オスヴァルト・ボルツの冒険3
翌日の放課後、俺とオスヴァルトは召喚魔法の補習を受けていた。
二人して試験に不合格だったわけだ。
補習の内容は指定された本の書き写し。
量は多いが、そんな大変じゃない。
ちなみに、なんで俺が召喚魔法を学ぼうかと思ったかというと、魔獣呼び出せたらカッコ良さそうだから。
オスヴァルトは召喚魔法自体より人工精霊の利用に興味があるらしい。
指定された範囲を八割ほど書き写した頃合いに、ふと昨日のヴェルナーの言葉が浮かんだ。
こくりこくりと居眠りし始めた先生の様子をちゃんと確認してから、俺はオスヴァルトに尋ねる。
「そういえば、あんた、アアルって知ってるか?」
「アアル……アアル……冥府か」
ペンを止めて、オスヴァルトが視線を少しだけ上に彷徨わせた。
オスヴァルトがいつもする、脳内の知識を引き出すときの表情を、俺は眺めて待つ。
「カルキノス大陸北東部の古語、死後の世界を意味する言葉で、葦生い茂る冥府という意味だよ」
「へえ、何も見ずにスラスラと出てくるもんだ」
俺はオスヴァルトの博学ぶりに感心する。
「ジェレミー、もしかして君の記憶の断片かい?」
「いいや、他人から聞いただけ。なんか気になってさ」
記憶のどこかに引っかかるような感覚はない。
──舌の上で転がした音の響きに快さを覚えたくらいだ。
「現在の南方大陸でも滅多に使われない言葉だけど、誰から聞いたの?」
「ヴェルナーが昨日なんか言ってた」
「それは少し不思議だ。特に古語に興味があるなんてタイプじゃないのに」
確かにヴェルナーの興味範囲に古語なんてない。
あと南方大陸のことなんてほぼ口にしたことはないはず、だ。
でもそれなら、どうして、そんな珍しい言葉をオスヴァルトは知っているんだろ。
「じゃあ、なんであんたは知ってるの?」
「興味のある分野で、こっそり調べているんだ。ねえジェレミー、笑わないで聞いてくれるかな」
「ああ、俺は笑わないよ」
オスヴァルトは少し恥ずかしそうな表情をした。
珍しい。
「僕はいつの日か狂王生存説を証明したいんだ。カルキノス大陸北東部はキャスケティアの始まりの地でね。まあ、そんな理由で文献を辞書片手に読んでいたら古語も多少理解できるようになってしまった」
「へ〜〜、スゴいな。いや、ちょっと待って、今なんて言った? 狂王生存説って言ったよな?」
うっかり流しそうになった。
絶賛記憶喪失中の俺だって、この世界情勢での狂王生存説のヤバさは理解している。
「物凄い禁忌じゃないのか?」
「そう、征服王により狂王は滅びたという前提で、今の連合王国は成り立っているし、もし彼が本当に生きていたら連合王国もギガンティアも大混乱になるだろうね」
吸血鬼に長期支配された地域の人間が狂王生存を知ったら、一部は絶対に荒れる。
というか特に祖国と周辺の小国が危うい。
疑心暗鬼の吸血鬼狩りから周辺少数民族への弾圧、中央の支配層への暗殺多発。
凶行に次ぐ凶行の負のループから大虐殺に至るまで目に見えるようだ。
「でもとある文献を読んで以来、僕の耳元で何かがささやき始めてしまった」
「うっ、うわあ……」
なるほど、これがアウレリアはどこかおかしいといわれる原因か。
自分のことを普通だと思ってるオスヴァルトでこれなら、他の平均的な錬金術師はどうなるんだよ。
「いきなりダメな人間を見るような目で見ないでおくれよ。いいよ、もう内緒で調べるから」
「拗ねるなよ、オスヴァルト。まあ別にいいんじゃない。あんたの好きにすればさ。その代わり証明を発表する場所とタイミングだけは選んでくれよ」
結局のところ、狂王の現存なんてどうやっても証明できはしない。
おそらく、どこまでいってもそれっぽいだけの仮説になるだけだ。
それこそ狂王本人が顕現しない限りは。
「どうせ与太話として処理されるだけだから、逆に全力で取り組めると思うんだよね」
オスヴァルトは笑顔を浮かべた。
本人がそう理解済みなら安心だ。
「実を言うと僕の人生の命題は二つあって、そのもう一つとの……おっと、先生が起きそうだよ。これくらいで切り上げようか」
「はいよ」
オスヴァルトは、笑顔のままで補習の課題に戻った。
俺が話しかける前に別の何かの調べ物をしていたらしく、オスヴァルトが書き写せていたのは六割程度。
進捗のためにも、今はもう話しかけない方が良さそうだな。
俺もまた、あと少しで終わる課題を進めていった。
☆
そうして俺は補習が終わって西寮へ戻った。
補習で気力と時間が削れて、今日は図書館に行く気力がなかったのである。
寮の食堂で食事をとってから、自室に帰ろうとするとオスヴァルトに声をかけられた。
「ジェレミー、付き合ってくれるかな。今からヴェルナーに会いたいんだ」
「ああ、いいよ。でもなんでさ?」
「今日ぜんぜん授業で見なかったことを思い出したんだ。具合が悪いならお見舞いしておきたい」
「そっか」
昨日、魔法図書館で会った時、なんか具合悪そうだったもんな。
元々、あまり体が強くないらしいし。
ヴェルナーの部屋に俺たちは向かった。
まあ、自室の隣の隣くらいの距離感なので大した差はない。
オスヴァルトが軽いノックをした。
返事はない。
「遅くに悪いね、ヴェルナー。大丈夫かい?」
だが何度ノックしても返事がない。
ドアノブに手をかけてみる。鍵は掛かっていない。
オスヴァルトと顔を見合わせる。
「まさか、例の病気がぶり返して、部屋で倒れてる?」
「一応確かめとこうぜ」
ドアを開ける。
暗い部屋を見回すと、窓が開いてカーテンが少しはためいていた。
明かりを灯して寝台や浴室を見回っても、どこにもヴェルナーの姿はなかった。
カーテンが大きくはためいた。
胸が騒ぐ。
まさか誰かに拐われて、窓から連れ出されたなんて、ないよな。
まさか俺を殺すために南からやってきた刺客が対象を間違って、とかじゃないよな。
「ちょっと待って、机に書き置きみたいなのがある。……幻獣博物館にて待つ。二十時に来い、だって」
オスヴァルトは紙片を俺に向けた。
筆跡はヴェルナーのものではない、古めかしく美しい書体だ。
「幻獣博物館って俺がまだ行ったことのないとこだっけ?」
学園内にあるらしいが俺は一回も行ったことのない場所だ。
この学園についてから、オスヴァルトがいろんな場所を一通り案内してくれたけど、そこには行ってない。
「ああ、今は館全体を修復中でね。中にある剥製などの大事な物は全部移動されて空っぽになっているよ」
確かに、それじゃ行っても何も見られなくて意味ないな。
でも何事かするには空っぽの工事中の建物って都合良さそうすぎる。
「この紙片の言葉に従ってヴェルナーは、博物館に向かったのかな?」
「だろうな。今何時よ?」
俺が尋ねると、オスヴァルトが腕につけた時計で確認する。
「十分ほど過ぎたくらいかな」
ニアミスか。
まさかあのヴェルナーがこの窓から飛び出て博物館には行かないだろ。
「すれ違ったな。追うか? 今から追いつくかもしれないぜ」
「賛成。僕は他人のプライベートにはあまり踏み込みたくないんだけど、ちょっと心配だ」
「ヴェルナーは嫌味っぽい奴だけど、何かあったら後味悪いしな」
「……無事だといいんだけどね」
オスヴァルトはため息をついた。
俺も心からそう思う。
ヴェルナーの部屋から出ると、オスヴァルトは自室に戻って革鞄を持ってきた。
何本かの短杖のはまったホルダーと手袋を俺に渡してきたので、しぶしぶ装着する。
「よし、今日も準備万全。今日も完璧」
「はいはい、とっとと行こうか」
そして俺たちは夜の幻獣博物館へと向かったのだった。