運河の都1
初夏の降臨祭──オーギュストと天使にまつわる事件から、四ヶ月が経った。
季節は移り変わり、木々の色合いも生命力に溢れる緑から柔らかな赤や黄色へと変化していた。
アウレリア公爵家の居住空間も、少し暖かい土地にある〈秋の宮殿〉に移っている。
この宮殿はイチョウ等の黄色く紅葉する樹木に囲まれていてさながら黄金の森の中の宮殿だ。
私の部屋のベランダからはその黄金の森を一望することができ、黄色い絨毯のようにも見えた。
私は侍女から受け取った二通の封筒を手に、ベランダに置かれた椅子に腰掛けた。
すると、テーブルクロスの下からティルナノグが顔を出す。
『手紙か?』
「ええ、〈春の宮殿〉の方に届いてたみたい。クラウスとオーギュストから」
『黒髪の侏儒と金髪の王子だな。何と書いてある?』
「ちょっと待っててね……」
私はクラウスからの手紙を開いてみた。
あまりのシンプルさに一瞬絶句してから、読み上げる。
「……息災か。俺がイクテュエスに戻るまで何者にも負けるな。
俺は一層強くなった。お前と再び会える日が待ち遠しい……」
『今度こそ果たし状だな』
「やっぱり、果たし状みたいよね」
困ったことに、相変わらず彼は私をライバルの座に据えたいようだ。
今も南方でエドアルトお兄様と一緒に行動しているから、少しは感化されたり鍛え直されたりしているのかなと期待していたんだけれど。
むしろ、お兄様に何度も挑んでは敗北し続けていたりして、それが原因だったりしないだろうか。
まずは妹である私に勝ってから本命に挑もうという発想?
頭の普段使わない部分を働かせていたせいで、眠気が忍び寄ってきた。
精神的圧迫を抱え込むのはよくないね。
クラウスからの手紙を見なかったことにし、気を取り直してオーギュストからの手紙を開く。
南方らしい鮮やかな花を使った押し花が一輪。
そして便箋からは、その花の香水がほのかに香っている。
「親愛なるエーリカへ。
この手紙が届く頃には、アウレリアはすっかり秋だろうな。
イグニシアの夏の名残をお届けするぜ。
お前がお気に召してくれると嬉しい」
『ほう、金髪の王子の方はなかなか気が利いているな』
「こちらは相変わらずの忙しい日々を過ごしているよ。
王子業が立て込んでいて、なかなか羽根が伸ばせないのが辛いところだ。
そうそう、その一環として、近々ノットリードで行われる進水式に出席することになった。
アウレリア公爵家も参加すると聞いている。
久しぶりにお前と会えるのを、今からとても楽しみにしている」
『進水式……ああ、例の計画の場所だな』
私はティルナノグの相槌に頷き返した。
交易都市ノットリードで行われる進水式で、私達は次の死亡フラグを回避する計画を立てているのである。
「もうすぐ私の竜が卵から孵りそうだ。
運が良ければ、進水式の折りに紹介できるだろう。
その時は是非仲良くしてあげて欲しい。
神の恩寵がお前とともにありますように……ですって」
『朗報だな』
「ええ、パリューグにも教えてあげなきゃね」
『そう言えば、やけに静かだと思ったら……肝心の猫は何処にいるんだ』
ティルナノグは手すりに登ってキョロキョロと庭園を見回す。
私も立ち上がってパリューグの姿を探した。
庭を見下ろすと、一人の侍女が庭掃除の手を止め、こちらに向かって手を振っていた。
色素の濃い肌の色に、肩くらいまで伸ばした銀色の髪。
どこかオーギュストに似た顔立ちをした少女だ。
(ん……少女? 待てよ、本当に女の子なの……?)
性別不詳の侍女は軽く助走すると、ひらりと跳び上がって私達のいるベランダの手すりに着地する。
あれ? ここ、三階なんですけど!?
「!?」
『猫よ。エーリカが驚いているだろう。見慣れない姿で突拍子もないことをするな』
「あらあら、ごめんなさいね。力が戻ってきたのが嬉しくて、つい」
その侍女はスカートをつまんでお辞儀をし、ぺろりと舌を出す。
すると、髪の間からは猫の耳が、スカートの裾からは猫の尻尾が飛び出した。
パリューグの変身した姿だったらしい。
「びっくりした……今度は誰に化けてるの? 顔立ちからすると、イグニシア王家の人?」
「我が王ギヨームの幼い頃の姿よ。可愛いでしょ」
そう言って、パリューグは軽く握った両手を顔の両側に掲げ、猫っぽいポーズをとった。
あ、よく見ると、オーギュストと違って瞳の色は空色なんだね。
「ギヨームって、オーギュストのご先祖さまでイグニシアの始祖王よね?
そんな偉大な人の姿で女装していいの?」
『死後数百年も経って飼い猫に冒涜されるとは……不憫な男だな……』
「えー。何その反応。こんなに可愛いのにー」
「可愛いけど、やめて差し上げて」
始祖王の似姿での女装を許してしまったとあっては、イグニシアの人々に申し訳がない。
色合いを変えるとオーギュストに瓜二つだから、罪悪感も倍増だ。
オーギュストからの手紙を盾に再度変身の解除を要求すると、パリューグは渋々といった表情で頷く。
パリューグがくるりと一回転する。
瞬きする間に彼女の姿は変化し、いつものゴージャス美女の姿になっていた。
着ている服も侍女っぽい服から南方風のドレスに変化している。
血液を摂取したことのある相手の姿と声を真似る、というのがパリューグの本来の能力なのだそうだ。
本人の話によると、天使になる以前の彼女は変身能力を持っただけの猫の幻獣だったらしい。
それがイグニシアの唯一神に取り込まれたことで、熱や光の特性を得たのだとか。
休息と一日一滴ずつの私の血液の摂取で、徐々にパリューグの力が戻ってきている。
今のところは天使としての戦闘能力よりも、彼女の本質に近い変身能力の方が回復が早いようである。
「あらあら、オーギュストったら、他人宛の恋文なのに、妾までときめいてしまうわー」
「恋文とは違うんじゃないかな。普通に友達への近況報告だと思うよ」
後々のことを考えて、念を押して否定しておくことにした。
あんまり誤解するのも可哀想なので、ほどほどにしてあげて欲しいものである。
「えええ! とうとう卵が孵化するのね?!
お祝いしなきゃ! 守護天使として国をあげてのお祭りを要求するわ!」
『猫よ……都合のいい時だけ天使に戻るのはどうなのだ……』
パリューグは手紙を抱きしめ、くるくる回って踊っている。
私達の言葉など耳に入っていない様子だ。
竜の孵化はオーギュストやパリューグの長年の願いだったのだから、無理もない。
『猫よ。浮かれるのは構わないが、少しは例の芸が上手くなったのだろうな?
役立たずのタダ飯喰らいは連れて行く訳には行かぬぞ』
ティルナノグが挑発するように言うと、パリューグはぴたりと止まって真剣な顔になる。
「言ってくれるわね。妾はどこぞの竜型の重石よりは、よっぽど有能なつもりよ?」
『はて、先日は口ばかりだったからな』
「いいわよ。練習の成果を見せてあげる!」
パリューグは再びくるりと回って変身した。
ふわりと巻いた黄金の髪に、翠玉のような碧の瞳。
紺色のシンプルなドレスを纏った、八歳くらいの少女。
それはまさに、この私、エーリカ・アウレリアそのものの姿だった。
ただし、猫耳と尻尾を除いて。
『猫よ……化物が丸出しだぞ……』
「困ったわ……計画を変更しなきゃ……」
「何よー。ちょっとした冗談じゃない」
パリューグが手をかざすと、猫耳や尻尾が消えてなくなった。
今度こそ完全に瓜二つだ。
「すごいわ、パリューグ。これなら入れ替わっても大丈夫ね」
『いいや、まだまだ甘いな。
目がギラギラしすぎていて、表情が獣のままだ。
赤の他人ならばともかく、父親や兄までは騙せんぞ』
「ふふふ。今日の妾はひと味違うわよ。これならどうかしら?」
私に化けたパリューグの顔から、すっと表情が抜け落ちた。
口元は薄く笑みを浮かべているのに、全く楽しそうに見えない。
目から感情が読み取れなくなり、どこか作り物めいた雰囲気に変わる。
派手で意地悪そうな女の子というよりは、呪殺攻撃が得意な魔人っぽい感じ。
『おおおお!!』
「……これで、そっくりよね?」
『うむ、声色も完璧だ。これなら俺でさえ騙せるやもしれぬぞ』
「くすくすくす。地道な観察の賜物よ」
私の姿をしたパリューグが静かに微笑む。
え、なんだか怖い。
「あれ? 私って、客観的に見るとこんなに怖いの?」
『怖くはないぞ。俺はお前の落ち着いた慎ましやかな感じが好きだ』
「感情表現が薄めよね。でもお人形さんみたいで可愛いと思うわ」
お化け達の感性をどこまで信じていいのか、少し悩んでしまう。
もう少し年相応に明るく見えるように努力しよう。
「この変身の完成度なら大丈夫そうね。次の破滅の神託への対処が間に合いそうだわ」
私が切り出すと、二人の幻獣も不敵な笑みを浮かべて頷き返す。
「次の攻略対象の名前はハロルド・ニーベルハイム。
運河の都ノットリードに隣接するニーベルハイムの領主、ニーベルハイム伯爵の一人息子よ」