死にやすい公爵令嬢4
季節は夏。
狂王がこの世界から消えて八ヶ月。
──そして私のお兄様が消息を断ってから二ヶ月が過ぎた。
エドアルトお兄様は親友三人(一名は意識不明の状態)と共に呪詛解明のため南方大陸の島に赴いた。
最初の一ヶ月の間はこまめに毎週末に近況をしたためた手紙が届いていた。
しかし、とある漁村の異教の奇祭が面白そうだという手紙を最後に、彼らは消息を断ったのだった。
狂王の呪詛と金狼王子の呪詛を受けた人間が行方不明者となってるという事実。
この事実は危うい国家間のバランスを揺るがすレベルの機密事項である。
──ゆえにアウレリア公爵家継嗣が失踪という大事件でありながら、公に探索が出来ないのである。
私は父と相談し、自ら兄の消えた地域の探索に乗り出すことにした。
もちろん、単独ではなく、お目付役としていつもの面々から有志を募り、ふたりの幻獣にも同行してもらうことを約束している。
そういうわけで、カルキノス大陸南西部のとある島に停泊した船の上から、私は港町を眺めていた。
南方大陸や周辺の島々への私自身の上陸はほぼ許されていない。
波止場町ぎりぎりくらいがごまかせる限度である。
そのため陸での調査は、主にウトファル修道騎士の皆さんを頼る予定だ。
ウトファル修道騎士は、屍都浮上によって被害を受けた地域への人道支援として医療団を派遣している。
この港町には小隊規模の一団が派遣されており、ハーランを通じて兄の探索への協力を約束してもらっていた。
どう兄の消息を追うか、どう手を打つか。
事前に書物や報告書で調べた状況は、一言で言ってかなり悪い。
考えれば、考えるほど悪い考えが湧き出てくる。
「冷えたんじゃないか?」
そんな声とともに、何かが肩にかけられた。
薄手の絹製肩掛けだ。
「クラウス様」
「そろそろ船室に戻った方がいい」
「……そうですね、クラウス様。でも、もう少しだけ……」
長々と考えていたせいか、夏だと言うのに風のせいで体が冷えてしまっていた。
私は体をくるむように肩掛けを掻き合わせた。
優しい温かさだ。
「心配ない。あの男のことだ。きっと辺境に隠された謎にハマって連絡を疎かにしている程度だろう」
「そんな……」
「どんな顔しているか、目に浮かぶようだ」
クラウスが穏やかな表情で空を見つめた。
こういう時のクラウスは、なんだかお兄様より年上に見えるような気がする。
「その可能性は否めないと、私も思ってますけど」
私も薄々、兄は余裕で状況を楽しんでいるのではないかと思ってはいる。
思ってはいるが、心配なのである。
「でも、アクトリアス先生もブラドもいるのに、ですよ?」
「元々あの三人は感性が似通っている。そのことを踏まえて考えれば、こうなることは火を見るより明らかでは?」
「た、確かに」
クラウスの言う通りではある。
ティルナノグに初めて会ったときのあの盛り上がり。
あの三人は基本的にストッパーのいない集団なんだろう。
「万が一かもしれませんが、誘拐されて酷い目にあっている可能性だってあるじゃないですか」
「予想外の事態に喜ぶだろう。だいたいあの四人は凡百の人間が殺そうとしても殺せない」
狂王と同等の不死性の呪詛をいまだに宿したブラド。
正当なるギガンティア王の証たる聖釘を完全に施術済みのアクトリアス先生。
金狼由来の不死性の呪詛を宿したクロード。
でも。
「お兄様だけは普通の人ですよ。単なる生身です!」
「エドアルトについてだが」
クラウスは私には測りかねる複雑な感情をたたえた笑顔を浮かべて言った。
「あの狂王の猛攻に耐えられる普通の人間がこの世に本当に存在すると思うのか、エーリカ? 普通なら精神干渉だけで命が危ういぞ」
「うぅ……っ、それはそうですけど!」
別の世界線で魔王だったこともあるクラウスの言うことだ。
色々な可能性の中で戦ってきた記憶があるから、クラウスの評価は限りなく正しい。
「俺の勘だと、一週間以内に満面の笑顔で帰ってくる気がするんだがな」
「そうかもしれませんが、もう二ヶ月も連絡がないんですよ?」
信じて待っていたとしても、家族としては二ヶ月の行方不明はきつい。
私は必死の思いでクラウスを見上げる。
クラウスは片眉を釣り上げて、困った顔をした。
「お前が心配なら仕方ないな。首根っこをひっつかんででも連れ戻すまでだ」
「クラウス様、感謝いたします」
お兄様の首根っこを掴める人物が、クラウスしかいないとも言う。
私も父もお兄様にはどこまでも甘く、だいたいの希望を通したくなってしまうのである。
「ところで、そこでコソコソしているお前たちは一体何がしたいんだ?」
クラウスが後ろを振り向いて呼びかける。
物陰からゴールドベリを乗せたオーギュストとハロルドと甲冑姿のティルナノグと猫状態のパリューグが出てきた。
えっ、そんな大人数で何しているの?
「いやいや、いまウトファルの連絡員が来たんで、荷物を受け取っていたところだぜ! な?」
オーギュストがふたりの幻獣とハロルドに目配せする。
ゴールドベリが「きゅ!」と鳴いた。
『うむ、そうだぞ! 見よ、これだ!』
ティルナノグは小ぶりな木箱を持ち上げて元気一杯に答えた。
ティルはそうなんだろうな。
「にゃ〜〜ん?」
パリューグは視線を逸らし、シラを切っている。
ここを突いても何も出てこないだろう。
さて、この中で一番私が追求しやすい人物に問い合わせてみようか。
「ねえ、ハロルド、正直に言って。私に嘘はつかないで頂戴」
「へ、へへへ……本当だよ? 俺たち、ほんとたまたま居合わせちゃっただけで。いつの間にか、殿下たちがついてきてただけでっ! あっ、旦那ぁ、俺が荷物を運ぶからね!」
めちゃくちゃぎこちない態度でハロルドはこの場から一早く退避して行った。
「あ〜、ズルいぞ、ハロルド! じゃ、私たちは船内で待ってるからな!」
『うむ!』
「にゃ〜〜〜ん!」
オーギュストも慌ててティルナノグとパリューグを抱えて去っていた。
まあ、気になるんだろうな、私たちのことが。
そう。
色々なことがあって、私とクラウスは婚約することになった。
でも、私はいまだに実感がないし、恋愛的な進展もほとんどない状況だ。
──本当にこんな私でいいのか?
そんな疑問が濃厚すぎて、私は態度を決めかねている。
前世の人間不信をいまだに引きずっているし、血筋的にも吸血鬼に呪われている。
しかも、生き残るためとは言え、色々と手段を選ばない人間になった。
つい最近だって、オーギュストやクロエやベアトリスに記憶をアレしてソレしてしまうための薬を盛る算段を立てていたし。
……まあ、この計画はクラウスに握りつぶされてお説教をくらったわけだけど。
だいたい私はクラウスを怒らせたり泣かせたりしてばかりなのだ。
あの地下でも、あの空の上でも。
もっとクラウスには、素敵な人と幸せになってもらいたかった。
月並みな例えだが、もっと健康的な精神のご令嬢と結婚して、落ち着いた家庭を築いて欲しかった。
とはいえ。
「まったく、お気楽な奴らだな。さあ、俺たちも行こうか、エーリカ?」
クラウスは、とても幸福そうに微笑んだ。
私が知っている全てのクラウスのうち、今の彼がもっとも幸せそうに微笑むのだ。
──この状況が好ましくないなんてことは、絶対にない。
もしかしたら、私も幸せそうに微笑むことが出来ているのかもしれない。
「ええ、クラウス様」
そんな思いを胸に、私はクラウスの手を取った。
☆
船の中に戻り、探索メンバーと打ち合わせを始める。
探索メンバーは私、クラウス、オーギュスト、ハロルド、クロエ、ベアトリス、そしてティルナノグとパリューグ。
つまり、例の夜会メンバーから大人組を抜いたメンバーである。
ちなみに、お兄様たちが見つかったら、そのままバカンスに行く予定だ。
新規事業で忙しいハーランは後から合流予定である。
「で、これが今回ウトファル修道騎士から届いたものだ」
オーギュストがテーブルの上に掌に乗るサイズの黒い卵形の物体を置いた。
それは、誘拐された人物の部屋で発見されたものらしい。
「はーん、見た感じ、俺の出番ぽいですね。今調べちゃっていいですか? ここの小さい穴、怪しいなあ〜〜〜」
ハロルドは卵形の物体をクルクルと回して確認していく。
一見すると継ぎ目のないつるりとした表面に見えたが、彼は抜け目なく小さな穴を発見した。
そっと針を差し込むと、謎の球体は左右に開き、中から小さな人魚を思わせる像が現れた。
「当たりだ。うわ、ちょっとキモい? もしかしなくても、このあたりの神様なんですかね?」
ハロルドが怯えた瞳で、わたしたち一人一人に見せつけていく。
その人魚の顔には三対の瞳が輝いていて、両生類の幼体めいた外鰓が飛び出ている。
ぶっちゃけてしまうと、呪わしい見た目の複眼アホロートルだ。
「海の魔獣あるいは幻獣か。これで誘拐事件に例の教団が関わっていることが証明されたな」
オーギュストが断言するように言った。
やはり、怪しんでいた通りのことが起こっているようだ。
「つまり……」
私は全員に視線を移しながら、口を開く。
「私たちで調査した内容をまとめると、この地域には先鋭化した海洋民族の宗教団体がいて、その宗教の祭りの贄にするために、人攫いをしている。祭りのメインイベントとして、攫われた十二人の美青年は海底にいる六つ目の幻獣の生贄として捧げられる。というわけで、お兄様もアクトリアス先生もクローヒーズ先生も見目麗しいですから、生贄として拐かされた、で確定でしょう」
これが私の忌まわしい結論である。
「特にお兄様には華があって目立ちますからね……! ああ、なんてお可哀そうなお兄様。美貌ゆえに攫われるなんて」
「にゃ〜〜〜〜ん!」
足元のパリューグが「完全に同意」と鳴いた。
「この状況全部分かった上で問題の渦中に突っ込んでいったのかエドアルト……よりにもよってこんなややこしい案件に……どう考えても故意に捕まったとしか俺には思えない」
クラウスは顔を手で覆った。
「この流れ、教授もそうだろうな……嫌だとか言いながらノリノリでついていってるだろ? あの人好きだもんな〜〜〜、南方の幻獣とか魔獣とか呪詛が。いや、もっとちゃんとした思惑あるのか? ぜんっぜん読めないぜ……」
オーギュストは天を仰いだ。
「もしかして兄さんも生贄に? 目も覚めていない状態で?」
長らく静かに話を聞いていたクロエが、呆然とした表情で呟いた。
「うん……多分、そうなんじゃないかな、クロエちゃん」
ベアトリスは気の毒そうにクロエに声をかける。
「それって大丈夫じゃないよね……? 私、先生たちのこと信じて送り出したのに……?」
信じて送り出した恩師と兄が異教徒の生贄になるなんて。
クロエも思いもしなかったろうな。
ほんとうに申し訳ない。
「クロエちゃんのせいじゃないからね? きっと先生達も何か訳があると思うし。そうじゃなきゃこんな野放図なことはしないと思うよ」
ベアトリスはクロエの背中を励ましながらポンポンと叩いた。
少し自責傾向のあるクロエに対して的確な励ましだろう。
「祭りは今日の夜からだし、始まる前にかっさらっちゃえば話は速いんだよな」
「まあな。問題はどうやって目立たずにやるかだろ」
切り替えたオーギュストとクラウスが奪還の算段を始めた。
「ウトファルに協力して貰いつつ現場に乗り込むなら、行動制限くらってない上に現地語が喋れる必要があるんだけど、どうするかな〜〜」
オーギュストが目を瞑って唸る。
私とクラウス、オーギュストは全員行動制限付きだ。
特に私は厳重に制限されている。
そして、ハロルド、クロエ、ベアトリスは現地語で流暢な会話はできないらしい。
「今から未来視で先生たちを探索してみます。魔法塔のないここでは、かなり精度が下がるとは思いますが……」
ベアトリスがそっと手を上げて提案する。
精度が低いとは言え、未来視してもらえるのは、とてもありがたい話だ。
「あれ……ふと気がついたんですが、像の下のこれ、紙の切れ端に見えませんか?」
ベアトリスが像に手をのばし、像と台座の間に挟まっていた紙切れを引っ張り出した。
「ええっと、無駄なことはするな……待機すべし? 後始末が必要になった時だけ手伝え……?」
こんなタイミングでウィント家の介入があるなんて思いもよらなかった。
ベアトリスも狼狽気味だ。
「 愛を込めてドロレスより? 確かに、これは叔母様の字……」
集まった皆が視線を合わせる。
千里眼の魔女ドロレス・ウィントがどういう方法でこの世界に干渉しているかは未だ不明だが、彼女の言うことには従っておいた方が絶対に良いことは皆理解していた。
その時、轟音が鳴り響いた。
「つまり、これはエドアルトたちの仕業だな? 用心のため守りを固めるか」
クラウスが長杖を取り出して短く詠唱し、結界を船全体に展開する。
結界以外にも防御系の補助魔法も追加されているようだ。
さすが、クラウスだけあって手厚い。
クラウスの結界により安全が確保されたので、私たちは船室から甲板へ向かう。
数キロ先だというのに、ここからでもわかるような大きさの巨大な幻獣が海から姿を現していた。
「あ〜〜〜〜、例の村のある辺りだぜ!」
「まさか村ごと滅ぼしていないだろうな、あいつら」
地図と見比べていたオーギュストが幻獣のすぐそばの地帯の村を指差す。
クラウスは甲板にいた全員に猛禽の魔眼を付与した。
村は見たところ祭りの準備中だったようだ。
村人たちは作業の手を止め、幻獣に向かってひれ伏していた。
今のところ人的被害はなさそうだ。
海から姿を現したソレは海上に現れた部分だけでも三百メートルは超えていそうだ。
青緑に光り輝く巨大両生類の幼生体。
脳にわずかに響くのは、あの巨大な怪物の感情だ。
これ、クラウスの結界なしでくらっていたら、私でもけっこう引き摺られるんじゃないかな。
──ありがとう。心からの感謝を君に。
私の脳内に微かに伝わってくるのは、歓喜と感謝の思いだ。
一際歓喜が強まると、幻獣はまるで太陽のような光を発し始めた。
「ええっ……姿が変わっていく……? 進化してるの?」
「一個体に起こるこういう変化は、進化じゃなくて変態だよ、クロエちゃん!」
六眼イモリの頭部と人間の上半身と魚の下半身をもった光り輝く巨大な怪物が海から跳ね上がる。
ハロルドがマストの影から野太い悲鳴をあげた。
恐ろしい波が起こるかと思いきや、その巨大な怪物は身の回りをかこむ球形状の結界を展開し、静かに海に沈んでいった。
「あ〜〜〜ら〜〜〜、いい話だったようね」
『うむ、あやつも古の約束を果たしてもらったのだな』
ふたりの幻獣は、何が起きたのか理解しているようだ。
「……あの子の約束って?」
ティルナノグとパリューグに私は尋ねる。
『見ての通り成長だ。あの種の幻獣は強烈な精神干渉が成長の契機となるらしく、ずっとそれを待っていたのだろう』
「なるほど。人身御供の血肉が目的じゃなかったのね?」
「うう〜〜ん、両方を兼ねていたんじゃないかしらね? うーん、それに単なる精神干渉能力では普通はあれには届かない……おそらく感情を歌や波に変えて届けるような力が必要だったところを、ブラドの力で無理やりこじ開けたってところでしょうね」
人身御供として特殊な能力を保持する人物を海に沈めて、その音波的干渉により、成長する幻獣かあ。
失伝したかなにかで、その異能をもたない供物を捧げ続けていたのだろう。
「へ〜〜、教授の破格の精神干渉能力のおかげでどうにかなったんだ?」
「そうね〜〜、あなたでも出来たでしょうけど」
パリューグがオーギュストの頭の上にのって答える。
この二人も、つい最近以前のような関係性に戻ったばかりだ。
一見サバサバしてはいるが、相変わらず仲が良い姉弟のような感じだ。
ただし、パリューグはなぜか猫の姿のままで人の姿をとらなくなってしまった。
彼女の中のなんらかのケジメなのだろう。
「じゃあ、兄さんたちはもう無事ってこと?」
私の気がつかない間に船のマストに登っていたらしいクロエが上から急降下してきた。
相変わらず恐ろしい機動力である。
「少なくとも人身御供にはならずに済んだようね」
「さすが先生たちだね!」
「え、ええ……」
私は歯切れのわるい返事をクロエに返した。
重篤な呪いに未だにかかっているクロードを危険に巻き込んだのはやっぱり気まずい。
しかし、終わり良ければ全てよし、でもある。
例の海辺の村では、祭りが始まっていた。
生贄になる必要がなくなった青年たちは縄を解かれ、方々に逃げていく。
幻獣の歓喜に影響された人々が、踊り歌い飲み、十二年ぶりの祭りを堪能している。
血生臭い事情を抱えた土地だけど、彼らの神が顕現した今宵ばかりは彼らの心が救われることを祈ろう。
☆
翌日の朝。
ウトファルの連絡員からお兄様一行が港町に到着したという連絡を受け、肉親の私とクロエ、そしてお目付役のクラウスが迎えに向かった。
例の村から陸路でやってきたお兄様たちは、馬車から大荷物をおろしているところだった。
「お兄様!」
「エーリカ!! こんなところで会うなんて思いもよらなかったよ!」
私に気がついたお兄様は、ニコニコと微笑んだ。
お兄様は御者から受け取ろうとしていた大きく重そうな革鞄を投げ捨てて走り寄り、私を抱きしめた。
「どうしたんだい、急に?」
「皆様を迎えに参りました。夏はみんなで仲良くバカンス。そういう約束でしたよね?」
「あはは、ごめんね」
「皆様が消息を絶って二ヶ月ですよ、お兄様」
「ああ、そういえば連絡も入れ忘れていたね……本当にごめん、エーリカ」
お兄様は私の拘束を解いて、私を目を見て謝った。
この目を間近で見ては、これ以上責められない。
「そう言うことでしたら仕方ありませんね。もう……お兄様ったら」
「うん、気をつけないとね……おや、クラウスくん、眉間のシワが深いよ?」
お兄様が私の肩越しにクラウスに声をかけた。
「エドアルト、愛する妹のためにも、もう少し自重してくれ」
「まったくだね」
「他人事のようなそぶりをしている、そこのあなた達も」
クラウスはエドアルトお兄様の後ろで馬車から荷物を下ろしている二人にも厳しい視線で睨んだ。
「い、いやあ、その通りだねえ、ブラド」
「そうだな、エルリック……自重しよう」
クラウスには視線を合わせず二人は静かに頷き合っていた。
流石に今回の件はハメを外し過ぎたという認識はあるのか……。
「まあまあクラウス様、そこまで厳しく釘を刺さなくても良いんです。ほら、夏はこれからですから」
「お前がそういうなら、これくらいでやめてやろう。妹に感謝しろ、エドアルト」
「あはは、そうだね、クラウス君。おっと、そうそう──」
エドアルトお兄様は私を手放して、くるりと踵を返すと運び出された鞄の一つを開けた。
「僕らも遊んでいただけじゃないんだ。素敵な成果はあったんだよ?」
取り出したのは、厚手の本……誰かの日誌だろうか。
「とても古い吸血鬼に会ってね……彼らは人を殺さずに共存していて、過去に人に戻った吸血鬼の伝承を持っていたよ。それについての記録も、ほらこの通り入手できた」
兄は吸血鬼化の解呪のための説明をさらっとしてくれた。
人に戻れた吸血鬼の重要な条件の一つが、他者の血液を経口摂取していないこと。
つまりブラドなら大丈夫だということだ。
「この土地には、呪詛を解き明かす鍵が確かにある。僕らにとっては希望だね」
エドアルトお兄様はウィンクを決めた。
「あとは祝祭派の錬金術師がやっていた吸血鬼に対する人体実験の結果も押収してきたよ。この鞄の中だ」
アクトリアス先生が大きめの鞄を持ってやってきた。
吸血鬼に対してすら人体実験とは……。
この話の流れだと、人間と共存していた吸血鬼に対してだよね……さすが祝祭派錬金術師はやることが非道である。
「金狼王子に関しては、この地方のとある呪術師が情報を提供してくれた」
ブラドは巻物の書物を片手にやってきた。
「南方の呪術師は秘伝にして一子相伝が多いと聞く……まさか……」
「いいや、殺して奪ったりなどしていないさ。ちゃんと合法的に提供してもらったものだから安心したまえ」
クラウスが慎重そうに問うと、ブラドは首を横に振った。
「お家騒動で殺されそうになっていた呪術師を助けたのだが、意気投合して仲良くなってしまったのだよ。その呪術師はウトファルで保護してもらっていて、これからも密に連絡を取り合うつもりだ」
情けは人のためならず、か。
人助けしたら、巡り巡ってむしろ自分が助けられてしまったというアレである
さすが、お兄様たち。
誘拐されたというのに、これだけのお宝情報を手に入れられたなんて。
なるほど。
これだけ色々やっていたから忙し過ぎて連絡とれなかったんだろうな。
「……うまく行くかは分からないけど、彼に特殊な解呪も試してもらえた。今は結果待ちだよ」
そう言ってブラドはエドアルトお兄様が投げ捨てた鞄を指差す。
その時、バタンと大きな音がして、その大きな鞄がひとりでに開いた。
全員の視線が、集まる。
革鞄から、一人の青年が起き上がっていた。
灰色っぽい金髪、筋肉質の体格の彼は──
「兄さん」
「……クロード」
クロエとブラドが小さく声を漏らす。
「……ちっ! くそっ……なんだ、これ……お前ら一体俺に何をしやがって……くそ、頭ん中ぐちゃぐちゃで何もわかんねー」
覚醒したばかりのクロードは、頭を片方の手で押さえながら、悪態をついていた。
そして、周りを見回していたクロードの視線がクロエに止まる。
「君は」
クロードの目から涙がこぼれた。
クロードは不思議そうな顔をして涙を拭い、二、三度瞬きをしてから一歩、歩を進めようとした。
しかし、崩れるように倒れていった。
「兄さん!」
クロエが気を失ったクロードに駆け寄り抱きしめる。
「完全復活はまだ先だろうけど、希望の芽は見えましたよね」
クロエのそばにアクトリアスが寄り添った。
「ありがとう、先生達……」
「もう少しお兄さんの時間をもらうことになるけど、私たちも頑張りますからね」
アクトリアス先生の言葉に、クロエは無言で頷いた。
二人は意識を失ったクロードを再び、大きな鞄に大事そうに詰め直していった。
「さて、あなたもそろそろ正体を現して良いんじゃないですか」
兄は馬車の御者に声をかける。
彼はよろめきながら地面に足をつけると、顔から顔を引き剥がした。
「おや、バレていたんですね。お久しぶりですね、皆さん」
現れたのはハーラン・スレイソンだった。
彼はクロエや私、クラウスやお兄様達に丁寧に頭を下げた。
「あまりにも都合よく僕たちを拾い上げてくれたのでね。なにやらこの辺りでハーラン卿が大きな取引をしているという噂も聞いていますよ。こちらでも金融に手を出すとかね」
「そちらもお気づきでしたか。まあ、俺はちょっとした用事のついでに顔を出しただけですよ」
兄が片目を瞑って笑うと、ハーランもいつも通りの腹の底の見えない笑顔を返した。
気のせいか、ハーランの目の周りが少し赤いような気がするが、指摘するのも野暮な話だろう。
クロードの復活を何年も切に願っていたのは彼なのだから。
これでバカンスのメンバーは揃った。
「ではでは、皆様、ご準備はよろしいですか? これから約束のバカンスですよ?」
私が声をかけると、そこにいた皆──鞄の中のクロードを除く全員が顔を合わせて笑う。
振り返れば、船に残ったみんなもこちらを見て手を振っていた。
ひらひら手を振るオーギュストの頭や肩の上で、パリューグとゴールドベリも手を振っていた。
ティルナノグがぴょんぴょんと跳ねて、ハロルドが不安そうに笑っている。
ベアトリスは泣きそうな笑顔を浮かべている。
兄妹の再会を見て感極まったのだろう。
「よし! じゃあ出発かな?」
クロエは兄の詰まった巨大なカバンを軽々と背負ってジャンプしてから、すごい速度で船に向かって疾走した。
「ああっ、そんなに乱暴に扱ったらいけませんよ、クロエくん!」
「……妹のすることだ。あの男も文句は言うまいよ」
クロエの後を大荷物を抱えたアクトリアス先生とブラドが小走りで追う。
「じゃあ、行こうか、エーリカ」
「ほら、行くぞ、エーリカ」
お兄様とクラウスが私に手を伸ばした。
「ええ」
私は兄とクラウスの腕をとって、みんなの元へ向かう。
狂王を倒し、屍都を滅ぼして八ヶ月。
やっと私は、心の底からの安心を再び手に入れたような気がする。
とはいえ、狂王の呪いは残り、吸血鬼も生き残っている。
不確定要素は多い。
それでも、今の私には十分すぎる。
──こうして、私の七つの死にまつわる物語は幕を下ろしたのだった。