15
議事録は三日以内に報告と言うのが、僕の会社のルール。各課から届いている資料を添付しながら、議事録を作成する。ある程度の雛形はあるので特に難しい仕事ではないが、僕はどこか上の空であの会議に臨んでいたので、ボイスレコーダーを聞きつつ細々とその作業は続く。
あれから関本の追及がどうなったかと言うと、まったくそこには触れてこない。もちろん僕らは仕事が忙しかったせいもあり、そんな話をする暇がなかったと言うのが正直なところだ。
それでも隣同士の席で、なんだかお互いに蟠りを残したままのような、あまりよろしくない状況だった。
もう一人の工藤も全く同様で、朝から夕方までほとんど会社にはいない。もはや彼にキスされた事など遠い記憶の角に追いやられて、それによって僕があんなに取り乱した事がなんだか懐かしいと感じられるぐらいになっていた。
そんなこんなで迎える金曜日。男に好きだと告白されて、実はまだ一週間しか経っていない。
あまりにもいろんな出来事が僕の身に降り掛かってきて、なんだろう、この一週間で僕は一カ月分ぐらいの経験をしたような疲労感がある。
僕は議事録のダメだしを食らい残業。
関本はそんな僕を残してサッサと帰宅。
工藤も帰社したかと思ったらいつの間にか姿を消していた。
この孤独感はなんだろうな。一週間前の無邪気な僕に戻りたい。
議事録はその後課長のダメだしを二度食らい、なんとかOKをもらって帰宅の途に着く。
いつもならほとんど撲の隣には関本がいて、週末の夜をほろ酔い気分で楽しく過ごす。なのに今日は、駅前のコンビニで買った味気ない弁当をチンして、ビールを飲みつつそれを食べる。
あれ以来なんだかしっくりと来ない三人の関係に、撲なりにストレスを感じているのは確かだ。だからと言って、今の僕には解決策は見当たらない。
見るともなしにつけているテレビは大して面白くもない番組がかかっていた。壁に凭れてぼんやりとそれを眺める。
どこかで携帯電話が鳴り出した。いつもなら帰って直ぐに充電器にセットするところだが、今日はなんだかそれも億劫で、そのままスーツの上着に突っ込んだまま。慌てて探り出したところで急に鳴り止んだ。
画面には工藤の名前。
今さらなんだよ、と思いながらも暫く携帯電話を見つめる。折り返しなんかしてやるものかと思っていたら、手の中で又もや暴れ出す。
暫くそのまま見つめていたが、結局、僕は不機嫌にそれに出る。
「はい」
『一之瀬』
久しぶりに電話越しに聞く工藤の声。明かに僕を動揺させた事には間違いなくて、そんな風に反応してしまう自分自身に戸惑いを感じるから、撲はそのまま黙り込む。
『おまえ、怒ってるのか』
そう言われて僕は少し苛立つ。
「怒らせるような事をしたって自覚はあるんだな」
『そんなに嫌だったのか』
僕は嫌で怒っていたのか?
そうじゃない気がする。でも今さらあの怒りの正体が何だったのかなんて、僕には説明ができない。
「俺はキスした事を怒ってるんじゃない」
そう言いながらも僕は、やはり尖った声を出す。
彼は微かに笑ったようだ。
『ずるいんだよ、俺は。一之瀬は逃げないと思う確信があってやった。ただ、いざそうしてしまったら、それはそれで俺にも戸惑いがあったらしい。恰好悪いけど、顔を合わせたらどうしていいのか分からなかったってのが正直なところだ。言っておくけど、男にキスするなんて初めてだからな』
「俺だってそうだよ」
『嫌じゃなかっただろう?』
この自信のある発言はどこから来るんだろうか。普通なら男にキスされて喜ぶもんか。
工藤のお陰で、僕は律義にもあの時のキスを思い出す羽目になった。
『思い出してくれたか?』
そう言って彼が笑う。
なんだかまるでテレフォンセックスでもしているような気分だ。
「どこから掛けてるんだよ」
僕は強制的に話題を変える。
『公園だよ』
「会社の?」
『そうだよ。一之瀬と待ち合わせたあの公園だ』
彼は『あの』と、その事にまるで特別な意味があるかのように楽しそうに笑って言った。 そんな風に笑う彼を僕は知らない。
「酔ってるんじゃないのか?」
僕は気遣うように彼に尋ねていた。
『そりゃあね、一之瀬に恋してるから』
ああ、これはかなり飲んでるぞ。
彼は普段お酒を飲んでもほとんど変わらない。そんな彼が、僕相手にこんな尋常でない台詞を言うってことは、いつも以上に飲んでいるのではないかと心配になる。僕なんかの為に、そんな事をする彼が信じられない。
酔って好きな子に電話するような、そんな男だったのか。
意外とロマンチストなのかもしれないと、ふとそんな事を考えた。
この流れで『好きだ』なんて囁かれでもしたら、ますますどうしていいのか分からない。
『一之瀬』
工藤が囁くように僕の名前を口にする。
僕は落ち着かなくそわそわとする。次にくるであろう言葉を受け止められる自信がない。 ところが、工藤は違った意味で僕を驚かせた。
『さっきまで関本と飲んでたんだ』
「関本?」
僕はワントーン声が飛びあがった。
なんだか怪しい展開になって来たぞ。
よく考えたら、それって結構まずくないだろうか。
会議室で工藤との事を詰められて、黙り込んだ僕に関本は『もういい』と言った。よく考えれば、あの関本がこのまま黙っている訳がない。煮え切らない僕に見切りを付けて、もう一人の工藤を詰問するぐらい、あの行動力のある関本なら十分やりそうな事だ。
僕は恐る恐る工藤を促がす。
「それで」
『一之瀬と何があったか聞かれたよ』
やっぱりそうか。
あの関本が、あれ以来行動を起こさないことが不思議だった。
とにかく落ち着く為に煙草を咥えて、火を点ける。
「おまえ何て言ったんだよ」
僕は先を促す。
ここで工藤は少しだけ躊躇ってから、ため息ともとれるような長い息を吐く。
『一之瀬には悪いと思ったけど、正直に話しておいた』
今度は僕が、ため息を着く番だった。
「おまえ、そんな事をして大丈夫なのか?」
それは偽らざる僕の本心だ。
男を好きだなんて、他人に公言しても平気なのか。
関本ならそれを知ったからと言って、誰かに吹聴してまわる事はないと思う。僕らの信頼関係は、それぐらいはある。それでもこんな話は、まず他人には知られたくない種類の話じゃないのか。
『いずれ関本は気付く。早いか遅いかの違いだよ』
工藤の言葉は、やけにさっぱりとしていて、どう返答して良いのか戸惑う。
『俺はね、寧ろ関本には知ってもらいたかった。俺が一之瀬を好きだってこと』
それはどう言う神経構造なんだろう。まさか、関本に対する牽制の意味だと言うのだろうか。
関本に嫉妬すると言った工藤。
工藤が関本をそこまで意識する理由が分からない。
僕は携帯電話を握り締める手にじっとりと汗を掻きながら、この状況を整理する。工藤が僕に告白した事を、もう一人の同期が知ってしまうことによって、僕ら三人の関係がどう変化するのか。僕はなによりもそれを恐れている。こんな状況を作り出した工藤を、ある意味恨めしく思った。
ここで、大きなドアチャイムの音に僕の思考は停止した。
「ごめん、誰か来たみたいだ。その話はまた」
僕は一方的に電話を切る。
正直、その来訪者に感謝したいぐらいの勢いで、よく確かめもしないでドアを開ける。
でもこれはないんじゃないか。
一難去って、又一難。
金曜日なんて嫌いだ。きょうは13日じゃないだろうな。
僕は玄関先に立つ、関本の姿に絶句する。




