17
工藤の告白は、ついにもう一人の同期も知るところとなった。だからと言って、僕らの関係が何か劇的な変化を遂げたかと言うとそうでもなく、僕らは期末に向かって営業の追い上げに奔走していた。大きな秘密を抱え込まなくて好くなった事と、差し迫った仕事からのプレッシャーで、余計な事を考える暇がなかったのが幸いした。
それでも僕を取り巻く環境に、多少の変化があったのも事実。同期三人が其々に、少しずつお互いを気遣いあうような、余所余所しいとまではいかない微妙な空気が流れ始めていた。
「今晩、飲みに行かないか?」
そろそろ帰ろうかと思っていたタイミングで、工藤が撲を誘う。
二人になる事に神経質になっている僕は、気軽に二つ返事とは行かない。そんな撲の戸惑いを工藤もちゃんと心得ている。
「関本も誘ったから。それなら問題ないだろう」
そんな風に気を遣われるのもどうだろうか。別に工藤が、見境なく撲に何かをするとは思わない。それぐらいの信頼関係は今でもあると信じている。
「あんまり気をまわすなよ」
撲としては、工藤に気を遣ってそう言った。
「二人で行こうって誘ったら、おまえ行ってくれるか?」
そんな聞き方をされると僕も焦るわけで、どう言っていいのか返答に窮する。工藤は撲を困らせたい訳でもないだろうが、ニヤリと意地の悪い笑い方をする。
「そんな顔されたらな」
そう言って僕の側を離れる。取り残された僕だけが、右往左往しているような状況だ。
分かり易い男だよ、僕は。
そう言えばあれから三人で、飲みに行く機会がなかった。二人が仕事以外の話をするところを、間近に視界に納める事が、実はどんなものなのか想像ができない。撲を好きだと言った工藤に対して、苛立ちを見せた関本。よく考えると関本のそう言った感情も、僕にはどこかスッキリとしないものを感じていた。
関本までが、とは思わない。事実、工藤と比べ物にならないような濃厚なキスをされた後でも、僕と関本の関係は何も変わっていない。キスの深さではなく、その裏に秘められた想いの差とでも言うのだろうか。
確かに今までとは違った危ういバランスの三角形が存在している。こんな状態で、三人で集まって何を話せと言うのか? この夜の飲み会が、いつかは通らなければならない道だとしても、僕にはかなり気が重いことには変わりはなかった。
僕らがその夜選んだ店は、会社から歩いて十分ほどの和食のお店で、カウンターもテーブルも混んでいて、通されたのが奥にある座敷席だった。ここだけが離れのように独立した個室になっていて、ちょっとした密談なら回りを気にせずできるような造りだ。もうこればっかりは避けて通れない話題だろうから、二人の同期は何れ今回の件を持ち出すだろう。
ここなら傍目を気にしなくて良いのは助かる。
案外冷静な僕が、どこかでそんな事を考えていた。
壁を背にして撲と関本が並びで座り、工藤が関本の向いに対峙するように座る。さり気なく席についたようだが、そこには明かに関本の意図が働いていた。関本はそんな事をサラリと遣って退ける男だ。僕に分かったのだから、敏い工藤が分からないわけがなく、この後も二人の眼に見えない攻防に、ハラハラさせられることになる。
僕らは取り敢えずビールと刺身の盛り合わせを頼む。この店は新鮮な魚が売りで、刺身の盛り合わせは季節感を盛り込んだかなりお得な一品だ。僕らはいつも『おまかせ』でそれを頼んでから、メニューを脇に、今夜のお腹と懐具合とを相談しつつ酒の肴を選ぶ。
「一之瀬、好きなもの頼めよ」
工藤が丁寧にメニューを開いて撲に差し出す。素直にそれを受け取り、見事な手書のメニューを前に僕は考え込む。毎度の事ながら、優柔不断な僕はなかなか決められない。そんな僕の横から、関本が手元を覗き込んで来る。
「おまえの好きなモズクはどうだ? 確かここのは細くて酸味も丁度いい加減だったろう。山芋はどうする? 短冊でもいいし、タタキもあるぞ」
「一之瀬、そう言うのが好きだったか?」
斜め前の工藤が意外そうに僕に微笑む。確かに昔と比べると嗜好も随分と変わっている。
「あ、うん、最近食べられるようになったんだ」
「そうか」
心なしか工藤が寂しげな顔をする。僕は何気ない風を装いながらも、実はそんな細かいところまで神経を張り巡らしていた。
「一之瀬の好きなオクラは?」
関本は逆なでするようにさらにそんな事を言う。
こいつは、絶対分かってやってるから性質が悪い。
「一之瀬は昔から出し巻き卵が好きだったよな。好きなもの全部頼むといい」
工藤は俄然対抗意識を見せ出す。
いきなりこの状況には閉口した。まるで鞘当てらしきものが、僕を挟んで繰り広げられる。
ホント、こう言うの止めてくれるかな。
そこへ店員が割って入るように、ドンとビールのジョッキを置く。なんだかその様子が可笑しくて撲は噴出した。結局、それで場が和んだのをきっかけに、二人が交互につまみを頼んでしまった。
三人で一先ずビールで乾杯をして、僕らは差し障りのないサラリーマントークに突入。残り少ない期末の予算の事や、そろそろやって来る人事異動の事などが話題の中心だった。工藤は必要以上に撲を見つめたりはしなかったし、話の内容も普段と全く変わりないもので、久しぶりの三人でいる心地よさに、僕はすっかり油断をしていた。
「聞いてもいいか」
だからそう前置きをして関本が身を乗り出した時も、僕は少しも疑わなかった。関本の視線の先には寛いだ工藤がいて、煙草に火を点けるところだった。『なんだよ』と言う眼つきで工藤が先を促がす。
いきなりだった。
「おまえ、一之瀬を抱きたいとか思うのか?」
撲は思わず、食べていたモズクを噴出した。おまけにお酢に咽て、咳きこむことしきり。
「な、なに聞いてんだよ」
慌てて関本の腕を掴むが、こいつは気にもせず『どうなんだ』と工藤を見据えている。工藤も別に動揺したふうでもない。
「そりゃあね」
そう言って唇の端を上げて笑う。なんだかその笑いは謎めいていて、撲は落ち着いていられない。こう言うのを身の置き場がないと言うのだろう。
「男とやったことあるのか?」
関本は重ねてストレートに切り込む。こうも直球勝負だと、工藤が気の毒になる。
工藤は何を考えているのか全く分からない。もともとあまり感情を表に出さない人間ではあるが、かなり露骨な問いかけにも表情一つ変えない。むしろなんだか楽しそうにしていると思えるのは、穿った僕の見方だろうか。
「ないよ」
まるで歌うようにそう言うと、煙草を銜えながら関本をじっと見る。
「一之瀬で試すわけか」
僕には一言一言が心臓に悪い。第一、これ本人を目の前にして、する話題じゃないだろう。
撲はすっかり蚊帳の外にされて、ハラハラしながら黙って二人の遣り取りを見守る。
「俺は男同士のSEXに興味があるわけじゃない。好きになったのが一之瀬で、たまたま一之瀬が男だったと言うだけなんだ。触れてみたいとは思うけど、実際に俺が男を抱けるかと言ったらまた別の問題だ」
工藤はなんだか遠い目をして煙草の煙を眼で追っている。
まさか、その視線の先で僕を裸になんかしてないだろうな。
そんな内心の焦りが顔に出ていたらしく工藤は撲をチラリと見るから、意気地のない僕は慌てて眼を逸らす。
「いずれにしても、こう言う事って俺だけが思ってもどうなるものでもないし、無理じいは趣味じゃない」
工藤は頬杖をつきながら煙草を吸う。
「そう言いながら、おまえは少しずつ一之瀬を追い詰めているじゃないか。こいつが強く拒否できない性格だと分かってるだろう」
関本も煙草を銜えて火を点ける。
「ひどい事言ってもいいか」
工藤が撲を見るから、撲に返事を求めているのだろう。『ひどい事』が何かは分からないけど、この状況でも充分過ぎるぐらいひどい有様だ。
おー、何でも言ってくれ。
撲の沈黙を工藤は了承だと受け取ったようで、先を続ける。
「一之瀬が俺の事で悩んだり苦しんだりするのが、俺は意外と嬉しかったりするんだよ。受け入れられないにしても、一之瀬が俺の事を考えている間は、俺と言う存在が一之瀬の中にあるわけだろう。俺の望んでいるかたちじゃないにしろ、どこかで一之瀬と繋がっていると言うことが、俺には必要なんだ。うまく言えないけど、俺が存在する意味を見出せるって言うのかな」
工藤は僕が苦しむ事で、自分の存在を僕の中に見出している? ある意味残酷とも言える状況が嬉しいだと。 確かに僕は告白されたことをきっかけに、常に工藤の存在を意識するようになった。だけど僕は同期である彼が好きだったし、関本を含めた三人の関係を大切にしていた。その関係性をぶち壊した工藤を、今はどこかで恨んでいると言っても良い。工藤がやった事は十分に『ひどい事』に違いない。それなのに僕は、そんな目にあってもこれが『ひどい事』だと、言い切ってしまう事への戸惑いがあるのも事実なんだ。
僕は彼の告白に断固とした態度を取ったことがあるか? 否。
あのキスはするべきじゃなかった。逃げるなり突き飛ばすなり、回避できたはずだ。僕は工藤に言い寄られて、満更でもなかったんじゃないか?
その証拠に僕はキスされた後に、そっけない態度の工藤に腹を立てたじゃないか。その後も、僕は工藤を遠ざけるようなことはしなかった。結局、こうやって僕はこの先もぐずぐずと悩む。こんな僕をひたすら待ち続け、どこかで期待する工藤は、もっと苦しいはずだ。
「俺がこの先ずっとこのままでも、それでもおまえは平気なのか?」
撲は思わず聞かずにはいられなかった。工藤はゆっくりと撲を見る。
そして少し照れくさそうに笑った。
「一之瀬はそのままでいい。俺はそんな一之瀬が好きなんだ」
女だったら、今の一言で恋に落ちたかもしれない。いや男の僕であっても、十分胸に響く言葉だった。好きだと言う気持ちの前には、男であるとか女であるとか、そんな拘りなんかいらないとさえ思わせるものだった。
僕はそんな工藤から眼を逸らすことができなかった。
「一之瀬をどうしたいんだ」
関本の冷静な声で魔法が解ける。工藤がゆっくりと関本に視線を移した。
「お前に関係あるのか?」
工藤の語り口は静かで穏やかだったが、何物も寄せ付けないと言うような響きがあった。三年の付き合いで、工藤が関本にこんな口の利き方をするのは始めてだ。それだけに、あの関本が声を詰まらせた。まるで初対面の相手を見たかのように奇妙な顔をする。
ひんやりとした空気がその場を支配していた。こんな時、さり気なく修正できるのが工藤だったはずだ。和ませる冗談が言えるのは関本の役目。二人ともどうしたって言うんだ。僕は緊張の糸を、どちらかが切ってくれることを祈るように待っていた。
口を開いたのは工藤だった。
「お前も好きなんだろう、一之瀬が」
その一言は、僕が今夜なによりも衝撃を受けた一言だった。




