オスヴァルト・ボルツの冒険2
「いやいやいや、そんな無理通るんですか、オスヴァルト先輩」
「無理じゃないでしょ。遭難者を秘密裏に殺すのは、ぜんぜん普通じゃないよ。非常に残酷なことだよ」
オスヴァルトは懸命に訴えていた。
相手は赤っぽい金髪の男だ。
名前はヴェルナー・シュベーフェルだったかな。
イクテュエスの西の方に領地を持つ錬金術師系貴族で、俺より後にこの学園に入学してきた奴だ。
俺より年下のはず。
「僕とウトファル修道会、どちらが人道的だと思う? どちらが普通だと思う?」
オスヴァルトは淡々と、食堂のテーブルの向こう側に座るヴェルナーに問う。
あの時のオスヴァルトの行為は逸脱しているが、緊急時の人助けと考えればおかしいことはない。
「そりゃそうですけど。くそっ、比較対象のルーカンラント人が平気で違法行為するからまともな比較にならない!」
「やめたまえよ、級友たちの同胞をそんなふうに言うのはさ。今回の問題はウトファルという組織の体質だし」
悪態をついたヴェルナーをオスヴァルトが嗜める。
ルーカンラントって国は、魔法や錬金術や呪術を「邪悪」と一纏めにして嫌う人たちが多い。
──人は踏みにじられた過去を、完全に忘れられない。それが何百年前だろうと、思考に痕跡が残る。
魔法使いの国との戦争や吸血鬼から受けた隷属の時代があるなら、仕方ないだろうよ。
「ところで今日の焼き菓子は非常に美味しいよ、君もどうだい?」
オスヴァルトはヴェルナーの皿に糖蜜がたっぷりかかった焼き菓子を載せるついでに、俺の皿にも置いた。
「ありがとな」
齧るとシナモンの香りが広がった。甘く濃いクリームが美味しい。
生地を噛み締めるとじゅわっと染み出す糖蜜をこぼさないように啜るように齧る。
「美味い」
「ジェレミーもそう言ってるし、ほらヴェルナーも甘いもので少しは落ち着いて」
「……こんな危険人物がなんで寮の食堂のテーブルに当然のように座ってるんすか」
ヴェルナーは湿った目つきで俺を睨んできた。
失礼なことを言われている気がするが、嫌な気分にはならなかった。
「ま、オスヴァルトのおかげだろうな。な?」
目配せすると、オスヴァルトはにこやかに微笑んだ。
「そう。学園の先生方は成績優秀・品行方正な僕を信じてくれたし、ジェレミーの身の上に同情的だったからだよ。逆に得体の知れない呪術師が国の管理から離れて生きてたら、そっちのほうが危険じゃあないかい?」
「確かに。でもオスヴァルト先輩の素行は最低だし、むしろ学園への寄付金でねじ伏せた、が正解では?」
眉間にシワを深く刻みながら、ヴェルナーは焼き菓子を齧った。
わずかに表情が緩む。
美味かったんだろうな。
「じゃあ、オスヴァルト先輩の話に一旦は納得したことにしてあげます」
「そう言ってもらえると助かるよ、ヴェルナー」
「はあ、せっかく病気が治って憧れの学園に入学できたと思ったのに」
ヴェルナーは死を宣告されるほどの重い病気だったらしいが、奇跡的な回復をして今ここにいるらしい。
可哀想な話だが、祖国から逃げ出した俺にだって、なんか可哀想な事情があったはずなんだよなあ。
「接点の多い学友がこんな奇人と不審人物のコンビだなんて、なんて僕は不幸なんでしょうね!」
「おお、危険人物から不審人物に格上げか。ありがとうだな」
「誤解だよ、僕はごくごく平凡な人間なのに」
俺とオスヴァルトの反応に、ヴェルナーは心底嫌そうな顔でため息をついた。
「……そうだ、話は少し変わりますが、オスヴァルト先輩、例の箱の中身って大丈夫なんです?」
「当然、無事だよ」
「誰かが先に開けていたら? ていうか、この人が開けて大事な中身売り払っていたらどうするんですか?」
ヴェルナーがフォークの先で俺を指し示す。
「ヴェルナー」
オスヴァルトが咎めた。
しかしそう思われても仕方ない身の上だしな。
「それは俺も思っていた。俺が強盗犯とか強盗殺人犯の可能性だな」
「ジェレミー、君って人も大概にユニークだね」
「でも、あり得ることだ。そりゃ俺だって自分のことはマトモな奴だって思いたいけど」
記憶がないなら違う可能性だって否定できない。
「いいや。それはないんだ。例の小箱は二重になっていてね、外箱を開くためには必ず猛毒針が刺さり、内箱を開くためには必ず呪毒針が刺さるようになっていて、人間なら外箱を開けたら死ぬし、大したことない吸血鬼なら内箱を開けたら灰になる……もし数百年生きてる奴らなら灰にはならないけど、呪詛性の毒の効果が残るって代物でね」
オスヴァルトがなんてことないような口調で、恐ろしいことを言った。
俺はそんな危ないものを握りしめてたわけか。
うっかり雑にこじ開けようとしてなくて本当に良かった。
「これを開けて無事な人間も吸血鬼もいない。逆説的にこれを持っていて生きているなら開けてないってことだよ」
「へえ、すごいな」
殺意の塊みたいな小箱のおかげで、俺の無罪が証明された。
なんだか拍子抜けしてしまうな。
「でもそんなのどうやって開けるんですか? 本当の持ち主だけが開けられる別のやり方とか?」
ヴェルナーの問いに、オスヴァルトがすこし意外そうな顔を浮かべて答える。
「ゴーレム。人間の手指の形と動作を正しくゴーレムに刻める錬金術師だったら簡単だ。西方出身ならこれが最初に思い浮かばないかい?」
「……言われてみれば、そうですね……」
錬金術師ならまっさきに思いつきそうなゴーレムを想定できなくてヴェルナーは気まずそうだ。
「そうか、ヴェルナーはまだゴーレム作れないんだっけ? いつから学習してる? 七十二文字刻めないの?」
無邪気かつ無慈悲にオスヴァルトはヴェルナーに問いを投げつけていく。
「現在、懸命に学習中ですよ」
「あはは、頑張ってね」
「……はい」
ヴェルナーは力なく肯く。
なんだ、こいつゴーレム作成苦手なのか。
「魔法使いの人らは七十二文字の仕様が汚いといって馬鹿にするけど、いろいろ出来る言語だから楽しいよ。例えば──」
気落ちしているヴェルナーにお構いなしに、オスヴァルトは俺のわからない内容を高速で話した。
ぜんぜん理解できないが、呪術と違って血筋に縛られない錬金術は羨ましく思えた。
刻めば動く。そのシンプルさ。
俺も少しはゴーレムが作れるようになってみたいな。
「まずはこれあたりお勧め。僕も僕の可愛い妹もこれで覚えたんだ。そうそう、模倣も大事だけど他人の書いた七十二文字を部分的に流用して雑に繋げるのはダメだよ。模倣の後に自分で一から組んでみよう」
オスヴァルトは、そっと薄い教本を渡す。
ヴェルナーはぐったりしながらそれを受け取った。
☆
毎日の授業が終わると、俺は魔法図書館に通うようになっていた。
目的は、記憶と知識の確認とすり合わせ。
本の記述と、自分の記憶にズレがあるかの確認だ。
都合がいいことに、この図書館には南方大陸の書物も多い。
北方大陸の価値観でなく、南方大陸の価値観で記述された本に、俺はだいぶ助けられている。
異なる思想が制限されてないだけで、こんなにも学習は捗るようになるもんなんだな。
「ジェレミー先輩」
俺が、「屍者技術の起源」という書物に手を伸ばしたタイミングで声がかかった。
声のする方向に目を向ける。
ヴェルナーだ。
「さきほどの無礼をお詫びします。まだ環境や状況の変化に適応できず人格の調整に難儀しておりまして」
「気にしなくていいって。俺も気にしてないし」
俺だって環境や状況に適応できてない。
学園内は想定外に穏やかで、とても長い戦争の最中とは思えなくて逆に居心地が悪い。
──思いやりや労わり、優しさ、そういうものが自分に向けられることに対する違和感。
だからむしろ、攻撃的な相手の方が落ち着くんだろうな。
「あなたの慈悲に感謝します」
深く頭を下げた後、ヴェルナーの視線が俺が手を伸ばしていた書物に移る。
わずかにヴェルナーの目が見開いた。
「屍者技術? そんなものを今更あなたが学ぶのですか?」
「ああ、まあ、うん。ちょっとだけ興味があって」
北方大陸の人間には、すこし物騒な本だから気になったんだろうか。
少し後ろめたい気持ちだ。
「僕はあなたがここの人間たちを騙して、ここに潜り込んだと思っていたのですが……」
「俺がカルキノスのスパイの可能性か。事故で記憶喪失状態になったと偽って北方大陸で諜報活動ってとこ?」
あり得そうでもあるが、記憶喪失は本当なんだよな。
「もしかして、あなたは、本当に何も覚えていない?」
「本当に」
ヴェルナーが限界まで目を丸くした。
「自分のことが俺の中に全然ないんだ。反対に国の歴史とか世間の事情はけっこう覚えてる」
「……冥府という言葉に聞き覚えは?」
「アアルか。全然ないな。北方大陸では有名な言葉だったりするの?」
まったく聞き覚えがないし、このリーンデースの生活中でも耳にしたことがない。
「思い出せないなら、忘れてくださって結構です」
低く小さな声で、ヴェルナーは返した。
ひどく焦燥しているように見える。
アアルって言葉が気になるが、こんな状態のヴェルナーから聞き出すのは悪いと思ったのでやめた。
「ジェレミー先輩、はやくあなた自身が何者であったか思い出せるといいですね。心から祈っていますよ。……失礼しました、では僕はここで少しだけ静かに過ごそうと思います」
「ああ、じゃあまたな」
ヴェルナーはそう言って踵を返して、よろめきながら、書架の影に解けるように消えていった。
実際ここは静かに書物から情報を吸収するのに最適な空間だ。
それから、俺は日課に戻った。
どんな片鱗でもいい。
自分に関係のある何かを探さなくては。
このまま安穏とした学園生活を楽しんではおけない。
──たくさんの誰かが、俺のために生きて死んだたくさんの誰かが、お前の命を正しく使えと囁いているような気がしてならない。
ああ、そうしてやっても良いよ。
でも、どう使うかはちゃんと思い出させてくれよ。
だから。
──まずは、手に入る全ての知識を、得られるだけため込まなければ。
そんな必死の思いで、俺は書物の頁をめくっていた。