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学園生活7

 学舎の裏を通って、目的の幻獣博物館へ移動する。

 リーンデース王立幻獣博物館は、おおむね横長の直方体の形をした四階建ての建物だ。

 他の建物と同様、屋根は灰色、壁面は蜜蝋色の石灰岩で作られている。


 よく見れば、建物の各所に幻獣や魔獣の浮き彫り(レリーフ)や彫刻が施されていた。

 柱を支えるかのような姿勢の小鬼、雨樋にはガーゴイルや竜、ノッカーを噛む蠍人虎(マンティコラス)

 探せばもっとたくさんありそうだ。


 この博物館に展示されているのは、怪物、魔法生物の内でも希少だったり人語を話すような幻獣ばかりだという。

 家畜化可能な魔獣よりもずっと恐ろしい生き物たちだ。

 当然、なかなか生きている姿を見る事なんて出来ない種類が多い。


 館内に入ってすぐのホールには、幻獣ミノタウロスの全身骨格が組み上げられて展示されていた。

 直立した大きさは、角を含めると三メートル近くにもなる。


 全体的なシルエットはゴリラのようで、上半身が発達していて腕が長い。

 完全な二足歩行ではなく、蹄の残った上肢を補助に使って歩行していたのかもしれない。


 骨格をつぶさに観察すると、それがウシに近い生き物から進化したことがよく分かる。

 まず、ウシのように上の門歯がなく、代わりに肉食に適応するための犬歯が大きく発達していた。

 上肢の指はウシと同じ四本で、太く長い中指と薬指には蹄に似た太く堅そうな爪が残っている。

 親指はないが、パンダのように手のひらの骨に突起があり、また小指が独立して動くことで物を攫むことができるようだ。


 骨格標本の横に立てられた説明によると、ミノタウロスは明確な階級の概念を持っているようだ。

 彼らはそれぞれの階級に応じた装飾を角に彫刻しているらしい。

 このミノタウロスは戦士階級のようだ。

 よく見ると、矢に穿たれた痕や、治療された骨折の痕などがあるのも分かる。


 こんなに大きい生き物が独自の文化や社会を形成しているんだと思うと、なんだか感慨深い。


 ホールの左側にも右側にも大小様々な怪物の骨格標本がまるで、観覧者を出迎えるように並んでいる。

 幻獣とその近縁種の魔獣を含んだ数々の怪物の白い骨たち。

 それらを横目に眺めながら、私はホール正面の奥にある部屋に進んでいく。


 その大部屋には、巨大な黒蜘蛛の剥製が陣取っていた。

 順路は蜘蛛の腹の下をくぐるような形で続いている。

 もっと小さい近縁種なら素材としてなら見たことがあったけど、こんなに巨大なのは初めて見た。

 胴体の部分だけでも牛くらいあるし、足の長さは伸ばせば五メートルくらいだろうか。


 闇そのもののように真っ黒な蜘蛛だったが、腹部の下の方に青白い斑模様が浮かんでいる。

 その(まだら)はまるで闇夜に浮かぶ髑髏のようにも見えた。


「あら、蜘蛛に興味があるのかしら?」


 いつの間に部屋の奥にいた女性が微笑みながら近付いて来た。

 イグニシアやカルキノスの人に多い白金髪に小麦色の肌の美人だ。

 私は入学式のときの職員たちの自己紹介を思い返す。

 たしか館長ではなくて、学芸員のエレーヌ・リエーブルだったかな。


「この子はカルキノスのアンナトラ川上流にある黒霧密林地帯だけに生息している種類なのよ」

「カルキノスの密林生まれですか……」

「ええ、あちらの大陸の方が幻獣級の蜘蛛が多いのよ。長生きした蜘蛛の中には人にもわかる言葉を話すものも多いの」


 こんなに巨大で知能の高い蜘蛛が暗い密林に潜んでいる絵面を想像する。

 無茶苦茶恐ろしい世界だな、カルキノス大陸。


「そんな蜘蛛がたくさんいるんですか? それは恐ろしいですね」

「そうね。でも、人知のおよばない世界があるというのも素晴らしい事だと思うわ」


 いくつもの文明が花咲きながらも、未だに人知の及ばぬ領域の多いカルキノス大陸。

 イクテュエスには存在しない数多の怪物が、人目に触れることなく繁栄しているのだろう。

 少女のように微笑みながら、リエーブルは言った。


「もっと平和になってカルキノスに渡航しやすくなったら、またあの森へもぐってみたいの」

「行った事があるんですか?」

「ふふふ、私、蜘蛛たちの話し声だって聞いたことがあるのよ?」


 それは現在よりもギガンティアとの関係が良好だった頃の話だった。

 学園の研究者たちでチームを組んで、巨大蜘蛛の生態を調査したことがあるのだという。


 交代で付近の集落と往復しながら、何週間もかけて、蜘蛛の縄張りの外から魔法を使って観測した。

 密林の奥地に打ち捨てられた古代の城砦を、我が物顔で歩き回る蜘蛛の子供たち。

 何種類もの糸を組み合わせてグリフォンすらも捕獲する、独特の狩猟法。

 帰還予定日前日の深夜にようやく子供をあやす親蜘蛛の歌声を採録できた時は、仲間たちと声を殺して祝福しあった。

 そんな思い出を、リエーブルは懐かしそうに語った。


「とっても素敵なのよ。びっくりするくらい優しい響きの歌でね」


 うっすらと紫色を帯びた灰色の瞳は、カルキノスの遥かなる秘境を見つめているかのようだった。


「おっと、脱線し過ぎちゃったわね。でもこんな怖い蜘蛛を見て平気そうな女の子は珍しくて、つい」

「いいえ、楽しかったですよ」

「ありがとう。あなた、ここは初めてかしら?」

「ええ、今年の新入生なので……」

「では、ゆっくり楽しんでね。今月入ったばかりのケンタウロスの骨格標本も二階にあるから、是非どうぞ」


 そう言い残してリエーブルは去って行った。

 なかなか面白い人だったし、いい事も聞けたけど、私にはカルキノス大陸は無理だろうなあ。


 私は順路を辿って幻獣の骨格標本や剥製を眺めていく。

 解析魔法を使って年代を調べたりしている魔法使いの上級生達の横を通り抜け、ホールに戻ってきた。

 ミノタウロスを見下ろしながら、二階への階段を昇る。


 二階にあったケンタウロスの標本も思っていた以上に大型だった。

 これも高さが三メートル以上あるんじゃないだろうか。

 ケンタウロスの骨格は、どことなくチグハグさを感じさせるものだった。

 ミノタウロスと違って、どう進化してこうなったのか想像できない。


 一見すると哺乳類っぽいのに付属肢は六本。

 ヒトの胴体にもウマの胴体にも肋骨があるせいで、内臓がどうなっているのかイメージできない。

 説明書きによると、古代の魔法実験か何かの産物ではないかと考えられているようだ。

 生きた個体との遭遇例のあるミノタウロスとは違い、白骨化した死体しか発見されていないという。


 そうして私は蒐集された希少な幻獣を順に眺めていく。

 二つの頭を持った巨大な犬、オルトロスの剥製は部屋一つまるごと使って展示されていた。

 大長虫(グレートワイアーム)の瑠璃色の鱗は、一枚で馬車の車輪くらいの大きさがあり、本体の大きさが想像出来ない。

 つがいで展示されている一角獣(ユニコーン)の剥製は、まるで今にも動きだしそうなほどに生々しかった。

 どれもこれも購入価格を考えると目眩がしそうになってしまう。


 私は充分に楽しんだ展示を後に一階への階段に向った。


「──からの報告によると、天使と目される幻獣の標本の到着が遅れているそうです、館長」


 階段を半ばまで降りかけてから「天使と目される幻獣の」という言葉に私は足を止める。

 それは先程のリエーブルの声だった。

 話している相手は、博物館長のクローヴィス・クニクルスだろうか。


「早く天使の死亡の真偽を確かめなければならないのに、由々しき事態ですね」

「万が一でも盗難にあったら……」

「恐ろしい事ですね」


 私は六年前のノットリードの素材屋で聞いた話を思い出した。

 店員と客が、天使の死体がカルキノス大陸にわずかながら出回っているとか、なんとか言ってたっけ。

 あの噂は本当だったんだ。


 信仰を祭壇によって集めて天使の力にするシステムがある。

 それがイクテュエス大陸、カルキノス大陸に構築されていた祭壇ネットワークの正体だ。

 ただし、ここ百年以内に徐々に祭壇が汚染されていたせいで、五十年前から天使たちに信仰のまともな供給が無くなった。

 力を使い果たした天使たちは機能停止し、次々と死んでいくのだという。


 天使とは、実はヒトが滅びないように唯一神が組み上げたシステムの端末みたいなものらしい。

 人類は充分に強く賢くなったから、そろそろお役御免なのよね、なんてパリューグは言っていた。


 ちなみにパリューグの話を聞いていると、彼女の言う神も幻獣っぽいような気がしてきた。

 うまく想像できないけれど、少なくとも天にいるみたいなイメージとはまったく違った。


 神は人のすべてに、また、その他もろもろの生き物のすべてに宿る。

 神は肉の衣を持たず、しかし、あまたの肉の一つ一つは神の御座なり。


 パリューグが言うには、唯一神というのはそんな生き物らしい。

 精神や細胞に寄生している幻獣なのだろうか。

 ミトコンドリアなどのように、進化の過程で細胞に取り込まれたのかも知れない。

 〈伝令の島〉の壁画に描かれていた怪物の形の小さな組織が、細胞の中にあるのだろうか。


 唯一神にはどんな人間でも直接接続できるけど、それはお勧め出来無いらしい。

 脳内に「私はあなたを愛してる」みたいな言葉が溢れて多幸感に満ちた狂気に至るとか。


 おっと、それはともかく、例の天使の標本の件だ。

 ただの出鱈目な与太話でないことが分かったし、あとでパリューグに知らせておこう。


 幻獣博物館から退出する頃にはもう夕方になっていた。

 見上げると青から黄色へのグラデーションの空に、何匹もの竜のシルエットが見えた。

 訓練していた竜も大厩舎に帰る時間のようだ。

 夕陽が竜の鱗に反射して、きらきらと七色に輝いて見える。


 博物館の幻獣たちもいいけれど、やはり生きている方が綺麗だ。

 そんなことを考えながら、私は帰路についたのだった。

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