第1話 解雇通知と、床を突き破るポーション
毎日18時更新・全10話で第1章完結します。
本日(9/28)は連載開始につき、18時・19時・20時に3話連続投稿いたします!
解雇通知というのは、大抵の場合、何の変哲もない羊皮紙の切れ端で届くものだ。
「今日付で契約解除だ。荷物をまとめてすぐに出ていけ、レン」
商業都市リヴェルタの大手『黄金の獅子』商会。地下倉庫の埃っぽい明かりの下で、主任が吐き捨てた言葉はそれだけだった。
理由は聞くまでもない。商会が先週導入した最新の『自動仕分け魔導具』のせいで、手作業で荷物を括るだけの倉庫番が不要になったのだ。
俺には剣の才能もなければ、魔力もない。ギルドの登録票に書かれた特技なんて、『手ばかり・目分量』と『梱包』の二つだけ。持っただけで重さがグラム単位で分かり、紐を頑丈に結ぶのが人より少し手慣れているだけの、どこにでもいる平民だ。
「はい、お世話になりました」
文句を言っても給金が増えるわけではない。俺は腰の道具袋を締め直し、退職金代わりに投げつけられた銅貨五枚を懐に押し込んで、裏口から放り出された。
夕暮れ時のリヴェルタは、帰路につく商人や冒険者でごった返していた。
夕飯時の美味そうなシチューの匂いが路地裏に漂っている。だが俺の全財産は銅貨五枚。この街の相場では、安宿の素泊まり一泊が銅貨八枚だ。つまり今夜の俺には、野宿という極めてシンプルな選択肢しか残されていない。
「……実家に帰るにしても、乗合馬車の運賃すら足りねえな」
乾いたため息をつきながら、場末の貧民街を歩いていた、その時だった。
「出ていけ! この疫病神め!」
怒声とともに、路地裏の木造アパートの二階から、薄汚れた革鞄と鍋が降ってきた。
続いて、煤まみれの白衣を着た小柄な少女が、階段から転がり落ちてくる。
「お待ちください大家さん! 家賃なら今すぐ、この新開発の霊薬でお支払いしますから!」
「誰がそんな怪しい汁で家賃を受け取るか! 先週も床を腐らせただろうが! 今すぐ銅貨五十枚払えないなら、そのガラクタごと叩き出すぞ!」
階段の上で仁王立ちする豚のような体型の大家が、唾を飛ばして扉を叩き閉めた。バタン、と重い錠前が下りる。
路地裏の石畳に放り出された少女――年の頃は十六、七だろうか。ぼさぼさの亜麻色の髪を揺らしながら、大事そうに両手で抱えていたフラスコを持ち上げた。
「うぅ……どうして皆様、この素晴らしさを理解してくださらないのでしょう……」
少女の手にあるフラスコの中身を見た瞬間、俺の職業病が嫌な警報を鳴らした。
液面が、鍋の縁から指半本分のところまで波打っている。
しかも、ただの液体ではない。青白い燐光がバチバチと火花を散らし、ガラスの表面が内側からの異常な圧力でミシミシと悲鳴を上げていた。
「……おい」
俺は思わず足を止めて声をかけた。
「それ、何が入ってるんだ?」
「はい? 通りすがりの旅人さんですか? これはわたしが丹精込めて錬成した、ただの『下級すり傷薬』ですよ♪」
少女は満面の笑みでフラスコを差し出してきた。
「ちょっと純度を高めにしておきました!」
「高めってレベルじゃねえだろ! 液体の比重が水滴の形を保ててないぞ! 今すぐ火から下ろせ……って、もう火から下りてるのに勝手に沸騰してんじゃねえか!」
「えへへ、濃縮しすぎて外気に触れると自己崩壊熱を起こす仕様なんです♪」
「爆発するってことだろうが!」
ガラスにピシリと亀裂が入った。
逃げるか? だがこの路地裏の狭さでこれが弾けたら、俺も確実に巻き込まれる。
俺の手が、身体に染みついた倉庫番の反射速度で動いた。
「鍋を貸せ!」
地面に転がっていた真鍮の鍋を拾い上げ、フラスコを強引に奪い取って中身をぶちまける。
「ああっ! わたしの純度千パーセントのエリクサー原液が!」
「黙ってろ! 鍋の深さに対して原液の量が多すぎる! 濃いなら薄める、料理の基本だろ!」
俺は脇を流れる生活用水路の蛇口をひねり、バケツに水を汲んだ。
目分量で測る。フラスコの原液が約百ミリリットル。比重からして、通常の傷薬の十倍以上の密度がある。なら、水だけで薄めれば浸透圧で成分が分解して消滅する。アルコールで油分を繋ぎ止めつつ、冷水で急冷しなければならない。
「おい、さっきの鞄の中に消毒用の蒸留酒はあるか!」
「えっ、あ、はい! 一番安いエタノールなら三本ほど!」
「全部寄こせ!」
俺は片手で酒瓶の栓を歯で引き抜き、手ばかりの感覚を頼りに鍋へ注ぎ込んだ。
酒を六割、水を四割。
手首のスナップを利かせ、倉庫でペンキを撹拌するときと同じ一定の速度で、鍋を円を描くように揺らす。
バチバチと鳴っていた青白い火花が、水と酒に包まれてジュウウウッと白い湯気を上げた。
圧力が抜けていく。
荒れ狂っていた原液が、俺の目分量による希釈を受け入れ、見る見るうちに透き通ったエメラルドグリーンの穏やかな液体へと落ち着いていった。
「ふぅ……止まったか」
額の汗を拭う。
隣を見ると、少女が目を丸くして固まっていた。
「す、すごいです……! 触媒のバランスが完璧に均衡を保っています……! ただの目分量で、どうしてミリグラム単位の臨界希釈ができるのですか!?」
「ただの料理の味付けの直し方だよ。味噌汁がしょっぱかったら湯を足すだろ、それと同じだ」
その時、二階の窓がガラリと開いた。
「おい! さっきから外でガチャガチャとうるせえぞ! ……ん? なんだその美味そうな匂いは?」
大家の親父が顔を出した。希釈された傷薬から、蒸留酒とハーブの爽やかな香りが路地を満たしていたのだ。
親父は階段をドスドスと降りてくると、鍋の中を覗き込んだ。
「なんだこれは? 酒か?」
「大家さん、傷薬です! 試してみてください!」
少女が柄杓で液体を掬い、親父の突き出た腹――ではなく、湿布が貼られた腰にピシャリとぶっかけた。
「うわっ、冷たッ!? 貴様、何を……あ、あれ?」
親父が腰を押さえて静止した。
数秒後、親父の顔が驚愕に歪む。
「い、痛くねえ……? 三十年患ったギックリ腰の痛みが、跡形もなく消えている……!? それどころか、肌がつるつるになってるぞ!?」
「えっ、本当ですか!?」
少女が飛び跳ねた。
親父は鍋を抱え込み、俺たちの手を取りながら涙を流した。
「すげえ……本物の神薬だ! おい娘、家賃の滞納なんぞチャラにしてやる! それどころか、俺が持ってる別の物件をタダで使わせてやるよ! あそこならどれだけ爆発させても文句は出ねえ!」
そう言って親父が懐から放り出してきたのは、古びた真鍮の大きな鍵だった。
「東区の端にある『煙突屋敷』だ! 前の住人が夜逃げして空き家になってる! 好きに使え!」
宿どころか、一軒家が手に入ってしまった。
俺が呆然としていると、少女が深々と頭を下げてきた。
「助けていただき、本当にありがとうございました! わたしはステラ。しがない錬金術師です!」
「俺はレン。今日クビになった元倉庫番だ」
「レンさんですね! 命の恩人です! ぜひお礼をさせてください!」
ステラは嬉しそうに鞄を漁ると、手のひらサイズの黄色い金属の塊を取り出した。
「これ、わたしの自信作なんです。純度一千パーセントまで濃縮精錬した『純金』です♪ これでお家賃を払いましょう!」
「お、おう、ありがとな……って、うわっ!?」
ステラの手からそれを受け取った瞬間、俺の手首がへし折れそうになった。
重い。
親指大のサイズしかないのに、米俵五俵分――いや、それ以上の質量がある。
「重っっっっっっ!? おいステラ、これ鉄の何十倍の密度が――」
俺の言葉が終わるより早く。
ボムッ、と鈍い破裂音が響いた。
受け止めきれずに地面に落ちた小さな金塊は、まるで豆腐に焼印を押すかのように、石畳の地面を易々と貫通した。
ズブズブズブズブッ……!
金塊は凄まじい勢いで地面を突き破り、地下水脈の底、大地の底を目指すかのように一直線に沈んでいった。
足元には、親指大の深淵のような大穴がポッカリと残されていた。
二人の間に、完全な沈黙が流れる。
「……沈んだな」
「はい。大地の引力に引き寄せられていきましたね♪」
「家賃が消えたぞ」
「また作れば大丈夫です!」
ステラは満面の笑みでサムズアップした。
俺は懐から安い胃薬の紙包みを取り出し、粉薬を水なしでそのまま喉へ流し込んだ。
……どうやら俺の無職生活は、初日から胃に大穴が空く展開になるらしい。
---
【幕間:王都地質研究所の戦慄】
同じ夜。王都中央にある『王立地質天文学研究所』。
「しょ、所長! 地震計に異常値です!」
若手観測員が、針が狂ったように暴れる記録紙を抱えて飛び込んできた。
「リヴェルタ東区の地下深度五百メートル地点で、極小領域における局所的な超重力崩壊が観測されました! 岩盤を光速に近い速度で貫通し、マントル層へと沈降していく質量体が存在します!」
老所長が珈琲カップを取り落とし、ガタガタと震え上がった。
「ば、馬鹿な……!? 物質の原子間距離を極限まで圧縮した中性子星の破片でも撃ち込まれたというのか!? 一体どこの神話級魔導士が、東区の路地裏で世界を滅ぼす実験をしているのだ……!?」
---
――――――――――――――――――――――――
次回「お風呂を沸かそうとしたら、王城が水没寸前になった件」は【本日19時】に更新します!
少しでも「面白い!」「レン苦労人すぎる」「ポンコツ可愛い」と思っていただけたら、ページ下部の【ブックマークに追加】や【★評価(1〜5点)】で応援していただけると大変励みになります!




