたので、それらに何か悪いモノが憑いていれば祓ってほしいとのことだ」
「承知いたしました」
いつも楽しみにしている器楽練習の時間が潰れたというのに、メグは何故か、少しほっとした気持ちになった。
西アーケイディア美術館に赴くと、館長が自ら収蔵庫に案内してくれた。
最初の美術品は、一枚の絵画だった。薔薇色の頬と赤い唇、そして赤いドレスが印象的な、蠱惑的な名女優オデット・レイクの絵だ。
「新進気鋭の画家が、数年前に亡くなった女優をモデルに描いた絵です。元の持ち主は最近病死なさったとか」
「鑑定してみましょう」
鑑定能力のある団員が前に進み出てつくづく眺め、 そして首を振った。
「顔料に辰砂が含まれていますね。辰砂は魔除けになりますが、毒性も強い。持ち主は水銀中毒で亡くなった可能性が高いと思います。呪詛や亡霊のためではありません」
だが毒性が強いので管理には細心の注意が必要だと彼が告げると、館長は項垂れた。
「いっそ、呪詛の類でしたら、どんなにか楽でしたろう。聖女様に祓って頂ければそれで終わるのですから」
メグは思わず苦笑した。
次に館長が見せたのは、金剛石のパリュールだった。
「とても、綺麗……」
メグはその輝きに目を奪われたのだが、絵を鑑定したのとは別の鑑定能力を持つ団員が首を振った。
「こちらの装飾品は、全て精巧に作られた紛い物ですね。大した価値はありませんよ」
この世界の「京極葛」は、私たちの世界の「テイカカズラ」のことです。京極中納言と斎院の内親王の悲恋は、私たちの世界の謡曲「定家」と概ね似ていますが、細部は少し違います。




