死にやすい公爵令嬢3
「ああ、ほんとびっくりしちまったよねえ」
ギルベルト・トゥルムは白磁工房の側に建てた別邸の庭で空を眺めていた。
時刻は昼下がり。
ギルベルトの腕の中にいるのは、生まれたばかりの赤子だ。
先に寝付いた妻に代わって、元気いっぱいで寝付く気配のない我が子をあやしていた。
「俺が人の親になるなんて、夢にも思わなかった」
我が子を抱いて、ギルベルト・トゥルムは笑った。
ふにゃふにゃの手を恐る恐る握る。
「しかし、今日はやけに竜が多いな」
なにやら厄介ごとがあると大変だと思い、ギルベルトは別邸の中に入る。
子の柔らかな髪を撫で歌を歌いながらぼんやりしていると、ロブがドアを開けて入ってきた。
「親方〜〜〜! 大変ですよ!」
「はあ? なんだい、空から炎の剣がふってきたのか? それとも錬金術師の星が落ちたか?」
「茶化さないでくださいよ。ほら、竜兵が贈り物を次々と運んできてますよ〜〜!」
入り口の前に積み上げられた荷物をロブはどんどん家に詰め込んでいく。
荷物は、数え切れないほどのプレゼントボックスだ。
アウレリア公爵家とニーベルハイム伯爵家の印がリボンに記されている。
「まったく、あの子たちときたら、限度をしらないよな」
ギルベルトは頬を緩めた。
世界を救った自慢の教え子たちだ。
「イグニシアの竜を、こんなプレゼントの運送に使うなんて、前代未聞じゃないですか!」
「まあ、コネを使ったんだろうなあ。王子様も知り合いにいるし」
よくよく見ると、プレゼントの中にはイグニシア王家、ハーファン公爵家、ルーカンラント公爵家、ウィント伯爵家からの物も含まれていた。
ギルベルトは満面の笑みを浮かべた。
プレゼントも嬉しいが、なにより素晴らしいのはこの人脈だ。
「坊主、お前には最高のコネがあるんだぜ? なあ、お前はどんな商売がしたい?」
ギルベルトが息子の掌を指で突くと、幼い子は父の指をぎゅっと握り締めた。
☆
リーンデース魔法学園・学園長室。
時刻は昼過ぎ。
学園長室のトゥールは、ヤン・カールソンの来訪をとても穏やかな表情で迎えた。
「復学……ですか? 俺は、その、リーンデースにこの荷物を運んで行けと言われただけで……第一、その」
「ハーラン・スレイソン辺境伯からの直々の願いでね」
トゥールは受け取った荷箱を開く。
そこには、学生服一式と教科書が詰まっていた。
「人攫いの手引きをした自分が、そんなことが可能なんですか?」
カールソンは震える声で問いかける。
「贖罪ならば、既になされたと私は考えている。気高さは行いをもって示すべし。私も例の事件で無辜の民を助けた君の行いは、この学園にふさわしい気高いものだと思うのでね」
「……なぜそれを……」
トゥールは一振りの短剣と手紙を一通、机の引き出しから取り出した。
その短剣はあの夜、カールソンが姉弟に渡した愛用の短剣だった。
助け出された姉弟は、短剣に刻まれたウトファルの紋章に気が付き、手紙を添えて修道院に届けた。
その届け物は人の手を巡り巡って、今ここにあった。
トゥールはそれらをヤンに渡す。
幼い文字で認められた感謝の手紙を見て、カールソンは目を潤ませた。
「話を戻すが、ウルス辺境伯は、君に今一度この学園で様々な経験を積んで欲しいと考えているようだ。その上で、今度こそ自分の人生を自分で選んで欲しいと言っていた。どこへ行くのも、何になるのも、君の自由だ」
「俺は、できることならハーラン様の元に戻りたいです」
「そうか。君がそのつもりなら、ウルス辺境伯も喜ぶだろう。彼はこうも言っていた。君の選択肢を狭めないために、ウトファルに勧誘はしない。だが、それでも君が自分の意思で帰ってきてくれるなら、いつでも待っていると」
現在ウトファル騎士団は、解体を逃れ、主な活躍を吸血鬼討伐から医術師派遣と銀行業務に切り替えていた。
カルキノス大陸の紛争地帯への派遣も徐々に開始している。
結局のところ、命をかけることの多い役割なのは、いまだに変わりがない。
「……は、はいっ!」
それでも、カールソンは目を輝かせた。
二度と戻れないと思っていた学園に騎士団。
そのどちらも彼に居場所を残しておいてくれたのである。
頬を上気させて、カールソンは学園長室を後にした。
望んでいなかった幸福を一人噛み締めていると、廊下の向こうから一人の少年が現れた。
エヴァン・ハイアルンである。
「戻ってきたんだな。俺は、お前が妙なことをしないように見張る係を命じられている」
「ありがとう。その方が俺も安心するよ」
カールソンは目を伏せて笑った。
ハイアルンは鼻を鳴らした後に、一通の書類をカールソンに渡した。
生徒会会員補佐の推薦状だ。
「これは、生徒会の?」
「見張りやすいところにいろって意味だ。それ以上の意味はない」
そう言って、ハイアルンは踵を返す。
ハイアルンの背中をしばらく眺めてから、カールソンは歩を進めた。
不意に笑い声が聞こえて、視線を窓の外に落とす。
眼下には校庭を走る二人の少女──クロエとベアトリスが見えた。
胸の中に燻る罪悪感が痛むが、それでも友人として、やらねばならぬことをやろう、とカールソンは決めた。
「ちゃんと謝りに行こう」
校庭に向かって、明るい光の中をカールソンはゆっくりと歩いて行った。
☆
リーンデース魔法学園・本校舎二階の中庭に面した窓際。
講義が終わってすぐの放課後。
トリシア・ジョーナスとマーキア・レイルズは、かつてないほど胸を高鳴らせていた。
二人はカーテンの影に隠れながら、中庭にいるとある男女を凝視していた。
「二階からじゃ遠すぎましてよ。トリシアさん、猛禽の眼をもっとクローズアップさせることは出来ませんの?」
「私は短杖拡張を使えませんので、これ以上は無理ですのよ、マーキアさん」
「こういうとき、竜の眼を借りられるオーギュスト様が羨ましくなりましてよ〜〜」
「どうやら結界を張り巡らしてあるようですのよ。竜でもきっと気付かれてしまいますのよ」
彼女たちが魔法を使ってまで覗き見しているその男女とは、エーリカ・アウレリアとクラウス・ハーファンであった。
件の大事件「屍都復活・狂王受肉」のうち南北大陸にまたがる屍都を破壊した二人の名は世に轟いていた。
「さすがに、この期に及んでお二人の仲に無粋なことを言う魔法使いの方々はおりませんわよね」
「ええ、ハーファンの方々もエーリカ様の評価を改めておられましてよ」
特に悪評の高かったエーリカはその落差もあって、評価が壮絶に反転していた。
エーリカの風評が芳しくなかったハーファンにおいても同様で、彼女の再評価がされつつあった。
そこへ来て、エーリカとクラウスの急接近である。
幼少時の二人の婚約の話、降臨祭でのダンス、オーギュストを含んだ長年の三角関係などなど。
ここ数日、生徒たちの間では二人の恋愛事情に関する噂で持ちきりであった。
「きっと婚約の一歩手前ですのよ。間違いありませんのよ」
「ああ、ついにクラウス様の思いが通じましてよ」
「幼い頃からエーリカ様のお側にいた私たちも、長年ヤキモキいたしておりましたものね」
中庭の二人が見つめ合って微笑んでいた。
その後、二人は和やかに言葉を交わしていたが、不意に雰囲気が一変する。
エーリカはクラウスをすがるような真剣な瞳で見つめた。
「きゃあああ、見つめ合っていますのよ! あんなに真剣に!」
「これは完全に恋人同士の視線でしてよ!」
盛り上がる二人をよそに、実のところエーリカとクラウスが話していたのは生々しい利権の話である。
獣の海でエーリカが発見した島は三つ。
エーリカが気を失ったため、一行は一旦王竜とともにそれらの島に降り立った。
すぐに目を覚ましたエーリカは島の特殊さに気が付き、周辺の石を採取して調査した。
すると、その島はただの小島ではなく、竜グアノ鉱物資源を保有していた。
竜グアノは様々な用途に利用が可能だが、農業利用に限っても莫大な富をもたらす島だったのである。
エーリカは転んでもただでは起きない人間だった。
見つけたのも、降り立った理由も、有効鉱物を発見したのもエーリカだったため、それらの島はエーリカの所有となった。
もちろん同行していた三名も同意している。
エーリカは封書をクラウスに渡す。
「まさか、恋文ですの……?」
「直接言えない思いを手紙に認めて? 初々しい乙女の恥じらいでしてよ!」
恋文ではなく、所有権や開発許可などの書類であった。
採掘した資源の大半はハーファンが買い取り、大規模農業に利用されることになっている。
島の鉱山資源を金銭化するための筋道を立てた後、エーリカは島の一つを兄に委譲する予定だった。
エドアルトには例の事件の後始末のために莫大な資金が必要だからである。
クラウスはやれやれといった風情だが、兄のことを案じるエーリカを愛しく思って笑った。
エーリカは安心した表情を浮かべた。
いつも張り詰めた感のある彼女には珍しい、どことなく幼さを感じる柔らかい表情である。
「やっぱり! 屍都破壊のためにあの〈月の御座〉に共に昇ったのお二人ですもの……きっと私たちの知らないところで甘やかで秘めやかな心の交流がありましたのよ!」
「間違いなくそうでしてよ!」
トリシアとマーキアの中では、エーリカとクラウスの関係性が妄想で相当盛られていた。
そんな時、クラウスがそっとエーリカに顔を近づけた。
「ああっ、これ以上はお二人のプライバシーの侵害ですのよ! 控えていただきますのよ、マーキアさん!」
トリシアはマーキアの目を覆った。
「そう言いながら、ご自身は控える気ゼロでしてよ! 既に言い訳できないくらい侵害してましてよ、トリシアさん!」
マーキアはトリシアに抗う。
ひとしきり騒いだ後、二人の目に映ったのは、エーリカの耳元で何かを囁くクラウスであった。
二人は声にならない声を上げた。
☆
カルキノス大陸南東部・タルフ島の漁村。
宿屋の狭く汚い四人部屋で、エドアルト・アウレリアはため息をついた。
ベッドの上に投げ出されている大きな革鞄を、うんざりした目で眺める。
「こんな部屋に詰め込まれるなんて、あんまりじゃないかい?」
「仕方ないだろう、エドアルト。友人のためになら一肌脱ぐのは当然って言ったのは君だろう?」
エルリック・アクトリアスは鞄の中から本を取り出しながら、優しい口調で言い含めた。
「友人……友達……うう〜〜〜ん。でもこんなむさ苦しい状態は……」
エドアルトは不服そうな顔で唸る。
「重篤な呪詛の解明の鍵。それはこの南の土地にしかない」
ベッドに腰掛けて本を開いていたブラド・クローヒーズは、口元だけ歪めて笑う。
「私とクロードは生きながらえているが、呪いは健在だからね」
「その割にはめちゃめちゃ元気そうに見えるよね。しかも若返ってるなんて。なんかズルくないかい?」
エドアルトの言葉通り、ブラドの肉体は実年齢より七年ほど巻き戻されていた。
ドロレスが原初の模様を使ってブラドを蘇生させた影響である。
「魂と記憶を保持したまま肉体のみを時間遡行させたのだから仕方ないだろう、エド? 私が望んだことじゃない。それに私は彼よりは若返ってはいないのだがね」
ブラドはこほんと咳をして、革鞄に視線を移した。
その鞄は、膝を曲げて折りたたんだ成人男性一人くらいなら入りそうな大きさだった。
「まあね」
エドアルトとエルリックもそれを見つめる。
革鞄の中には、十九歳に戻ったクロード・ルーカンラントがいるのだ。
金狼王子の呪いの宿ったままのクロードが。
とは言え、既に呪いを感染させる暴走する不死の怪物ではなくなっている。
金狼が分離され、狂王の影響が消え去ったためだ。
つまり、呪いを感染させる休眠状態の不死の人間という、比較的安定しているものの依然として治療を要する状態であった。
「あの時点でドロレス・ウィントは私とクロードの命を最優先してくれた。その代わり、呪いは残留してしまった。だから今度こそ狂王の組み立てた呪いの根源を突き止めて、構築しなおさなくてはならない」
多大なる財産、そして人脈を使えば解決可能だと、千里眼の魔女は言っていた。
人生を十年ほど費やすだろうとも。
それくらいは費やしても構わないとエドアルトは即答したのである。
「さて、我らの呪いの根源の一部は、ここから更に南下した別の村に残存している可能性がある。今回訪れる予定の村はどう言う場所なのか、教えてくれたまえ、エルリック」
「そうだね……一言で言うなら、最悪の因習村かな?」
ブラドの問いに、エルリックは口を開いた。
「まずこの島は、過去ギガンティアによって分割統治されてしまったせいで、二つの民族が三百年のスパンで血で血を洗う争いを繰り広げていたんだ。その三百年の間に起こった大小様々の諍いが四十七回。詳しくはこちらで確認してくれるかな」
エルリックは、ブラドの横に三冊ほどの厚い本を積む。
「どれも陰惨な戦いで、もはや分断から彼らだけで持ち直すことは不可能。なるほど、酷い話だ」
ブラドが本を開きページを繰りながら、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「ふむふむ、それで二つの民族の概要は?」
エドアルトはエルリックに尋ねながら、ブラドの肩越しに本を覗き込んだ。
挿絵には何やら人身御供らしき風習が描かれている。
「グリフィンを駆る山岳民族・古層の宗教を信じている海洋民族。どちらも特定の血族にだけ特異な呪術師がごく稀に生まれるらしいね。山岳民族は褐色の肌、黒い髪と赤い瞳。海洋民族は象牙色の肌、灰色の髪と目だね。ルーツは一緒なんだけど、海洋民族は三百年にわたるギガンティアの民族同化政策で身体的特徴や異能が失われつつある」
「特異な呪術とは?」
エドアルトの問いに、エルリックが答えていく。
「どれも一子相伝の秘伝なのだけど、記録や伝承からある程度の推測はできている。時・言葉・死に関連がある呪術の可能性があるね」
「ふうん、用心が必要そうだね……あ、あと古層の宗教も気になるな。どんなのだい?」
「深海に住む幻獣への信仰だよ。十二年周期で祭りを行なっていて、供物として十二人の美しい青年を花で飾って海に沈めているんだそうだ」
ブラドとエドアルトは目を合わせる。
「ふむ、興味深い」
「なるほどね……でも、その、それって本当に海にいるのかい?」
エドアルトとブラドの瞳に宿る良からぬ煌めきを、エルリックは感じとった。
「君たち、楽しそうだからって海に潜っちゃダメだからね。命の保証が危ういからね。この感じ、たぶん本当に何かがいるよ? おそらく海洋民族に伝わっていた異能と濃厚に関連しているし、その異能が失われつつある現状、その幻獣の制御は難しいだろうね」
エルリックは釘を刺す。
「で、ウトファル修道騎士団が集めてくれた情報によると、そんな複雑な事情を抱えたこの地域の海岸付近、つまり古層の神を祀る村に、四十年ほど前に祝祭派錬金術師一団がたどり着いて隠れ住んでいるということなんだ」
「錬金術師?」
錬金術師の話に、エドアルトは眉を顰める。
「その村の錬金術師は、人間と共存していた古い吸血鬼にも関連があるらしい」
「なるほど。その錬金術師が今回の目的か」
ブラドが静かに本を閉じた。
「でも本当に気をつけなければいけないのは、今年がちょうど十二年に一度の人身御供の祭りだってこと。二人とも、この意味は理解できるかなー?」
エルリックがまるで生徒を見つめるようなそぶりで、エドアルトとブラドを交互に見る。
「そんな可能性? いやいや、僕と君はもういい年だし、狙うわけないだろう?」
「私は今のところ若いことは若いが……まさか」
二人とも心底意外そうだった。
ブラドに至っては軽蔑の色さえ浮かべている。
エルリックは笑顔のまま、小声で呟いた。
「ところで今、この部屋、微かに甘い匂いがしてきていないかな?」
エドアルトが顔を動かさずに、瞳だけで周りを見回す。
ブラドの頭上にいた小さな白竜が、そっと羽ばたいてブラドから離れた。
「白霧蝶の鱗粉から抽出された遅効性の睡眠薬だね。普通だったら吸引後五分以内にみんな寝てる。でも私にもブラドにも無効だし、エドアルトも対策済みなんだろ?」
「まあね。でも効いたフリだけでもしておいた方がいいのかな?」
「う〜〜ん、迷うね」
エルリックは首を傾げた。
「攫われておくのも手段としては悪くはないんじゃないかな。先に教団を潰してしまえば、本命の問題に集中しやすいし」
「エド、君はいつでも前向きだな……だが確かに悪くはない」
ブラドは手元に戻ってきた白い小さな竜を撫でる。
「くれぐれも海には入らないでくれよ。まあ、私としても誘拐された他の人身御供の人たちは助けたい。いい感じの肩慣らしになりそうだよ」
エルリックは拳をゴキゴキと鳴らしながら、微笑む。
「じゃあ、さりげなく薬が効いてきたフリでもしてあげようか。ブラドもエルリックも白霧蝶の鱗粉の効果はもちろん知っているね?」
「三時間ほどの酩酊感をともなう睡眠状態だろう?」
「自白剤の効果もあり、尋問などにも使われる。つまり意図的に誤情報も流せる、だよね? 楽しみだなあ」
エドアルトとブラド、そしてエルリックの三人は悪い笑顔を浮かべた。




