106.俺たちの作戦は泥舟にすら乗れていない
――鐘が鳴り響いた瞬間、空気が変わった。
普段なら「酒場の新メニューお披露目」くらいの盛り上がりだが、今回は違う。誰もが息を呑んだ。いや、正確には息を呑む音すら巨体の足音にかき消された。
大地が揺れる。
いや揺れるなんてもんじゃない、村ごとマッサージチェアにされてるレベルだ。背中の骨が勝手にゴキゴキ鳴ったぞおい。
「で、でけぇ……」
後ろの誰かが言ったが、あれは控えめすぎる。あれはもう「景色」だ。建物三つ分の高さで、しかもメタリックに光っている。おい、誰だよ「大きなネズミ」って言ったやつ。お前の目は節穴か。
「ひぃぃぃ、やっぱ無理だろこれぇぇぇ!」
「落ち着け! 俺たちには凶夜さんがいるだろ!」
「やめろ! 期待値を上げるな! 俺はギャンブルでしか役に立たない男なんだぞ!」
そうだ、俺に期待するな。期待されると外すんだよ。ガチャと同じだ。
「ふぅーっはっはっは! 来ましたねアルクキヨジン! さぁ、私の蒼炎の魔眼で地に伏すが良い!」
横を見ると、クラリがいつの間にか高台に登って仁王立ちしていた。
おい待て。何で演説モードなんだ。そんな目立つところにいたら格好の的だろ!
「クラリぃぃぃ!! 降りてきなさい!今じゃない、今じゃないだろぉぉぉ!!!」
「お黙りなさい! 今こそ世界が私を必要としているのです!」
いや世界は必要としてないからな。村人もギルドも全員、今の時点で「こいつ黙らせろ」って目で見てるぞ。
アルクキヨジンが一歩踏み出した。
ズドン、と衝撃。おそらくギルドが仕掛けた罠だろう、それが炸裂する。
火薬、杭、落とし穴。全部まとめて――が、巨人は微動だにしない。
いや、落ちた穴は逆に埋め立てられただけだ。罠職人が泣いてるぞ。
「な、なんで効かないんだよぉぉ!」
「分かってたろ!? 心のどこかで薄々分かってたろ!?」
ギルド全体がパニックになりかける。
そのとき、ミールが俺の袖を引いた。
「キョウヤ……あれ、目……」
言われてアルクキヨジンの顔を見上げる。
片方の瞳が異様に赤黒く光っている。
なるほど、クラリの魔眼が効くとしたら、あそこしかない。
「クラリ! あの目だ! 早く降りてこい!お前の出番だぞ!」
「任せなさい! このクラリオット・ノワールの魔眼にかかれば――」
…ドゴォン!
巨人の腕が振り下ろされ、クラリが立っていた高台ごと吹き飛んだ。
「クラリぃぃぃぃ!!!」
「だ、大丈夫! 私は鳥のように舞い、猫のように着地――ごふっ!」
クラリが見事に地面に突き刺さった。なんとか生きているようだ。ナイス泥沼。
「……よし、分かった。俺が時間を稼ぐ。ミールはクラリを頼む。何とか使えるようにしてくれ」
震える手を無理やり押さえつけ、ギルドで借りた剣を構える。
本当は逃げたい。だが、もう誰も逃げられない。
あいつを止められるのは――いや、止めるしかないのは――
「キョウヤ! 僕もいくんだよ!」
ミールが隣に並ぶ。
その顔は真っ青だが、瞳だけは強く光っている。
「大丈夫。なるようになるんだよ!」
「……あぁ、なるようにな。そのためにもお前はクラリを助けてくれ。話聞いてたよな?な?」
巨人が咆哮を上げた。
空気が震える。俺の鼓膜も、心臓も、全部震える。
だがもう震えてる暇はない。
「野郎ども! 作戦開始だ! 生き残りたきゃ、俺に賭けろぉぉぉぉ!!!時間を稼ぐぞおおおお!」
「「「うおおおおおおお!!!」」」
矢が放たれ、魔法が飛ぶ。だが巨人の装甲にはじかれる。
「効いてねぇぇぇぇ!」
「むしろ矢が折れた分だけ赤字だ!」
「お前ら静かにしろ! やるしかねぇんだよ!」
アルクキヨジンの足が振り下ろされる。
大地が割れる寸前、俺は叫んだ。
「ミール早くしてくれ! はやくぅ!」
同時に俺は地面を蹴り、剣を振り上げ――
巨人と人間の戦いが、マジで始まってしまった。