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この謎が解けますか?  作者: 『この謎が解けますか?』企画室
推理で謎が解けますか?
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耳無し芳一殺人事件 第三部「一里塚の推理」

 そして運命の十一月九日金曜日。一里塚は光沢、平中と共に薊集落にパトカーで足を踏み入れていた。目指す場所は薊漁港。そこに、すでに関係者は呼んであるはずだった。

 事情はすでに署長には伝達してある。『ブローカー』捕縛の前に保管場所を潰せるという事で海上保安庁もかなり乗り気らしく、同乗している平中もどこか緊張した表情を浮かべている。そんな中、当の一里塚は目を閉じて何か考えているようだった。

『次のニュースです。福岡で発生したホステス殺害事件に対し、福岡県警刑事部は地元暴力団に対する一斉摘発に踏み切った模様です。逮捕された組員らは殺害を否認していますが、警察ではホステス殺害事件にこの暴力団が関与しているものとして、今後取調べを強化していく方針で……』

 ラジオからそんなニュースが流れてくる。どうやら、福岡県警側も勝負に打って出たようだ。件の暴力団は『ブローカー』に関与しているという噂もあるそうなので、取調べで何かが出てくる可能性もある。いよいよ今回の事件も佳境に入ったという感じだった。

 やがて、パトカーは予定通り港に到着する。港にはすでに複数の人間が待機していた。和岩、龍神、荏原、それに猿島の妻である猿島妙子。事件の関係者たちが、皆が皆不安そうな表情で互いを見比べている。和岩は作業服、龍神は祭りの準備中だったのか神主の正装、荏原は白衣姿だった。

「警部、到着しました」

 運転していた光沢が呼びかけると、一里塚は目を開けて、

「では、行くとしましょうか」

 と、普段通りの様子でドアを開けてボート小屋の方へ向かって歩き出した。光沢と平中も後に続く。

「あぁ、刑事さん」

 和岩が一里塚に気づいて声をかけてきた。

「急に呼び出されたんですが、一体何なんですか? 事件に関してわかった事があるとか」

「ええ。実は新たな事実が判明しましてね。それについてお話したいと思いまして、こうして関係者の皆さんに集まってもらった次第です」

 一里塚は丁寧な口調はそのままに容疑者たちに対峙する。その後ろに、緊張した面持ちの光沢と平中も待機する。役者はそろった。

「昨日このボート小屋を経営する猿島元輔さんが近くの繁華街で殺害されているのが発見されました。また、その数日前にはこの猿島さんの所有するボートに所沢篤という銃の売人の遺体が乗せられ、しかもその殺害現場が和岩社長の工場であることが判明しました。これら二つの事件に対し、我々は銃器密売に絡んだ関連事件であるという認識で捜査を行っています」

 いったんそこで言葉を切り、一里塚は全員を見渡す。皆が皆、緊張した表情で一里塚の方を見つめていた。一里塚はそれを確認すると話を進める。

「私はこの二つの事件に関し、この薊集落が事件に関与していると考えて今まで捜査を行ってきました。今回の事件、捜査の過程で様々な疑問が飛び出してきています。例えば、和岩社長の工場で発見された銃器ですが、銃器密売人だった所沢の保管庫にしてはあまりにも銃器の数が少なすぎました。果たして、あの倉庫は本当に所沢の保管庫だったのでしょうか。これが一つ目の疑問です」

 一里塚は事件の疑問を一つずつ挙げていく。

「二つ目は所沢の遺体がひどく細工をされていたところです。直接の死因は頭部打撲によるものですが、遺体は死後に耳が切断された上に、全身に何かよくわからない文字のようなものを書かれていました。まるで『耳無し芳一』の見立てのように、です。この見立ては一体何なのか。さらに、猿島さん殺害に関しても疑問点はあります。猿島さんは死ぬ直前に事務所で何かがなくなっているのをしきりに探しているのを奥さんが確認しています。その探し物が一体なんだったのかわかりませんが、いずれにせよ、その直後に猿島さんは殺害されている。この探し物が何だったのかという疑問です」

 一里塚はいったん言葉を切ると、すぐに話題を発展させた。

「さて、これら複数の疑問の中で私が一番注目したのが、猿島さんが生前……正確には所沢が殺害されてから自身が殺害されるまでの間に、事務所で何かを探していた形跡があるという事実です。この探し物をしていた翌日に猿島さんは殺害されました。ゆえに、この探し物の正体が、私にはとても気になって仕方がないのです」

「それが何か事件に関係しているんですか?」

 龍神が疑わしそうな表情で聞く。昨日付き合っていた荏原は何も言わず、黙って静観する構えだ。

「それも含めて、今日はこの探し物の正体を皆さんにお教えしたいと考えています。いかがでしょうか?」

「教えてください! 夫が何を探していたのか、私は知りたいです」

 妙子がすがるように頼む。

「だそうですが、他の方々はいかがでしょうか?」

 一里塚の問いに他の三人も顔を見合わせていたが、異論はないのか全員で小さく頷いた。

「わかりました。ではこちらへ」

 そう言うと、一里塚は問題のボート小屋へと近づき、鍵を開けて中に入った。

「昨日、私たちはこの小屋の中を一通り捜索しました。一見するとなくなったものはないようにも見えますし、そもそもすでにないものが何かを特定するなど、本来ならば非常に難しい話のはずです。ですが、今回に関してはこの小屋の中にヒントがありました」

「何ですか。もしかして、そこのなくなっている釣竿ですか?」

 和岩が壁を指差す。が、一里塚は首を振った。

「いいえ。荏原さんの話ではその釣竿は客が海に落としてなくなったもの。そうですね?」

「え、ええ」

「なら、今になって探す意味合いはありません。探すとしてもこの小屋の中というのは不自然極まりない話です。よって、探し物は釣竿ではありえません」

「では、一体……」

 当惑する和岩に対し、一里塚は微笑みながらある一点を指差した。

「あれです」

 その指先にあったもの。それは、猿島の所有していたスキューバダイビングのインストラクターの許可証だった。

「あれって……スキューバダイビングの?」

「ええ。今は足の怪我で引退していたそうですが、猿島さんはかつてスキューバダイビングの指導も行っていたそうです。そうですね、奥さん?」

「え、えぇ」

 妙子は困惑気味にうなずく。

「でも、スキューバダイビングの用具ならそこにありますよ」

 荏原がカウンター裏を指差しながら言う。確かに、そこには猿島の私物と思しきスキューバダイビングのセットが今も大切そうにおかれている。一里塚もそれは認めた。

「ええ。確かに、これは猿島さんの私物でしょう」

「だったら、何の問題もないはずじゃないんですか?」

 だが、一里塚はなぜか首を振った。

「そうでもありません。ポイントは、あれがスキューバダイビングの『インストラクター』の許可証であるという点です」

 一里塚はジッと関係者を見つめて説明する。

「個人が趣味としてスキューバダイビングをやっていたというのであるならば、所持しているダイビングセットも一セットでしょう。当然です。実際にやる人間は一人しかいないのですから。でも、これが『インストラクター』目的なら話は変わってきます。目的が『インストラクター』であるならば、実際にダイビングをやる人間は……」

「そ、そうか!」

 叫んだのは荏原だった。

「気づいたようですね」

「え、ええ。使用目的が『インストラクター』ということは、実際にダイビングをするのは指導者の猿島さんと、彼が指導している客。つまり、最低二人存在する事になる。しかも客側は初心者だろうから自前のダイビングセットを持っているわけもない……」

「その通りです」

 一里塚は種明かしをした。

「要するに、『インストラクター』目的でダイビングをやっていたのだとすれば、ダイビングセットは自分と客用の最低二セット存在しなければならないんです。ところが、事務所内に存在していたダイビングセットはカウンター裏の一セットだけ。つまり、この事務所からダイビングセットが最低一セット行方不明になっているんです」

 確かに、言われてみれば納得できる話である。

「でもなぁ、私たちは普段からよくここに来ますけど、ダイビングセットは一セットしかなかったような気がしますよ」

「もうインストラクターをやっていないのに全部のダイビングセットを表に出しておく必要性はありません。おそらく、カウンター裏にあるのは猿島さんが自分で使っていた思い出の品で、客用のセットは倉庫にでも放り込んであったんでしょう。ですが、昨日私たちが確認した段階では、倉庫や事務室にもそれらしいものはありませんでした」

 なるほど、確かにこれで猿島の探していた品は判明した。しかし、と関係者たちの頭には疑問符が浮かぶ。

「だから何なんですか? 探し物がダイビングセットだとわかったところで、これがどう事件に関係してくるんですか?」

 和岩が代表して尋ねる。だが、一里塚はペースを崩す事なく話を続けた。

「猿島さんの気持ちになって考えてみてください。おそらく、所沢の事件で自身のボートが勝手に使用された事を知って、他になくなっているものがないかを確認したんでしょう。そこで倉庫に放り込んでおいたダイビングセットがなくなっているのに気がついた。さて、この時猿島さんはどう考えるでしょうか?」

 全員が首をひねる。

「港に係留されているボートは誰でも勝手に使うことができます。でも、事務所内のダイビングセットはそうはいきません。少なくとも、マットレスの下に合鍵を隠している事に気づく人間でなければ事務所に入れないからです。もちろん、ベタな隠し場所ですから初見の人でも見つけられる可能性はありますが、猿島さんとしてはまず身近な人間……合鍵の存在を知っている人間が勝手にダイビングセットを持っていった可能性を考えるはずです。この条件に合致するのは、常連客のあなた方三人と家族の妙子さんですが、猿島さんは妙子さんがお昼を持ってきたときに探し物を探している旨を伝えています。もし妙子さんを疑っていたならこのときに聞いているはずですから、彼の中では疑いは常連客三人に絞られていたはずです。そして、その中の一人にダイビングセットの事を聞きに行って、そこで所沢の事件に関する何かを目撃してしまったとしたらどうでしょうか?」

 その言葉に三人の表情が緊張する。

「まさか……」

「ええ、偶然にも、その三人の一人に事件の関係者がいたんです。そして猿島さんは何か見てはならないものを見てしまった。ボートを事件に使われた猿島さんはその何かの意味を瞬時に悟れる立場にいました。だからこそ猿島さんは殺されたんです。口封じのために」

 それが、一里塚が最終的に叩き出した結論だった。そして、これにより論点は一つに絞られた。

「さて、この推理が正しいとするなら、猿島殺害の犯人の特定は『猿島さんがダイビングセットを盗んだと疑った人間は誰か』の推測によって成立する事になります。この条件に当てはまるのは三人の中で誰でしょうか?」

 そう言うと、一里塚は何を思ったのか荏原に向き合った。

「荏原さん、失礼ですがあなたの事について調べさせてもらいました」

 その言葉に荏原の顔が青ざめる。

「調べたって、どういう意味ですか? 私を疑っているという事ですか?」

「そうではありません。あなたは昨日、自分はカナヅチだといっていましたよね。それが正しいかどうかについてです。調べた結果、これはどうやら本当のようでした。大学時代にプールに泳ぎに行った際に一人だけ入れなかったという話を友人から確認しています」

「いつの間に……」

 光沢は思わず呟いていた。

「でもそれがどう関係しているんですか?」

「明白な事です。ダイビングセットを盗んだという事は、当然その目的はダイビングをする事でしょう。だとするなら、そもそも泳げない人がそんなものを盗むとは猿島さんも思わないはずです」

「あっ」

 全員が声を上げていた。

「したがって、荏原さん、あなたは猿島殺害に関しては容疑者圏外となります」

 その言葉に荏原はホッとしたように胸をなでおろす。

「その荏原さんにお聞きします。昨日のお話では、確か和岩さんは心臓に持病を抱えているということでしたね?」

「は、はい。間違いありません。なんでしたら診断書も用意できます」

「この事は猿島さんも知っていましたか?」

「えっと、何度か話をした覚えはありますが……」

 そこまで言って、荏原は何かに気づいたようだ。

「そ、そういう事ですか」

「はい。心臓に持病を抱えている人がダイビングをやろうなどと考えるはずがありません。そんな事をすれば下手をすれば命取りになりますから。猿島さんもそんな人間がダイビングセットを盗んだとは考えないはずです。という事で、和岩さんも猿島殺害に関しては容疑者から外れます」

 そう言われて、和岩も一瞬安心した表情を見せる。が、その表情がすぐに驚きのものへと変わった。

「そ、それじゃあ……」

「はい」

 一里塚は残った一人に指を突きつける。

「この条件に当てはまる人間……つまり、猿島殺害の犯人の条件に当てはまる人間は、たった一人しかいないんです」

 そして、一里塚はその名をはっきり告げた。

「龍神乙彦。薊神社の神主をしているあなたこそが、昨日の猿島殺害の真犯人なんです」

 一里塚の告発に対し、当の本人……龍神は唇を噛み締めて両手を握り締めた。


 衝撃の告発に対し、しばし重苦しい沈黙がその場を支配した。

「龍神さん、あんた……あんたがやったのか?」

 和岩が震える声で尋ねる。が、龍神は小さく首を振って否定する。

「何を言っているんですか。そんな憶測ばかりの事で犯人扱いされてはたまったものではありません。大体、百歩譲ってそうだったとして、どうして私が猿島さんを殺害しないといけないんですか。私は見られて困るような事なんかやった覚えはありません」

 龍神は淡々と反論する。が、一里塚は表情を変える事なく推理を続けた。

「言ったはずです。所沢殺害と猿島殺害、この二つの事件はつながっています。そして、猿島は所沢殺害に関する何かまずいものを見てしまったがために殺害されたというのが私の推理です。だとするなら、猿島さんがあなたを訪れた際に見た事は、所沢殺害に関する何かだったということになります」

「何が言いたいんですか?」

 龍神は怒りを押し殺しながら尋ねた。だが、一里塚は追求をやめない。

「はっきり言いましょう。私は、あなたこそが銃器密売人・所沢篤の密売共犯者だったと考えています」

 その言葉に、その場にいた全員が驚き、平中は緊張した表情で龍神を見つめた。

「所沢は一匹狼です。『ブローカー』から手に入れた銃器をここに水揚げして売りさばくのが彼の仕事ですが、それには売るまでの保管場所が必要です。一匹狼の彼がそんなものの管理まで手が回るとは思えません。だからこう考えました。実際に客と会って銃器を売るのが所沢。そして、売るまでの銃器保管を担当していたのが龍神さん、あなただという事です」

 そこまで言われて、龍神も必死に反論する。

「言いがかりです。第一、保管場所は和岩社長の倉庫だったはずです」

「あれは単なるカモフラージュです」

 一里塚は事もなげに言った。

「言ったはずです。あの倉庫はあまりにも保管されている銃器の数が少なすぎました。つまり、あれはあそここそが銃器の保管場所だと我々に錯覚させ、本来の保管場所を隠すためのダミーだったという事です。そうでもなければ、あの銃器の少なさに説明がつきません。本来の保管場所は間違いなく存在するのです」

 だが、龍神も諦めない。

「待ってください。お忘れかもしれませんが、神社は昨日警察に捜索を受けているんです。社務所はもちろん、普段は誰も入れない社の中まで鍵を開けてお見せしました。でも銃器は発見されなかったはずじゃないんですか?」

 龍神の反応に、光沢は困ったように一里塚を見た。

「確かに龍神の言う通りです。警部の言い分が正しかったとして、肝心の銃器はどこにあるんでしょうか?」

 平中も前に出た。

「私もそれが知りたいと考えています。海上保安官として、ここまで来て手ぶらで帰るわけにも行きません。一里塚さん、ぜひ教えていただけないでしょうか?」

 その言葉に、一里塚は微笑んだ。

「もちろん、お教えいたします」

 一里塚の言葉に、龍神の顔色が一瞬変わる。

「まず、先程の話から猿島さんは龍神さんが何かをしているのを見て口封じのために殺害されています。訪れたとするならば神社でしょうから、その何かは神社で行われていた事になります。この際はっきり言いますが、私は猿島さんが本当の銃器の保管庫を龍神さんが開けるのを偶然目撃してしまったがゆえに殺害されたものと考えています。それ以外に目撃されてまずいものが考えられないからです。そこから、その保管場所は神社の境内内にあると考えます」

 そう言うと、一里塚は突然全員に背を向けた。

「この際です。続きは神社でしませんか? もちろん、龍神さんがよろしければですが」

 龍神としては否定するわけにもいかない。否定すれば、何かある事を認める事になるからだ。龍神が黙って頷くのを見ると、一里塚は先頭に立って歩き出し、残りのメンバーもそれに続いた。

 薄暗い山道を抜け、神社の境内に到着する。昼間だというのに相変わらず生い茂る木々で薄暗く、それがかえってこの緊迫した空気をさらにピリピリしたものに変えていた。

「さて、舞台を移したところで、別の疑問について話す事にしましょう。すなわち、例の『耳無し芳一』の見立てです」

 その言葉に、光沢と平中も身構えた。二人にとってこの事件における一番不可思議な謎なのだから当然だ。

「その言い方だと、その所沢という男の遺体の細工も私がやったように聞こえますが」

「結論から先に言うと、そういう事になります」

 一里塚は龍神の挑戦を受けるようにはっきりと断言した。

「遺体は耳が切り取られた上に全身に文字が書かれていました。まさに『耳無し芳一』の再現ですが、犯罪者は意味のない行動をしません。つまり、この一見意味のない見立てにも何か意味があることになります。犯人がやっていることは『耳を切る』行為と『文字を書く』行為の二つ。一方の行為はおそらくこの遺体を『耳無し芳一』になぞらえて本来の目的であるもう一方の行為を隠すためのカモフラージュでしょうから、二つのうちどちらかの行為が犯人にとって本当に意味がある事だったと考えられます。ではどちらの行為なのか?」

 その場にいる龍神以外の全員が唸った。

「どちらと言われても……」

「それに、この事が保管庫のありかと結びつくんですか?」

 平中の心配そうな声に、一里塚ははっきりと答えた。

「結びつきます。もっと言えば、この遺体の細工は保管庫のために行われた事だと考えられるのです」

「保管庫のため?」

 一里塚は解説を再開した。

「龍神たちは保管庫の管理をどうしていたのでしょうか。カモフラージュ用の倉庫と違って、こっちは本命ですから南京錠などという簡単なセキュリティではなかったはずです。そうなると、管理方法はおのずと限られてきます」

 と、そこで和岩がアッと声を上げた。

「まさか、あの指紋照合機……」

 全員の視線が社に入るための指紋照合機に向く。一里塚は頷いた。

「そう考えるのが妥当でしょうね」

「でも、社の中に銃器はなかったはずです。昨日の検査ではちゃんと龍神があの指紋照合機に自身の指紋をかざして社を開けていますが、結果は……」

 光沢が難しそうな表情で言う。だが、一里塚はこう反論した。

「そもそも、銃器の管理を龍神一人でやっていたのでしょうか?」

「どういう意味ですか?」

「もし保管庫が龍神の指紋一つで開けられたとするなら、龍神が所沢の知らないところで勝手に銃器の売買を行ってしまう可能性を生むことになります。一方、ものが社である以上は管理者の龍神がまったくセキュリティにかかわらないわけにもいかない。だから、おそらくあの指紋照合機は二人の身元照会が一致したときにだけ秘密の部屋か何かへの入口が開く仕組みになっていると思われます」

「二人の身元照会が一致?」

 不思議そうな表情をする関係者たちに、一里塚は簡単に説明する。

「言い換えれば勘合貿易の勘合……二人が持つそれぞれの鍵が同時に使われない限りは部屋への鍵が開かないシステムなんです。まず龍神が自身の指紋で社の扉を開け、さらにその後で所沢が自分の『鍵』を照合することで社内にある秘密の扉が開く。こうすれば、二人が同時にいなければ保管庫から銃器を取り出せないことになります。問題は、その所沢の持つ『鍵』です。そして、私はこの鍵が指紋ではなかったと思っています」

 その瞬間、光沢が何か思いついたように叫んだ。

「そうか、『耳紋じもん』だ!」

 その言葉に、関係者たちは首をかしげた。

「何ですか、『耳紋』って」

「耳の指紋と書いて『耳紋』と読みます。耳の形は指紋と同様に千差万別で固体識別が可能なんです。つまり、あの機械は龍神の指紋と所沢の耳紋、この二つを認識しているという事ですか?」

 光沢の問いに、一里塚は頷いた。

「ええ。そして、それならあの遺体工作における犯人の本当の目的がはっきりするはずです。すなわち……」

「所沢の持つ保管庫への『鍵』、すなわち『所沢の耳紋』を手に入れるため。つまり、本命は切り取られた耳の方にあった」

「所沢が死んでしまった以上、耳がなければ保管庫が開かないのだから当然です。保管庫を開けるために、共犯者が『鍵』を欲した。どうでしょうか」

 龍神は答えない。一里塚はかまわず話を続ける。

「遺体を細工するのは死亡推定時刻より後でもかまいません。打ち合わせが終わった後、龍神は遺体の細工に取り掛かりました。ですが、単純に耳を切り取っただけではかえって耳に注意が向いてしまう可能性があります。だからこそ、龍神は遺体の全身に文字を書いて遺体から不自然に切り取られた耳から注意を逸らそうとしたんです。他の場所ならともかく、この下関であるならばその遺体は『耳無し芳一』を連想させるのに充分でしょう」

「じゃあ、あの遺体に書かれた文字は?」

「多分、意味はないと思います。下手に意味のある文字を書けばそこから足がつく可能性もありますから。龍神の目的は、あくまで耳を切り取った真の意味を隠す事です。『耳無し芳一』の怪談に見せかけられれば、文字の内容自体は何でもよかったんです」

 と、不意に和岩が不思議そうな顔をして尋ねた。

「でも、それなら最初から遺体を埋めるなりして隠してしまえばよかったのに。どうしてあんな派手な事を?」

「隠してしまっては意味がないからです。所沢は『ブローカー』から銃器を入手する役割を持っていました。もしここで遺体を隠してしまうと所沢は『失踪』した事になってしまい、『ブローカー』からの銃器の供給がストップしてしまいます。龍神は所沢が死んだ事を明確にして、次の取引相手が自分である事を『ブローカー』に知らせねばならなかったんです。だからこそ、遺体をボートに乗せて流すという方法を採ったんですよ」

「すべては銃器密売の利益を自分で独占するため。そういう事ですか」

 光沢は納得したように呟いた。が、龍神はまだ諦めていない。

「ちょっと待ってください! 今までの話はすべて想像じゃないですか。この推理が本当だという証拠はあるんですか?」

 だが、一里塚はひるまない。淡々と一つずつ証拠を挙げていく。

「遺体に文字を書いたペンは現場から発見されていません。まず、それが神社のどこかにあるはずです。それに、当然切り取った耳も。耳紋は複製ができませんから、現物がどこかに保存されているはずです。この状況なら家宅捜索令状は下りますよ」

「そ、それは……」

「それに、この推理が正しいなら猿島さんは社の保管庫を開けた瞬間を目撃して殺害されています。彼の死因は刺殺。咄嗟の犯行だったでしょうから、この状況下で凶器となりうる刃物は限られています。神社の社内にある刃物といえば……」

「あの剣か!」

 荏原が社に飾られている古い剣を見ながら叫ぶ。すでに、龍神の肩は大きく震えている。だが、一里塚はさらにとどめを刺しにかかった。

「物が物ですから捨てる事はできないでしょうし、下手な洗浄もできないはずです。今までの推理が正しいなら、あの剣に猿島さんの血痕が付着しているはずです。調べれば、すぐにわかることですよ。そして、凶器があの剣だと確認されれば、猿島さんを殺害した犯人があなたである事は確定します。何しろ、あの社の扉を開ける事ができるのは、指紋登録されているあなただけですからね」

 一里塚は冷静な表情のまま、龍神に迫った。

「まだ続けましょうか?」

 その言葉に龍神はしばらく体を震わせていたが、やがてガックリと地面に膝をつくと、そのままうつむいてしまった。頭から烏帽子が地面に落ちる。

「龍神さん、あんた……」

「どうしてこんな事を……」

 和岩と荏原が茫然自失といった風に龍神に呼びかける。夫を殺された妙子は、黙ったまま龍神を睨みつけていた。

「この神社の経営、あまりうまくいっていないようですね。元々小さな神社ですから当然といえば当然ですが、所沢はそこに付け込んだのではないですか?」

 一里塚の言葉に龍神はしばらくブツブツ言っていたが、やがて頭を垂れて頷いた。

「話していただけませんか?」

「……一年くらい前に、所沢さんが急にこの神社にやってきたんです」

 とうとう龍神は話し始めた。それは、自身が犯人であると認めたという事に他ならなかった。

「所沢さんとは昔の知り合いで……もう十年以上前にちょっとしたきっかけで知り合ったんです。まさか銃の密売人になっていたとは思っていませんでしたが」

「やつは何と?」

「社の下にある隠し部屋を使わせてくれないかと言ってきました。自分は今大学で発掘作業をしているので、その発掘物の保管場所に使わせてくれないかと。断る理由もなかったし、報酬ももらえるという事で私は了承しました」

 和岩や荏原は驚いた表情をしている。

「そんな隠し部屋なんて、私たちも知らないぞ」

「今神社の神主に代々伝えられている秘密の部屋です。元はご神体を収める場所だったそうですが、今ではその役割はなくなって、空き部屋になっていました。ですが、私はその話を彼にした事があって、彼はそれを思い出したんだと思います」

「でも、彼は銃器の保管庫として使うつもりだった」

「気づいたときには遅かった。『今ばらすとあんたも同罪になる』と脅されて、そのままなし崩し的に協力者になってしまったんです。私自身、彼から支払われる報酬に目がくらんでいて、自分がやるのは銃器の保管だけだと言い聞かせて協力を続けました」

「指紋認証機を取り付けるきっかけになった盗難事件も自作自演ですね?」

 一里塚は思わぬことを言う。和岩たちは再び驚いた顔をしたが、龍神は素直に頷いた。

「はい。指紋認証機を取り付けるために彼が盗みました。そして、指紋認証機には社の扉を開けるための鍵として私の指紋が。隠し部屋の扉を開けるための鍵として彼の耳紋が登録されました。彼が耳紋を採用したのは、ここを狙う人間は指紋が鍵だと思うだろうから、耳紋が鍵だとは気づかないという考えがあったようです」

「つまり、二人一緒でないと武器を取り出せない。あなたを必然的に武器密輸に巻き込み、なおかつあなたの裏切りを防ぐための妙案ですね」

「はい」

 龍神は力なく肯定した。

「所沢の遺体に細工したのもあなたですね。詳細を聞かせてくれませんか?」

 龍神はぽつぽつと語りだした。

「彼の死体を目の前にして、ある考えが浮かんだんです。彼の耳さえ奪えれば、私一人であの保管庫を開けられる。そしたら、自分一人で銃器の取引ができ、もっとたくさんのお金が手に入る、と。私自身、心の底まで真っ黒に染まっていたのかもしれません。何より、神社を維持するにはお金が必要でした。すべて神社のためだったんです」

「その神社の社を銃器の保管庫にしていたんですよね。私からしてみれば、お金云々以前にそれだけで神主失格だと思いますが」

 龍神の言い訳を光沢が批判すると、龍神は反論できないようでうつむいてしまった。一里塚が先を促す。

「とりあえずは遺体を車に乗せて神社まで持ち帰りました。取引相手に彼が死んだ事を知らせるには、遺体を発見させないといけない。港のボートで流す事はこのときすでに決めていました。それと、保管庫を開けるために彼の耳を切ることも。今考えるとゾッとします。でも、耳だけ切り取ると耳紋の鍵の事がばれるかもしれないと思って、咄嗟に『耳無し芳一の怪談』を思い出したんです」

「そして、全身に文字を書いた」

「はい。この下関ならこんな死体を見せれば真っ先にあの怪談の事を思いつくはず。耳の切断はそのファクターと認識されて不自然には思われないと思いました。一時間ほどかけてすべての準備を終えると、私は遺体を港のボートに乗せて沖に流しました。それが二時頃の話です」

 すべては一里塚の推理通りだった。

「猿島さん殺害に関しては?」

「本当に鍵が開くかを確認する必要があったので、あの日の夜、私は社の保管庫を開けていました。ちゃんと開く事を確認してほっとしていたときに、誰かが社の中を覗いてきて……」

「それが猿島さんだった」

「どうしてこんなところにいるのか、あの時はさっぱりわかりませんでした。彼が何かを言う前に、私は咄嗟にあの剣を取り出して、逃げようとする彼の背後から突き刺したんです。私は……神社の宝物で人を殺してしまったんです」

 自業自得。そう言うのがまさにぴったりの状況だった。

「殺した後、あなたは遺体を繁華街に移動しましたね」

「ここで殺された事だけは知られてはいけませんでしたから。彼が普段からよくあの繁華街に行っている事は知っていましたから、車で遺体を繁華街に運んで、人通りのないところに放置しておきました。通り魔か何かと判断してくれればいいと思っていたんですが、そこまで甘くありませんでしたね」

 そう言うと、龍神はうな垂れた。

「あとは、刑事さんが言われた通りです。猿島さんを殺し、所沢さんの共犯者をしていたのは私なんです」

 衝撃の告白に、その場にいる全員が口を閉ざしていた。なんとも後味は悪いが、これで事件は解決した。少なくともそう考えている人間は何人かいただろう。

 だが、そうは問屋がおろさなかった。

「ちょっと待ってください」

 うなだれる龍神を前にして、光沢が急に待ったをかけたのだ。

「猿島を殺し、所沢の遺体を細工したのが龍神だとするなら、当然所沢を殺したのもこの男という事になります。でも、いつやったんですか。龍神には所沢殺害当日にアリバイがあります」

 当然の問いだった。これがあったからこそ、警察は龍神を犯人ではないとしていたのである。

「所沢の死亡推定時刻は十一月五日の午後十時から零時までの間。その時間、龍神は和岩や他の集落の人間と一緒に社務所で祭りの打ち合わせをしていたはず。現場は薊水産加工の工場内で、血痕の状態からこれは動かせません。そして、龍神は死亡推定時刻内で五分以上席を外した事はありません。現場とこの神社の間の距離は往復するだけでも車で二十分かかります。警部が言うように死体への細工は打ち合わせ以降ならば龍神にも可能です。龍神が死体を細工して耳を切り取り、社内の銃器の保管庫の鍵を手に入れたという推理も納得がいきます。でも、実際の殺害行為ができなければどうにもなりません」

 光沢は問い詰める。

「この男は、どうやって所沢を殺したんですか?」

 一里塚はしばらく黙り込む。まさに、それこそが最後にして最大の謎なのである。全員が、固唾を呑んで一里塚の次の言葉を待っていた。

「……確かに、龍神に所沢を殺すのは無理でしょう」

 だが、発せられたのは意外な言葉だった。

「どういう意味ですか?」

「猿島を殺したのは間違いなく龍神ですし、所沢の死体に細工をしてボートに乗せて流したのもこの男の仕業でしょう。でも……」

 一里塚は衝撃的な言葉を告げる。

「所沢を殺したのは龍神ではないと考えられます」

 全員が呆気にとられた表情で一里塚を見る。

「いったい、どういう意味でしょうか?」

「所沢殺害当日に龍神がした事は、事件発生前に所沢と二人で社の鍵を開けた事と、事件後に遺体の処理をした事だけです。おそらく、龍神は打ち合わせの途中で所沢に呼び出され、社の鍵を開けて銃器を取り出す手伝いをしたのでしょう。鍵を開けるだけなら龍神の仕事は指紋照合するだけですので五分でも可能です。そして、所沢は取り出した銃器を持って現場に向かった。一方、龍神もこの事が気になって、和岩さんたちを送った帰りに取引場所の工場へ向かった」

 そして、一里塚は結論を出す。

「そして、そこですでに殺害されていた所沢を発見した。こう考えると、辻褄が合うんですよ」

 全員が押し黙る。

「龍神さん、本当の事を話してくれませんか? 今さら隠し事をする意味もないと考えますが」

 一里塚の言葉に龍神は肩を震わせていたが、やがてがっくりとした様子で言葉を発した。

「私は……所沢さんを殺してはいません」

 その言葉に、全員の緊張が走った。光沢がそんな龍神に詰め寄る。

「嘘じゃないだろうな?」

「これだけ暴き立てられていて、今さら嘘なんかつきませんよ。確かに私は猿島さんを殺しましたし、所沢さんの遺体に細工をしました。でも、所沢さんを殺したのは私じゃない。大体、何で私が所沢さんを殺さないといけないんですか。今まで、私たちはうまくやっていたんですよ」

「……事件当夜の事を詳しく話してください」

 一里塚の言葉に、龍神は観念したように話し始めた。

「刑事さんの言う通りです。あの日、打ち合わせ中にいきなり携帯に着信があって、トイレに行くふりをして社に行くと、所沢さんが待っていました。何でも、社を開けたいので指紋を貸してくれと」

「時間はいつですか?」

「午後十時少し前だったと思います。何かあったのかと聞くと、これから取引をするから商品を取り出すとの事でしたので、例の指紋認証機で私の指紋を解除して、私はそのまま社務所に戻りました」

「取引、ですか?」

「誰か銃を買う客がいた。そう思います。それで打ち合わせが終わった後心配になって、いつも取引に使っているあの工場に行ったら……」

「所沢はすでに死んでいたと」

「はい……」

「その後、遺体を車に乗せて社務所に戻り、そこで細工をしてから港のボートに乗せて流した」

「すべておっしゃる通りです」

 龍神は力なく頷いた。光沢の表情が緊張する。

「つまり、所沢を殺したのはその銃を買った客ですか?」

「その可能性が高いでしょう」

 一里塚は断言する。

「でも、そいつは一体……」

 そう、それが一番の問題だった。犯人が判明して一度は落ち着いたその場に再び緊張が走る。だが、一里塚は焦る様子もなくゆっくりと言葉を紡いだ。

「龍神がやった事を除外して考えると、所沢殺害の犯人に関する条件は以下の通りです。すなわち、死亡推定時刻の午後十時から零時までの二時間にアリバイがない。これは当然の条件です。遺体の細工をしたのは龍神ですから、遺体工作の時間については考える必要はありません。第二に、所沢と銃器の取引をしたという事は、その後銃器に関連する何かを実行しようと考えていた。そうでもなければ、わざわざ危険を冒して銃器を買おうなどという考えが浮かぶとは思えません。三つ目に、犯人は所沢の銃器密売ルート、及びその購入方法を知ることができた。つまり、所沢が銃器密売をやっている事を知っていて、なおかつ客になるための手続きを知っていた人物になります。そして四つ目に、その人物は所沢とトラブルが発生するような関係にあった。いくら密売品の取引とはいえ、普通の取引では殺人が起こるような事はほとんどありません。簡単に殺人が起こるようならそもそもこんな商売が成立するはずがありませんから。つまり、それほどの確執が両者には会ったことになります」

 そして、一里塚は決然とした表情で前を見据える。

「以上の条件から考えて、私の推測が正しいなら……」

 不意に、一里塚はゆっくりと指を一本伸ばした右腕を天高く上げた。

「あなたこそがその客であり、同時に所沢を殺害した真犯人だと考えられます」

 そう言うや否や、一里塚は右腕をゆっくりと下ろしてある人物を指差し、そして大きな声ではっきりとその名を告げる。


「そうですよね、平中宗弘海上保安官!」

 その指摘を受け、当の海上保安官・平中宗弘は呆然とした表情でその場に立ち尽くしていた。


「……は?」

 指名された平中が最初に発した言葉がそれだった。だが、その表情は徐々に驚愕へと変化し、続いて怒りで赤く染まった。

「い、一里塚さん、あなた、何を言って……」

「あなたが所沢殺しの犯人だ。そう言っているんです」

 一里塚は一切動じることなく言葉を繰り返す。その目は真剣だ。周囲の人間は、一里塚が何を言っているのかわからず、呆気に取られた様子で平中を見据えている。

 それを見て、平中はあわてたように反論を開始した。

「な、何でそうなるんですか! 私は今日、銃密売の保管場所が見つかるとあなたから聞いてここに来たんですよ! そんな風に言われるなんて心外です! 大体、何で私が……」

「海上保安官であるあなたなら、少なくとも海上での銃器密売に加担していた所沢の事を知っていたはずです。となれば、一般人にはなかなか把握しづらい所沢の密売ルートや実際の銃器取引の方法を知りうる立場にいた事になります」

  平中の反論にかぶせるように一里塚は言葉を叩きつける。

「つまり、あなたは所沢から銃器を購入する方法を充分に知りえた事になる。そんなあなたが、例えば銃器を入手する必要に迫られたら、どのような行動に出るでしょうか」

「……下手に知らないルートを調べるより、知っているルートを使用するでしょうね」

 光沢が呻くように言う。

「あの晩、所沢は何者かと銃器の取引をするために神社の社の保管庫を開け、そして殺害されています。状況から考えて犯人がその取引相手なのは明白です。私は、その取引相手はあなただったと考えているのですよ」

 だが、疑われている平中も必死に反論する。

「待ってください! 銃器を購入するって、いったい何のためにそんな事を……」

「それは俺が答えてやろうか」

 と、突然第三者の声が境内に響き渡った。平中が振り返ると、そこには意外すぎる人物が立っていた。

「み、三崎さん?」

 福岡県警警部・三崎康夫がポケットに手を突っ込んでゆっくりとこちらに近づいていた。背後には福岡県警の刑事たちの姿も見える。

「ど、どうしてここに? 確か、福岡の射殺事件の捜査に行っていたのでは?」

「その福岡の事件絡みよ」

 三崎は平中に近づくとゆっくりと話し始めた。

「十一月七日水曜日の深夜、福岡の門司の繁華街の片隅でホステスが殺害される事件が発生した。被害者は金浦円このうらまどか。店では『まどか』と呼ばれていたが、こいつの働いていた店は福岡を根城にしている暴力団傘下の店で、被害者はそうと知りながら店の売上金を横領。これが暴力団連中にばれて逃亡した矢先に、何者かに殺害されたというものだった」

「でも、確か地元の暴力団を摘発したとニュースで……」

「あぁ、その通りだ。だが、逮捕した組員連中は全員殺害を否認しやがった」

「それを信じるんですか!」

「そりゃ、最初は信じなかったさ。一里塚さんからあんたの情報が入るまではな」

 その言葉に、平中は息を飲む。

「どういう意味ですか?」

「被害者、金浦円は店の売り上げの横領をしていたわけだが、その横領金の使い道がわからなかった。本人に使った形跡はないし、そもそも被害者の銀行口座にも金はほとんど残っていなかった。じゃあ、この金はどこへ行ったか。まさか、横領先の暴力団連中に渡したという事もないだろうし、この点が謎だった」

 そこで三崎は平中を睨みつける。

「平中さん、あんた金浦とは高校時代の同級生だな」

「えっ……」

「何で知ってるって顔だな。当然調べたからだよ。あんたの出身は福岡だから、調べるのにそれほど苦労はなかった。それと、あんたには給料が振り込まれる山口の銀行の口座とは別に、福岡の銀行にも用途不明の別口座があるな。しかも、かなりの金額がこの口座には定期的に振り込まれている。この金は何だ?」

「何だって……」

「金浦が店から横領していた金じゃないのか?」

 三崎の反論を許さない鋭い問いに、平中は思わず視線を逸らす。

「あんたは金浦を通じて彼女が店から横領した金を懐に入れていたんだろう。横領した金浦は自身の口座に金を入れるわけにはいかない。そんな事をすればすぐにばれるからな。だから、金浦はあんたの口座に金を隠し、あんたは口座を貸す代わりに振り込まれた金を使っていた。ところが、その横領がばれて金浦は暴力団に追われる事になった。このままでは下手をすれば自身まで暴力団の報復に巻き込まれてしまう。だから、あんたは金浦を切り捨て、なおかつ彼女が横領していた金をそっくりそのまま奪い取る事にした。違うか?」

「い、言いがかりです!」

「どうかな。ちなみに、金浦が殺害されたのは一昨日の夜。確か、あんたはそのとき海上保安庁第七管区本部に呼び出されていて下関の捜査本部を離れていたな。第七管区本部があるのは福岡の門司。金浦殺害現場のすぐ近くだ。これは偶然かな?」

「偶然ですよ。事件当日に門司にいた人間は私だけじゃありません。大体、その金浦という人を殺害するなら何も拳銃による射殺でなくてもいいわけです。あなたの仮説が正しいとしても、どうしてわざわざ危険を冒してまで射殺しなければならなかったんですか!」

「暴力団に罪を着せるためでしょうね」

 答えたのは一里塚だった。

「件の暴力団は『ブローカー』とも取引がありました。この辺で銃器の密売を主導しているのはこの『ブローカー』です。『ブローカー』の撃った拳銃が使われたとなれば、警察が疑うのは追いかけている暴力団です。動機もあり、凶器も準備できるとなれば、かねてから検挙を狙っていた警察は総力を挙げて暴力団を潰しにかかるでしょう。横領金を横取りしていたあなたにとってはこれ以上好都合なことはありません。邪魔な金浦と暴力団を相打ちに追い込めるのですから。自分を脅かす両者を消した上で、自分は悠々と金を独り占めできるというわけです」

「しかも、連中がいくら無実を主張しても、暴力団の言う事を警察が信じるはずがない。うまくいけば警察が勝手に冤罪を作り出してくれるという寸法だ。まったく、つくづくうまい計画だよ。こっちと合同捜査していなかったら、もう少しで引っかかるところだった」

 三崎が自嘲気味に言う。そんな三崎を後に続いて、一里塚が真剣な表情で尋ねた。

「平中さん、所沢殺害当日のアリバイはありますか?」

「……事件当日の退勤は午後五時頃。次の日は早番で、午前五時頃に出勤するまでアリバイはありません」

 が、平中はそのまま反論を続けた。

「でも、これでも充分にアリバイにはなると思います。何しろ、この集落に続く唯一の道は、事件当日の午後十時から翌日の朝八時まで車両事故で交通封鎖されていたはずですから。つまり、私が犯人なら朝の八時までは集落を出ることはできない。でも、私はちゃんと朝の五時には出勤し、六時過ぎには海上で発見された所沢の遺体の元に向かっているんです。これをどう説明するんですか?」

「そんなの、港から船で出れば……」

 和岩が言葉を挟むが、平中は否定する。

「港入口にある灯台の気象観測カメラから、例の遺体を載せたボート以外に港に出入りした船がないことが確認されています。そして、そのボートに私が乗っていなかった事はそこにいる龍神が一番よく知っているはずです。そうでしょう?」

 龍神はうつろな視線で見上げたが、

「その人の言う通りです。私が遺体をボートに載せたとき、ボードには誰も乗っていませんでした」

 と答えた。それを聞いて、平中は引きつった顔で言葉を叩きつける。

「もし私が犯人だというなら、どうやってこの集落から脱出したというんですか? まずはそれに答えてください!」

 だが、その声にも一里塚は顔色一つ変えない。

「そういえば、一つ残していた謎がありましたね」

 突然そんな事を言い始めた。

「何の話を……」

「もちろん、なくなった猿島さんのダイビングセットのことですよ」

 いきなりそんな話をされて、その場にいた全員が戸惑った表情をする。

「猿島さん自身は龍神が盗んだと判断して、結果的にそれを確認するために神社を訪れて殺害されたわけですが、本当のところはどうだったのでしょうか? 龍神さん、結局あなたはダイビングセットを盗んだのですか?」

 だが、龍神は首を振った。

「何で私がそんなものを盗まなければならないんですか。ダイビングセットの紛失の話も、さっき聞いたのが初めてです。だから、何で猿島さんがあの時やってきたのか、今の今までわからないままでした」

「となれば、最終的にダイビングセットを盗んだのは誰なのでしょうか。それは、あなたが誰よりも一番ご存知のはずですよ」

 一里塚の視線に、平中は目を泳がせる。だが、他の人間にはそれですべてがわかったようだ。

「もしや、その人はそのダイビングセットで……」

「ええ。港から泳いで脱出したと考えるべきです。海中に潜ってさえいれば、多少顔を海面に出していても気象用観測カメラの映像にはまず残らないでしょう。しかも彼は海上保安官。泳ぎは誰よりも得意なはずです。港から出さえすれば、後は近くの海岸から上陸してダイビングセットを処分し、時間になったら何食わぬ顔で出勤すればいい」

 一里塚は平中の行動を推察する。

「あの事故が起こったのは偶然です。おそらく、彼は銃の取引のために事故が起こる前にこの集落にやってきた。取引場所はあの工場。ですが、その取引の際にトラブルが起こったのでしょう。これは当然かもしれません。いくら身分を隠しても、相手も命がけですから取引相手の情報は調べるはず。そして相手が自分を取り締まる海上保安官、しかもその責任者クラスの人間だとわかれば、これ以上の恐喝材料はありません。ある意味、トラブルの発生は必然だったともいえます。それがわからないほど、あなたも愚かではないはずなのですが」

 一里塚の哀れむような言葉に、平中は一瞬睨むような顔をしたが、すぐに顔を逸らした。一里塚は気にせず話を続ける。

「いずれにせよ、事件は起こってしまいました。あなたは所沢を殺害し、そのまま逃走した。ところが、このとき集落の入口はトラック事故で封鎖されていました。あなたにとってこれはとんでもない誤算だったことでしょう。あなたは事故の規模からこの規制が簡単に解けない事を瞬時に悟った。ですが、このまま集落を脱出しないわけにはいきません。朝の五時には出勤しなければならなかったからです。道路が塞がれた以上は、脱出経路は海しかありません。ですが、海上保安官のあなたは港の入口の灯台にカメラがあることを知っていました。船を盗んでそのまま脱出するわけにもいきません。あなたは何か脱出できる道具がないか港を探した。おそらく、そのとき貸しボート小屋のマットレスの下から合鍵を見つけたのでしょう。ベタなだけに見つけようと思えば簡単に見つかる場所ですから」

「そこで、ダイビングセットを見つけた。そういう事ですね」

 光沢の言葉に、一里塚は頷く。

「カウンター裏のものを使わなかったのは、あまりにも目立つところにあったがゆえに、これを使うとすぐにダイビングセットの紛失が明確になってしまい、自身が海から脱出したことがばれてしまうと考えたからでしょう。だからこそ、あなたは倉庫にあったダイビングセットを使った。これがあなたに関する事件の一連の流れだったと思います。おそらく、零時になるまでにはあの集落を脱出していたはずです」

「しかし、よくそのまま次の殺人を起こす気になれましたね。私だったら、売人を殺した時点で次の殺人は中止しますよ。連続殺人と判断されたら、ばれる確率が増すだけですから」

 荏原が感心したように言う。が、一里塚は首を振った。

「いえ、少なくとも脱出時点では、平中海上保安官には一連の殺人が連続殺人と認定されない自信があったと思います」

「え? どうしてですか?」

「簡単です。二つの殺人が起こった場所が違うからです」

 一里塚の言葉に、今度は三崎が解説を加える。

「所沢が殺されたのは山口県下関市。金浦が殺されたのは福岡県北九州市門司。当然、所沢の殺人を管轄するのは山口県警で、金浦の殺人を管轄するのは福岡県警だ。殺し方が似ているというのならまだしも、ここまで殺し方の違う殺人が実は関係しているなど普通は考えない。まして二つの殺人がそれぞれ別の県警の管轄ならなおさらだ。警察は縄張り意識が強くて、合同捜査でもない限り自身の県で起こった事件は自分だけで解決しようとする傾向がある。それはつまり、情報が共有されないという事だ。しかも、被害者の金浦と所沢には直接的な関係がない。おまけに山口と福岡は普通の県境と違って海で断絶しているせいで、通常の事件に比べても地理的に事件を結び付けにくい。これで二つの事件を結び付けろという方が無理だし、仮に実際に捜査する刑事の何人かが不審に思って事件を結び付けようと考えても、県警上層部はそう簡単に方針を転換しない。合同捜査となると絶望的だろうな」

「つまり、二つの事件が別々の県警の管轄であるため、それぞれが別々の事件として捜査してしまう事から連続殺人と判定する事ができなくなってしまうんです。これは日本警察の大きな弊害の一つでもありましてね。一応、多数の都道府県に事件がまたがった際に発令される『警察庁広域手配制度』というものもありますが、今までに二十四の事件しか認定されていません。そして、連続殺人と認定されなければ、この事件を解決することは非常に難しくなります。だからこそ、彼は予定外の所沢殺害を行った後でも、門司での金浦殺害に踏み切る事ができたんです」

 そこで一里塚は言葉を切った。

「ですが、それも大きく計算が狂ってしまいました。他でもない、龍神が遺体を細工したためです」

 そこで、全員の視線が龍神に向く。

「そうなんです。龍神は遺体をボートに乗せて海に流してしまいました。これは平中さんにとってみれば最悪の一手以外の何ものでもなかったんです。何しろこの行動の結果、遺体は福岡と山口の県境となる関門海峡の海上で発見され、両県警が出動する事態になったからです。結果、色々とあった末に事件は山口・福岡県警の合同捜査になってしまいました。龍神の余計な行動のせいで、山口の事件とこれから起こす福岡の事件が結びつく下地が出来上がってしまったんです。とはいえ、今さら殺人計画を中止するわけにもいきません。あなたは事件が結びつかない事に賭け、金浦殺害を実行するしかなかったんですよ」

 そこで一里塚はジッと平中を見据える。

「おそらく、関門海峡で遺体を見たときに一番驚いたのはあなただったはずです。それはそうでしょう。自身が殺した男の遺体が、全身に謎の文字を書かれた上に耳を切断されてボートの上に転がっていたんですから。どんな悪人でも腰が抜けるほど驚くはずです。そのせいでしょうか。あなたはかなり不用意な事を口走っています」

「不用意な事? 何ですか?」

 光沢の問いに、一里塚は答える。

「遺体発見時に船に乗っていた方に聞きました。あなたは遺体が発見されたとき、『そんな馬鹿な』と言ったそうですね。一見すると不気味な遺体を発見した事による驚きとも取れますが、見方を変えれば、これは自分が殺した遺体がこんなところで見つかった事に対する驚きにも見えるんです」

「それはこじつけです」

 汗をかきながらも平中は反論する。が、一里塚もこの程度で追い詰められるとは思っていないようだ。

「まぁ、これ一回ならその可能性もありますが、実はあなたが不自然な発言をしたのはこの一回だけではないんです。例えば、私たちが海上保安庁の船に乗り込んだ際、あなたは『どうしてこんなところにこんなものがあるのか……』と発言しています。これは私自身が聞いているので間違いありません。これも見方を変えれば、自分の殺した遺体がここにある理由がわからず困惑しているあなたの心情が思わず出てしまった言葉とも取れます」

「だから! こじつけだと言っているじゃないですか!」

 平中はいらいらしたように叫ぶ。が、一里塚は冷静さを失わない。

「確かに、ここまではこじつけで通るかもしれません。ですが、次の発言は見逃せません。先程の発言の後、まるでこの事件が『耳無し芳一』の見立てのようだと発言した私に対し、あなたは『でも、『耳無し芳一』は殴り殺されたりはしていません』と答えを返しています」

「それが何か悪いんですか? 遺体が撲殺だと鑑識の人が言っていたから私は……」

「言っていません」

 一里塚は平中の言葉をさえぎるようにきっぱり言った。

「言って……いない?」

「あの時、鑑識は『後頭部に傷がある』としか言っていないんですよ。当然です。司法解剖もやっていないあの段階で、鑑識が明確な死因を口に出すはずがありませんから」

「でも、同じことじゃないですか!」

「いいえ、後頭部の傷が死因となるのは撲殺だけではなく、突き飛ばされたことによる墜殺や交通事故などによる打撲も考えられます。つまり、解剖もすんでいないあの段階で、後頭部の傷だけを根拠に撲殺だと言い切ることは不可能なんです」

 そこで一里塚は切り札を一枚出す。

「そう、実際に自分で遺体を『撲殺』した犯人でない限りは」

 平中は顔を赤くした。

「そんなの……単に鑑識の言葉を勘違いしただけで……」

「あなたが犯人以外知りえない事を知っていたのはこれだけではありません。三崎警部が金浦殺害の捜査のために福岡に帰ったときもそうでした。あなたは帰ってくるなり三崎警部がなぜ帰ったのかを光沢さんに聞き、光沢さんは福岡で事件が起こって急遽呼び戻された旨を伝えました。それに対するあなたの答えは、『それは……随分物騒な話ですね。こう殺人ばかりでは気が滅入ります』です。実は、私が最初にあなたに疑いを持ったのはこの発言がきっかけでしてね。そこから先程までの発言を思い出して、さらに疑いを深めたわけですが」

「一体、何が変だというんですか!」

 平中は必死に叫ぶ。大分心が乱されている証拠だ。対して、一里塚は未だに冷静だった。

「おおありですよ。どうしてあなたは事件が『随分物騒な話』だとわかったんですか?」

「……え?」

「事件は多々ありますが、それでも『随分物騒な』という表現をする事件は非常に少ない。例えば『銃器を使う犯罪』でもなければ、こんな表現はしないでしょう。そこで問題なのは、なぜあなたに金浦殺害が銃器によるものであるかを示唆するような発言ができたかという事なんです」

 その瞬間、平中はハッとしたような表情をした。

「そんな……そんなのは……」

「ええ、これだけでは弱いです。所詮は言い方の問題に過ぎませんから。でも、そもそもおかしいんですよ。なぜあなたは事件が『殺人事件』だと知っていたのでしょうか?」

「そ、それは……」

「どこの県警にせよ、刑事部捜査一課が出動するのは殺人事件だけではありません。確かに殺人事件は花形ですが、他にも強盗や誘拐、あるいはテロ事件などにも出動がかけられます。にもかかわらず、あなたは事件の情報を初めて聞いたのに、それが『殺人事件』だとはっきり断言しました。なぜですか?」

「それは、門司を出るときに事件の事を聞いて……」

「だったら、そもそも『何かあったんですか』などと聞く必要性がありません。さらに言えば、すでに別の事件で合同捜査中の三崎警部を何か事件があったからといって呼び戻すなどというのはかなりイレギュラーな事態です。仮に事件があった事を知っていても、即三崎警部の帰還と結び付けられるはずがありません。あなたの行動は矛盾してしまうんですよ」

 平中は言葉をつぐむ。いよいよ反論できなくなってきたようだ。

「決定的なのはさっきの発言ですね。あなた、三崎警部がやってきたときに『確か、福岡の射殺事件の捜査に行っていたのでは?』と言っていますね。ここにいる全員が証人です」

「だから何だって言うんですか!」

 だが、それには三崎が答えた。

「何だっても何も、問題大有りだ。あんたは何で俺が担当していた事件が『射殺事件』だと知っていたんだ?」

「……は?」

 平中の目が点になった。

「仮に三崎警部の帰還が殺人事件によるものだと話などから予測できたとしても、それが『射殺事件』である事などわかるわけがありません。刑事がどの事件を担当するかなんて予測できませんから。なぜ、あなたは三崎警部が担当する事件が『殺人事件』で、なおかつ『射殺事件』だとわかったんですか?」

「それは、福岡で起こっている事件といえばあの射殺事件しか……」

 だが、その言葉に三崎が小さく笑った。

「残念だが、俺は元々久留米市で起こった強盗殺人事件の捜査を上層部の指示で中座してこっちの捜査に参加している。この事はあんたも知っているはずだ。最初の船の上でそんな話をしていたからな。そんな俺が福岡に帰るとなったら、まずはその久留米市の強盗殺人事件の捜査本部に帰ったと考えるのが普通のはずだ。にもかかわらず、あんたは門司で起こった射殺事件に俺が呼び出されたと判断していた。これはどう考えても不自然だろう。どうしてそう判断できたんだ?」

「いや、それは……」

「答えられないなら俺が答えてやるよ。あんたは知っていたんだ。射殺事件が『ブローカー』絡みの事件であるという事、そしてその関連で俺が呼び戻されたという事を。そうでもなければ、自信満々に俺が射殺事件を担当しているなんて言えるはずがない。それがわかるのは、実際に事件を起こした人間……犯人だけだ」

「だ、だったら捜査会議であなたが射殺事件の捜査に行った事を聞いたんです。だから私はあなたが射殺事件を担当している事を知った。そうに違いない!」

 平中は必死に取り繕う。だが、一里塚が無情にも反論を封じる。

「ありえません。この時点では本件と関係ないとされていた事件の情報が下関署の会議で上がるはずがありませんし、その情報を警察とは関係のない海上保安官のあなたに教えるはずもありません。あなたと協力していたのは所沢殺害事件であって、金浦殺害事件ではない。共同捜査していた所沢事件の情報は共有していましたが、関係ない事件の情報を警察外の人間に教えるほど、警察の守秘義務が落ちたつもりはありませんよ」

 いよいよ平中は小さく震え始めた。だが、まだ落ちる様子はない。

「さっきから言葉の揚げ足取りばかりじゃないですか! 証拠は! 私が犯人だという物的証拠はないんですか! それがわかるまで私は認めるつもりはありません!」

 冷静さを欠いて叫ぶ平中。だが、一里塚はまだ切り札を残していた。

「証拠はあなたが持っているはずですよ」

 その言葉に、全員が騒然となった。

「どういう意味ですか?」

「私が今日あなたをここに連れてきたのは、ある思惑があったからです。一つはこの場であなたを糾弾して追い込むため。もう一つは、決定的証拠をあぶり出すためです」

 一里塚は社の方を見やった。

「私はあなたに、今日所沢の保管庫を摘発すると言って連れてきました。さて、これだけの犯罪を行った犯人の唯一の弱点がまだ犯人の手の中に残っています。そう、凶器の拳銃です」

 全員が押し黙る。

「ここでちょっと凶器について考えてみましょう。犯人はなぜ拳銃を門司の射殺事件の現場に残さなかったのでしょうか。金浦を殺害さえしてしまえば、もう犯人が拳銃を使う事はありません。別に現場に残しても問題は生じないはずです」

「それは、確かに……」

「私はこう考えます。犯人は拳銃を残したくても残せなかった。なぜなら、そこにとんでもない証拠があったから。例えば、所沢を殺害したときの血痕とか」

 その言葉に、光沢が納得したかのように聞く。

「ひょっとして、所沢を殺害した凶器は……」

「取引商品である拳銃そのものだったとすれば説明がつきます。拳銃は射殺凶器だけではなく、鈍器としての凶器にもなりうるんです。だからこそ、犯人はスパナによる凶器偽造までして所沢殺害の現場から凶器を持ち去るしかなかった。何しろ、その凶器は次の金浦殺害の際にも使用するものだからです。となれば、金浦殺害に使用された拳銃には、所沢の血液が付着しているはずです。つまり、この拳銃は所沢殺害と金浦殺害双方の事件の重要証拠になるんです」

「確かに、これは金浦殺害の現場に残すわけにはいかないな。残したら所沢殺害も同一犯の仕業とばれてしまうし、二つの事件を切り離して金浦殺害を暴力団の仕業に仕立て上げる計画が根本から崩れてしまう」

 三崎が補足する。平中は黙ったままだ。

「さて、そんな拳銃ですが、金浦を射殺した後、犯人はどうやって処分したのでしょうか。物が拳銃だけにその辺に捨てるわけにもいきません」

「海に捨てたんじゃないか? それが一番確実だろう。関門海峡の流れの中じゃ、浮かんでくる事はまずないだろうし」

 三崎が意見を述べる。一里塚は頷いた。

「確かにそれが一番確実な方法です。ですが、犯人の立場からしてみればこの段階で一つ不安な事があります。金浦殺害に関しては暴力団に罪を着せられますが、所沢の殺人に関してはそのようなものがないという事です。つまり、今後も捜査が続く可能性がある。犯人としては一刻も早く捜査が終わってほしいはずです。では、どうすれば捜査が終わるのか。答えは簡単で、金浦殺害と同じく誰かに罪を着せればいい」

 そこで一里塚は一つの答えを出す。

「そして、ちょうどスケープゴートになってくれる人間が今ここにいます。所沢の共犯者……龍神乙彦です」

 その言葉に、龍神は小さく呻き声を上げた。

「所沢の共犯者がいる事はあなたも薄々感じていたのでしょう。誰かまではわかっていなかったとは思いますが、少なくとも所沢の遺体を細工し、猿島さんを殺害した人間がいる事は間違いありませんから。この状況下で殺人を犯すのは共犯者くらいしかいない。猿島さんが殺されたとき、あなたはそう考えたはずです。そして、その共犯者がおそらく銃器の保管役だという事も、あなたならば簡単に想像ができた。そんな中、昨日私が保管庫を摘発する旨を伝えました。さて、この場合犯人ならどんな行動に移るでしょうか」

 と、これには光沢が答えた。

「凶器の拳銃を摘発の際に保管庫に放り込んで、あたかも保管庫から発見されたように見せかけますね。そうすれば、犯人は凶器を所持していた共犯者という事になり、捜査はそこで終了します」

「その通りです。凶器の拳銃は所沢殺害の重要証拠物件。つまり、これをもっていた人間がそのまま犯人となります。まして、共犯者しか入れない保管庫の中からその凶器が見つかればもう決定的でしょう。多少アリバイがあろうとも、後は勝手に警察が辻褄合わせをしてくれるという寸法です。しかもその共犯者は猿島さんを殺害し、所沢の遺体に細工までしています。これで所沢殺害を否認してもまず警察は信じません」

「だが、線条痕を調べられたら金浦の事件の凶器である事がわかってしまう。そうなったらすべては台無しになるが」

 三崎が軽く反論するが、一里塚は首を振る。

「この段階ではこの二つの事件はつながっておらず、なおかつ合同捜査しているとはいえ別の県警同士。所沢の事件の凶器が拳銃とわかっても、そもそも使われた拳銃は違うという認識です。捜査過程で線条痕を調べても、それを金浦の事件の弾丸と比べるという事は普通しません。つまり、『金浦の事件の凶器』としての拳銃は、『所沢の事件の凶器』としての拳銃として山口県警が処分してくれるというわけです。さすがに射殺事件の拳銃から血痕が見つかったら照会が行われるかもしれませんが、その逆はないという考えです」

 そこで、一里塚は平中を見据えた。

「さて、私の言いたい事はわかると思います」

「……」

「所沢の共犯者に罪を着せるには、保管庫摘発の際に拳銃を放り込む必要があります。となると、当然この場に持ってきているはずです。決定的な証拠となる、凶器の拳銃を」

 平中の表情は固まったままだ。いつしか体の震えも収まり、顔も無表情になっている。一里塚はそんな様子を見ながらも言葉を続けた。

「当然、あなたがこんな悪知恵を働かせる事なく素直に拳銃を海に捨ててしまった可能性もなくはありません。ですが、私はあなたが今ここに拳銃を持ち込んでいる可能性に賭けます。この事件の犯人は不安を放置しておくタイプではありません。不安を放置できないからこそ、不安要素である金浦と暴力団を消し、自分を脅してきた所沢を殺害したのですから。そんな犯人なら、必ずこの場に拳銃を持ち込み、最後の仕込みを狙っているはずです」

 そして、一里塚は最後の言葉を叩きつける。

「これが最後です。平中さん、この場で身体検査をさせて頂きます。私の予想が正しいなら、金浦殺害の線条痕が一致する所沢の血痕つきの拳銃が、あなたの所持品から見つかるはずです。それが発見されたのなら、それでこの事件はすべて解決します。いかがですか?」

 一里塚の推理は終わった。一里塚の言葉に対し、平中は微動だにしないまま地面の方をうつむいている。誰もが緊張の面持ちで平中の方を見ていた。

「ふっ……」

 が、突然平中はそう呟くと、ゆっくりとポケットの中に手を突っ込み、ゆっくりと何かを取り出した。

「はは、完璧な計画だったんですけどね」

 そして、そのまま無造作にその物体……小ぶりの拳銃を一里塚向けてまっすぐに突きつけた。他の人間から小さな悲鳴が上がる。

「賭けはあなたの勝ちですよ。でも、私も負けるつもりはありません」

 平中のその言葉に対しても、当の一里塚は特に感情を浮かべる事なく冷静にその銃口を見つめていた。


「まったく、所沢を殺した時点ですでに誤算でしたけど、その遺体が目の前に流れてきたときは腰が抜けるかともいましたよ。それで合同捜査になってしまった事が運のつきですか。いや、本来ならあなたがこの事件にかかわってくる事もなかったはずですから、所沢を殺した時点で大失敗だったわけですか」

 平中は先程までのうろたえぶりが嘘のように落ち着いた声で告げた。が、その表情はどこか引きつっており、感情を押し殺しながら話しているのが嫌でもわかる。一方、一里塚は冷静さを保ったままでそれに答えた。

「犯行を認めるわけですね」

「この拳銃にまで行き着かれたら隠しようがありませんからね。でも、だからといって負けたつもりはありませんよ」

「全員殺すつもりですか?」

「あいにくそこまで残弾はありませんよ。警察関係者だけで充分でしょう。あなた方さえ死ねば、私一人でも逃げ切る事は可能ですから」

 そう言って、平中は安全装置を解除する。

「最終的な狙いはやはり金浦ですか」

「その通りです。いい金蔓だったんですけどね」

「所沢を殺したのは?」

「概ねあなたの推理通りですよ。拳銃を購入するに当たって身分は隠していましたが、あいつはそれを簡単に見破った。で、脅してきたから思わず。元から気に食わないやつでもありましたし。その後の事も、大体さっきの話通りです。しかし、正直呆れましたよ。あんな会話の一つ一つまで覚えられているとは、正直計算外でしたね」

「そうですか」

「一番の誤算はあなたの存在ですよ。まさか、こんな地方県警にあなたみたいな切れ者がいるとは想定外です」

「完璧にいく犯罪なんてそうそうありません。その点、あなたはうまくやっていましたよ。所沢殺害、それに続く細工された遺体の発見と、度重なる想定外にも対処し続けていましたから」

 一里塚は皮肉にも聞こえる言葉を発する。その言葉に対し、平中はこめかみを引きつらせた。

「これから殺されようとしているのに、随分余裕なんですね」

「さぁ、どうでしょうか。単なる虚勢かもしれませんよ」

 そう言いながらも、一里塚は両手を横に大きく広げる。まるで、撃てるものなら撃ってみろと言わんばかりの行動に、平中は引きつった顔のまま叫んだ。

「だったら、その余裕のまま死ね!」

 直後、境内に銃声が響き渡った。和岩たちは思わず耳をふさいで目を逸らす。

 だが、一里塚は倒れなかった。どころか、なぜか平中の手から拳銃が弾き飛ばされ、そのまま地面に落下した。

「な……」

 思わぬ事態に平中は絶句する。その直後だった。

「確保!」

 三崎が突然叫び、その言葉と共に境内の周りの森のあちこちから黒服の男たちが飛び出すと、一斉に平中へ向かって殺到した。凶器を弾き飛ばされた平中は、なすすべもなく男たちに押し倒される。

「こ、こいつらは……」

 地面に押し付けられながら呻く平中に、一里塚が手を下ろしながら告げる。

「あなたも少しは考えるべきでしたね。決定的な証拠が拳銃になる事がわかっていた時点で、私がそれに対する対策をしないとでも思ったんですか?」

 その言葉を引き継ぐように、三崎が平中の前に立って続ける。

「紹介しておこうか。俺ら福岡県警のSATチームの面々だ。福岡県警は全国でも数少ないSATを保有する県警だからな。犯人が拳銃を所持している可能性を考慮して、念のために出動してもらっていた」

「まさか、最初から神社の境内に……」

「ええ。ちなみに、さっき拳銃を弾き飛ばしたのもSATのスナイパーです。私が両手を広げた瞬間に狙撃するよう打ち合わせしてありました。しかしさすがは福岡県県警一の腕前の狙撃手ですね。犯人の持つ拳銃だけを撃ち落すなどという神業、初めて見ました」

 一里塚が事もなげに補足しながら、手袋をして証拠品の拳銃を拾い上げる。その瞬間、平中はすべてがこの男の手の上で踊らされていた事を悟ったようだった。

「すべて、最初から仕組んでいたんですか」

「そういう事です。どうやらこの勝負、あなたの負けという事で決着しそうですね」

「……畜生っ!」

 それが平中の発した最後の言葉だった。平中はそのままSATに引っ立てられ、手錠をかけられて連行されていく。

「さて、どうしたものかな。あいつは結局山口と福岡の双方で殺人をやらかしていたわけだが、取調べは合同捜査している下関署でやるとして、どっちの検察に送検する?」

「その辺りの調整は必要になるでしょうね。とはいえ、その話はまた後日という事でもいいでしょう」

 そう言うと、下関は憔悴しきった表情で佇んでいる龍神の前に立った。

「さて、あなたも連行しなければなりません。容疑は猿島さん殺害と銃器の密売。現状では逮捕状は出ていませんので任意同行という形になりますが、ご一緒していただけますよね? あの社の捜査をすれば、そんなものはいつでも出ますし」

 龍神は疲れ果てた表情で頷く。そんな龍神の肩を光沢が軽く叩き、そのまま連れて行く。

「皆さんも今日はお疲れ様でした。後日お話を伺う事になると思いますが、今日のところはこれで結構です」

 一里塚がそう言った瞬間、社務所や社を捜査しに来た山口・福岡両県警の捜査員たちが境内に入ってくる。それが、この長かった推理対決の本当の意味での終わりだった。


 現役海上保安官の逮捕という事態に海上保安庁はパニック状態になったが、だからといって今夜取引を行う『ブローカー』をこのまま取り逃がすわけにもいかない。というより、ここで『ブローカー』の逮捕に失敗すれば、もはや海上保安庁の面目は丸つぶれである。

 平中の逮捕で混乱する中、海上保安庁第七管区本部はその夜予定通り『ブローカー』の検挙に着手し、福岡沖の海上で取引を行っていた『ブローカー』に接触。激しい銃撃戦の末にグループ全員を一網打尽にし、何とか面目を保つ事に成功した。逮捕された『ブローカー』は事前の情報どおりアジア系の中年男性で、この逮捕で国内及び国外に存在した『ブローカー』絡みの密輸体系が壊滅状態に陥る事になる。

 とはいえ、面目を保ったとはいえ海上保安庁側もまったくお咎め無しというわけにはいかなかった。第七管区本部長と下関保安署の署長がそれ引退責任となり、国はその後海上保安庁の各支部に対する徹底的な内部監査を実行。その後実施された制度改革で、組織の新たな引き締めが行われる事となる。逮捕された平中は思いの他素直に罪を認めたものの、福岡と山口、どちらの検察に送致するかでしばらくもめる事となった。

 一方、龍神の社務所や社は徹底的に捜査がなされ、まず社務所の中から切り取られた耳を発見。その後、社を徹底捜査した結果、剣と鏡が飾られていた棚の下から地下に通じる隠し扉が見つかり、その扉の中に和岩の倉庫とは比べ物にならないほど大量の銃器が摘発された。その分量たるや、山口県警組織犯罪対策部の年間銃器摘発ノルマを軽く超えるほどだったという。また、社の剣からも一里塚の予想通り猿島の血痕が見つかり、龍神は正式に猿島殺害、及び銃器密売の共犯容疑で逮捕された。こちらはスムーズに山口地検に送検され、まもなく山口地裁での公判が始まるという。


 事件解決の二週間後、一里塚は一人で薊漁港に来ていた。猿島の貸しボート小屋に入ると、中には和岩と荏原が椅子に座っていて何かを相談しているようだった。

「これは刑事さん、どうしてここに?」

 和岩が驚いたように尋ねる。

「妙子さんに聞いたら、あなた方二人がここにいると聞いたもので」

 一里塚はそう言って中に入った。すでに荷物などはあらかた片付けられており、大量のダンボールがあちこちに置かれている。

「この小屋、閉めるんですね」

「ええ。妙子さんも継ぐ気はないようで。我々はその手伝いです。神社もなくなってしまいましたし、集落全体が何となく静かな感じですよ」

 荏原が努めて陽気に言う。銃器の保管庫となっていた薊神社は現在も封鎖状態で、入口には立入禁止のテープがかかったままだ。重要文化財級とされた剣も凶器ということで警察に押収され、鏡はその後山口県の博物館が買収。ご神体とされたそれらの物品がなくなったこともあり、神社そのものが廃される可能性が濃厚になりつつあった。当然祭りも中止され、今後も開かれる予定はないという。

「どうも妙子さん、この集落から出て行くみたいです。彼女だけじゃありません。事件の影響で、半数以上は集落を出て行きました」

 荏原が寂しそうに言う。と、和岩も頭をかきながら続けた。

「工場もかなり経営が苦しくなっていましてね。まぁ、何とか今のところは持たせられていますが、この先どうなるか。ただ、工場がつぶれたら漁業で成り立っているこの集落は終わってしまうので、私も頑張らないといけないんですけどね。あぁ、さすがにセキュリティはちゃんと整備しましたよ。もっとも、あの倉庫は裁判が終わるまで取り壊さないでくれといわれているので、今でもそのままですが」

「そうですか……」

「それで、今日は何か?」

 荏原の問いに、一里塚は小さく微笑むとこう言った。

「いえ、今日は関係者の方々がその後どうしておられるかを確認しに来ただけでして。それと、関係者の方からその後のことで何か質問があればお答えしようかと」

「へぇ、今の警察はそこまでするんですか?」

「まさか。これは私が勝手にやっている事です。事件を解決してそれで終わりというのは、私のポリシーに反しますから。今までも、事件が解決した後で必ず関係者の方の話を聞かせてもらっています。私なりのアフターケアだとでも思ってください」

「……前から思っていましたけど、変わった刑事さんですね」

「よく言われます」

 荏原の言葉に、一里塚は苦笑しながら答えた。

「じゃあ、遠慮なく聞きますけど、龍神さん、どのくらいの罪になるんですか?」

「殺人と銃器の密売に関与していますからね。懲役十五年を超えるのは間違いないと思います。ただ、年齢が年齢ですから、おそらく……」

「死ぬまで刑務所、ですか」

 一里塚はあえて答えなかったが、二人にはそれで伝わったようだ。

「社を武器の保管庫にした挙句に、宝物で殺人をやっちゃいましたからね。神様の罰が当たったという事になるんでしょうか」

「罰というなら、密売人の方もそうだろう。死んだ後で龍神さんに遺体をいじられて海に流されたんだから。神社をないがしろにした罰が当たったんだよ」

 荏原と和岩は感想を述べる。

「もう一人の海上保安官の人はどうなるんですか?」

「私利私欲の目的で二人の人間を殺していますからね。死刑になるかどうかは微妙ですが、重罪になるのは間違いないでしょう。それに……」

「それに?」

「……ここだけの話、平中にはめられて一斉摘発の憂き目に遭った上に殺人の罪まで着せられそうになった福岡の暴力団の残党の動きが活発化していて、警察もその扱いに慎重になっています。暴力団の活動範囲である福岡では公判が危険ということで、どうも山口での公判に落ち着きそうな流れですね。本人も無期懲役を望んでいるようですよ。下手に釈放されると、報復される恐れがありますから」

「本人は事件を起こす前にそうなる可能性を考えていなかったんですか?」

「絶対にばれないという自信があったんでしょう。だからこそ犯罪を起こす気になったんでしょうが」

 そう言うと、一里塚は急に遠い目になった。

「実は、私、あれ以来ずっと考えている事があるんです」

「何ですか?」

「『耳無し芳一』の姿に細工された所沢の遺体を平中が見つけた一件です。まぁ、現実的に見るならこれはどう考えても偶然なんですが、私にはどうも偶然には思えなくて。何というか、まんまと罪を逃れる算段を計画してほくそ笑んでいた平中を絶対に許してはならないという、眼に見えない力が働いていたようで。それこそ『耳無し芳一』を欲した壇ノ浦に眠る平家の怨霊か何かの仕業ではないかと……」

「……」

 その場にいた全員が押し黙った。

「……すみません、こんな話をして。ただ、この遺体の発見に関してはどうにもそんな感じがして仕方がないんです。もっとも、これは推理ではなく単なる私の感覚に過ぎませんが」

「いえ。でも、刑事さんもそんなオカルトめいた考えをするんですね」

 荏原の言葉に、一里塚は小さく笑った。

「刑事だからこそ、かもしれません。常に現実的な事件解決を求められる刑事だからこそ、こういう出来事に関しては敏感になってしまう。そんなものなのかもしれません」

 そう言うと、一里塚は頭を下げた。

「色々すみませんでした。では、今日はこの辺で。またお会いできればいいですね」

「こっちは二度と刑事さんのお世話にはなりたくありませんよ。ただ、個人としてはぜひともお会いしたいです」

「ぜひともまたこの集落に来てください。それまでに、工場を今以上に盛り上げてみせますよ」

 そんな言葉に送られて、一里塚は小屋を出る。目の前に広がる港の奥に広がる大海原を眺め、一里塚はしばらく何ともいえない気分に浸っていた。

 だが、いつまでもそんな気分は続かない。不意に、一里塚の携帯が鳴った。

「はい、一里塚です」

『光沢です。たった今、宇部市で殺人事件が発生したとの通報がありました。本部から出動命令が出ています』

「わかりました。すぐ向かいます」

 一里塚はそう言って携帯を切ると、薊集落を後にした。その背後から聞こえる波の音が、どこか琵琶法師の奏でる琵琶の音に聞こえたような一瞬したが、一里塚の頭の中はすでにこれから担当する事件の事でいっぱいになっているようだった。

***Thank You for Reading.

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