星が落ちる先2
竜騎士シャルル・オドイグニシアは、その時もまた祈っていた。
カルキノス大陸・屍都近域上空。
シャルルの屍都浮上に対する電撃的な対応は功を奏していた。
オドイグニシア航空竜部隊は緒戦を制した。
続く地上竜部隊も迅速な展開によって屍鬼の群れを押しとどめるのに成功する。
飛行能力をもつ怪物をあらかた焼き払った後。
シャルルは航空戦力の半数を地上への支援に振り分ける。
その直後、それは現れた。
腐肉を縒り合わせて造られた巨大な合成獣。
複数の生物からもぎ取ったかのような六枚の翼を持ち、胴体からは三本の首が生えていた。
首の一つは、巨大な枝角を備えた、焼け爛れた人間の首。
もう一つは、獅子頭を模した肉塊の集合体で、縦開きの口の内側にはおろし金のように無数の歯。
最後の一つは、尾の位置から伸び、長い首の先には肉食獣の牙を備えた馬の首だった。
最初の突進で、シャルルの部下二人が竜ごと弾き飛ばされた。
落竜こそ免れたものの、一人は気絶、一人は利き腕が使い物にならなくなっていた。
竜騎士たちは竜の息や弩で応戦するが、その獣はやすやすと回避する。
乱雑に作られた醜い獣ながら、六枚の翼を自在に操り竜と互角の速さで飛んでいた。
シャルルは乱れた隊列を即座に立て直し、再度の突撃に合わせて竜の息の一斉放射を命じた。
並の吸血鬼ならば塵一つ残さない業火の中を、合成獣は真っすぐ突っ込んでくる。
焼け焦げて使い物にならなくなった肉を自ら剥ぎ落としながら、不浄の獣は竜の息を耐え切った。
眼前に合成獣の鉤爪が現れ、シャルルの竜は騎手を守るために緊急回避を行った。
不浄の爪が閃き、鮮血とともに数枚の鱗が風に散る。
「……っ!」
シャルルの騎乗竜は、義理の父の形見だった。
ルイと同様、シャルルにとっての彼女は庇護しなければならない大事な妹だった。
シャルルは、自分の肉が熱を帯びるのを感じた。
竜が傷つけられたのと同じ箇所だ。
竜から受け取った熱と痛みは、シャルルの怒りと混じり合い、灼熱の炎に変わる。
「神罰! 神罰を受けよ!」
シャルルは長槍を竜に握らせ、自身もまた鞍から立ち上がり、槍にしがみついた。
竜が合成獣に向かって長槍をシャルルごと投擲する。
獅子の首に長槍が突き刺さると、シャルルはそのまま枝角の首に飛び移った。
シャルルは枝角の首にまたがったまま剣を抜き、獣の後頭部に突き刺した。
合成獣は狂ったように悶え、シャルルを振り落とそうとする。
しかし、シャルルは決して剣を手放すことなく、むしろ憤怒によって湧き上がってくる強烈な膂力で、より深く刃を差し込んでいく。
獣の口から剣の切っ先が飛び出し、腐敗した赤黒い体液が飛び散った。
「見よ! これこそが神意ぞ!」
快哉をあげた次の瞬間、シャルルの体は宙に投げ出された。
合成獣は自分の首を切り離すことで、シャルルの刃から逃れたのだ。
落下しながらシャルルは空を眺めた。
満月の下、騎乗竜が合成獣に竜の息を吐き続ける姿が、彼の瞳に映った。
彼の部下たちも加勢し、不浄の獣は竜の炎によって塵一つ残さず焼き尽くされていく。
それを見て、シャルルは満足そうに微笑む。
その時、星が落ちた。
まるで神が己の運命を憐れんでいるかのような、天からの落涙。
その煌めきに、シャルルはしばし見惚れた。
星はいくつも流れていった。
これから死が待っていることを理解しつつも、シャルルは神の愛を確信した。
最後にいつも通りに神への祈りを捧げ、目を閉じる。
しかし、突然の衝撃とともに落下が止まった。
シャルルはむせ返りながら目を開く。
そこには、満月を背にシャルルを覗き込むルイ・オドイグニシアの姿があった。
「……まさか天使が……私などをお迎えに?」
「何を寝ぼけてるんだ!」
シャルルはルイの騎乗竜の背に受け止められていた。
自らがまだ生きていることをシャルルは理解する。
しかし再征服の都にいるはずのルイが、なぜここに。
そんな疑問が一瞬だけシャルルの頭に浮かんだが、すぐに霧散する。
全ては神のお導き。
神が照覧召されているのならば、奇跡が起きても不思議はない。
「馬鹿じゃないのか! 指揮官が自殺まがいの攻撃なんてするんじゃない! 残された部下はどうなる!」
「かつて、聖地が戦火に巻き込まれし折り、神託を受けて立ち上がった戦士たちは、恐れることなく数百倍の敵軍に──」
「口答えをするんじゃない! 僕が間に合わなかったら死んでたんだぞ!」
「たとい死するとも、神を愛し、神に愛されし者には永遠の祝福が与えられ、その魂は神の膝元へ──」
「やかましい! 僕を一人にしたら、絶対に許さないからな!」
シャルルは、久しぶりに義弟と会話しているような気がした。
長い間一方通行で噛み合わないままだったのに。
「ルイ」
「今度はなんだ!」
「助けてくれて、ありがとう。また君に会えるとは思わなかった」
ルイは泣きながら、シャルルを引き寄せて抱きしめる。
シャルルは、とても幸福な気持ちで微笑んだ。
☆
白磁の錬金術師ギルベルト・トゥルムは、忙しなく働いていた。
交易都市ノットリードの大聖堂。
そこには、ノットリードの住民に加えて、周辺の村からの避難者も集まっていた。
避難者に対して、真っ先にトゥルム家が避難物資の援助を名乗り出た。
商売を度外視した慈善行為だった。
世界が終わるかもしれないのに、墓に持ってく金の額を気にしててもしょうがない、というのがトゥルム翁の言だ。
いち早く豪商トゥルムが動いたことで、他の商会もすぐに続いた。
食料、衣料、燃料、などなど。
その業界の重鎮たちがこぞって物資を供与した。
全てが慈善によるものかは分からなかったが、結果的に、ノットリードが一丸となってこの吸血鬼災害を乗り切ろうという流れが生まれたのだった。
食料一箱分を配り終えたギルベルトは、ようやく一息ついて腰を伸ばした。
改めて見回してみれば、避難所の支援者の中には知り合いの顔もある。
栄養剤や水薬を配って歩くセルゲイ。
炊き出しに参加しているギーゼラ。
ストーブ用の燃料を配り歩きながら、魔法で着火していくロブ。
ロブと目が合うと、彼は手を挙げてギルベルトに近づいてきた。
「おう、ロブ。物資は十分行き渡ってるか?」
「ギルベルトさん、毛布が少々足りないようです。今夜冷え込んでて」
「年寄りや赤ん坊にゃキツいよな……確かうちの倉庫に毛皮を仕入れてあったな。取ってくるか」
「それなら俺が行きますよ。ギルベルトさんは奥様のところにいてあげて下さい」
手続きの時間も惜しんで取りに行こうと考えたギルベルトだったが、ロブはそれを制止する。
ノットリードにはイグニシア竜兵の駐屯地があり、上空では多くの竜騎士達が哨戒している。
屍都からも距離がある。
おそらく、かなり安全な土地だろう。
しかし、万が一のことがないとは言いきれない。
ギルベルトが身重の妻ベルを残して死んでしまったらどうするのか。
ロブが心配するのも無理はないことだった。
「悪いな、ロブ。頼んでいいか」
「任せてください!」
ギルベルトが毛皮の供与について一筆したためる。
それを受け取って走り出そうとするロブを、ギルベルトはふと気づいて呼び止めた。
ロブはハーファン出身の魔法使いだ。
しかし、リーンデース魔法学園を早期に退学している。
攻撃魔法や防御魔法を使っているところを、今まで一度も見たことがない。
思い返してみても、荒事はあまり得意ではなさそうだった。
「ちょっと待った。これ、護身用に持っていってくれ。手袋はこれだ」
「は、はい」
ギルベルトはロブに短杖を数本と錬金術師の手袋を一双渡す。
幸いにも、エーリカ・アウレリアの寄付のおかげで、大聖堂にはたくさんの短杖が備蓄されていた。
ロブがそのうちの数本を持っていっても問題はないだろう。
「それと、一人じゃ危ないから、他に五・六人ほど腕に自信のある若い衆を集めてくれ」
「はいっ!」
ロブは走りながら、力自慢の職人仲間や知り合いの衛兵に声をかけていく。
彼らを送り出した後に、ギルベルトはベルの元に向かった。
ベルは炊き出しの手伝いをしていた。
周囲に声をかけて、ギルベルトはベルを連れ出す。
「もう君は手伝いはいいから休んでいてくれよ」
「あなたもね。ずっと働き詰めでしょう」
ギルベルトはベルの肩に毛布をかける。
ベルはギルベルトに寄り添い、彼の肩にも毛布を回した。
来年の春には彼ら二人の子供が生まれる。
どうなるかわからない世の中でも、自分たちは生きていかなければならない。
運が悪ければ明日死ぬ身だとしても、今はスープを飲んで毛布に包まって暖を取らなければならない。
「しかしまあ、狂王の復活なんて、夢にも思っていなかったな」
「みんなそうじゃないかしら?」
妻と話しているとギルベルトは夜空がいきなり明るくなったことに気がついた。
空を見上げると、雲一つない空に満月が輝いている。
その時、星が落ちた。
空を流れる光は、どこかしら普通の流星と違って見えた。
満月にも、篝火にも負けない、力強い光。
だからこそ、日頃祈りもしないギルベルトは、その星に奇跡を祈った。
「ああ、天使様、どうか俺たちをお守りください。今ならノットリードの全ての市民の信仰を購えますよ」
あの日のような、奇跡が起これば良いのに。
そんな思いで、ギルベルトは星が落ちるたびに祈りを繰り返した。
☆
公爵令嬢アン・ハーファンは城の主人として周囲を静かに観察していた。
ハーファン公爵領・銀枝城。
本来の主人であるところのハーファン公爵夫妻は秘密閉鎖都市へ転移していった。
それは〈月の御座〉崩壊後の後処理を行うためである。
御座に向かったのは兄クラウス・ハーファンだと、アンは父と母から伝え聞いていた。
御座へと昇ることは、ほぼ永遠の別れを意味する。
そして兄は、危機において迷わない人間であることも、アンは誰よりも理解していた。
兄との永遠の別れに、アンは一人静かに涙をこぼした。
理解してはいるが、どうしても受け入れがたい事実になかなか涙は止まらなかった。
アンは一頻り泣いた後に、己の役割を果たそうと詠唱を始める。
彼女は強化した遠隔視魔法を駆使し、各地に広がる災害の状況を確認していく。
屍都の浮上と、そこから徐々に溢れ出てくる屍者・屍鬼などの群れ。
それと前後して、死者とは異なる赤錆色の怪物もハーファン全土に飛来している。
赤錆色の怪物は魔法塔に害をなし、霊脈に被害を及ぼしている。
そのため、魔法塔を使った広域魔法による反撃もままならない有様だ。
アンが静かに周辺観察を続けていると、銀枝城から遠く離れた魔法塔の一つに、二体の幻獣が現れた。
光り輝く獣人と巻角を持った巨大な黒い怪物。
その二体のどちらも、赤錆色の獣を超える魔力に満ちていた。
獣人の操る幾筋もの光が、羽虫のような怪物を焼いていく。
漆黒の竜は、塔に取り付いていた巨大な赤錆の怪物を引き剥がしていた。
「……あのお方は、確か」
地下で出会った黒竜の姿を、忘れたことはなかった。
西方アウレリアの罪による禁忌・ザラタン。
兄によって再び封じられ、エーリカによって新たな姿とティルナノグという名前を得た古い幻獣。
「ならあの光り輝くお方も、お姉さまのご友人に違いありませんね。ならば私も……」
アンはそっと長杖を構える。
その二体の幻獣がいる魔法塔までの距離は、ちょうどアンの射程範囲内だった。
アンは詠唱を始めた。
「ティルナノグ様、失礼いたします」
長い詠唱を終えたアンは、ティルナノグを後ろから羽交い締めにしようとしていた赤錆色の怪物の一匹に狙いを定める。
アンの視覚空域に基点が生成され、巨大な赤錆色の怪物の頭部は焼き尽くされた。
アンは安堵の息を吐き出す。
彼女の魔法は十分にあの怪物にも通用することが証明された。
ティルナノグは遠方からの援護射撃が誰のものか、どんな意味を持っていたかをすぐに悟った。
彼は牙を剥いて笑った後に、はるか上空を見つめた。
そして、黒竜は得意げに天を指した。
アンはティルナノグの指し示すままに視線を上げていく。
空には繊細なレース網のような見たことのない魔力の軌跡が広がっていた。
「あれは……西方の……呪文…!?」
その時、星が落ちた。
大地の下の霊脈を流れる魔力が不安定にうねるのを、アンは感じた。
呪文の製作者を確かめると、兄から名を聞いたことのある若き天才錬金術師の名が刻まれいた。
その人物がエーリカに杖を提供していたことも、アンは知っていた。
兄クラウスの隣には、エーリカがいる。
たった一人で〈月の御座〉に兄が赴いたと思っていたアンにとって、それは一つの希望になった。
たとえ、永遠に会うことが叶わなくても、兄が孤独でないのなら。
しかし、兄だけでなくエーリカまで失うことは、アンにとって非常に辛いことだった。
アンは静かに瞼を押さえた。




