死にやすい公爵令嬢1
私とクラウスは、星の落ちる先を確認した後に顔を上げて目を合わせた。
「やった……! 成功しましたね、クラウス様! 完璧です!」
「くっくっくっ、いい気味だ」
クラウスと拳と拳を合わせて勝利を祝う。
狂王の企んだ屍都復活計画は、私たちのタッグによって完膚なきまでに粉々になった。
クラウスの結界のおかげで、近隣地域にも被害はゼロ。
「あとは皆の安否が気になりますね」
「少なくとも、お前の幻獣は元気そうだ。こんなに遠くからでも分かるほどにな」
クラウスの長杖の指す先が、視覚補助魔法によってクローズアップされる。
パリューグとティルナノグは、二手に分かれて堕天使の残党と戦っていた。
パリューグはハーファン辺境部の魔法塔を凄まじい速度で巡っていた。
炎の天使としての本領を発揮した彼女は、堕天使の増殖速度を上回る勢いで焼き尽くしていく。
「パリューグ、すごいわ!」
今まで以上の輝きに包まれたパリューグは、まさに光。
しかし、その戦いぶりの激しさゆえに、私の心に不安が過ぎる。
彼女の魔力にだって限度があるはずだ。
「こんな戦い方を続けていたら、魔力が枯渇してしまうのではないですか、クラウス様……?」
「いや、大陸全土の信仰が魔力に変換されて天使に注ぎ込まれている。祭壇修復による影響も大きいが、その上で前例がないほどに天使信仰が高まっているようだ」
「なるほど……そういうことですか!」
よかった。
この戦いが終わっても、魔力が枯渇して力尽きてしまうなんてことはないんだ。
むしろ、やっと彼女は、人々に長く愛されていく存在に戻れたのだろう。
私はもうひとりの仲間に視線を移した。
ティルナノグはハーファン大都市の魔法塔を奪還しようとしていた。
ちょうど元気に大型堕天使を丸かじりしているところのようだ。
小型の堕天使たちはティルナノグの周囲を飛び回って散発的に攻撃しているが、びくともしていない。
魔法使いたちの援護もあり、堕天使の数は順調に減っている。
どうみても圧勝である。
こちらも心配なさそうだ。
あれ、でも。
私は少しだけ違和感を感じて、クラウスに尋ねる。
「クラウス様……ティルナノグ、大きすぎませんか……?」
「堕天使を食らうことにより、魔力と肉を補給して、どんどん肥大化しているようだな」
「な……なるほどー……」
魔力を使って敵を屠り、屠った敵を貪って失った魔力を補給する。
そんな永久機関が完成している上に、補給量が上回って際限なく自己強化してるってこと?
「ふたりとも、ほぼ無尽蔵の魔力を手にしているのに等しい状況だ。堕天使殲滅は時間の問題だろう」
私は安堵のため息を漏らした。
もし、私が帰るのが百年後だろうと千年後だろうと、あの二人ならきっと私を待っていてくれる。
クラウスがはっとした顔をして、リーンデース周辺の丘陵地帯を凝視した。
「今……世界を歪めていた原初の模様が消失した……?」
「クラウス様、それはどういう意味なのですか?」
「狂王カインの身に、原初の模様を維持できなくなるような何かが起きたのだろう。現在、狂王のものとは別の原初の模様が出現している。場所は、ここだ」
クラウスの視覚魔法で、さらに丘陵地帯がクローズアップされていく。
その丘には花が咲き乱れ、白い光が浮かび上がっていた。
原初の模様だ。
「ドロレス・ウィントによる干渉が成功したようだ。狂王カインの原初の模様は大陸のどこにも見当たらない。おそらく狂王を無力化できたのだろう」
「やりましたね! そして、その、お兄さまとアクトリアス先生とクローヒーズ先生は……?」
私は一番の懸念事項をクラウスに問う。
「慌てるな。今、あの原初の模様を読み解──」
クラウスが長杖をかざし、ドロレスの原初の模様の映像を大写しにした。
しかし、その瞬間、視覚魔法の映像が消失し、〈月の御座〉そのものの輝きも一段階暗くなった。
「これは……どういうことですか、クラウス様?」
「御座と地上の霊脈との接続が断たれている。地上への干渉はできなくなったようだ。すまない」
そんな……。
せめて、もう少し安否の情報が得られたらよかったのに。
もう私にはお兄様たちの生存を祈るしかないなんて。
「なら仕方ないですね。私は皆様の無事を信じて待つことにします」
そう、私のお兄様が負けるはずなんてない。
きっと大丈夫。
みんなだって、きっと。
「しばらく時間を潰さないとですね、クラウス様、寝袋使います? もしお疲れでしたら、疲労回復の水薬もありますよ?」
心をよぎる不安を振り払って、なるべく明るい声でクラウスに話しかける。
「いや、大丈夫だ」
「ではチョコレートや二度焼き菓子はいかがです?」
「そうだな……チョコレートをもらえるか?」
クラウスにチョコレートを渡して、自分も一欠片食べる。
私は椅子とテーブルの代わりに、革鞄から衣装箱などの大きめの箱を数個取り出して重ねた。
クラウスにも即席の椅子を勧めて、自分も着座する。
革鞄からは、さらにいくつかのキャンプ用品や水筒・茶葉・ティーセットも取り出した。
固形燃料で湯を沸かし、チョコレートに合う茶葉を選んで紅茶をいれる。
「こちらもどうぞ、クラウス様」
「ああ……しかし、お前は本当に手際がいいな」
お茶を注いだカップをソーサーに乗せ、クラウスに渡す。
クラウスは温かな紅茶を一口飲んで、静かに感嘆の息を吐いた。
私も自分の分の紅茶を飲む。
温かさで少しだけ不安が落ち着いたような気がする。
「こんな場所で、こんなに和んでいいのか……俺にはちょっと解りかねる」
「帰還してからもまだまだ大変でしょうし、今のうちに思い切り気を抜きましょうよ」
「うーん、確かに、一理あるかもしれん……」
張り詰めた糸のようだったクラウスの雰囲気が、すこしだけ軟化する。
しばらく落ち着いた後、クラウスは深いため息をついた。
「人生に一度しかないせっかくの機会だし、俺はこの大魔法でも調べてみるか」
紅茶を飲みながら、クラウスはいくつかの呪文を詠唱し、御座の調査を始めた。
「なるほど。御座に吸い上げた魔力を一定以上消費すると、地上との接続が断たれるようだな。俺が結界で使った分と、観測に使った分を足すと限度に達する計算だ」
「ああ、なるほど。だからさっきのタイミングで機能停止したんですね。あれ? じゃあ航海者の歌の杖は?」
「まさか制作者も、アウレリアが御座に昇るとは思わなかったことだろうな」
短杖なら使い放題になるなんて、制作者も想定外だろうな。
脱法的な魔法行使をしてしまったようだ。
「地上からの分断後、術者を帰還させる転移魔法が展開するようだが、同時に時間の加速も発生するようだな。術者の転移が終わると、御座は自然崩壊後に自己再生し、ゆるやかに機能を修復していくようだ」
「不思議な作りですね」
私はクラウスの言葉に相槌をうつ。
「製作者が意図的にそうした痕跡がある。魔法塔の崩壊はイグニシアからの指示だったが、こちらはハーファンの選択だろう。その意図は明確だ」
「この場所を連続使用しないため、ですね?」
「ああ」
クラウスはチョコレートを口に放り込んだ。
私も口に含み、ゆっくりと味わう。
「星の霊脈から無尽蔵の魔力を吸い上げて、干渉不可能な領域から超広域魔法で攻撃するような世界の支配者。そんな在り方をハーファンも望んではいない」
そんな力は人の手には余る、とクラウスは言葉を締めた。
侵略国家になることもできたのに、それを避けたハーファン。
周辺に禍根を残す国々に囲まれながらも……それが彼らの見つけた共存のあり方なのだろう。
「なるべく早く地上に帰れると良いですね」
「そうだな」
私はぼんやりとクラウスの横顔を眺める。
出来れば十年以内……いや、五年、一年……欲を言えば二、三ヶ月で帰還したいところだ。
クラウスが例の人に会える間に。
出来れば、同じ時間を生きられるような時間に帰還したい。
──そうじゃなくちゃ、約束を守れないしね。
ふと脳裏に、あの魔王の顔が蘇る。
……クラウスの想い人って、一体誰だったんだろう。
なるべく気にしないようにしていたけど、やっぱり気になるな。
年齢とか、立場とかで帰還後の状況も変わっているし。
もしや、クロエ?
でもクロエのあの生命力……何度も死んでしまってクラウスが取り戻そうとしたという話から遠すぎる。
儚いと言ったらベアトリス?
因果干渉者の役割を果たそうとして、危険に近寄らなくてはならないことも多いだろう。
でもウィント家とハーファン家は血を交えないという決まりがあったんだっけ。
クラウスもベアトリスもそういう伝統を大事にしそうなタイプに見える。
うーん、違うかな。
では誰だろう。
ドロレスによれば、アンのことは一回で救うことができたらしい。
そんなクラウスが、何度繰り返しても死んでしまう人物。
もしかすると、一つではなく複数の死の原因に囲まれているのだろうか。
──そんなに死にやすい人物は誰か。
ふと脳裏に、あってはならない可能性が浮かぶ。
私だ。
狂王カインの最大の敵オスヴァルト・ボルツ。
そのオスヴァルト・ボルツの近親のうち、もっとも幼く一番守りの薄い私。
しかも、避けがたいほど身近な人物に関連する強烈な危険が、七つもある。
もっとも死にやすいと言っても過言ではないだろう。
いやいやいや。
思い上がりもいいところだ。
だが、しかし、心当たりはいくつかあった。
ドロレスの原初の模様の電車の中で見えた、クラウスの過去の姿。
あの薔薇の花をクラウスに飾ったのは誰か。
魔王クラウスの長杖の意匠は、あの薔薇だった。
そして今、クラウスが持っている銀の長杖の意匠も、同じ薔薇だ。
見れば見るほどに、この薔薇は私がクラウスに飾った品種に似ている。
……あの庭園の薔薇を、クラウスに送った別の私がいた……?
私は記憶の糸をたぐる。
あの魔王は、私に何て言ってたっけ?
──よりによってお前が? お前が、それを俺に言うのか……!
──そんなだから、君は冗談みたいに儚く死ぬんだろうな。
──ああ、生きているな。
そういえばちょっと前にもクラウスは何て?
──家族や信頼できる友人に囲まれて、幸せに生きて欲しい。
その後、クラウスは私と口喧嘩したとき、なんて言ってたっけ。
家族とか友人について、すごくつっこまれたような?
繋がりそうで、繋がらない状況証拠が並んでいく。
しかし、もしこの仮定が真ならば。
私は、もしかして無茶苦茶ひどいことしてないか???
何ていうか「どの口が言う」みたいなセリフばっかり言ってなかったっけ??
──それよりも、私にとってはクラウス様が大事だったんですよ!!!
あれ? 私、とんでもなくタチの悪いこと言ってない?
トキメキよりも罪悪感による動悸が激しくなってきた。
だいたい魔王のところに私を送り込むというドロレスの計画自体が極悪非道では?
あっ、だから魔王はあんな顔して私を見ていたんだ?
心情を察して余りありすぎる。
今から会いに行って謝りたいけど、もうあの人はいないんだよね……。
いや、今のクラウスが融合体だから、今から謝ればいいの?
でもこの流れでいきなり謝り始めたら、どう考えても挙動不審の極みじゃない??
ひっ!
クラウスが私をいつのまにか凝視している!?
「なんでお前は一人で百面相しているんだ。眉間にシワを寄せたり赤くなったり青くなったり表情がグルグルしていて、見ていて面白いぞ……?」
「な、なな、なんでもありませんよ、クラウス様」
「医術師も調合師もいないような場所だ。さっきの大魔法の反動で体調でも崩していたら大変だ……熱でもあったらそれこそ──」
クラウスが私に手を伸ばす。
私は少しだけ後ろに引いて、クラウスの手から逃れた。
「……?」
クラウスは少しの間不思議そうな顔をして私を見つめる。
私はさっと目を逸らした。
数秒の後、クラウスは追いかけるように私の顔を覗き込む。
「まさか……俺の例の件について、気が付いたなんてことは、ない……な?」
感情がストンと落ちた顔で、クラウスが問う。
「例の件とは?」
そしらぬ顔をしてとぼける。
「戻ったらお前に教える約束をした、アレだ」
「滅相もありません。クラウス様の大事な方なんて、まったく心当たりありません」
私が辿り着いた仮説について、私はどうしても口に出せなかった。
もしこの仮説が真実だとしたら、このままスライディングして土下座したい。
「そうだな。日頃あれだけ鈍いのに、このタイミングで、まさか」
「ええ、まったく心当たりがなくて」
私はなるべく平静を装って微笑んだ。
しかし、カップを持つ手がカタカタと震え始めたので、急いでカップを鞄の上に置いた。
罪悪感に身体の方が耐えられなかったらしい。
人体は神秘だ。
「エーリカ、お前。今、嘘をついたな?」
「クラウス様、長年の友にして星落としの同志たる私を疑うのですか?」
「カップを持つ手が震えていた。それを気づかれまいとして鞄の上に置いたんじゃないのか?」
さすが、クラウス。
目敏いな。
「気のせいですよ、クラウス様。阻害体質とはいえ、今回の星落としは反動が大きくて」
「何の問題もなく流麗な手つきで紅茶をいれていたくせに?」
私は顔を背けた。
「日頃あまり動揺しないお前が、これだけの動揺を見せるなんて……もはや何も聞かずとも明白だ。まさか、こんなことになろうとはな……俺はお前を見くびっていた」
クラウスは額を手で押さえ、苦悶の表情を浮かべた。
「正直に答えてくれ」
「ある一つの可能性にたどり着いたことは、本当です」
私とクラウスの間に、しばらく沈黙が降りる。
どれくらいお互いに黙っていたのか、わからない。
向き合っているのに、視線を合わせないまま、お互いの空気を探っている。
時間魔法なんて使ってないのに、時が止まったような体感時間だった。
口を開いたのはクラウスの方だった。
「だったら、俺も腹を括ろう。いつまでも誤魔化しておけることじゃないな」
クラウスは一度深呼吸してから、真っ直ぐに私を見つめる。
「俺はずっとお前が好きだった」
「お前の生存と幸福のためなら、世界だって滅ぼして良いと、今も俺は思っている」
「信じられないって顔しているな? 俺が嘘をついているとでも?」
私は声を出すことができず、辛うじて首を左右に振った。
クラウスは目を伏せた。
「どちらにせよ、すべては終わったことだ。気に留めなくていい。さっき言った通り、俺はもう、お前が生きているだけで十分だ」
クラウスは優しく微笑む。
その笑顔は、見た目よりもずっと大人の笑顔だった。
「では、その、私はクラウス様の中では、もう終わった人間なのですか?」
私は完全に思考停止しかけたが、辛うじて疑問を投げることができた。
「は? そんなわけあるか。さっき今でも世界を滅ぼしてもいいっていっただろ!」
クラウスは即答した。
何度聞いても驚いてしまう。
でも、もうたじろいでいられない。
「そんな相手を諦めるのって、少なくとも私だったら幸せじゃないです」
クラウスは口を開きかけるが、色々な感情を押し込めた表情で押し黙った。
「……私、クラウス様が幸せじゃないのは、絶対に嫌なんです」
これがどういう感情によるものなのか、自分でもわからない。
でも、私の心からの気持ちだ。
「ただ私、誰かをそういう風にちゃんと好きになったことがなくて……あなたと同じ感情を、同じだけ返せる自信はなくて、だから、その……」
前世の記憶がない私なら、きちんとした恋愛ができたのかもしれない。
こんなに他人を拒絶してしまうような人間じゃなければ、どんなに良かったか。
でも私は、今用意できる私は、今の私だけ。
「そんな私に幻滅して、たとえば百年の恋でも覚めてしまうかもしれなくても」
自信がなくなってきて、私は視線を逸らした。
みんな勝手に私に幻想を抱いて、そして勝手に幻滅していった前世を思い出す。
「百年程度ならもうとっくに過ぎた。少し前にも滅茶苦茶な脅迫をしてきたのは誰だと思う?」
「先ほどは、大変申し訳なく」
「まったくだ」
二人して笑う。
私は恐る恐る視線を戻した。
心を決めて、言葉を続ける。
「なら、その、試してみて良いですか。つまり、その……」
私は手をクラウスに伸ばす。
「エーリカ」
クラウスが私の手を取った。
クラウスの頬は、あの庭園で髪に薔薇を飾った時のように真っ赤だった。
でも、その目は今まで見た中で一番真剣で。
「どんな心でもいい。俺の横にいてくれ」
返事の代わりに私は、できる限りの笑顔を浮かべた。




