第6話 警報
耳に響く高い音。
――うーん、無駄だなぁ。
と、レイスは思っていた。
警報というのは、何故にあんなにけたたましい音なのだろう。万が一にも聴き逃す隊員などいないだろう。なのにその轟音をなぜ長時間に渡って流し続けてしまうのか。さっさと警報を流した理由を放送をするべきではないのか。
「……それで、僕はどうするべきなんだろう」
エレベーターが到着した先、つまり入口。そこでレイスは早々に悩むこととなった。
「私もいますよ!」リバイアもいた。
――普通に考えれば、牢屋での緊急事態なんて脱獄くらい、だよね。それか外部からの襲撃。どちらにせよ、荒事だ。
火災等の原因も無いだろうし。いや、捕えられているヒトの能力如何によってはどうなるか分からないが、そもそも強大な力を持ったヒトを人間が捕えた事例などない。というより、なかった。
今回の吸血鬼が初めてだ。
「入口であるここで、脱走したヒトを待ちかまえればいいのかな……」
レイスは人間ではないが、残念ながらそこまで強くない。自分の力さえ把握できていない。それなのに、相手は人間ではないのだ。役に立つことができるのか。
――この状況で、相手があの吸血鬼君じゃない訳ないよね……。
意外と鋭いのか、それとも運命を信じているのか。単純に、“黒の牢獄”を脱獄できるような実力者を、あの吸血鬼以外に想像できないだけか。とにかく彼はそう考えた。
そう、格が違う。レイス如きが敵う相手ではないのだ。
本来、吸血鬼というのは。
圧倒的で、絶対的で、強大で残忍で。凡俗が“戦い”を挑める相手ではないのだ。
「レイスさんは!ここで待っていれば!……脱走したヒトは、ここまでたどり着くと思いますか!?」
リバイアがレイスを見上げずに叫んだ。視線は真っ直ぐ。左耳に手を当て(警報の音が邪魔なのだろう)、通路の先を見据えている。警戒している。瞳に映るは、灰色。
≪黒の牢獄≫とは言うものの、それは建物の外観と牢の色の話である。建物の中が真っ暗、ないし真っ黒で、右も左も分からないという訳ではなかった。
入口である地下一階(なのか?恐らく相当地下に潜ったと思われるが)の通路は灰色だった。壁は白。天井と床には照明が埋め込まれている。レイスは数多の牢獄を見比べてきた牢獄マイスターではないので断言はできないが、普通の牢獄のイメージよりはずっと明るい。それはここが入口だからだろうか。
直進した先に、広場のような空間がある。左右に道が分岐しているが、それは狭い通路にいる彼らには見えない。彼らに見えるのは、突きあたりにある二つのエレベーターだけだ。
「来ると思うよ」
リバイアに対するレイスの声は小さかった。警報が鳴りやんだからだ。
「副局長様がいても?」
リバイアは拗ねているようだった。
――僕たちの組織の象徴、核のような味方が、敵がより劣っていることがくやしい、ってことかな?
「副局長がただでやられるとは思わない。でもリバイアちゃん。相手が相手だから……何が起こるか分からない。何でも想定して、警戒しておかなくちゃ」
言いながらレイスは、リバイアちゃんだってちゃんと分かってるか、と思う。彼女が先ほどから緊張し、警戒しているのは、少ないながらも経験の賜物、そしてあの吸血鬼との邂逅からくるものだ。
「レイスさんは、誰が脱走したのか分かってるんですか?」
それでいて、誰が脱走したのかは見当もついていないらしい。それが子供故の無知で、想像もつかないからなのかはレイスには解らなかった。
「吸血鬼だよ。きっと彼が脱走したんだ」
レイスがそう言うと、リバイアはハッとしたように顔を上げた。「でも、それでも副局長様なら……」と小さく呟いたが、レイスはそれには返答せず、行動を起こす事にした。
警報が止まったことにより、それまでは聞こえなかった音が聞こえるようになった。「だつごくだってー!」
「まじかーたいへんだー」この場には不釣り合いでしかない、謎の声が聞こえてくる。
「……ちょっと進んでみようか」
レイスはブツブツと何かを呟いているリバイアを置いて歩きだした。悪気はないのだ、別に。
天井からザザッ、とノイズが聴こえたかと思うと、今更ながら放送が入った。
『全隊員に告ぐ! 魔人7が脱走! 魔人7は吸血鬼である、各人注意されたし! 吸血鬼は現在、地下6階から9階のどれかにいると予想されるが、実力の無い者は相手をする必要はないとのこと! 繰り返す――』
「随分直球ですね!!」
リバイアの声に力が入っているのは、恐らくレイスに置いて行かれたことに対する怒りを表現したいからだ。走り寄りつつリバイアは叫んでいた。
「吸血鬼と戦っても、十中八九命を落とすだろうからね」
「でも、私達、生きてますよね」
「それは……」レイスは自分の右腕を見た。リバイアに悟られないよう、こっそりと。「どうしてだろうね」
――本当に分からないんだ。
――あの日あの場所で、どうして僕が生き延びる結果になったのか、その過程を全く思い出せない。
通路の先、広場は言わば受付だった。来訪者の目的を訊き、入館許可を与える場所。入館?
一応、受付を担当している人物も看守という役職にはなるのだろう……外見からは、中々想像がつかないが。
端的に言うと、3人いて、1人はマトモで、あとの2人はおかしかった。
「はい、はい、では、今副局長は交戦中ではなく……はい……」
1人目はこの場所に、というよりまっとうな職が似合いそうな、30半ばに見える容姿の中年男性であった。誰かと通話しつつ、レイスとリバイアを横目で見やる。
髭を短く刈りそろえて、男らしくキメたかったのだろうが、生憎可愛い顔のせいで台無し。そんな印象だった。身長も低く、全体的に優しそうと表現する他無かった。可愛いおじさん枠のようだ。髭全部剃れ。
「ねー脱走したヤツつよいのー?」と電話の男を邪魔する少年と、「ねーおにいちゃん達なにしにきたのー?」とレイス達にちょっかいをかけてきた……こちらはスカートだから、少女か。は、どうやら双子のようだ。
9か10歳くらいか。髪は一般的な水色。このイェス大陸において古くから広く分布する髪の色だ。しかし、そこに橙の瞳が共存している。不思議な組み合わせだ、とレイスは思った。
二人共ヴァリアーの隊員服を着ているから、この若さで隊員という事になる。凄いけど、看守はないだろう、倫理的に。いや、やっぱりそもそもこんな若い子供に仕事させるべきではない。強くそう思う。時代の流れとは、かくも無情なものか……。
「電話中は静かに、ね?」
レイスが微笑みながら言うと、子供たちは「はーい」と元気よく返事をした。その返事も少しうるさかったが、さすがに聞き分けのいい子供にそんな指摘を重ねるレイスではない。
少年は電話が置いてある机に後ろ向きに飛び乗ると、足をぶらぶらさせ暇を潰し(潰せているのかは不明)始めた。少女はリバイアの手を引いて向こうに走って行く。
向こうでうるさくしようという算段だろうか。……鬼才現る。
「おねーちゃんこっちきてー」
「え、わわわ、うん。行くよ、行くから引っ張らないで!」
「おねーちゃんうるさいー」
ご、ごめん。そう謝るリバイアの様子に苦笑しながら、レイスは電話の内容に耳をすませる。
――緊急事態だし、盗み聞きもやむを得ない、と思う。仕方ないよね。
「ええ!? もう突破されたんですか? それで、吸血鬼は同族を連れて脱走? ――捕えていたモンスターを解放させて、大混乱!?」そこで男は、レイスを見る。電話の内容をレイスが聴いていることを前提に、レイスに状況が伝わる様に会話してくれているらしい。
「ええ、はい。――地下5階で。はい。4階以下のエレベーターは既に封鎖、と。それで、4階で部隊を編成中、上がってくるモンスターを食い止める、なるほど! 了解です! ……ところで、目の前に白い髪の少年がいるんですが、どうしたらいいでしょう? ――あ、わかりました。……君、レイス君だよね?すぐに4階に向かってくれ!」
4階というのは、勿論地下4階という意味だろう。
「分かりました!」
いまだに通話中の男から離れ、レイスはエレベーターへ向かう。4階まではまだ動いているはずだ。男もエレベーターを指差しているし、レイスにそこに乗れと伝えたいのだという事は容易に分かった。
レイスはあたりを見渡す。
――リバイアちゃんは?
見当たらない。水色がいない。双子の片割れに連行されたのか……どこまで?
仕方ないか、レイスはそう呟いて、エレベーターに入る。
地下4階のボタンを押して、扉を閉める。そういえば帯剣していない、ということに今更ながら気付いた。やばい。どうしよう。大失態だ。
「はい、おにいちゃん。これ」
そんな声が聴こえた気がしたのは、そんな時だった。
――いやいや、気のせいでしょ。
と、現実逃避する気にはならなかった。
レイスはすぐさま後ろを振り返ると、そこに居るべきではない少年の肩を両手で掴んだ。
「君! ちょっとさすがに危険だって10歳でも分かるべきでしょこればっかりは! 隊員なんだよね!? ね!? 僕がこれから行くのは、戦場なんだよ!?」
レイスに肩を揺さぶられるままガクガクている少年は、つい先ほどの双子の片割れだ。だが、その表情に恐れはない。むしろ、純粋な好奇心すら感じさせるようなもので。
レイスは2階、3階、とボタンを連打したが、エレベーターは止まらなかった。
「おにーちゃん、これ」
悪びれる様子も無く、少年はレイスに長いものを突きだす。良く見ると……良く見なくてもそれは剣だった。ロングソードだ。受付おじさんの管理下にある武器棚から引っこ抜いてきたのか。
抜き身の剣だ。
「こッ……子供がこんな危ないものもっちゃいけませんッ!」
レイスの中にあるオカンが覚醒しようとしていた。
「……でも、ありがとう! ……それより人に刃物を渡す時は」
「あ、切っ先をあいてに向けちゃだめなんだね」
少年は自らの間違いに気付き、それを正そうとする。
「やめてっ!? だからって君はこどもなんだからやっぱりいいよっ! あぶないよ!」
レイスは柄からロングソードを奪い取った。
――ふう、戦いの前に頭から血が出そうだよ……。
そうこうしている間に、エレベーター地下4階に到着してしまった。
レイスは少年に言い聞かせる。
「いいかい!? 僕がここを出たら、君はすぐに1階に戻るんだ! いいね!?」
「いやだ」
「いいんだよ!!」
ロングソードを握りしめると、打って変わって真剣な空気を身にまとい、レイスは開くドアに向かった。
慣れない武器だけど、やるしかない。一人でも犠牲を減らすために。
そして、開いたドアの、その先に、絶望を見た。
赤。
朱。
紅。
通路も、魔物も、隊員も、地に伏していた。あたりを染め上げる赤は、まさかこの地下4階の元々の意匠ではないだろう?
それを作りあげたのは、目の前にいる吸血鬼――、
そこまで考えて、レイスはようやくマズい、と思った。
少年を。
エレベーターで。
逃がさないと。
遅かった。遅すぎた。
吸血鬼は、閉まりかけたエレベーターのドアに向けて、何か巨大なものを投げた。
それは鋏だった。通路で横たわっている、モンスターのものだろう。先端が槍のように鋭い、巨大な蟹の鋏のようなものだ。それは勢いよくエレベーターの壁に突き刺さった。
――大きすぎる。
レイスの脳裏にジャイアントクラブという種族が浮かんだ。その答え合わせをする暇は当然無い。
エレベーターは不気味に鳴動した。
が、壁まで貫通し、恐らくその向こう側まで深く突き立ったそれは、エレベーターを落とすこと無くその場に串刺しにしたらしかった。
閉まりかけたドアは、鋏にあたり、異物を挟んだと認識し、もう一度開く。
閉まる。閉まろうとする。挟む。開く。
閉まる。開く。閉まる。開く。閉まる。開く。閉まる。開く。閉まる。開く。閉まる。開く。閉まる。開く。
閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く閉まる開く。
――あはははは。どうすればいいんだ。
吸血鬼の双眸がレイスを、そして少年を睨んだ。
――絶望しかないじゃないか。どうしたらいい?どうしたら少年を守れる?
考えろ、レイス。
レイスは自らを叱咤し、目を全開に見開いた。