第15話 匂いに釣られた害虫の大群と、座標狂いの送風口
第15話です。カボチャの甘い匂いに釣られた害虫と、オリヴィアの誤爆ワープ!
三十五トンの巨大カボチャを塩蔵樽へと加工し終え、庭を水で洗い流していた昼下がりのことだった。
秋の爽やかな風が吹き抜け、ボロ屋敷の庭には干したばかりのカボチャスライスの甘い匂いがふわりと漂っている。
俺は道具袋の留め金を外し、中から真鍮の計算尺と革表紙の出納帳を取り出した。
縁側に腰を下ろし、陽光を浴びながら鉛筆を走らせる。
「塩蔵カボチャの大樽、二十個。乾燥スライスの天日干しトレイ、三十枚。よし、これで向こう三ヶ月の炭水化物とビタミンは完全に確保できたな」
「レン、わたくしたち、もうお腹いっぱいですわ。カボチャのスープも、ローストも、プリンも絶品でしたけれど……さすがにもうしばらくカボチャの顔は見たくありませんわね」
オリヴィアが居間の長椅子で、銀の扇子をパタパタと優雅に仰ぎながら足を組んでいる。
「贅沢言うな。食い扶持があるだけで現場労働者にとっちゃ御の字なんだよ」
「えへへ、カボチャの種も油を搾れば万能の薬用オイルになりますよ♪ ほら、ステラ特製・超濃縮カボチャ油です!」
ステラが両手で抱えてきたガラス瓶には、黄金色に怪しく輝くドロッとした液体が詰まっていた。
「ん。お肉、まだ食べられる。カボチャとお肉の炒め物、もう一回作って」
ベルカがチュウちゃんのモフモフした腹の上に寝転がりながら、ぼんやりと空を見上げて呟いた。
だが――そんな平和な時間は、突如として粉々に打ち砕かれた。
ブオオオオオオオオオンッ……!!
大地を揺るがすような、不気味で重苦しい羽音が西の地平線から響いてきた。
「なんですの、この不快な音は……? 耳の奥がビリビリ痺れますわ!」
オリヴィアが眉をひそめて立ち上がる。
西の空を見上げた瞬間、俺の全身の毛穴がキュッと引き締まった。
空の一角が、インクをぶち撒けたように真っ黒に染まっていた。
黒雲ではない。
一匹一匹が体長一メートルを超える、凶暴な肉食性甲虫――『ギガントイナゴ』の超巨大な群れだった。
数千、いや数万匹の赤い複眼がギラギラと狂気に光り、鋭利な鋼鉄の大アゴをカチカチと打ち鳴らしながら、甘い匂いの漂う煙突屋敷めがけて一直線に急降下してくる。
「ひえええっ!? イナゴの大群です! 魔の森の奥地に生息する厄災の害虫ですよ! カボチャの濃厚な糖分の匂いを嗅ぎつけて集まってきちゃいました!」
ステラが薬品瓶を抱えて裏庭を右往左往する。
「ん。虫、嫌い。足がいっぱいあって気持ち悪い。チュウちゃん、全部踏み潰して」
「キュイイイッ!」
チュウちゃんが毛を逆立てて威嚇するが、相手は空を埋め尽くす万単位の飛行部隊だ。踏み潰すにも限度がある。
「ちっ、俺たちが汗水流して仕込んだ冬越しの備蓄食糧を横取りする気かよ!」
倉庫番の三大責務は、『荷受け』『保管』そして『防虫防鼠』だ。
現場の資材を虫ケラ一匹に荒らされることなど、倉庫番のプライドが絶対に許さない。
「ステラ! 納屋の奥から波トタン板六枚と大型送風フイゴを引っ張り出せ!」
「は、はいっ! すぐ持っていきます!」
「倉庫の換気ダクト工学――『ベンチュリ効果・超高圧エアカーテン』を張るぞ!」
俺は道具袋からペンチと結束針金を取り出し、トタン板を湾曲させて狭いスリット状のノズルを即席で組み上げた。
流体力学の基礎だ。流路の断面積を十分の一に絞ることで、流速を十倍に加速させる。
「ベルカ、チュウちゃん! フイゴの足踏みペダルに飛び乗れ! 全力で踏み抜け!」
「ん。チュウちゃん、体重アタック!」
ドスンッ! ドスンッ!
体長五メートルの巨大ネズミがペダルを踏み込むと、トタンのスリットから――
ゴオオオオオオオオッッ!!
目に見えない超高圧の暴風が扇状に噴き上がり、裏庭の外周に透明な空気の防壁を形成した。
バチバチバチバチバチッッ!!
急降下してきたギガントイナゴたちが暴風に叩き落とされ、庭の手前で空中でもみくちゃになって渦を巻き始めた。
「よし、屋敷への突入は完全に遮断した! だがこの風速を維持できるのはチュウちゃんの体力的にもせいぜい十分だ。オリヴィア、この虫の大群を一網打尽にして誰もいない荒野へ捨てるぞ!」
「わたくしに任せてくださいまし! 空間ゲートでまとめて吸い込んで、誰もいない西の荒野へゴミ捨てして差し上げますわ!」
オリヴィアがフリルの袖をまくり、純銀の杖を大きく旋回させた。
「【広域吸引・次元転送ゲート】展開っ!」
イナゴの群れの直上に、直径十五メートルの巨大な漆黒の穴が開いた。
シュゴオオオオオッ!
大気圧の差により、渦を巻いていた数万匹のギガントイナゴが、巨大な掃除機に吸い込まれるように一瞬でゲートの中へと吸い込まれていく。
「やった! 一匹残らず吸い込みましたわ!」
「よくやったオリヴィア! ……ん? おい、待て」
俺はふと、オリヴィアの手元にある魔力羅針盤の目盛りを見て血の気が引いた。
「……なぁ、オリヴィア」
「何かしら、レン? 崇めてくださってもよろしくてよ?」
「お前……転送先の偏角補正ダイヤル、マイナス二十度回してないか?」
「あら? 西の荒野は西偏十度でしたかしら……?」
「西偏十度は荒野じゃねえ! 商業区の中心街――俺を無能扱いしてクビにしやがった『黄金の獅子』商会の本社穀物庫の真上だァァァッ!!」
「えっ」
パチンッとゲートが閉じた、次の瞬間。
西の空の彼方から――
ズドォォォォォォンッッ!!
巨大な屋根の崩壊音と、けたたましい警報の鐘の音が王都中に響き渡った。
【幕間:『黄金の獅子』商会本部の阿鼻叫喚】
王都西区・『黄金の獅子』商会中央倉庫。
かつてレンを「代わりはいくらでもいる雑用係」と嘲笑して解雇した支配人ガルディが、王都の食糧危機を見越して買い占めた特級小麦の山を前にワイングラスを傾けていた。
「ふはは! 王都の愚民どもが飢えれば飢えるほど、我が商会の小麦は金貨の山に化けるのだ! あの無能な倉庫番め、今頃どこかの路地裏で野垂れ死んでいるに違いあるまい!」
その時だった。
倉庫の天井ステンドグラスを突き破り、突如として空間に巨大な黒い亀裂が口を開けた。
ボトボトボトボトボトッッ!!
「ぎゃああああああっ!? な、なんだこれはァァッ!?」
空から降ってきたのは、激しい空腹で狂乱した数万匹の巨大ギガントイナゴの大群だった。
「ひいっ! 魔獣イナゴだ!」
「小麦が! 買い占めた穀物が一瞬で食い荒らされていくゥゥッ!」
バリバリ、ボリボリと凄まじい咀嚼音が響き渡り、わずか数分で金貨数万枚相当の備蓄穀物が灰燼に帰した。
「おのれ……誰の仕業だ……! ピンポイントで我が商会の頭上に魔獣の巣を転送するなど……!」
ガルディは血を吐いて倒れ、悪徳商会は一夜にして天文学的な負債を抱えるのだった。




