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53.使命と苦しみ

何も無いという感覚だった。

長らく私を占めていた、燃え盛る心臓に、煮えくり返るはらわた。

その感覚が、プツンと途切れていた。


何も感じないって、何て楽なんだろう。


その瞬間、か細い琴線が上下に張った。

それは、頭頂から尾骨を走る、僅かな感覚だった。

唯一感じられるそれを確かめるように、琴線の軌道に焦点を向ける。


するとそれは快感となり、溶けてじわっと染み出すように、頭頂から尾骨の通り道で漏れ出していった。


あぁ自分がある、それだけで気持ちよくなれる。


意識するほどに広がって快感で満たされていく。じわりじわりと。

今までに味わったことのない悦びに、骨や内臓ごとどっぷり浸かるようだった。


強引な幸福は、私全体を満たそうとした。

それが全てを忘れさせて、そうして私が終わる。

そんな結末なら、受け入れてしまったのかもしれない。


……けれど私は忘れていない。


『納得を腑に落とせ』


勝手に脳裏をよぎった言葉は、私の意志に結びつき幸福を否定する。

こんな現実は、おかしい。だって現実の私は…


──私は、リーネを喰った。


灼ける痛みが、生きている自分を呼び起こす。

悦びは気持ち悪さに変わり、

忘却は絶望に変わり、

幸福は使命と苦しみに変わる。


「…リーネ!」


自分の声とともに開いた視界の隅に、腕らしきものが少しだけ映る。

身体を起こすと、そこにはうつ伏せになったリーネが倒れていた。


紋を開いてみると、微弱な生命の動きがまだ残っていた。

しかし、腹部に大穴があき、さらに上の胸あたりにも欠損が。


あ……

最初、焼かれた赤ん坊を見た記憶が重なった。

あの位置の内臓が……消えている。


きっとここを喰ったのだ。私が。

無意識に、リーネの背中に手をかざしていた。


(セティ、アテラの意識が戻った)


やろう、今すぐ。

思い出せ。あの時、私は確かにあそこを縫合して…


(アテラ何してる。紋はだめだ。死ぬぞ)


同じように緻密にできるかわからない。

けれどもう、時間がない。


(アテラ! アテ…)


焼かれた私をリーネに投影していた。

こんな苦痛、絶対にあってはならない。


『構造支配』


集中する。

作り上げて、同時に……回帰だ。

回帰属による治癒はリーネの得意技。強く思い、リーネの手さばきを再現する。


紋そしてデュナミス。同時に、同時に。


糸のような組織が形成される。

赤ん坊の内臓が戻る記憶を、私は可能な限り鮮明に思い出して再現した。


下腹部や腰、背中に違和感がくる。

これが腐り剥がれる前に、早く終えないと。


黄金の紋がリーネの欠損した内臓を形成し、灰色の粒子が周囲を繕う。

腹部の大穴も埋まり、血液は巡り始めた。


できた…かな


「ガハッ」


リーネの背中に液体が舞った。

それは紛れもなく私から吐かれた、虹色混じりの血液だった。


気持ち悪い。


(これ、どうやって帰るの…)


(アテラ!!何で無視した!)

(喰らったばかりでそれって……無理心中したいの?)


集中している間は驚くほど何も聞こえなかったのに、

急に騒がしくなる。


(…えと、リーネは絶対に、帰り道を用意してきてる。

 往復同じポイントに用意するのが転移の作法。

 だからリーネを見たポイントに立って)


リーネを見た位置は十数メートル先くらいか。

周囲の草木を思い出しながら、デュナミスで私とリーネのいる地面をずらしていく。


「ゴホッゴホッ」


これは、思った以上にやばいかも。

回帰属で体内の修復を試みる。

けれど、紋でみた私の体内は結構な割合崩れていて、そこは治らない。

骨ですら例外ではなかった。


少しずつ移動して、何とか辿り着いたと思うが何も起きない。


(あーきっと高さだ。ちょっと浮ける?)


言われた通り、デュナミスで地面ごと自分とリーネを浮かせた。


(もう少しだ)


二メートルくらい浮いたところで、景色は変わる。

そこは、見たこともない神殿のような建物の前だった。


「おお、予想通りだったか。

 ……二人でくること以外はな」


声のした後ろを振り向くと、真っ白なローブに包まれた覆面の者が立っていた。


「家に帰りたいだろう。だが、その女は置いていったほうがいい」


(そいつ、恐らく『ハヴィ』だよ)


お姉ちゃんの答えを待たずして、私は紋を使っていた。

ローブの中に、あの銀のマント形状が見えていた。


「嫌です」


「なに?」


「まだ応急処置もまともにできていな…ゴホッ…」


(『ハヴィ』は多分、リーネの味方じゃない)


(うん、わかってる)


ローブの者は、一歩、こちらに寄る。


重傷を悟られるな。相手に付け入られないように。

虚勢でも、強い意志をみせないと。

私は紋を閉じ、心を静めた。


「この者を貴方が助けるか、ぼくに委ねるか、どちらか…です」


「お前はこいつに狙われたのだろう?」


ローブの者はしゃがむとリーネに手をかざす。

私は、それを抑止するように彼の前に手をやった。


「……これで敵意は消える。

 そんなに大事なら連れて行ったらいい」


何を…した?


「消した?どうやって?」


銀のマントは覆面から覗く目元を綻ばせると、すぐ近くの地面を指さした。


「じきに分かることよ。

 あそこの三つの石の真ん中に立つのだ。それでお前の来たところに帰れる」


不気味だ。しかし今は、詮索している場合じゃない。


(信じていい?)


(どうだろう…)


(その先が罠ならば、リーネを置いていけとは言わないだろう。それに賭けるしかない)


セティの言う通りかもしれない。

そのままデュナミスにより石の上へ、地面ごと持ち上げる。


「また会おう。セシザの継承者よ」


継承。私がリーネから奪うところまで予想していたとでも?

…それよりもリーネを手当てしなもらわければ。


私は、顎に手を当てるローブの男をよそに、地面を下した。

すると、また景色が変わった。


そこは、ほこらのような入口の近く。

私は、引き続きデュナミスを使い、なんとか階段まで来ると、

下から勢いよく駆け上がる音がした。



「アテラ!」


ノアテラだった。

挨拶する間もなく抱きしめてくる。


あたたかい…。

暫くそうした後、手を解いて視線が合った。


「大きく、なったね」


あ。

これは包含で…


「この身体は…」

「わかってる。きっと大変な思いをしたんだって。

 何よりもセティが…」


(いきてるぞ)


「セティはここに」


私はせかされるのに合わせて、頭を指さした。

ノアテラは少しだけ驚いた様子を見せた後、穏やかに頷いていた。



その後、メイラによってリーネと私の応急手当がされた。

手術を経て教えてもらったが、私の背骨の半分ほどと、消化器官の一部が崩れていたそうだ。

腸などはメイラの手で縫われて、骨はオートマトンの骨格に用いる金属で代用された。

結果として、二日で私は生活に支障がない程度にまで回復したのだった。


歩けるようになると、すぐにリーネの様子を見に部屋に入らせてもらった。


ドアを開けるとすぐに、呼吸の音が聞こえてくる。


ベッドに毛布を掛けられたその姿は、さらりとした黒髪が垂れて、拘束具で固定された手足がのぞく。

その肌は、夜光貝を思わせる光沢のあるクリーム色がところどころにうっすら浮き出ている。


…リーネは変わってない。生きてくれて本当によかった。


「リー…」


顔に触れる手は止まった。

…目覚めてほしい気持ちはある。ただ、目覚めたリーネは敵か、それとも敵意のない別人か。


それでも、ごめんなさいって言い合って、そうしたら前みたいに笑顔で……そうイメージで作るリーネの顔は歪んだ。

その顔は何かに怯え、私を見ようとしていなかった。

排除すべき対象、そう思われている限りは変わらない。


すー、すー


あどけなさをさらけ出すリーネの寝顔は小さく上下する。わからない。…それが怖い。



夜。

久しぶりにメイラ、ノアテラと一緒の食事をすることになった。


「よくやったよ。まさか本当に最高栄誉を取ってくるなんて」


「本当はハクレイという仲間が受賞したのですが、目的が一致していて…」


「ほう、どんな?」


「スピリエの闇を暴くって」


怪異を目の仇にするメイラ達に、怪異を解放するなんて口が裂けても言えない。


メイラは一瞬、時が止まったかのように手をとめると、俯いて笑みを浮かべた。


「若いなあ。そんな程度じゃ足元をすくわれるのが関の山だ。

 ……だが、気に入った。今度そいつを紹介しろ」


銀の群に誘うつもりだろうか。

関わるのならば殺すくらいの覚悟で。そんな冗談めいた本心がうっすら感じられる。


そう、スピリエはあまりに多くの闇をもっている。

今気になるのは、デュナミス喰らいのことだ。

私は、デュナミス喰らいが『ハヴィ』とは異なる意志で動いていたことを伝えた。


「……敵対関係でないことは確かだ。スピリエが協力しているのは事実だからな。

 だがもしそれが本当ならば、あいつが中央のトップに上るのも時間の問題だろう」


セティの上の上の存在。私と意思決定AIを連れてきたあの黒い枝のいるところが、スピリエの狙いなのかな。黒い枝とスピリエの関係は…

そうだ、セティの完全な記憶を持つお姉ちゃんなら何か知っているかもしれない。


自室に戻ると、私は頭上の玉に向かって尋ねた。


(ねえ、セティは誰が作ったの?この世界に私を連れて来た黒い枝はなに?)


(え、急になに?)


(教えて。お願い)


(ごめん…黒い枝なんてのは初耳。セティを作ったのは、多分デュナトスだよ。

 デューナメースが抱える最上位の…まあスピリエみたいな存在)


(え、他にもいるの?)


(うん、スピリエは比較的新しいTier1デュナトス。勿論それより前からいる人たちがいる。

 デューナメースの中央と言えば普通そっちの方を言うよ)


スピリエがデュナトスの頂点で、そこから組織ができている。そう思っていたけれど、簡単じゃなかった。

リーネをあんなふうにしたのはどっち…


(中央は、『ハヴィ』ほど強くないの?)


トントン


扉を叩く音がした。


「なんでしょう」


ガチャ。

扉が開く。


「アテラ。言い忘れていたんだが」


メイラが紙を突き付けてくる。


「見事、狙った組織が就職先の候補にある。

 お前はこれからハヴィにて活動してもらう。そこならば、禁書の書庫に入れる日も遠くない」


ハヴィ。スピリエの私兵であり、人を殺さない技術に長けていたセシザの所属する部隊。

そして、中央の犠牲になるための存在と言われていた。


望むところだ。



「…わかりました。…一つ、お願いがあります」


「なんだ?」


「セティの身体を、作れませんか」



決めた。

ハヴィの中で信頼を得る。

それで犠牲からみんなを遠ざけながら、禁書を手に入れる。

スピリエと黒い枝の真実は、絶対に暴いてやる。


きりがよい&書き溜めたいため、更新を約1か月お休みします。

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