第二十一話:同期諸君に乾杯
日を重ねるごとに訓練はより実践的で過酷なものに変わった。新兵たちも最初のうちは「銃磨きじゃなくて体を動かせる」と意気込んでいたが、女教官による鬼のような訓練についていけず、一人、また一人と脱落者が増えていった。
今日は新兵同士で組み手の訓練だ。ナターシャの相手はリリィである。
「ねぇナターシャ、あたしたちはなぜ取っ組み合いをさせられているの?」
「銃を持たせるのはまだ早いと思われたんでしょ。信用がないのね、私たち」
「それって、やっぱりアレのせい?」
リリィが横目で指した方向には、見覚えのある二人組が訓練に励む姿があった。見覚えのある青年は名をイグニチャフといい、訓練初日に絞め殺されそうになった修道服の男だ。図らずともナターシャが助けることになったが、初日以降も失敗を重ねたせいで、教官にめでたく目をつけられている。修道服ではなく支給された訓練服に着替えているが、他の新兵と比べてひときわ汚れていた。
そしてもう片方は小太りの男。名をドットルといい、訓練初日に女教官から杖で叩かれて喜んでいた男だ。見たところ手際も良くて腕は優秀だと思われるのだが、いかんせん彼の性格に難が有りすぎるため、同じく目をつけられている。
つまり、彼らは問題児だ。イグニチャフはとにかく覚えが悪すぎた。ナターシャが丁寧に教えたにも関わらず、彼の整備技術は全く向上しなかった。おかげでナターシャにまで責任を問われたのだ。危険を察したナターシャは彼の指南役をすぐに交代して難を逃れた。
もう片方の小太りドットルは、罵倒されることに愉悦を感じる変態だ。たびたび問題を起こしては女教官に殴られた。故意で行っている分、イグニチャフよりも悪質だ。そんな問題児二人組は監視がしやすいように中央で組み手をしている。
「あの二人に限った話じゃないわ。腕前だけなら他もそう変わらないと思う」
のろのろと動く新兵のまあ多いこと。問題児二人が特別目立っているだけで、全体的に見れば質の悪い新兵が大半だった。
(……新兵ならこんなものか)
傭兵になるべく腕を磨いたナターシャからすれば、訓練の一つもまともにこなせない彼らはひどく怠慢に映った。
「リリィは筋がいいわね。もしかして経験者?」
「故郷で自警団の手伝いをちょっと、ね。そういうナターシャこそ何者なのさ?」
「しがない料理人よ」
「うっそだぁ」
「信じられないなら今度作ってあげよっか?」
「本当に!? 言質は取ったからね?」
ちなみに、二人が呑気に話しているのは女教官にばれている。注意されないのは、女教官が中央の問題児たちに手を焼いているからだ。ちょうど今も、わざと転んだドットルを女教官が足蹴にしていた。
「それにしても、いつまで訓練が続くのかなぁ。早くどこかの小隊に所属して自力で稼げるようになりたいよ。ナターシャもそう思わない?」
「訓練で優秀な成績を残せば、向こうから声をかけてくれるかもね」
「そうなのかな? それならナターシャはすぐだね。教官にも気に入られてるし、もしかしたら凄い小隊から誘われるかも」
「うーん、自分が所属する小隊は、自分の目で判断したいから別にいいかな。それに気になっている小隊もあるし」
「そうなんだ。ちなみにどこの部隊?」
「第二〇小隊」
「え……!?」
リリィが愕然とした表情を浮かべた。
「ナターシャ正気!? 第二〇小隊って、団長直属の部隊でしょ? しかも、他の部隊には出せないような荒仕事が多いって聞くよ?」
「素敵ね」
「ぬぁーっ、どこがよ! あたしたちは女の子よ!? 荒事に手を出して傷でもついたらどうするの!」
「傷がついたらって……どうして傭兵になったの?」
「男漁りよ!」
あぁ、そうだったな、とナターシャはため息を吐いた。怪我が怖くて傭兵が務まるものだろうか。
「まっ、考えたって仕方がないわ。新兵にできることは教官の機嫌を伺うことぐらいよ」
「ナターシャって現金だね」
「あなたに言われたくないわ」
シザーランドの新兵訓練は過酷だ。それはもう、大の男が三日もすれば逃げ出すほどである。実際に訓練が始まった当初と比べて訓練兵の数は減っており、訓練場からは毎日のように悲鳴と怒号が飛び交っている。たまに殴られて嬉しそうな声が聞こえるのは気のせいだろう。
「そもそも、こんな対人技術の訓練を何日も行う必要ってあるのかな?」
「そのまま教官様に聞いてみたら? ほら、後ろに立っているわよ」
「うへぇぁ!?」」
「あっはっは、どんな声出してんの」
訓練に男女は関係ない。ゆえに、数日が経過した今も訓練に食らいついているリリィは十分優秀だ。
ポカポカと殴ってくるリリィを宥めながら、ナターシャは周囲を観察した。
「まぁ、こんな意味のなさそうな訓練ですら頭角を現す新兵もいるのよ。ほら、あそこの大男とかすごいでしょ。相手をしている男も体捌きが綺麗ね」
「ああいうのは人間じゃないから例外ですぅ」
「世の中例外だらけさ。私からすればリリィだって例外みたいなものよ。まさか男漁りで傭兵を目指す女の子がいるとはねー」
「男にちやほやされるのは女の子の夢でしょ」
「そんなわけあるか」
軽口を言いながらもしっかり重い拳を放ってくるのだから、リリィという少女は侮れない。
「つまりさ、ここで上手く目立つのも今後の昇進に関わるかもってこと。教官だって暇じゃないんだから、わざわざ無意味な訓練はしないでしょ」
「えー、あたしは別に昇進したいわけじゃなくて、良い男と出会いたいだけだよ。訓練に精を出してムキムキになったらどうするの」
「世界は広いわ。ムキムキが好みの男性だっているわよ」
「あたしが嫌だって言ってるのさ」
「まずはその性根を叩きなおすことからね」
リリィの胸ぐらを掴むと、一気に自分のもとへ引き寄せた。至近距離で見つめ合う二人。ナターシャはそのまま投げの態勢に入った。リリィは自分がこれからどうなるかを察して、引きつった表情を浮かべた。
「とにかく今は、どうやって教官の関心を引くか考えるの。意味のない訓練なんて存在しないし、考える時間を用意してくれるほど世界は優しくない。無駄な時間をいかに有効活用できるかが人の成長限界を決めるってわけ。言いたいこと、わかる?」
「えーっと、とりあえずあたしを投げ飛ばそうとしているのは分かったよ」
「それなら良かった」
「ちょっ、待って、怪我しちゃう――」
ぐるん、と一回転するリリィ。目を回した少女は地面にひっくり返った。
○
訓練を終えたナターシャは酒場へ向かった。崖に沿って作られた足場を歩くと、足元からぎしぎしと軋むような音が聞こえる。木製の手すりからは巨大な渓谷都市の様相が見渡せた。崖に沿って足場が組まれ、対岸に向かって橋を渡し、酒場や溶鉱炉のパイプが岸壁からせり出している。
太陽の光が届きにくいシザーランドでは、そこかしこに封晶ランプがぶら下がっている。光を蓄える原生生物を結晶化させ、ガラスで覆ったのが封晶ランプ。真っ暗な渓谷を柔らかな暖色が照らした。
シザーランドに来て以降、訓練後に酒場へ向かうのがナターシャの日課になっていた。本当は自分で料理をした方がお金を節約できるのだが、ナターシャはなし崩し的に酒場を利用していた。
その理由は彼女の隣を歩く同期諸君のせいだ。「良い男はいないか」と目をギラつかせるリリィ、修道服に着替えたイグニチャフ、それから、今日は問題児筆頭の小太りドットルの三人だ。普段はリリィとイグニチャフの三人で飲みに行くのだが、何故かナターシャの知らないうちに小太り男が増えていた。曰くイグニチャフと意気投合したらしい。
「さて、改めてよろしく。私はナターシャよ」
「あたしはリリィ。付き合う男は中隊長以上が条件だよ」
「俺はイグニチャフだ。以前はローレンシアで神父をやっていた」
ナターシャとリリィが驚いたように見つめた。神父だなんて初耳である。
「僕はドットル。ルートヴィア出身の元軍人だよ」
「おぉー、軍人か。それもルートヴィアといえば戦争があった国だろ?」
「ルーロ戦争のことだね。僕も軍に入って間もない頃に戦場へ行かされたよ。軍人といっても僕は工兵だったから、銃を握ったことなんてほとんどないんだけどね」
「へぇー、でも工兵だって立派な軍人だろ。すごいじゃないか」
「はいはい、そういう話は乾杯の後にしてよ。まずは飲みましょう」
同期諸君の今後を願って、小さく乾杯。やんややんやと食卓が騒がしくなる。
乾杯するや否や、イグニチャフは大量の肉と酒を注文した。よほど我慢していたのだろう。特に問題児二人は女教官に厳しく指導されたため、他の訓練兵よりも疲労が溜まっているはずだ。
「うめぇ! 訓練を終えた後の酒は何よりもうめぇ!!」
「……美味しいのは同意だけれど、神父がソレでいいのかしら?」
「元神父だから問題ない。我らが主神は寛大なのさ」
「都合の良い神様ね」
この酒場はナターシャ達以外にも多くの傭兵が利用していた。中には訓練兵の顔もちらほらと見受けられる。リリィは良い男がいないか周囲に視線を走らせ、「そういえば」と思い出したように問題児たちへ顔を向けた。
「イグニチャフとドットルは随分としごかれていたねぇ。教官殿のお気に入りじゃん」
「やめてくれリリィ。俺は好き好んで殴られているんじゃない」
「僕は好き好んで殴られているよ」
「変態は黙っていろ。俺はこう見えても全力で訓練に取り組んでいるんだ。それが教官には遊んでいるように見えているのさ」
「努力が空回りしているのかな」
「もっとうまく立ち回れたらいいんだが……」
そういって二人はナターシャを見た。なぜこっちを見るのだ、と彼女は怪訝な表情を浮かべる。
「……何か言いたげね」
「ナターシャは教官に気に入られているよね」
「気のせいよ」
「ナターシャが怒られているところを見たことがない。俺なんて毎日怒られているのに」
「それはイグニチャフが悪い」
「僕は殴られるのも好きだけど、褒められるのも好きだから羨ましいなぁ」
「変態は黙っていなさい」
ナターシャは「なぜ私の周りには変人ばかりが集まるのかしら」と頭を抱えた。しかも新兵屈指の問題児が揃っている。神は試練が好きだというが、これは嫌がらせの類いではないか。
「まぁ目立たないよりは良いと思うわ。第一印象なんて悪いくらいが丁度いいの。リリィは女性隊員の中でも頭一つ抜けているし、イグニチャフもやる気だけは十分ね」
「やる気だけって褒めてるのか?」
「ねぇねぇ、僕はどうだい?」
「ドットルは……多分、一番印象に残っていると思うわ。間違いなくね」
「やったー! 全て僕の計算通り!」
本当かなぁ、と首を傾げる同期たち。リリィが思い出したように声をあげる。
「印象といえば、例の大男と色男のペアも凄いよね。ちょっとあたし、狙っちゃおうかなぁ」
「最低条件は中隊長以上じゃなかったの?」
「これは未来への投資だよ。あの二人は絶対に昇進するね」
「ということは俺たちのライバルってわけか!」
「ライバルになれたらいいわね。頑張らないとライバルどころか上官になってるかもしれないよ」
「あの二人が上官かぁ。男に殴られる趣味はないから困るなぁ」
「……」
ナターシャは無言で豆を弾き飛ばした。嬉々とした表情で受け止める変態。宙に舞い上がった豆は、そのままドットルの口に吸い込まれる。
ナターシャは呆れたように笑ってから、酒場の外を見下ろした。彼女たちが座っているのはバルコニーのような場所だ。見下ろせば渓谷都市の営みが広がっている。日が暮れたシザーランドには月明かりが届かず、真っ暗な夜の中に人の生活が浮かんでいるみたいだ。鍛冶工場の灯り、食事場の灯り、住居の灯り。
(綺麗ね。結晶風を防ぐために生まれた渓谷都市だけれど、それが逆に幻想的な街並みを形成している)
結晶が奪うものあれば、結晶によって生まれるものあり。封晶ランプが少女の横顔を照らした。
「ナターシャ飲んでるか〜? 一人だけ涼しい顔しやがってぇ」
「……酔い潰れた神父なんて見たくなかったわ」
「俺は元神父だから良いんだよぉ。我らが主神はお忙しいから、信仰心さえあれば目を瞑ってくれるんだ」
心が広すぎる神様に乾杯。
ドットルは腹を大きくして眠っており、リリィはいつの間にか別の席の隊員に声をかけていた。好き勝手な同期諸君に思わず笑ってしまう。
この国は自由だ。国籍も宗教も出自も問わない。銃を握る覚悟さえあるならば誰だって歓迎する。壊れた世界で少しでも人生を謳歌し、最後は華々しく戦場で散ろうとする馬鹿の集まりだ。太く、短く。誇りのために戦い、誇りのために死ぬ。馬鹿しかいない国ならば、酔い潰れた神父がいてもおかしくないだろう。
ナターシャは最後の一口を飲み干すと、男漁りに夢中な友人を連れ戻しに席を立った。




