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同期  作者: SHIRO
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 あの時、関本はまだ何も知らされていなかった。僕の異動を。僕ら同期の行く末を。それでも、上司との会話の端々から、なんとなくそれを感じ取っていたのかもしれない。傍目から見ても、僕ら三人は仲の良い同期だし、自分で言うのもなんだけど社内のムードメーカー的な役割を担っていた。その均衡が壊れることを、周りも少なからず残念に思っていただろうし、同時にそろそろもっと大きく飛躍するべき時期でもあると期待されていたのは間違いない。三年と言う区切りがサラリーマンにとって次へのステップかどうか分からないが、僕の会社に措いてはこのタイミングでの異動が多い。勿論、同じ部署でそのままステップアップしていく者もいる。関本は間違いなくそう言うタイプだ。

「一之瀬は、来期から新たな職場で頑張ってもらう」

 だから辞令の場でそう言われた時は、「やっぱり」と変に納得した。

「企画部ですか」

 異動先を聞いても実感は湧かない。漠然と大変だろうなと人ごとのように思ったぐらいだ。そうだ、入社当時のOJTだった北村さんがいる。恐らくこの先輩はそのまま企画に君臨しているだろうし、営業とは密なセクションだから他に顔馴染みもいる。地方転勤でもないから転居も伴わないし、生活自体にはそう大きな影響はない。それでも、どこかでサラサラと砂が零れおちるような感覚がした。

「ゴールデンコンビ解消だな。関本の残留はもう聞いただろう。個人的には残念だと思っている」

 入社当時から僕を知っている上司は神妙なことを言う。

「課長が放り出したんじゃないですか」

 人事権を握っているこの上司に、恨み事の一つも吐いてみた。

「誤解するな。俺は将来一之瀬と関本が、この課を背負っていく柱となるべき人材だと思っていたよ。今回は企画さんから是非ともってラブコール送ってきたんだ。確かに、おまえには未知数を感じるからな。目立つ関本の陰で、本来のおまえの良さが見落とされがちだ。企画は良いとこ突いて来た。俺としても一之瀬の将来を思って、これでもしぶしぶ承知したんだぞ」

 タヌキおやじの本性は分からない。くすぐったい気もするが、少なくともこの課長には可愛がってもらった自覚はある。尤もこう言う場合、気持ちよく異動してもらう為に、多少のリップサービスは餞別の内だ。

「いいですよ、もう」

 ここで何を言っても異動は翻らない。

「今晩飲みにいくぞ。関本も誘っておいた」

 上等な肘掛椅子に身体を預けながらニヤリと笑みを零す。上司の誘いを断る勇気は僕にない。

 恐らく関本も辞令の席で今晩の誘いを受けたのだろう。転勤するわけでもない自分を誘うってことは、僕の異動ありきと容易に想像できたはずだ。

「最後ですからね、美味しいもの食わせて下さい」

 課長の坐る席に一歩詰め寄った。

「店はお前らに任せる」

 課長が淡く笑ったところで、テーブルの上の携帯電話が震動する。ちらりとディスプレイを確認して「外の奴に待つように言ってくれ」と言って、僕を追っ払うような仕草をする。

「お待たせしました……」

 渋い声で携帯に出ると、椅子をくるりんと回転させて僕に背を向けた。

「失礼……しました」

 一応小声で声を掛ける。そっと引き下がろうとした時、テーブルに広げてあった組織図が偶然眼に入った。

 僕は眼が良い。盗み見るつもりはなかったが、僕の名前の横に工藤の名前を発見して一瞬息を呑んだ。

 工藤も異動なのか。それも僕と同じ企画。そう言うことか――

 複雑な心境だ。あの駆け引きめいた会話の後で、もしどちらかが遠く離れた所に転勤にでもなれば、ある程度予想できそうな展開が僕を待っているような気がしていた。腹を据えて、ついに工藤が僕を押し倒すとか。最後の想い出とかなんとか言って、一夜かぎりの関係を迫られるかもしれないとか。多分そうなった時、僕はそれを拒む自信がない。もしかしたら、自らを差し出すようなまねをするかもしれない。

 正直なところ工藤のマンション以来、彼と寝る自分を何度か想像した。不思議と最初ほど男同志のセックスに抵抗感がない。これって、工藤の思う壺なのか。そうやって、ヒタヒタと僕を追い詰め、彼の手に堕ちてしまうのか。いや、既に僕は彼の手中にあるのかもしれない。広げられた掌の上で、ジタバタ悪あがきをしているに過ぎない。

 たぶん、僕は工藤ほど純粋ではない。もはや最後のその一線を越えたとしても、そこには寝たと言う事実しか残らない。良いのか悪いのか、感じるのか感じないのか、ありかなしかだ。そこに僕の感情は伴わない。

 だが、彼は違う。工藤の目的は僕とのセックスではない。セックスはあくまでも手段であって、彼が求めているものではない。男同士であるにも関わらず、そう言う行為に及ぶことに何か意味があると考えている。若しくはそう言う関係になることで、友人同士では築けない深い絆を求めている。そうまでして僕を手に入れたいと言う強い想いは、僕を戸惑わせるだけだ。

 僕は秘かに工藤の転勤を望んでいたのかもしれない。友人を失いたくないからこそ、僕から遠ざかる必要がある。それほど薄情な人間だとは思いたくないが、少なくとも今の泥濘からは抜け出せる。僕は複雑なことには向いていない。世間の眼を欺くような関係をもつことや、大きな秘密を抱え込むことができるような男ではない。


 会議室を出てエレベーターが上がって来るのを待つ間、僕はずっと工藤の事を考えていた。チンと音がして扉が開く。そこに工藤がいた。このタイミングで彼とは会いたくなかった。

「どうだった?」

 エレベーターから降りて来た工藤は、僕の行く手に立ちはだかる。同期を純粋に心配している顔だ。チクリと胸が痛む。

 僕は既に工藤の異動を知っている。こんな時にどう言う顔をすればいいのか分からないから、不器用な僕は不自然に眼をを泳がせる。エレベーターの扉が工藤の背中で締まり、誰かに呼ばれて下へと降りて行った。

 工藤は僕の顔色を見て、直ぐに事情を察知したようだ。

「異動か?」

「ああ」

 僕は言葉少なに頷く。

「どこだって?」

 僕の腕を掴んで先を促す。きつく掴まれた腕の強さに彼の必死さが窺える。

「企画」

 僕はそっけなく言った。

 工藤は一瞬、それが何処なのか分からないような顔をした。

「脅かすなよ。どこか地方にでも転勤かと思った」

 工藤が胸を撫で下ろす。

「関本は残留だってさ」

 そう言って工藤を観察する。

「ああ、聞いた。良かったな。安心した」

 工藤の顔は屈託なく、僕らの異動を素直に喜んでいる。

「後は俺か」

 工藤にしては珍しく、ちょっと不安げに僕の肩越しにある会議室辺りを見た。

「もし、転勤だったらどうする?」

 すでに工藤の異動先を知っていながら、僕は何故だか試すような事を口にした。

「可能性がないとは言えないな。そうなったら、一之瀬に何を貰おうかな。餞別に」

 ニヤリと彼の唇の端が上がる。

 どこか僕の反応を面白がっている節がある。

「欲しいものがあったら言ってみろよ」

 どうせ餞別をあげるようなことにはならないのだから僕は気楽だ。工藤はそうだなと考え込む。

 せいぜい考えるんだな。僕は工藤の腕をポンポンと二度ほど叩き、彼を避けてエレベーターを呼ぶ為にボタンを押す。僕の背中にはまだ工藤の気配があった。上がって来た箱にさっさと乗り込み、5階のボタンを押してから振り返る。

 工藤は僕を見送るようにこっちを向いていた。

「おまえ、月は見たか?」

 エレベーターに乗り込んでからそんなことを聞くなよ。

「月?」

 僕はしかめ面をした。僕と彼との間に月と言えば、あの夜の月しかない。真昼間の会社の中で、あの夜のことを思い出したくない。そのまま『閉』のボタンを押して逃げようかと思った。

「見たよ。なんだか真っ赤で綺麗って感じじゃなかった」

 それだけ言い捨てて、エレベーターの『開』ボタンから手を放す。当然、扉は閉まりかける。工藤は扉に手をかけてそれを阻んだ。

「おまえ、見たんだ」

 工藤の口元が笑っている。

「何が可笑しいんだ」

 月、月。それがどうしたんだよ。

 僕は苛立つ。

「そこが一之瀬なんだな」

「だから、何だよ」

 月が綺麗と言われて、律義に月を拝んだことがよっぽど可笑しいことだったのか、工藤の顔が綻んでいる。彼がそんな風に笑うことはあまりない。

「理由は聞かない方がいいだろうな。おまえが素直で助かった。ほら、もう行けよ」

 引き留めておいて、そんな言い方はあるか。

 僕は『閉』のボタンを強く押した。一気に閉まってくれれば少しは気分も晴れたのに、実にゆったりと扉が閉まる。工藤から逃れる為に、僕は顔を背けることしかできなかった。


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