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ルミナの奏 ー淡い世界に春の祈りをー  作者: Kou
第0章 琥珀の残光
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0‐4

 あの日から三日が過ぎた。時間とは残酷なもので私の心が追い付かないうちに過ぎ去っていく。

 窓から差し込む日光は相変わらず淡い灰色に褪せている。

 私は一歩も外に出ず、冷え切ったキッチンの床で、兄様のエプロンをむねに抱いて動けずにいた。


 四日目の朝、鏡に映った自分の瞳が見えた。兄様と同じ琥珀色の瞳。


(……兄様。私は…私は兄様が姿を消した真実が、知りたいのです)


 瞳の奥に消えない()が宿っているのが見えた気がした。


 私はふらつく足取りで家を出た。三日間水以外は何も口をしていなかった身体は鉛のように重かった。でも、胸の奥にある熱だけが私を突き動かしていた。


「ふぅ…」


 私が兄様のためにできること。そのためには…

 バタン、と震える手で小屋の扉を開ける。

 そこには、森で仕留めてきただろう獲物を捌いているバルカスおじいちゃんの姿があった。彼は私に人目もくれず、低く、地を這うような声で言った。


「……ようやく来たか。三日も飲まず食わずでよく歩けたものだ」


 おじいちゃんは血の付いたナイフを置くと、手拭いで汚れを拭い、傍らの焚火で温めていた地位様手鍋を私の前に無造作に差し出した。


「…食え。あの日、お前の家のコンロに残っていたやつだ。俺の小屋の氷室で預かっておいてやった。…腐っちゃいねぇよ。話は腹を満たしてからだ」


 差し出されたのは、あの日兄様が火をかけていた、あのシチューだった。


「…これ、兄様の……」


 バルカスおじいちゃんは、私がここに来るのを見据えて…絶望を乗り越えて顔を上げてここに来ると…


「ああ、仕上げのハーブは、お前がその手に握りしめたまま枯れてしまったがな…」


 兄様のシチュー……

 私は震える手でスプーンをとり、一口、口に運んだ。

 ……温かい、でも…

 おじいちゃんが温めなおしてくれたはずなのに、私の舌が感じたのは、凍てつくような寂しさだけ。兄様が笑って味見させてくれた、私の大好きなあの味が、あの()がどこにもない。


「……おいしく…ない……兄様の…味じゃないわ…」


 ポタリ、と。シチューの表面に、私の涙が波紋を作った。

 バルカスは深く、重いため息をついた。


「…当たり前だ。…だが、それを飲み込まなきゃ、お前は明日を迎えられねぇ…」


 私は喉を締め付けるような悲しみを無理やり冷めたシチューと一緒に飲み込んだ。

 味がしない。温かくもない。

 けれど、この足りない味こそが、私が兄様を連れ戻しもう一度ともに過ごす日常を取り戻すための、たった一つの道標なのだと…


 最後の一口を飲み干し、私は空になった皿をおいてゆっくり顔を上げた。

 涙で汚れた顔。けれど、その瞳の奥には鋭い光を宿し、まっすぐとバルカスおじいちゃんの瞳を見た。


「……バルカスおじいちゃん」


 一度呼びかけ、私は喉の奥で言葉を改めた。

 甘えるための、いつものやさしさを求めるために呼ぶわけじゃない。兄様が、一人の男として彼を他ヨシ師匠として尊敬を込めておんでいたあの響きで。


「……いいえ、バルカスさん。お願いがあります。私に……力をください」


 バルカスの作業の手がピタリと止まった。

 彼はゆっくりと腰を上げ隻腕の大きな体で私を見下ろした。その眼光はいつもの慈愛にあふれたおじいちゃんのそれではなく、戦場を駆ける本物の騎士の鋭さをのぞかせていた。


「……後悔するぞ、ミア。俺の教えは森の獣をしとめるよりずっと過酷だ。……一度足を踏み出せば、もうこの平和な日常には戻れねぇ。それも覚悟の上か?」


「……望むところよ」


 バルガスさんを真っ直ぐに見据えた。

 視界の端で揺れる焚き火の光が、私の瞳を黄金色に縁取っている。


「……私は、こんな日常はいらない。兄様のためなら、そんなもの私から捨てるわ」

 その声に、迷いはなかった。

 兄様の命を削って作られた、温かいだけのスープ。

 兄様を忘れて平和な日常の中で生きるくらいなら…泥にまみれ、凍てつく荒野を這いずり回る方が、よっぽど兄様の側にいられる気がした。


 バルガスさんは、私の言葉を鼻で笑わなかった。

 ただ、隻腕の拳をゆっくりと握り込み、獲物を追い詰める狩人の……戦場を駆ける本物の騎士の眼光で、私を射抜いた。


「……フン、よく言った。……いいかミア、その言葉を忘れるな。お前が今日捨てたその平和な日常が、あいつが命懸けで守りたかったものなんだ……その願いをぶち壊す覚悟があるなら……俺が修行をつけてやる」


 兄様の願い……でも、

 ごめんなさい、兄様。私はあなたの願いを無視してでも、兄様がいない日常が耐えられそうにないの。

 だから、私は


「私は兄様の願いを無視してでも、剣をとります。きっと兄様も同じことをするだろうから」


 おじいちゃん……いいえ、バルガスさんは、乱暴に私の頭を一度だけ撫でると、背を向けて横になった。


「明日、夜明け前に家に来い」


「はい!」


 私はバルカスさんの小屋を飛び出し、夜の冷気に包まれた村の道を走って帰った。

 三日間絶望で動かなかった足が今は道しるべを見つけ驚くほどに軽い。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「……あいつの繋いだこの命、ただの灰色のままにはさせておかねぇからな」



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