16
関本は恐らく工藤と別れたそのままの足で、僕の部屋を訪ねたようだ。会社帰りのスーツのままで鞄を提げていた。帰って着替える時間も惜しいと言うことなんだろう。それくらいに爆弾発言だったことが窺える。
「入っていいか」
普段そんな事も聞かずにズケズケ入って来るくせに、今日に限ってやけに他人行儀で、それがなんとも不気味な雰囲気だ。関本がどうして僕の部屋を訪ねたのかくらい当に察しが付いているから、僕だってなんだかぎこちなくなる。
「晩飯か?」
テーブルに載っている弁当とビールをチラリと見て、関本が言う。
だからって遠慮なんてしないのだろう。
「珈琲でいいか?」
僕の問いかけに、関本は頷いてから思い直したように「やっぱりビールにする」と言った。僕の冷蔵庫には常にビールのストックがある。もちろん関本はそれを知っているからそう言うのだ。
そうだよな、これからする話しは、アルコールでも飲まなきゃ遣ってられない話になるだろう。僕だってもっと飲みたい気分だ。
僕は冷蔵庫から缶ビールを二つ取り出す。関本はスーツの上着を脱いで、さっきまで僕が座っていた位置に腰を下ろす。しかたなく、僕はテレビが見える辺りに座る。
関本の斜め前の位置。
決してテレビを見に来たわけでもないだろうに、二人で暫くはなんとなく画面を見るともなしに眺める。それぞれに缶ビールのプルトップを開けて、ちらりとお互いの様子を眼の端で意識しながら口をつける。
じれったい。
いっそ僕から「おまえ、聞いたんだろう」と言ってしまおうか。僕が逡巡していると、徐に関本が口を開いた。
「一之瀬」
「うん」
来たぞ、来たぞ、ついに来た。襟元の毛が逆立つような気がした。
「さっきまで、工藤と飲んでたんだけどな」
知ってるよ、とは流石に言わない。僕は関本がどんな風に切り出すのか、まさに癌を宣告される患者のような気持でそれを待っていた。
「おまえ、工藤に告白されたのか?」
いかにも関本らしい、簡潔でストレートな聞き方だった。僕はビールを噴出す事も、酷く驚いて見せるなんて小芝居もしない。
黙って一口、ビールを飲む。やけに苦く感じるのは気のせいなのか。
関本だって今さっき工藤に聞いた事が、嘘や冗談なんて思ってはないだろうけど、どこかでその事実を受け入れる事ができないとでも言うような顔で僕を見ていた。
「聞いたのか、工藤に」
今さら、誤魔化しはしない。
それに撲は、これ以上関本に秘密を抱えているのが辛くなっていた。どこか、ホッとする自分がいる。
「おまえの口からも聞いておこうと思ってな」
「言われたよ、好きだって」
「そうか」
関本はビールの缶をテーブルの上でクルクルと廻す。汗を掻いた缶がテーブルに丸い痕を残す。関本は考え事をしているような顔でそれを暫く眺めてから、探るような眼で僕を見た。
「それで……おまえ、どうするんだ?」
どうするって。
「どうもしないよ」
なにも考えないうちにするりとその言葉が出た。
僕はどうにもなりたくない。工藤は同期で友人であり、それ以上でも以下でもない。彼が異性に感じるような感情で僕を好きだとしても、到底その気持ちを受け入れることはできない。流行り風邪のように、やがて熱が下がれば、工藤だって我に帰るに違いない。姑息な人間と思われようが、このまま静かに熱が下がるのをただ待つ。今の僕にはそれ位しか、成す術が思いつかない。
それよりこんな話を聞かされた、関本はどう思ったのだろうか。
「驚いたか?」
僕は恐る恐る関本を窺う。
「まあな」
関本の顔には困惑の色が見える。男に好きだと告白されたことによって、僕自身がどこか異質な存在だと思われたのだろうか。
「だけどな」
関本にしては珍しく、ちょっと言い淀んだように一呼吸おいてからこう言った。
「俺は、たぶん気付いていた」
関本のその言葉に僕は驚く。
僕は鈍いのだろうか。一緒にいて工藤がそんな風に僕を見ているなんて一度も感じた事がなかった。工藤の秘められた思いを、もう一人の同期が図らずも嗅ぎ取っていたと言うのに。
「俺は分かんなかったよ」
手元の缶を見ながら僕は呟く。
「一之瀬らしいな」
乾いた笑い声をたてて関本はビールに口をつける。気持の良いぐらい喉をならして飲む姿を僕はぼんやりと見つめた。関本だって、こんな話を聞きたくもなかっただろう。工藤の告白はもう一人の同期まで巻き込んで、僕らの日常に波風を立てた。
関本はすっかり飲みつくすとビールの缶をテーブルの上に置く。僕はおかわりを取りに行くつもりでテーブルに手をついた。
何を思ってそうしたのか、関本が撲の腕を掴んで引き止めようとした。
「なんだよ」
撲は関本の眼を見た。これは当にデジャヴ。
この状況は、先週玄関先で僕と工藤との間に流れた空気となんだか似通っていると思いながら、僕は再び同じ過ちを犯す。どうしてこうも学習能力がないのだろうか。今回はまさか関本が、と言う応用編であったとしても。
関本は掴んだ腕に力を入れた。その強さに撲が眉を寄せると、少しだけ自分の方に引き寄せるようにして顔を傾けた。
唇が触れたのは一瞬で、それは、あっと言う間であっけなかった。
撲を好きだと告白した工藤にはそれまでの伏線があってのキスだったが、関本のキスは余りにも唐突で意味が分からなかった。男に好きだなんて言われる男なら、キスぐらいしてもいいだろうくらいの感覚なのだろうか。それとも男とキスをするのがどう言う事なのか、自分でも試してみると言う事だろうか。
「なんだよ」
それ以外にどう言えばいいのか分からなくて、まるでオウムのように同じ言葉を繰り返していた。
男とキスをするのは二度目で、撲はこの前よりはいくらか冷静だった。
「あいつにこう言う事をされるのが嫌なんだよ、俺は」
また、随分と勝手な言い分だ。
「だからおまえが……こんな事をするのか」
なんだか納得できなくて、僕は困惑した顔をする。
「俺にもよく分からない」
よく分からないからもう一度試す。そんなつもりが関本にあったのか、今度は撲の首に手まで廻して、強引に引き寄せてから唇を重ねてきた。それも、僕が今までに経験したことのないような種類のキス。僕の唇を抉じ開け舌まで入って来た。
現実逃避をしたいのか、どこかで冷静にこの事実を受け止めようと自分を落ち着かせたいのか、撲は今度も頭の中を空っぽにする。そうなると、やけに唇の感触だけが生々しく撲を捉えた。
こいつ、なんてキスをするんだよ。
関本は僕なんかが比べ物にならない位、こういう経験を積んでいる。この身をもって見せつけられたことに、男としてのプライドが揺らいだ。
おまけに唇が離れても関本はじっと撲を見つめ続ける。この男は悪びれる事もなく撲から眼を逸らさないから、まるで撲が悪い事をしたように眼を逸らす。
「バカ、飲み過ぎだよ。悪ふざけが過ぎる」
撲はこの暴挙を酒のせいにして、関本の手を振り払ってキッチンに立った。背中には関本の視線を感じながら、撲は平静を取り戻す為にガスコンロの上のヤカンでお湯を沸かし始める。
関本が煙草に火を点けたらしく、微かにその香が漂ってきた。
「いずれあいつは、こういう事をするんだろうな」
僕の背中に関本が言う。
だからっておまえがするのか。
キスならもう試したよ、と言ってやろうか。
果たして関本がどんな顔をするのか、僕はその誘惑に唆されそうになる。でも撲は、結局はそうしなかった。
幾分冷静さを取り戻した僕は、振り返って関本を睨んだ。
「おまえ男にキスなんかよくできるな」
「そんなに悪くはなかっただろう」
こいつら揃いも揃ってそんな事を言いやがる。
不覚にも撲は動揺した。
「そんな顔、あいつの前でするなよ。押し倒されたって知らないぞ」
なんとも物騒な事を言って僕をさらに焦らせた。
「そんな事になるもんか」
「おまえホントに甘いな」
関本が意地の悪い顔で僕を見る。僕は今やキッチンの安全圏内に退避して、そこから関本を睨みつける。
「好きだと言われたのは事実だ。だけど工藤だって、俺をどうこうしたいってわけじゃない」
「だから、やっかいなんだよ」
関本がフッーと白い煙を吐く。
「素直におまえを抱きたいって言うほうがよっぽどましだ」
「それのどこがましなんだ」
「いいか」
なんだが関本が少しずつ苛立ってくる。吸いかけの煙草を灰皿にぎゅっと押付けると、新しい一本を銜える。
「俺はモラリストでもなんでもないからな、男同士だからとかそう言うのはあんまり気にならない。ちっとは珍しいだろうが、世間にはそう言う嗜好だってある。工藤がそうであっても俺は一向に構わないさ。だけどこう言う事はやっぱりマイノリティなんだよ。俺はあいつにおまえとの関係が変な事になってないのか訊ねた。一之瀬ならともかく、あいつは俺が変に思わない程度に嘘が付ける男だ。それなのに、あっさりとおまえが好きだって打ち分けた。まるで俺に邪魔するなと言わんばかりだ。一之瀬が工藤をどう思ってるかは知らない。少なくともあいつが思ってるような感情を、おまえが今もっているとは思えない。おまえの性格からすると、強く拒否もできないだろうしな。結局はズルズルとあいつのペースに巻き込まれているんじゃないのか。おまえ、今そうだろ?」
僕は黙っている。関本はそれを肯定の意味に取ったようだ。
「自分でもかなりヤバイって分かるよな。おまえは強く拒否できなし、迷いすぎる。工藤はそこにつけ込むぞ。今はおまえをどうこうしたいって考えてないかもしれない。だけど、あいつは奥が深くて、複雑で、なまじ頭が良すぎる分だけ考えすぎる。男にも拘らず一之瀬を好きになってしまった事に深い意味を探す。おまえを抱いたらどうだろうか、いずれそんな事に捉われて雁字搦めになるのは眼に見えている。はっきり言って俺はあいつの話を聞いてゾッとしたね」
関本の言葉が少しずつ僕に染入る。撲の後ろでヤカンがピーピーと鳴り出すから、思考停止の状態で撲は黙って珈琲の準備をする。ドリップ式の珈琲を、まるで何かの儀式でも執り行うかのように時間を掛けてゆっくりとお湯を注ぐ。この間は僕にとって、クールダウンには丁度いい時間となった。
撲はさっきのテーブルに珈琲カップを二つ置き、関本は三本目の煙草に火を点ける。
「だからって、工藤を嫌いになったりできるか? 俺達、同期で友達じゃないか」
撲の言葉に関本が悲しい顔で笑う。
「おまえな」
関本だってそれは充分承知しているから、スッキリしない顔で撲を見返す。関本は言いかけた言葉を飲み込んで、撲の淹れた珈琲を一口飲む。
「どうにもならなくなる前に俺に言えよ」
関本はそう言って、今度は自分から眼を逸らした。




