第二十四章 悪魔を守る者
アオは地面に転がるショウビの頭の前で、立ち止まって考える。
今の自分は、頭をふっ飛ばされて、口の中にあるヒイラギの脳幹がどこかに飛び散ってしまわない限り、誰にも倒せない。
クロとユキの二人は、首を切断して頭だけを金属の檻に入れたので、そこから出る事すら不可能だ。
地面に落ちている『蟲のオノ』と『渇きのナイフ』は、頭だけになったショウビには使いこなせないし、『灰色爆弾』は黒い玉の状態で離れたところにあるから何の危険もない。
もう、このまわりに自分を脅かすものは何もないはずだ。
…………なのに何かが引っ掛かる。
何がそう感じさせるのか?
だがそうやって考えている間にも、ショウビの頭の再生が少しずつ進んで、首の下の肉が盛り上がってきている。
いくら何でも考えすぎか…………。
そう思ったアオは、ショウビの頭をつかんで持ち上げる。
すると近くに落ちていた『蟲のオノ』と『渇きのナイフ』が黒い玉になって、コロコロと地面を転がる。
それらの武器は流れ込んでいた力を使い果たし、武器の形を維持できなくなって黒い玉に戻ったのだ。
しかしアオは、それを見て違和感を覚える。
何かがおかしい。
そう思いながら、ふと離れたところにある『灰色爆弾』の黒い玉を見て、その違和感の正体に気が付く。
『灰色爆弾』と思われるその玉だけ、他の玉とはわずかに色が違うのだ。
ひょっとしてその玉は、魔物の武器などではなく黒くて丸いだけの普通の石?
……ならば…………本物はどこだ?
その時アオはなぜか唐突に、ヒイラギの力を初めて吸収した者の、暴走を止める儀式を思い出す。
その儀式では、暴走した者の足の裏に『暗黒爆弾』を触れさせて力を消費させていた。
つまり力を吸収している者なら、黒い玉を手で握らなくても、身体のどこかで触れるだけで武器の形に戻せるのだ。
そして『灰色爆弾』は武器の形に戻しても、小さなサイコロほどの大きさにしかならない。
しかも『暗黒爆弾』とは違って、『灰色爆弾』の方は衝撃を与える必要もなく、武器の形に戻してから十秒が経てば自動的に爆発する…………。
「あっ!」
アオがそのトリックに気付いた瞬間に、手に持っていたショウビの頭が爆発する。
ズガン!
ショウビはさっきの戦いで、アオに片脚を切断されて転がった時、本物の『灰色爆弾』である黒い玉を、こっそり口の中に入れていたのだ。
その爆発で、半径一メートル以内にあったアオの頭も、アオの口の中のヒイラギの脳幹も、アオが持っていた全ての魔物の武器も、何もかもがふっ飛んでまわりに飛び散る。
ブシャアアアアアアアアアアアアアアアア!
それからしばらくしてショウビは、うつ伏せに倒れたまま、身体の胸のあたりまで再生したところで意識を取り戻す。
首を回すと、かなり離れた場所に、同じように身体を再生している途中のアオが、仰向けで倒れているのが見える。
アオの口の中にあったヒイラギの脳幹の細胞は、どこかに飛び散ったので、もう彼は『死神忍者』と同じスピードで動く事も、両手武器を無限に使う事も、瞬時に身体を再生する事もできない。
『死神忍者』以上の怪物だったアオが、やっと自分と同じ普通に倒せる相手になったのだ。
さらにアオは勝利を確信していたはずだから、精神的にもダメージを受けただろう。
この流れでいけば、きっと勝てる。
すると意識を取り戻したアオがうめく。
「うう…………さすがだよ、ショウビ……。『灰色爆弾』は、爆発するピッタリのタイミングでぶつけるのは難しいが、目標が自分から近付くように仕向ければ、そんな事は関係ない……。でもまさか君が、黒い玉にそっくりな石を持っていたとは…………」
「詰めが甘かったな、アオ! お前は、私の頭をさっさと粉々にすれば良かったんだ! そうすれば私も、口の中に隠した『灰色爆弾』を爆発させる事はできなかった!」
その指摘に、アオは弱々しく答える。
「そのとおりだ……。君に強烈な敗北感を味わわせて服従させるために、意識を保ったまま行動不能にしようとした、私の考えが甘かった…………。次はちゃんと君の頭を、粉々に破壊するよ……」
「ふん! そうは、させるか!」
ショウビはそう言いながら、まわりを見回して武器を探す。
魔物の武器は、他の魔物の武器の攻撃でも破壊される事はないので、さっきの爆発でふっ飛んだものは、どこかその辺に転がっているはずだ。
本当は武器よりも、ヒイラギの脳幹の細胞を先に見付けたいが、再生するスピードが遅いヒイラギの細胞は、まだ目に見えないほど小さいだろうから、今は探しても時間の無駄だろう。
それからすぐにショウビは、遠くの方にある黒い玉を見付けて、アオよりも先にそれを手に入れるために必死に地面を這う。
だが腕が肘のところまでしか再生されていない上に、上半身だけなので、なかなか身体は前へ進まず気ばかり焦る。
ところがふと見ると、なぜかアオの方は動く気配すらない。
「なんだ、アオ! お前、もうあきらめたのか?」
「……いや…………。どうせ最後に勝つのは私だと分かっているから、焦る必要がないんだよ」
「なんで、そう言いきれ…………」
そう言いかけてショウビは絶句する。
まだ再生途中のアオの腕の下に、黒い玉があって、それが『無慈悲なカマ』の形になったからだ。
アオは、呆然とするショウビを見て笑う。
「ハハハハハ! どうだ、ショウビ! 私がふっ飛ばされた場所に、ちょうど魔物の武器があるなんて、ただの偶然じゃないだろ? 私が勝つという結末は、すでに神がお決めになった事なんだよ!」
そのあまりにも不公平な状況に、ショウビは思わず歯ぎしりをする。
「ぐ……………………」
必死に考えて、アオと互角に戦えるようにしたのに、その結果がこれか…………。
十一才で事故に遭い、両親を失って障害を負った後、看護師たちにひどい事をされ続けた三年間で、この世界がどれだけ不公平かは十分すぎるほど理解していたが、ここまで自分に運がないとは…………。
しかしショウビは、すぐに前を向くと再び這って進み出し、それを見たアオは呆れる。
「おいおい、ショウビ! もうあきらめろ! この武器は、私の指先が再生されるまでは使えないが、君があの黒い玉に近付くのは、それよりもずっと時間が掛かるだろ?」
アオが言うとおり、ショウビの這うスピードはイモムシのように遅い。
『無慈悲なカマ』をアオが使えるようになる前に、遠くにあるその黒い玉のところまで行くのは、どう考えても間に合わないだろう。
けれどショウビは、進むのをやめない。
「なんだよ、ショウビ! 君はそうまでして、この世界で生き延びたいのか? だったら私の計画を手伝えよ! そうすれば寿命が来るまで、あらゆる病気やケガを恐れずに生きられるぞ!」
だがショウビにとって、こんな世界で生き延びる事など、どうでもいい。
この世界では、どれだけ善良な人間でも、虫だと思った相手にはあらゆる残虐な行為ができてしまうし、自分の子供を犠牲にして全ての人々を救う事を計画する、アオのような男が正義とされてしまうのだ。
そんな世界で生き続けても苦痛しかない。
しかし自分が死ねば、誰がヒイラギを守るのか?
魔物に奪われれば人類が滅亡し、人々を救おうとしても争いの種になるヒイラギは、人類にとって悪魔のような存在だ。
そんな彼女を放って、自分一人が死ぬ訳にはいかない。
心が壊れて、逃げる事も抵抗する事もできないヒイラギを、たった一人でこの世界に残す訳にはいかないのだ。
だからショウビは地面を這う。
けれど黒い玉までの距離は、まだ半分にも縮まってないのに、もう腕が手首のところまで再生されてきている。
同じタイミングで粉々になったアオも、同じように再生が進んでいるので、アオが『無慈悲なカマ』を使えるようになるのも、もうすぐだ。
アオは仰向けで倒れたまま、再生が進む腕を上げて笑う。
「ハハハハハ! ショウビ、もうすぐ君ともお別れだ! ヒイラギの力で、全ての人々が救われた世界を、君に見せられなくて残念だよ! ハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
ショウビはアオの笑い声が響く中で、それでも地面を這い続ける。
くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ!
その時、地面を這うショウビの腕が、何の変哲もない石に触れる。
その石には、ほんの小さな血の粒が付いていた。
するとそれに触れた瞬間、ショウビの全身が再生される。
その血は、ヒイラギの脳幹の細胞だったのだ。
アオがそれを見て叫ぶ。
「ああっ!」
ショウビは素早く両手を着いて身体を起こし、地面を蹴ると、黒い玉のあるところへ跳ぶ。
ザッ!
そして落ちていた黒い玉をつかんで、それを武器の形に戻しながら、倒れているアオに向かって走る。
ダダッ!
その手に握られた武器は『虚無のヌンチャク』だ。
ゴオッ!
驚きで目を見開くアオの頭が、砕かれると同時に、その武器の軌跡に沿って発生した虚無に浸食されて消え、残った彼の身体が腐ってボロッと崩れる。
ショウビは、そのアオの残骸に向かって、つぶやく。
「……あそこの石に、ヒイラギの細胞が付いていたのは、ただの偶然だ…………。お前が言う、神の意志なんかじゃない……」
だがそれは偶然でも、あの時、少しでもあきらめていたら、それに触れる事もなくショウビはアオに殺されていた。
ヒイラギを守りたいという意志が、これほど強くなかったら、ショウビは死んでいただろう。
「結局、私がまだ生きているのは、ヒイラギのおかげか…………」
そうつぶやきながら、ショウビは持っていた『虚無のヌンチャク』を圧縮して、黒い玉に戻す。
実はショウビは、アオを倒して『虚無のヌンチャク』を奪ったら、それでヒイラギを殺して、自分も死のうと考えていたのだ。
しかし、いざその武器を手にすると、さすがにそんな気にはなれない。
ならば自分も、このまま生き続けなければいけないのか…………。
「はぁ…………」
ため息をついたショウビは、首を切断された時に腐った、もとの自分の身体から服を脱がせて、それを着つつ、ヒイラギの脳幹の細胞が、再生されて大きくなるのを待ちながら考える。
ヒイラギは生まれてすぐに母親を亡くし、父親の事を知らずに育った上に、七年ぶりに現れた父親は、彼女を、人々を救うための犠牲にしようとした。
そんな、かわいそうなヒイラギに、死んだ両親すら愛せなくなってしまった自分は、何をしてあげられるのだろうか?
そうやって、しばらく考え込んだショウビは、手に持てる大きさにまで再生したヒイラギの脳幹をそっと両手で包んで、クロとユキの頭が入れられた金属の檻が転がる場所へ戻る。
それから、ヒイラギに触れて一瞬で身体を再生させた二人は、ショウビがアオを倒した事に本気で驚く。
「ええ! お姉さま、あのアオに勝ったんですか?」
「本当かよ、ショウビ! あんな怪物にどうやって勝ったんだ?」
「いいから二人とも服を着ろ。その間に説明してやるから」
二人がヘリから投下された荷物を開けて服を探している間に、ショウビはアオをどうやって倒したのかの説明を始め、その説明が終わる頃にはヒイラギも全身を再生できたので、ショウビが新しい服を着せてあげる。
「…………お姉さま、アオに殺されなくて、本当に良かったです……」
「いや本当に、お前が勝ってくれて助かったよ! だけどあのアオが、あんなに危険なヤツだったなんて、村の女たちが聞いたら驚くだろうな…………」
「…………もう、アオの話はいいだろ。それよりもっと大事な話がある」
ショウビは服を着せ終わったヒイラギの後ろに立って、その肩に手を置き、さっき考えた事を二人に話す。
「……………………私はヒイラギを養子にする。…………だから今から私は、ヒイラギのお母さんだ」
「ええ!」
「おい、ちょっと待て!」
驚く二人に構わず、ショウビはさらに続ける。
「…………そして私はクロと結婚する。……だから今からクロは、ヒイラギのお父さんだ」
「えええ!」
「待て! 待て! 待て!」
ショウビは、わめくユキを無視して、クロの目を見ながら微笑む。
「…………私みたいな美しい嫁がもらえて、うれしいだろクロ?」
クロは目を泳がせながら、必死に答える。
「も、も、も、もちろんです! お姉さま!」
「ちょっと待てって、言ってるだろ! コラ!」
ユキがあまりにもうるさいので、仕方なくそっちを向く。
「なんだ、ユキ」
「お前まだ十四才なのに、十才のクロと結婚して、七才のヒイラアギを養子にするなんて、そんな事が許される訳がないだろ!」
「誰かに許してもらう必要なんかない。あと、お前は他人だから、私の家族の問題に口を出すな」
「いや家族ってお前、結婚とか養子とかそんな事、勝手にして言い訳ないだろ!」
「子供を七人も作っておきながら、その女と結婚もしない、いい加減なお前に、そんな事は言われたくない」
「ぐ……………………」
ユキが黙ったところで、ショウビは再びクロを見る。
「あと、クロ。嫁である私に、お姉さまは変だろ。そうだな…………これからは私の事を、ショウビちゃん、と呼べ」
クロは冷汗をダラダラと流しながら、口をパクパクさせる。
「あう…………あう…………」
「さあ、呼んでみろ」
「……………………………………………………………………ショ……ショウビ…………ちゃん」
「なあに、クロ?」
ユキが絶叫する。
「気持ち悪いから、やめろおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「私たちは新婚なんだから、他人から見たら気持ち悪いのは、しょうがないだろ。まぁ、お前もそのうち慣れる」
「慣れたくねええええええええええええええええ!」
涙目になったクロの横で、ユキは頭を抱えて絶叫するが、ショウビはそんな二人の事は放っておいて、ヒイラギの長く美しい髪をなぜる。
アオの計画を阻止した以上、ヒイラギはこれからもずっと、人類から恐れられ憎まれる悪魔のような存在のままだ。
そんなヒイラギを守ろうとする自分は、アオの言うとおり悪なのだろう。
少数のために多数を犠牲にする行為が、悪だという事は自分でも分かっている。
けれど親なら、子供を守るために他のあらゆるものを犠牲にするのは、あたりまえの事だ。
それが悪かどうかなど、親にとっては関係ない。
だから、とショウビは思う。
たとえ人類を滅亡させる事になろうとも、母親である自分は、その子供であるヒイラギを守り抜くのだ。
完。