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第十四話:私はそれほど優しくない

 

 ローレンシアの特殊部隊は廃墟に到着した。苔に覆われた街が彼らの眼前に広がる。一見すればよくある遺跡だ。しかし、部隊長の男――ロダンは足を踏み入れた瞬間に重苦しい気配を感じた。


「総員、防護マスクを付けて警戒しろ。何か潜んでいるかもしれん」


 各員が結晶屑用の防護マスクを装着し、互いに援護できる範囲で散開した。先頭をロダン部隊長。左右はシッドとビビアンが警戒し、一番後ろがディーバーだ。彼らは足音を立てない。手榴弾や予備の弾倉といった装備を身に付けているにも関わらず、衣擦(きぬず)れがほとんど聞こえない。


 ローレンシア兵は優秀だ。入隊時に過酷な訓練と多岐にわたる戦術を教え込まれ、厳格な階級制度によって管理される。屈強な肉体と強靭な精神。一種の洗脳にも近しい教育方法によって愛国心が植え付けられ、星天教の象徴たる天巫女を守るためならば命を差し出すことも(いと)わない。その中でも特殊部隊に選ばれるのはごく一部の精鋭だけであり、彼らのような兵士がローレンシアを大国足らしめた。


(……!)


 廃墟の中を覗いたシッドが、うずくまる結晶憑きの姿を発見した。「殺りますか?」と隊長にハンドサインを送る。ロダンは少し考えた後、前に進むことを選んだ。結晶憑きの数が分からない以上、不要な戦闘は避けるべきだ。


 シッドはゆっくりと窓際から離れた。結晶憑きは床にうずくまったままだ。ヤツの低いうめき声は廃墟の外まで聞こえた。長く聞いていると頭がおかしくなりそうだった。


(本当に、気持ち悪いぜ)


 シッドは軍人だ。死に場所は選べない。だが、ローレンシア兵として戦場で死にたいと思っている。少なくとも、あんな化け物になって死ぬのは御免だ。

 世界は以前よりも戦争が少なくなった。戦えるほど余力のある国が減ったのだ。戦争の形が変わった。領土を奪い、信条を掲げる戦いではない。資源が枯渇し、食料が尽き、どうしようもなくなった国が最後に残された手段として傭兵を雇った。シッドも幾度となく傭兵と戦ってきた。


 傭兵は嫌われ者だ。特にローレンシアの人間からは差別に近い扱いを受けている。理由は様々であるが、一番の原因は長きにわたる因縁であろう。ローレンシアのように強大な軍を有する国は珍しく、かつて世界中に存在した兵器は遺物として各国に秘匿された。文明の崩壊によって軍備も国力も失われ、街の復興に多額の資金が必要となり、結果として軍を放棄した国も少なくない。故に、いつも戦場で出会うのは傭兵だった。


(おっと、考え事をし過ぎたな)


 周囲への警戒が薄れていた。自分としたことが不注意である。

 隊長のロダンが立ち止まった。彼に合わせて他の隊員も足を止める。ロダンはその場にしゃがむと、厳しい顔で地面のくぼみを触った。シッドが周囲を警戒しながら隊長に訊ねる。


「どうかしました?」

「足跡が残っている。それも最近のものだ」

「……数日前に雨が降ったはずです。残るとすれば、それ以降かと」

「えー!? もしかして先を越されたってことですか!?」

「黙れディーバー。先を越されたかはまだ分からん。シザーランドの犬が嗅ぎつけた可能性もあるが、足跡が一つしかない。斥候のもの……いや、どこかに拠点があるのかもしれないな」

「どうします?」


 ロダンは思案した。遺物の情報が外部に漏れたとは考えにくいが、もしかすると別の情報筋から伝わったのかもしれない。どちらにせよ戦闘はできる限り避けるべきだろう。

 足跡の方角はバラバラだ。それが余計に違和感を感じさせた。


(目的地を目指すというよりは、何度も行き来をしたような形跡だ。まるで生活をしているような……)


 ロダンは自らの考えを鼻で笑った。あえて禁足地で生活するような物好きがいるとは思えず、ましてや、こんな森で生活すれば二日も経たずに死ぬだろう。


「一度休憩をする。それから近くに拠点がないか捜索だ。戦闘になる可能性もあるため、各員、十分に警戒するように」


 隊員たちは力を抜いた。シッドは廃屋の中を適当にぶらつき、ビビアンは階段に腰かけてうつむいた。ロダン隊長は塔を見上げて思案顔。眉間に皺が刻まれている。

 そして、問題児でお調子者な男は煙草を片手に立ち上がった。ビビアンがそれに気付き、いさめるように声をかける。


「……単独行動は危険だ」

「大丈夫だって。ちょいと一服するだけだからよ」

「……隊長に報告したのか?」

「ビビアンはいちいち頭が固いんだよ。便所に行くときも報告するのか? しないだろ? もっと気軽にいこうぜ」


 へらへらと笑いながらディーバーは去っていった。ビビアンは目を細めなから見送り、やがて興味をなくしたようにうつむく。彼は無口だ。淡々と命令を守り、任務を遂行する寡黙な戦士。

 ビビアンは細く息を吸った。いつでも戦えるように小銃を抱えて。


 ○


 お調子者が街を歩く。途中までは機嫌が良さそうに鼻唄を歌っていた。祖国で人気の女性歌手だ。脳裏に彼女の歌声がよみがえり、自然と指がリズムを刻む。愛と繁栄を歌った曲が廃墟に木霊した。


 ビビアンたちの姿が見えなくなると、ディーバーは人が変わったように唾を吐き捨てた。地面に転がった鉄屑を思い切り蹴飛ばす。廃墟のガラスを全て割ってやりたい気分だった。流石に自重したが、鬱憤とした気持ちが彼を苛つかせる。


「はぁーったく、言いたいことがあるならハッキリ言えってんだよ」


 ディーバーは軽薄そうな性格に見えるが、決して鈍い男ではない。自分が他の隊員から良く思われていないことぐらい知っている。彼を苛つかせるのは、それを中途半端に隠していることだ。ハッキリと言葉にすれば良いものを、陰湿な態度をとられるから余計に腹が立つ。


 隊の連携に亀裂を生じさせないためなのは分かっている。しかし、感情は理屈ではないのだ。ディーバーは良くも悪くも裏表がない。嫌なものは嫌と言う。そして、この隊は彼にとってクソである。


「そもそも本当に遺物なんてあるのかよ。禁足地まで来たのに空っぽでした、は笑えないぜ」


 ディーバーは井戸に腰かけた。ポンプ式の井戸は何故か黒ずんでいるが、きっとカビが生えたのだろう。片足を曲げながら煙草を咥えた。気分が苛つく時はゆっくりと長く吸うのだ。仄かに甘い煙が喉を抜け、彼の苛立ちを和らげる。肺一杯に煙草を吸う瞬間、ディーバーは体中に生命がみなぎるような心地になる。


 吐き出された煙が晴天に溶けた。早く任務を終えて国に帰りたい。行きつけの酒場で友人と愚痴を言い合うのだ。今回も最悪な任務だったぜ、と。友人が「俺の方が最悪だったさ」と張り合ってきて、ディーバーがムキになって反論して、言い合いがエスカレートして、喧嘩になって、そして最後は酔い潰れて二人仲良く放り出される。


「酒が恋しいな……」


 ディーバーは短くなった煙草を捨てた。放物線を描きながら路肩のバケツに吸い込まれた。黒い液体が入った不気味なバケツだ。ジュッと小気味良い音が聞こえた。


 ディーバーが足元に転がった瓶を見たのは偶然だった。風に煽られて目の前を通り過ぎる空き瓶が路地の角で止まった。ディーバーは見た。空き瓶に反射する二本の足。路地の角から自分を監視するように、じっと見つめる影。


(……っ!?)


 ディーバーは瞬時に立ち上がり、井戸の裏に身を隠して声を張り上げた。


「何者だ!? シッドか!?」


 真っ先にシッドの名前が出るあたり、彼の仲間に対する信用度が低いことは言うまでもない。相手はディーバーの問いに答えなかった。つまり、仲間ではない。だが、相手から迷うような気配が感じられた。


 ――敵ではないのか?


 ディーバーの頭に疑問が浮かんだが、すぐに甘い考えを捨てた。出てこないならば殺す。躊躇すれば自分が死ぬ。彼はローレンシアの軍人だ。疑わしきは殺せと教官に教え込まれた。だから、殺す。

 ディーバーが腰の手榴弾に手を伸ばそうとした時だった。彼の雰囲気を感じ取ったのだろうか。謎の影がゆっくりと姿を表した。


「撃たないで。私はただの民間人よ」

「……女か?」

「うん。見て確かめたら?」


 ディーバーが銃を構えたまま立ち上がった。そして、彼は目を丸くした。


 女だ。否、女の子だ。白金の髪を揺らした少女が両手を上げて立っている。歳は十五ぐらいだろうか。しかし、彼女の表情は同年代の少女と比べて明らかに大人びていた。特に目だ。澄んだ水晶のような瞳がディーバーを真っ直ぐに見つめていた。


 ディーバーは慎重に近付く。相手が少女だと知ってから彼の警戒は緩まったが、流石に油断できない。なにせここは禁足地。人の(ことわり)から外れた場所で出会った少女を手放しで歓迎できるほど、ディーバーは楽観的な性格をしていなかった。


「ここで何をしているんだ?」

「暮らしているの」

「暮らしている? 馬鹿を言うな。こんな場所で生き残れるならお前には獣の才能があるぜ」

「お褒めに預かりありがとう。でも本当よ。故郷の船から落ちてしまったから森で暮らすしかなかったの」

「……なんで俺を監視していた?」

「自分の住処に知らない人がいたら警戒するのは当然よ。あなただって自宅に赤の他人がいたら強盗だと思うでしょ?」


 彼女の正体は不明だが、少なくとも敵意は感じられない。傭兵にも思えないし、どこから見ても子供だ。ただ一点、月明かりの森という事実がディーバーを悩ませた。


「あなたはどこの人かしら?」

「……ローレンシアだ」

「あぁ、大国の……できれば私を街まで連れて行ってほしいんだけど」

「俺たちは任務中だ。聞いてみないと分からないが、交渉するなら隊長にやってくれ」

「隊長さんはどこかしら?」

「向こうの広場で待っている。会うっていうならお前が武器を持っていないか確認させてもらうぞ?」

「用心深いわね」

「それが軍人だ」


 間近で少女の顔を見た。ごくり、と息を呑んだ。遠目では分からなかったが、近くで見ると綺麗な顔立ちをしている。髪は乱れているし服も汚れている。しかし、それが逆に彼女の端正な顔を引き立たせた。少女が大人に変わる、曖昧で不安定な瞬間を凝縮したような少女。それが、ディーバーが感じた第一印象だった。


「あなたは何故ここにいるの?」

「任務だからって言っただろ」

「ううん、そうじゃなくて、何故あなたは一人で行動しているの?」

「……一丁前に探ろうってか」

「人聞きが悪いわ。私はただ気になっただけ」

「居心地が悪かったから離れて休んでいたんだよ。誰にも見られずに一服ってな」

「あら、至福の一時を邪魔しちゃったかしら」


 不思議な少女だ。一回りも下の少女に会話のペースを握られ、いつの間にか警戒心が薄くなっていた。良くない流れだと自覚しつつもディーバーは抗えない。自然と相手の警戒を解くような、独特の空気をまとった少女だ。


「そういやお前、ここで遺物を見なかったか?」

「……遺物? 知らないわ」


 少女が上げていた腕を後ろに回した。ディーバーが銃を向けているにも関わらずだ。後ろ手に組んだまま、彼女は下から見上げるように見つめる。


「ねぇ、実は武器を持っているの」

「正直者だな。それを渡せ」

「でもこれは私の愛銃なのよ。手放したくないんだけど大目に見てくれない?」

「無理を言うな嬢ちゃん。銃を持ったままの相手を信用しろってか?」

「私にとっての相棒みたいなものだから持っていないと落ち着かないの」


 そう言いながら、少女は腰のホルスターに収めていた拳銃を引き抜いた。パーカーの裏に隠していたようだ。ディーバーは少女が武器を隠していたことよりも、その際に見えた細い太ももに目を奪われた。


 よくよく考えてみれば無防備な少女である。こんな廃墟に女が一人。森に似合わぬハーフパンツから滑らかな肌が(あら)わになる。もう一度、ディーバーは唾を飲み込んだ。周囲に人影はなく、仲間の場所も離れている。


 欲が湧いた。


「なぁお前、一人か?」

「……? そうよ――きゃっ」


 少女が言い切るや否や、彼女はディーバーに押し倒された。驚いたような顔が余計に男の嗜虐(しぎゃく)心を刺激する。


「離して――」


 ディーバーは少女の口を塞いだ。若くて張りのある肌だ。青い水晶をはめ込んだような瞳がディーバーを睨みつけた。少女は右腕をディーバーに抑え込まれており、残った左手で口を塞ぐ腕を引き剥がそうとした。


「安心しな嬢ちゃん。満足させてくれたら俺が隊長に口利きしてやるよ」

「――!」


 細い体つきの少女と、鍛えられた肉体をもつディーバーでは圧倒的な体格差があった。手のひらに感じる抵抗が男を興奮させる。むき出しになった人間の欲が少女を襲う。


 ディーバーは顔を近付けた。震える瞳の奥に強い光があった。軽蔑や反逆心、不屈といった感情がごちゃ混ぜになった瞳だ。ディーバーはそれを心地好く思う。軽蔑なんて日常茶飯事。彼にとって挨拶のようなものだ。自分が強者だと自覚した瞬間、男の頬が凶悪に歪む。


 ふわり、と良い香りがした。少女の長いまつ毛が揺れた。白金がこぼれる。それは、一人の少女が絶望した合図だ。救いのない世の中と、糞みたいな大人。理性なき獣が蔓延(はびこ)る世界。正直者はいつだって食い物にされてきた。


 世の中は地獄だ。少女は故郷を思い浮かべる。そして、自らを船から突き落とした男の顔と、目の前で自分の服を剥ぎ取ろうとする男を重ねた。他人を信じてはいけないのだ。寄宿舎のみんなが特別だっただけで、社会には冷たさが満ちている。初対面の相手ならば平気で奪えるのが人間だ。


 この世はクソッタレだ。知っていた。それでも少女は期待した。何度だって裏切られ、そのたびに期待した。なぜ人はもっと優しくなれないのか。どうして他人を押し退けてまで這い上がろうとするのか。何が人を獣たらしめるのか。他人に優しく出来なくなったら人間おしまいだ。それなのに獣のような、否、獣以下の人間があまりにも多すぎる。


 少女の中の、深い深いずっと奥に、黒い何かが滲んだ。彼女の瞳孔がキューッと閉じていく。


「へへっ、暴れんなって。他の奴らに気付かれるだろ――」


 ニヤついていたディーバーの顔が固まった。まるで心を鷲掴みにされたように、彼は青く澄んだ瞳から目を離せなくなった。明確な拒絶。さらにいえば、優位に立っているはずの自分が獲物として見られているような恐怖。

 ディーバーは怖気付いたのだ。目の前の少女から発せれる異様な雰囲気に。


 直後、ディーバーの体がふわりと持ち上がった。少女が腰を跳ね上げてディーバーを浮かしたのだ。訳も分からず前屈みになったところを、今度はディーバーの鼻頭に頭突きが炸裂した。一瞬で暗転する世界。ディーバーは何が起きたのか理解できなかった。彼の拘束が緩んだ拍子に、少女はグッと両足を曲げると、力一杯に男の腹を蹴り飛ばした。


「ガハッ!?」


 背後の井戸に激突した。腹が、顔が、体のあちこちが痛い。背中を強打したせいで呼吸も苦しい。あまりの激痛に地面を転がりまわるディーバー。その無様な姿を少女が見下ろす。


「……軍人の風上にもおけない糞野郎ね」

「痛ェ……!! 俺の……鼻が……!!」


 のたうち回る男に絶対零度の視線が向けられる。そこでようやく、ディーバーは形勢が逆転したことに気付いた。彼女は銃を握っていた。「相棒なの」と嬉しそうに語っていた拳銃だ。少女は片手で服を押さえながら、屑を見るような冷たい視線で男を見据える。男の眉間に照準を合わせた少女は、自らにこう言い聞かせた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 次の瞬間、指の震えは止まった。


「くそ……! 何だよお前……! 俺を撃ってみろ! すぐに隊長たちがお前を――」


 発砲音が廃墟に響いた。押し倒された際に消音器が壊れたのだろう。無機質な音はやけに大きく聞こえる。脳天を貫かれたディーバーは、目を見開いたまま仰向けに倒れた。馬鹿な男だ。欲をかいた人間には相応しい末路である。


 少女は初めて人を撃った。撃って当然の相手だった。だから罪悪感は感じない。自分の身を守るためには仕方がなかったのだ。けれど、彼女の両手には撃った時の反動が残っていた。普段練習している時は何も感じなかったのに、なぜか今は少女の両手に重く残っている。


 あぁ、と少女は思った。きっとこの感触を忘れることはないだろう。一瞬だけ自分の中で世界が変わってしまったような感覚も、忘れることはないだろう。肩で息をしながら、わずかに震える両手を抑えるようにして呟いた。


「大人って屑ね」


 廃墟の空はいつもよりも寒気立っていた。




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