記憶を消した男
志磨は、社長ルームの机で浮かない顔をしていた。突然、ドアをノックする音にハッとなった。
「――どうぞ」
志磨はそう言って、席を立った。
ドアを開けて入って来たのは、みさ希と時田、そしてサキチ。サキチは、以前のミッションに参加していたこともあり、みさ希に話を聞くだけでもと、呼び出されていた。久那崎が記憶のすげ替えを行った夢世界は、サキチがダイブしていた夢世界だったからだ。
志磨はソファに座るように促し、自分も開いたスペースに座った。
サキチは志磨の表情がいつも以上に暗いと感じていた。自分の知り合いの記憶を、自分が作り出した夢のような機械でせっかく思い出せることが出来たというのに、いたずらに変更されてしまったのだ。ショックを受けているのだろうと、サキチは思っていた。
すると、その志磨が口を開いた。
「さっき、工藤春香さんの母から電話をもらった。自分たちが記憶しているものと違う発言が出ていると。春香さんだけでなく、ご両親や春香さんの家族も困惑している様子だった。一体何が起きているのか説明してくれと言われたが……侵入した久那崎という少女が記憶を書き換えたことなのはわかっていたが、母親には調査すると伝えてその場は終わった」
志磨は話をしていくうちに表情が苦しくなり、最後は手で額を抑えこむほどに。
みさ希と時田は、コレと言った反応は見せず、表情は崩さなかった。けれど、サキチだけは、まだこの件を楽観視していた。
「あの、もう一度クライアントの夢に潜入して置き換えられたピースをさらに置き換えればいいんではないですか?」
サキチは思ったことを口にした。
すぐに、そうだね、といった言葉が出てくるとサキチは思ったが、待っていたのは沈黙だった。サキチは、その返答のない間が自分の発言に間違いがあると気づいた。しかし、何がどう間違っているのかまではわからない。
「サキチくん。理屈はそうよ。でも、置き換えられた記憶がどこまで影響を与えているのかは計り知れない」
と、みさ希。
「それに、置き換えられたアトラクタの箱を呼び戻すことはおそらくできないと考えられている」
時田が、みさ希の説明に付け加えた。
「えっ?」
「アトラクタの箱は、記憶の何かを思い出そうとしている時に現れるものだ」
「じゃぁ……」
「思い出した記憶に、同じアトラクタの箱は出現しない」
「そんな……。――!」
ふと、がっくりしたが、すぐにテニスコートのフィールドでの出来事を思い出した。
「そういえば、初めてクライアントの夢にダイブした時のテニスコートで起きたあの現象って、あの時点で久那崎がピースを置き換えていた……」
「あぁ、あの時……」
時田もその時の状況を思い出した。
「最初、オペレーションルームのモニターに夢世界が映し出されなかった時の――。ハル・レゾナンツ値を上げて夢世界の映像を映し出したんだった。あの時点で久那崎さんがクライアントの脳波を横から取得していたから、3Dシステムの取得データ量が少なかった。だから、モニターすることができなかったのか」
「俺があの時、何が何でも先にアトラクタの箱を開けておけば……」
サキチは肩を落とした。
「悔やむ気持ちはわかるけど、いまさらあの時のことを考えてもどうしようもないよ。認めたくはないが、久那崎さんがあの時点では一枚上手だったんだということと、あのシステムと僕らがまだ未熟だった。同じことが起こらないようにしていかないといけない」
「はい……」
――あの異常な状態に何か気づいていれば、侵入は許せたとしてもピースの置き換えは防げたかもしれない。
「そうね。侵入対策は開発室に今は委ねるとして……」
みさ希はキリッと表情を引き締め、頭を切り替えた。
「今はこれからをどうするかを考えましょう。アトラクタの箱が出てこない以上、ピースの置き換えをすることはできない。時田さん、何か案はありますか?」
「んー、正直、これだという案はない。まだ空想的なもので。でも、これを実現する他ない気もするんですよ」
「どんな?」
「口では簡単に言えるけど――最近書き換えられた記憶を呼び集めて、正しい記憶で上書きする」
更新履歴の範囲を指定して検索した結果が、画像ファイルを並べたようなイメージを頭の中に思い浮かべた。それを上から元の正しい記憶という紙を貼っていくとすれば……。確かに、想像するには容易いが、実際人の記憶でできるのであろうか。
一同は同じようなことを考えていた。
「確かに、口では簡単に……。それを3Dシステムでやるには現行仕様だと難しそうですね」
みさ希は渋い顔をした。
「まぁ、開発室が本気を出せば、できなくもないと考えてはいるんだけど。本当の問題は、正しい記憶をどう作り出すか」
「久那崎さんは、ネットで拾った人物画像ですげ替えたって言っていたので、同じことを、つまり正しい人物の写真で、もう一度上書きすればいいんじゃないですか?」
サキチは久那崎があざ笑いながら話していたことを思い出して言った。
「まぁ、彼女の方法はピースがあればの話。ピースは使うことや、ましてアトラクタの箱はない。僕の方法論も確実ではないし、何よりすげ替えられた記憶、この場合はある人物が別の人物に入れ替わってしまっている。ある意味、特定の経路の色が塗り替えられてしまっている。そこに付随する細かく分かれた枝の道にすら及んでいるかもしれない。それがどこまで続いているのかは現状わからない。それを確実に直す打ってつけの正しい記憶が、こんなにも近いところにあるにはあるんですが……」
時田は、下を向いて話を聞いている志磨をチラチラと見ていた。
サキチは、時田の視線に誘導されるように志磨を見たが、どういう意味かわからなかった。ただ、時田と志磨は、夢乃調査室の設立メンバーであると聞いたことがあった。二人の間でやりとりされる無言の意思疎通なのだろうか。
サキチはなんどか視線を時田と志磨を行き来させると、志磨が顔を上げた。
「その話は俺からしよう」
志磨がそういうと、一同がいっせいに志磨を見た。
サキチは、少し胸の高揚感を覚えた。普段、志磨と話す機械は少ないため、志磨から何か話を聞けることが妙に不思議であり、興味があった。
「しかし、その話をすれば、苦しく――」
その時田の言葉をさえぎるように、志磨がすぐに言葉を重ねる。
「どのみち、知れること。むしろ、先に伝えておけば混乱は少なく済む。それで記憶が戻るかは別だが……」
「……あの、なんのお話を? 苦しくって、どこから体調を崩しているのですか?」
時田と志磨の会話がわからなかったみさ希が間に入った。
「いや、そういう訳じゃないんだ。心配はいらない」
志磨は苦し紛れに笑顔になったが、目が笑っていなかった。みさ希は、はぁと軽く納得した形になったが、内心はそうではない。サキチも同じ気持だった。それは、時田の様子を見ればすぐにわかる。
時田は気が気でない様子で、その場に落ち着いて座っていられない子供のようだった。
「これから話すことは、このミッションのバックボーン。とは言っても、これは半分しか意味を成さないが」
「はい、わかりました」
みさ希が返事をした。
サキチは息を飲んだ。
時田は、ただ志磨を心配するだけだった。
「このクライアント・工藤春香さんは、俺の妻の妹さんなんだ」
「そうでしたか。だから、直接社長に依頼があったんですね」
みさ希が首を縦に振りながら、一人納得していた。夢乃調査室に依頼する時は、ウェブサイトの申し込みページから行うのが通常だ。
「あぁ。よりにもよって、春香さんのすげ替えられた記憶――人物というのが俺なんだ」
「えっ……。でも、それなら記憶の上書きはそれほど難しくはないのでは?」
すげ替えられた人物が不特定の人物ではなく、目の前に本人がいるならと、みさ希が率直な感想を述べた。
「それはそうも行かない」
時田がすぐに後に続いた。
「それはどういう……」
「さっきも話したが、ピースによる記憶の復旧で正しい記憶を順応させることができると思う。けれど、工藤さんの記憶には、過去何年もの場面場面で社長の記憶がたくさんあるはず。しかもお姉さんと結婚したとなれば、記憶は複雑極まりないほど絡み合っている。そこに出てくる何者かにすげ替えられてしまった社長なる人物全てに正しい社長像を上書きするのは、不可能」
「……」
みさ希とサキチは何も言葉が出ない。
「あっ! それなら……」
突然、時田が天井を見上げた。
「どうかしたの?」
みさ希が聞いた。
「いや、すげ替えられた社長なる人物だけを抜き出すのではなく、奥さんの綾香さんと一緒に抜き出せば全部ではなくとも、大方抜き出せるかもしれない。でも、結局、上書きするための正しい記憶がない」
「そんなはずはないでしょ。社長がいるんですから、ね」
みさ希はそう言って、志磨を見た。
「あぁ、そうだな。でも、あってないようなものだ、それは……。もう8年も前かな。春香さんからの頼みがあって、3Dシステムを作ることになった。今ではもう思い出となってしまった写真の入ったペンダント、自分が失くしてしまったそのペンダントがどこにあるか知りたいと言われてね。3Dシステムは、最初それだけのために作っていた。でも、それだけのためにあのシステムを作ったかといえば――」
と、志磨は額を押さえた。ぐっと目をつむり、頭痛に耐えているようにも見える。
――そのペンダントが10年以上前の夢にダイブするあのミッションだったのか。その記憶を取り戻すためにシステムを作るのが、この夢乃調査室のスタートか……。
サキチは一人、納得していた。
「――それだけのために3Dシステムを作ったかといえば、嘘になる。俺も、もしかしたら思い出したい記憶があるのかもしれない」
「思い出したい記憶ですか?」
「だが、それがなんだったのかわからない。俺は自らその記憶を消したらしい」
「自分で、ですか? 3Dシステムを使ってですか?」
みさ希が問うた。
「いや、自力で消した……と、思う。精神的に追い込みをかけていたのか……」
3Dシステムには、記憶を消す機能はない。久那崎が行ったように故意に記憶を上書きすることによって消す方法はあるかもしれないが、直接特定の記憶を消すことはできない。
――もし、それが出来たとしたら、すでに久那崎が実行していたはずだろうな。
サキチは、また久那崎が自分の眼下で自分の記憶にまつわる話をしていたことを思い出していた。
「後から時田に話を聞くと、俺は妻・綾香との記憶を全て消しているようだ。綾香と呼んでいるが、どんな人でどんなことをして二人で生きてきたのかもわからない状態だ」
「どうして、奥さんの記憶だけを……」
「俺の目の前で、事故で亡くなった……と、聞いている。当然、俺は記憶が無いからその状況すらわからない。本当に妻がいたのかさえも」
――社長にそんな過去が。でも、それなら、3Dシステムを使って記憶を取り戻すこともできるんじゃないのか? いや、消えてしまったものは無理だろう。
サキチはそう思ったが、ミッションとは関係なかったので質問はしなかった。
志磨はずっと額を押さえながら、覚えていない過去にあったであろう記憶を呼び起こそうとしているのだろう。顔には汗がじんわりと滲んでいた。その光景は、苦しんでいるようにしか見えなかった。
「社長! もうその辺で」
時田が立ち上がり、志磨の肩に手を置いた。
「あ、あぁ……」
志磨は息を吐いて、額の汗を手で拭った。ソファの背もたれに背をつけ、軽く深呼吸をする。息が上がっていた。
「なにか方法はないのかしら……」
みさ希は肩を落とした。志磨の過去を知って、気持ちが沈んだ上にこの後の潜入調査をどう進めていいのかわからなかった。時田でさえ、方法論が出ないのに、自分が何か発案できるとも思えなかった。
みさ希は、手持ちの手段を全て失ったようにも見えた。
「あ、あの」
サキチがスッと手を上げた。
「どうしたの、サキチ君」
「この件、ピナに相談してもいいですか?」
「「あぁ!」」
すると、みさ希と時田が、同時に言って今まで意気消沈していた表情に明るさが戻った。
「こんな時は、ピナちゃんね。いい解決方法を見つけてきてちょーだい、サキチくん!」
「えっ、そんな簡単に了承しちゃって――」
「構わない! 彼女の発想力には、素晴らしいヒントが隠されているからね」
時田も絶賛の許可を下ろす。
――アイツ、どんだけ信頼されているんだ……。でも、久那崎さんもそんなことを言ってたな。まぁ、遊ばれていただけなのかもしれないが……。
「じゃぁ、ピナと話してみますね」
「頼むわ、サキチくん!」
「は、はい」
サキチは、ピナへの高い期待感に、逆に戸惑い苦笑した。
「ところで、久那崎さんの様子はどうですか?」
すっかり呼吸を整い、顔色も元に戻り落ち着いた志磨が、みさ希に聞いた。
そういえばと、病院に運ばれたあとの様子はサキチも聞いていなかった。疲れと栄養不足が原因で倒れたとだけ聞いて、安心はしていた。
サキチは、あの時、まさか、久那崎をひっぱたいた後倒れたから自分のせいで頭に強い衝撃を与えてしまったのかもと危惧していた。
「はい。至って元気です。自宅にいた時より元気そうでした。食事もしっかり摂っているみたいで、とても顔色が良くなっています。私が行くと、嫌な顔はするんですが、話はちゃんとしてくれています。その辺りの物分かりは普通の女の子と変わらないですね」
みさ希は少し嬉しそうに久那崎のことを答えた。
「そうか。じゃぁ、引き続き経過を見てやってくれ」
志磨は何度か頷いた。
「はい、わかりました」
――どうして、そこまで久那崎の面倒を見る必要が?
サキチは、それが腑に落ちなかった。




