運河の都2
秋の万霊節に沸き立つ魔法学園都市リーンデースで、名家の子女たちの神隠し事件が発生する。
喧噪の中、河岸に流れ着いた死体は神隠しに遭った生徒の一人、エーリカ・アウレリアだった。
ヒロインのクロエは赤毛の同級生ハロルドと事件の真相に迫っていく。
これがサードシナリオ「万霊節神隠し事件」の大まかな流れである。
さて、攻略対象のハロルド・ニーベルハイムとは、どんな人間か?
ポニーテールにした燃えるような赤い髪、深緑の瞳。
攻略対象の中でも一、二を争うほどの長身。
牙のようにも見える八重歯と右頬の傷痕が、見る者にワイルドな印象を与える。
冷笑的で世間に対して斜に構えた雰囲気を持つアウトロー。
ハロルドは平民の奨学生枠、王の学徒として入学してくる。
しかし、本来ならば彼はニーベルハイム伯爵の跡継ぎとなる貴公子だったはずなのだ。
この辺りは公爵令嬢でありながら王の学徒として入学するクロエとの共通項である。
秘密主義のハロルドに対して、クロエにとっての数少ない接点にもなる。
ハロルドは西方の貴族の中でも〈来航者の一族〉の血が薄い。
彼は〈来航者の一族〉がこの地に辿り着く以前に西北の山岳地帯を支配していた先住民族の末裔なのだ。
彼ら先住民族は〈来航者の一族〉と融和しつつも独自性を失わず、現在でも文化や血統を保持している。
大陸の西北部に金髪よりも赤髪が多いのは、このためだ。
四王家ほどではないものの、古い名家の御曹司として生を受けたハロルド。
本来ならば安定した人生を送るはずだった彼の運命は、ある日を境に一変する。
発端は彼の父であるニーベルハイム伯爵が銀鉱脈にまつわる詐欺に遭ってしまったことだ。
その直後、追い討ちをかけるがごとく、他の領地から出回った上質な銀によって銀相場が異常な変動を起こす。
この二つの事件によって、ニーベルハイム領の主産業である銀器生産は大打撃を受ける。
何とか破滅を食い止めようと奔走するもむなしく、ニーベルハイム伯爵家は破産。
ニーベルハイム伯爵は統治できなくなった領地とともに爵位を返上。
この件における心身の疲労が祟り、ハロルドの父は失意のうちに病死してしまう。
没落し、身よりもなくなったハロルドは、苦学の末に特待生としてリーンデースに入学する。
私の前世でのプレイ知識を利用できるのはここまでだ。
前世の私はサードシナリオの攻略中に殺されてしまったため、私は事件の真相を知らない。
ハロルドにまつわる何が私を殺す原因になるのか?
今まで通りならば、没落後のハロルドが何らかの怪物を解き放つのだろう。
で、それに最初に殺害されるのが私なんだろうね。
何にせよ、溺死はものすごく苦しそうなので避けたいところである。
秋の冷たい川の水をたっぷり飲んで川辺に浮かぶなんてあんまりだ。
それはさておき。
ニーベルハイム伯爵領は北のルーカンラントと境界を接する土地だ。
アウレリア公爵領からは遠く、常に詐欺に対して目を光らせているのは難しい。
しかし、攻略対象に直接働きかけることだけが死亡フラグの回避ではない。
進水式が行われる交易都市ノットリードは、そのニーベルハイム領に隣接しているのである。
死亡フラグを折る好機だ。
この機会に、ノットリードにいる間に詐欺の情報を集め、ニーベルハイム家の没落を防ぐ。
あわよくば詐欺師を捕まえてしまおうというのが、今回の主な計画なのである。
もちろん私の直接の死因になる可能性の高い周辺の幻獣もチェックするつもりだ。
☆
灰色の空の下。
真っ白い帆が吹き荒れる強風を孕んで広がる。
私にとっては初めての船旅なので、不謹慎ながらもすこしだけ胸が高鳴ってしまった。
暗緑色の海面に白い航跡を描きながら、アウレリア公爵家の所有する大型商船は西北海路をノットリードへと北上していた。
この航路は、ノットリードの開港以来使われ続けている歴史の古い航路だそうだ。
出航から到着までの所要日数は約十日。
ノットリード近海に存在する大蛸の群れの生息する海域を迂回するため、少々日数がかかる。
それでも外洋を経由して大きく迂回するルートは安全志向の貿易商たちに好まれてきたのである。
私は猫や小型ゴーレムに偽装した幻獣達と甲板を歩いていた。
ここなら風波の唸りや船体の軋む音、水夫たちの掛け声で、相当近づかなければ会話を聞かれることはない。
そう考えて、内緒話のために敢えてオープンな場所に出てみたわけである。
「つまり、ニーベルハイム伯爵家が詐欺に遭わないように、それがダメなら没落しないように。
最悪の場合でもハロルドが幻獣に接触しないようにすればいいのよ」
『エーリカよ、前回も似たように雑な作戦を立てていた気がするぞ』
痛いところを指摘されてしまった。
確かに私は少々雑な上に、楽観的すぎるところがある。
「手遅れにならないように、今回は早い段階から幻獣対策をするから、きっと大丈夫だわ」
『うむ。それがいいだろう。
西北の土地の伝承に詳しい案内役がいないのが不安なところだな』
〈伝令の島〉ではオーギュストのお陰で楽をさせてもらった。
ノットリードには知り合いがいないため、そう上手くは行かないだろう。
ならば、自分達で調査するしかない。
「手分けして地道に文献調査と実地調査をやっていくしかないわよね」
「そうすると、やっぱりフットワークの軽い妾が実地調査を担当するべきね」
「ごめんね、パリューグ。身代わりまでお願いしてるのに」
病み上がりのパリューグにかなり厳しい業務をお願いする事になりそうだ。
昼は私の身代わりで、夜は周辺地区の調査とかブラックすぎる。
「気にしないで。御主人様のお役に立つのが妾の生き甲斐なのだから。
それに、妾の方も調べたいことがあるから、自由に動き回れるのは却って助かるのよね」
『例のイグニシアの祭壇とやらの件だな』
イグニシア祭式の祭壇は近隣の唯一神の信者から、信仰心に由来する魔力を集めている。
集められた魔力は、天使に変質した幻獣達専用の力に変換され、分配される。
概ねそんな感じのシステムになっているのだそうだ。
その祭壇から得られる信仰の力は、ここ数十年で徐々に減少してしまっていたのだという。
パリューグが〈伝令の島〉にいた頃、彼女は人々の信仰心が唯一神や天使から離れてしまったのが原因だろうと推測していた。
各地に派遣された他の天使との連絡も途絶えていたので確認する方法もない。
孤独と不安の中で、もはや自分は忘れられていく存在なのだろうと思い込んでいた。
しかし、実際にはそうではなかった。
唯一神や天使への信仰は、今でもバリバリに現役なのだから。
「イグニシア周辺では信仰のあからさまな衰えもなく、祭壇も充分に手入れされていたわ。
ここ数ヶ月で確認した範囲内では、〈春の宮殿〉や〈秋の宮殿〉周辺にも問題は無い。
そうすると遠隔地にある重要な祭壇が破棄されている可能性があるのよ」
「宗主国であるイグニシアの宗教の祭壇を破棄って……もし本当なら、政治的にも問題ありそうね」
「まあ、今はあなたからもらっている力で存在が安定しているから、緊急というわけではないわよ。
滞在中の片手間にでも調査できれば、妾としては充分かしら」
私はパリューグの意見に頷いた。
無理をする意図がないのであれば、反対する理由はない。
自由時間があればパリューグの気晴らしにもなるだろうし。
さて、話を戻そう。
私は改めてノットリードでの行動予定の重要ポイントをまとめる。
「優先度の高い行動目標は二つ。
一つは詐欺師を探し出し、ニーベルハイム伯爵家の没落を阻止すること。
もう一つは、西北部の幻獣について調査し、可能なら敵対しないよう交渉すること」
「もしも幻獣と敵対したら?」
「まずは私達と合流。力づくで要求を通す方針ね」
『俺達の出番……と言いたいが、俺達が弱体化している今、相手の正体次第では不安だな。
持っていた杖はだいぶ破損したり使い切ったりしてしまったが、大丈夫か?』
確かに、ティルナノグやパリューグで足りない分は、私が短杖でカバーする必要があるだろう。
とは言え〈来航者の遺跡〉と〈伝令の島〉の二連戦でだいぶ物資が目減りしている。
その件についても、一応は対策を考えていた。
「ノットリードの街で短杖の充填や素材の買い付けを行う予定よ。
何でも、あそこには腕のいい杖職人がいるそうなの」
実は、錬金術関係の買い物は密かな楽しみでもあったりする。
予めリサーチしておいた情報によると、かなり品揃えのいい街らしいのだ。
不意にぴくりとヒゲを震わせ、パリューグが海の果てに顔を向ける。
ティルナノグも船べりに登ると、同じ方向を見つめた。
「あ、そろそろ見えてくるんじゃない? 人と金属の匂いがするわ」
『確かに、風に乗って人の営みの匂いが流れてくるな。慣れ親しんだ、錬金術の香りだ』
「潮の香りしかしないわ……」
流石は幻獣だけあって、二人とも恐ろしい嗅覚だ。
二人が視線を向けた方を見ていると、水平線から小さな影が顔を出した。
遠くから海鳥の鳴く声が響いてくる。
船が近づくにつれ影は大きくなり、次第に陸地の形が鮮明に見えてくる。
網目のように広がった運河と、出入りする無数の商船や貨物船。
うっすらと街を覆う霧の向こうで、たくさんの灯台の火が明滅していた。
交易都市ノットリード。
広域河川ヴァルナリス河の河口の一つにある、イクテュエス大陸西岸では最も古い港。
合法的な品物ならばここで買えないものはないと言われる、物流の中心地である。




