オスヴァルト・ボルツの冒険1
「畢竟、僕は異端と言うわけさ」
俺の目の前に座っている顔のやたら整った男はそう言った。
子供っぽさを残す顔の雰囲気からすると歳の頃は十五・六歳あたりだろうけど、体は大きい。
窓から差し込む夕日をのせいで癖っ毛の金髪が、キラキラしてる。
「冒険心が薄く安全を好む人間が、西の人間には限りなく少なくてね」
オスヴァルト・ボルツと名乗った男は、肩を竦めて笑う。
「僕の家系も冒険や調査研究での事故で死んだ人間は片手で足らない。僕の両親も己の心に自由に生きて自由に死んでしまった。来航者の一族は全員が狂気じみた感性の人物という風評もある」
数百年前、北方大陸に漂着した船から現れた異民族の末裔たち──錬金術師は、南方大陸では狂気と共に語られる。
特に、自らの命の扱いの狂気じみた軽さ。
たくさんの馬鹿げた冒険の果てに巨万の富を築いた富豪の一族の物語は有名だ。
出どころは怪しいが、南方大陸では非人道的な実験についての噂も聞く。
「でも僕は違う。自分で言うのはどうかと思うけど普通で平凡で良識派の人間なんだ」
そう言って笑顔を浮かべると、目の前の男の怪しさが増してしまい、逆に可哀想に思えた。
おそろしく不器用なんだろうな。
「とはいえ記憶を失った君としては、目の前に不審な男がいるといった感想だろうね。君の顔に浮かぶ感情は懐疑だ」
俺は自分の頰肉を撫でた。
表情を動かしている実感がない。
──おかしいな、ずっと肉体に馴染みがない。
「こんな状態でどこの馬の骨ともいえない胡散臭い男の言うことを聞くのは耐えられないことだろう。僕が君の立場なら絶対無理だ」
そう言ってオスヴァルトは目をぐるりとして、あたりを見回した。
その視線に沿って俺も当たりを見回す。
簡素で清潔なベッドとカーテンが並ぶ部屋だ。
どこかの修道会の施療院か。
俺以外の患者も医療従事者もこの場にいないし、込み入った話をするのに都合いい状況だ。
「ではここでお互いの情報の公開と整理をして、今後のことを考えていくのはどうかな?」
「……」
俺は無言でうなずく。
よくしゃべる目の前の男のことを、まずはよく観察してみようと思った。
信じるかどうかはその後でいいや。
「今回は実に不幸だったと思うよ。おそらくは亡命──この泥沼めいた戦争中で、君はあの国からこちらに逃げる何らかの必要があった」
海域を争う長く断続的な戦争がもう数十年続いている。
そして祖国は現状劣勢であったとも、記憶している。
「不幸なことに何らかの事故──天候か整備不備か海域での戦闘に巻き込まれたか──で難破した船から、奇跡のようにたった一人だけ救い出された君は記憶を失って、今このハーファン南部の港町でウトファル修道会の施療院のベッドに横たわっているわけだ」
ハーファンは北方大陸で屈指の魔法大国にして誰もが羨む大穀倉地帯を抱えた豊かな地域。
ウトファルは金融周りで黒い噂のある北方修道会であり、多くの修道騎士を抱える武装集団だったかな。
「君は身体的特徴から、カルキノス大陸出身の貴族の中でも特秘された呪術を司る名家の可能性が高い。澄んだ銀髪、紫色の瞳、浅黒い肌……そしてこれからなんらかの呪具を埋め込む予定だったはずの箇所に示された白い刺青と……おっとここで言うのはこれ以上はやめたほうが良いね」
オスヴァルトは人差し指を口に当てて、言葉を止めた。
──自分について聞いていても、まるで他人事のように感じてしまう。実感がない。
特に自分や家族がすぽっと抜けていて、全く記憶にない。
国の政情や各地方の情報のほうは、こんなにはっきりと思い出せるのに。
それに、どうして戦中にそんな「有用な素材」が、祖国から逃げ出そうとしているのか。
受け継ぐ地位も呪術も危険だから、怖気付いて逃げ出した臆病者なのか?
ならば、こちらで暗殺される可能性が高いな。
おそらく一年以内に呪術師の刺客が、俺に近づいてくる。
「で、何故あんたはそんな危険人物に接触しているんだよ?」
「なぜ? それは君が握りしめているその小箱のせいだよ」
小箱?
俺の左手の中には何かがあった。
俺の掌にぎりぎり収まる程度の金属の立方体は、金色に輝いていた。
それには星やら幾何学的な複雑な模様やら刻まれているが、俺には箱に見えなかった。
なんで俺はこんな奇妙な物を大事そうに握りしめているんだ?
「それは友人が僕に送ってきた物でね。僕や彼の血族の良くない歴史に関わっていて、中身についての言及はできない」
先ほどまでは明るかったオスヴァルトの表情が少し陰った。
血族の歴史のせいか。確かに他人に言いにくい内容だ。
でも、戦争の尽きないこんな世の中ならさ、どんな血筋だろうと汚辱の歴史の一つや二つあるよな。
──そう、俺たちはみんな人殺しや裏切り者の末裔だろ?
「その箱は僕が友人に送付したものでね。見てくれるかい、僕の家の印が刻まれているだろう?」
オスヴァルトの手から錬金術師の短杖が突然現れた。
くるりと回して杖の石突を俺に向ける。
流れ星の紋章?
俺は手の中の箱を見る。
まったく同じ流れ星の印が刻んである。
「僕の友人から輸送を請け負った者が君と同じ船に乗ってくるはずでね。だから僕はこの港町で一週間前から待っていたんだ。しかし悲しいことに船は難破してしまった」
考えられることは、運び手が海に放り出されたことで箱が流されて、溺れかけていた俺がそれを握った、ということだろうか。
いや、俺が盗んだか脅し取ったかした可能性もある。
最悪の場合、その過程で本来の輸送を請け負っていた人物を殺害した可能性まである。
しかし亡命貴族がそんなことをするか?
後見人の領地に逃げ込んで匿われるまで、息を潜めて生きるはずだ。
そんな面倒ごとを抱え込むなんてうんざりだしな。
「なるほどな。ならこれはあんたの物でいいぜ」
開いた左手をそのまま差し出す。
オスヴァルトは一瞬だけ箱に視線を移してから、再び俺を見つめた。
「その小箱は、記憶も財産も失った君が、君自身以外に唯一持っている財産でもある。今の君から奪うのは忍びない。 僕は不幸な他人にそんな酷いことはしたくないんだ」
左手を押し返された。
「だから僕は君の後見人になろうと思う。 僕はまだ年若いがそれなりに財産のある錬金術師の家の人間でね、多少は金と自由がある。有力者とのコネもそれなりにある」
「だからって敵国出身の呪術師を、あんたは匿う気なのか?」
箱を受け取って、俺を見捨てるほうが無難だろうよ。
亡命者を祖国は赦しはしない。
それが俺がもし強力な呪術師なら尚更だ。
俺の周りにいたら絶対に危険に巻き込まれてしまうだろう。
「正直に言ってしまうと、無益な危険を引き込む故に関係を持ちたくないという気持ちはある。でも、僕は君に納得した上でその小箱を返してもらいたい。だから、君には安全な環境で記憶を取り戻してもらいたいんだ」
身元保証のない人間を預かるなんて、とてもじゃないが安定志向じゃない。
だが俺としても、このままウトファル──魔法や呪術を憎むルーカンラントの管理下に収まるのは嫌だ。
俺のこの身体にもし呪具が一部でも埋め込まれていたら、即処刑される可能性まである。
それに比べたら、オスヴァルトの話は俺に都合が良い。
悪くない提案だ。
「だから大船に乗ったつもりで、どうだろうか?」
オスヴァルトが俺を騙している可能性だってあるけど、でも──。
今の俺はこの目の前の男を信じてみたくなった。
「船で沈んだばかりの俺に船の話を振るのは、なかなか面白いな、あんた」
「おっと、失敬……何に例えたらしっくりくるかな……」
「例えなくても十分だよ。よろしく頼む」
俺はがんばって頬をわずかに歪ませて、笑ってみた。
精一杯の、友好的な表情だ。
「ああ、よかった。じゃあそうだね、とりあえずの衣類や道具……いや、その前に名前かな? 思い出したりは?」
名前と言われて、呆然とする。
己が何者なのか、まったくわからない。
「ごめんな。俺自身に関することはまったく思い出せないよ」
「それは本当に残念だね。では仮の名を自分自身に付けられるかい?」
適切かはわからないが、簡単なものが良いだろう。
少なくとも今の自分の始まりがわかるような。
「この港町の聖人の名前と、俺が乗っていた船の名前は?」
「この街の聖人は船乗りと金貸しの守護聖人ジェレミーで、船の名前はアダマス号」
「じゃあ、俺はジェレミー・アダマスってことにしておいてくれ」
どこの国出身かわからなくなったが、これでいいだろう。
遭難者の生き残りらしい名前だ。
「悪くないね。よろしく、ジェレミー」
綺麗に揃った白い歯を見せて、オスヴァルトは微笑んだ。
「ああ、こちらこそよろしく頼むよ、オスヴァルト」
俺も口角を上げて笑う真似をする。
いい笑顔が返せたと思う。
どうにか人間らしい振る舞いをするのに慣れてきた。
「じゃあ、そうだね。君を魔法学園の生徒ってことにしようと思うんだけど、いいかな? 寮は僕と同じ西寮で。都合よく一人部屋が一つ空いてるしね」
「……いきなり話が進みすぎてないか? ついていけないぜ」
「衣食住と安全が一緒に揃う稀有な場所として、学園を利用するつもりなんだ」
意外な方向に話が転んできた。
たしかリーンデースというのが、連合王国の魔法学園都市だったような気がするが、まさかあそこか。
「暇な時間に魔法でも錬金術でも興味のあるのを履修すると良いよ。あ、そうそう、これを飲んでおいて」
小さな錠剤を渡された。
「これは?」
「解毒薬」
オスヴァルトはにっこりと笑った。
俺は今更、ここがウトファル修道会だということを思い出す。
「いやあ、僕が年若いおかげでだいぶ手を抜いてもらったようだよ。そういう誤解は大好きだな。おかげで見回りが休憩するわずかな時間でここまで話が進んだよ」
このままここにいたら俺は何をされていた?
ゾクっと寒気が背筋を昇った。
難破した船のたった一人の生き残りで、呪術師。敵国の貴族階級。
情報が引き出せないなら、長く生かしておく理由もない。
「今からこの窓から飛び降りよう。少しばかりで逃げ切れる。靴はこれで、あとこれを着ちゃって」
小さな革鞄からやたら丈夫そうな革靴と高価そうな衣類を取り出して、俺に渡してきた。
俺はさっと着替えを済ませる。
そしてオスヴァルトは杖を、俺と自分自身にくるくると振った。
「主に使うのは浮遊、そして突風の杖かな……じゃあ、行くよ。いいね?」
「あ、ああ」
俺はオスヴァルトに手を引っ張られながら、窓から逃げ出した。
錬金術師は浮かんだり、大きな風を起こしていきなり移動したり、羽を撒き散らしながら落ちたりして港町の屋根上を疾走する。
「いいの、こんなことして!」
「もちろん!」
オスヴァルトは満面の笑顔を浮かべて答えた。
俺は心臓が喜びと共に鼓動するのを感じた。
誰かに助けられることが、誰かを信じることが、こんなに愉快だなんて思いもしなかった。
このようにして俺は自らオスヴァルトとの冒険の日々を選んだのだった。
──この物語がどのように終わるかを知らずに。