ネクストプロローグ
本編ラストです!
場所はサンスタード帝国の首都ソルヴァーチル、その廃聖堂。
宮殿の敷地内にあり、王族以外の立ち入りが禁止されている、秘密の多い場所である。
花畑を中心に、他の世界と繋がっていた景色が解けると、周囲を包んでいた黒い霧が晴れていく。
この霧の外側からは中を見ることが叶わないのに、内部にいる人物からは外の様子が見えるという、高位の幻術らしい。
人間の英雄を描いたステンドグラスが夕日を受け、赤みのある大理石で造られた廃聖堂の床を、色とりどりの光で飾った。
それに着色されることを嫌うように、数歩後退して柱の陰に入ったのが鎖の騎士。
『――ほうら。ワタシの言った通り、無事に龍の花園を覗き見ることができただろう?』
邪気を隠そうともしない声色で、両腕を振り上げながら得意げに嗤った“幻想”。
その言葉は念話によって届けられているもので、それは同時にこの場にいる者全員が、“創造する力”を身に付けていることを示していた。
「卿の奸計に付き合わされた結果、我ら一同、三日に渡って不眠を強いられたのだがな。……グレアム、卿にとって、本当に招集される時間は不確定だったのであろうな?」
大柄な体躯を簡素な衣服で包み、その上からマントを羽織っただけという、大衆には決して見せない恰好で。
サンスタード帝国皇帝……ギャラティ・ジ・オールドマンは、立派な顎髭を引っ張る様に撫でつけながら問うた。
幻竜グレアムの人間体は肩をすくめてから、『まぁ、多少の苦労があった方が、その分達成感も感じられるでしょ』と嘯いた。
――睡眠を必要としない人外の特性を利用して、協力者であるはずの人間までをも弄ぶな。
そう薔薇騎士は思ったが、口には出さない。出せないのだ。彼女はこの場では最も地位が低い。……以前にも、同じような状況があったような気がする。
「だが、あの災害竜テンペストが発する圧は想像以上だった。……幻竜グレアム、貴公にあれを下すことができるのかは疑問が残る」
龍の一角である“幻想”に、しかし恐れる様子なく疑問を呈するは防壁の騎士。
新たに編成された四騎士の纏め役である彼には、その程度では“幻想”の怒りを買わないという確信があるのか、それとも。
『そりゃあ、生きてる年数が違うしねぇ。あの場にルノードがいれば、テンペストよりも強そうに見えたはずだよ。千年竜どもと見比べられちゃあ、ワタシが弱く見えるってのはあるだろうさ。けどね、』
大仰に両手を振り払いながらステップを踏み、廃聖堂内に集まっていた面々を見渡す“幻想”。
『――なにも、直接戦う必要なんてないんだ。今まで通り、ゆっくり。ゆ~っくり世界に混沌をもたらしていけば、好機は必ず来る。今回のルノードの死……殆ど自滅のアレだって、このワタシが組んだプランのうちの一つなんだから。……その効果のほどは、見てもらった通りだよ!』
両の拳を握りしめ、それぞれの人物の顔を注視していく。
その中にある欲望を見抜き、刺激するように。
『自分の家族を奪ったテンペスト。自分をこんな世界に引きずり込んだテンペスト。こんな世界に縛り付け、帰還を許さないテンペスト。そこにいるだけで黒竜との対話を遠ざける、あの最後の千年竜を殺してさぁ……』
各人を煽る様に、しかし最後には自分の中にある怒りを乗せ、“幻想”は口をひん曲げた。
『――取り戻すんだよ、広かった世界を! 己の誇りを! 家族を! そうだろ!?』
災害竜テンペストに対して、純粋な好感情を抱いている者はこの場にはいない。
皇帝に関して言えば、テンペストの行動が大きく利になったこともあるため、内心は“幻想”にも分からないが……。
――分からない。そう、分からないのが面白いんだよねぇ……。
グレアムにとって、ただの人間の心を覗き見ることなど容易い。しかし、問題は術が解けた後に、何かをされたという感覚は残ってしまうという点だ。よっぽど精神攻撃に耐性のない者でもなければ、この問題は常に発生する。
この場にいる全員が類まれなる精神力を持つ者、あるいは戦士である。
中には幻術を即座に看破し、撥ね退けてしまうクラスの超人も紛れている。
だからこそ、グレアムは彼らをただの人間と侮ることなく、対等な協力者として扱っている。対等な相手にするにしては、不遜な喋り方のままではあるが。
『で、その君ら全員の悲願を叶えるために、ワタシにもちょーっとだけ協力して欲しいってハナシなわけ』
――ワタシと君らとでは年季が違う。口だけでも、人間の統治する国を転がすくらい、容易いもんだね。
「……して、その条件とは」
低く、掠れた声。言葉少なに問いを放ったのは、四騎士の更に上に立つことになった剣豪、イービルモート。
刺殺卿の異名を持つ帝国最強の騎士は、“幻想”をしても、端から憑依を諦めてしまうほどの眼光を放つ。
――ほんとに人間か? コイツ……。
龍であるはずのグレアムが、一瞬固まりかける程の圧。己の誇りに掛けて恐れを抱くことも、汗の一つもかくことはないが、内心で舌を巻く。
『……テンペストに比べれば、ずぅっと雑魚な連中。さっき見ただろう、ワタシに突っかかってきた木竜ストラウスとかさ。あいつらのこともついでに全滅させたいと思ってるからさぁ、そこだけ協力して欲しいんだよね』
テンペストに比べれば弱い者たち。しかし、それを相手取るためにも直接出向く訳にはいかないということであれば、グレアム自身には高い戦闘能力がないことは確かなのだろう。
『テンペストの傍に控えているあの謎のガキも。水竜メロアも、海竜レメテシアも。氷竜ナージアも、炎竜レンドウも。ぜーんぶ綺麗に葬り去って。何も知らない龍だけで、綺麗な円卓を作りたいのさ、ワタシは』
だからこの竜は、いつも潤沢に手駒を用意し、自らは安全圏から策謀を巡らせる。
『――いや、もっと言えば、あの場にいた全員。世界の秘密に近づいた連中は、出来るだけ消しておきたいわけ。殺した傍から、あそこにいた奴ら……無駄に知識をつけた連中に、次の龍になられちゃ面倒だからねぇ』
防壁の騎士、鎖の騎士、薔薇騎士の3人が僅かに反応を示した。抑えようとして、それでも身体が動いてしまったというように。
あの中にいた、知り合いの姿を思い浮かべたのだろう。
その人物と戦う未来。戦わなければならない未来。もしくは、ようやく殺し合える未来。それらを想像し、何らかの感情を浮かべた。
双槍の騎士だけが、どこ吹く風という顔で愛槍の穂先を研いでいた。
「我はこの地から動けぬ。しかし、あの場にいた龍以外の者たち程度であれば、問題ない。我の目の前に現れ次第、滅する」
淡々と事実だけを述べるように、飄々と言ったイービルモート。確かに、あの灰色の“創造する力”に目覚めた龍もどきのジェット程度であれば、このバケモノの相手にはならないだろうな。グレアムはそうほくそ笑んだ。
『……まぁ、龍以外で君が勝てるか怪しいのは……レイスくらいだよ』
「それがあの白い少年のことであれば、それほどの脅威には感じない」
『チッチッチッ。相手に危機感を抱かせない……相手の認識を歪めちまうのが、あいつの一番厄介なところなんだよ』
右手の人差し指だけを立てて振りながら、わかってないなぁ、と憎々し気に吐き捨てるグレアム。
『だから今も昔も、誰もがあいつを殺せなかったんだ。あの野郎、せっかく一度は堕としてやったっていうのに、また表舞台に上がってきやがって……』
それが自分自身の肉体ではない、憑依体であるのをいいことに……グレアムはレイスへの憎しみのままに両手の拳を握りしめる。爪が皮膚を食い破り、大理石の床に血が滴っていく。
『あいつに関してだけは、そう悠長に構えていられないんだよねぇ。……これ以上力を取り戻される前に、潰しておかないと……』
誤って念話として漏らしているなどということはあり得ないだろうが、最早皇帝らに聞かせる為でなく、思索に耽りだすグレアム。
『……そういう訳で、ワタシには休んでいる暇なんて無いんだ。この世界をもっとめちゃくちゃにしに行かないと! じゃ、また一週間後に来るからねぇ』
そう宣言すると、幻竜グレアムは廃聖堂を去った。その場には憑依体である、使用人服を来た男性のみが残される。
掌の皮膚が裂けている痛みに驚くでもなく、何らかの指示を待つように、ただぼうっと立ち尽くしているその姿は、まさに操り人形と言うに相応しい。
グレアムによって人格を破壊された、道具の末路だった。
各国に何十人と用意されている憑依先の人間を利用し、その間を精神体となって飛び回ることで、その日の内に別の国ですらも暗躍してみせる……“幻想”以外の龍には不可能な離れ業である。
能力的にも……倫理的にも。彼と似た行為を選ぶことが出来たのは、金竜ドールのみである。
「――陛下。それで、無統治王国に対してですが……」
鎖の騎士の言葉に手を挙げて、「皆まで言う必要は無い」と示した皇帝。
「うむ。ルノードによる二度目の虐殺行為を利用しない手はあるまい。世界的にアニマの手配を開始する。魔国領にも、表向きには奴らを匿うことは許さぬ。そなたにはアニマ狩りの任を与え、殲滅部隊を預けよう」
「…………はっ」
その対応に文句はないと言うように、鎖の騎士は頭を垂れて拝命した。
「――そして、無統治王国も今宵で終焉とする。人界に過干渉する千年竜が消えた以上、新たな時代を作る時だ。竜の時代は終わり、黄昏の時代が幕を開ける。かの国に大公として擁立すべき傀儡は……ふむ。資料を見に行くとしよう」
「同席します」
皇帝に続き、防壁の騎士……エサイアス・ファン・デル・サールも廃聖堂を立ち去った。使用人服の操り人形も、何も言わぬままエサイアスに追従していく。
やがて、イービルモートは日課である鍛錬の時間が近づいていることを悟ると、亡霊のようにゆらりと動き出す。
「……我が弟子よ。心に迷いを抱えている状態では、お前は私には到底至れぬよ」
薔薇騎士の横を通り抜ける際、そう言葉を残して。
「…………分かっています、師匠」
廃聖堂に残されたのは薔薇騎士と、鎖の騎士と、双槍の騎士の3人……だけではない。
ステンドグラスから視線を落とせば、そこには橙色の光を僅かに放つ、等身大の女性の像があった。
直立し、両腕を真っすぐに横へと伸ばした格好で……背後にそびえる十字架に磔にされている。
長い髪が地面まで届いた状態で、存在ごと石に変えられたように。大理石の床と溶け合ったかのように接合されたそれは、その場から動かすことはできない。
物言わぬ銅像のようでありながら、それは確かに生きている。内部には命が宿っている。
そう知っているからこそ、薔薇騎士はそれを見ていると、常に心がざわついてしまう。
――同じ騎士として、このような仕打ちを見るのは……。
忸怩たる思いに駆られつつも、薔薇騎士にはそれを……イデア・E・リアリディを救う術がない。
あったとしても、この場所と立場を棄てることは難しい。
災害竜テンペストを殺害する。彼女の悲願の為にそれを果たすには、この組織に協力することが最善だ。何故なら、彼女の師匠は間違いなく人類最強だからである。
刺殺卿イービルモート。本名、テオドル・ガズディーク。
外の世界からの迷い人であり、その生涯の全てを打倒テンペストへと捧げた男。
彼の付いた陣営こそが、最後には勝利するのだと。彼女はこちら側の世界に来る以前から、それをよく知っていた。
雑念を振り払うように振り返ると、暗がりで何事かを思案していた鎖の騎士もまた、廃聖堂から立ち去ろうとしているところだった。
「……サオトメ。君は……何か、あのアニマという種族と因縁があるのかい?」
薔薇騎士の問いに鎖の騎士は足を止めてくれた。しかし、その口から漏れたのは、酷く突き放したような、苛立ちを多分に含んだものだった。
「ティーナ。あなたとはいい関係を築きたいと思っているわ。……だからこそ、それについては詮索しないことね」
その苛立ちの感情と共に、背中の辺りから薄っすらと立ち上った黒いもやが、ある種の答えだったのかもしれない。
イーストシェイドの……東陽人の特徴である灰色の髪に、帝国人の青い瞳を併せ持つ女性。
ゆったりとした服装は、他ならぬ薔薇騎士が彼女のために仕立てた戦闘用ドレスだ。
その裾から覗いた鎖が、蛇のように蠢いた。これ以上余計なことを言えば、たちまちそれが噛みついてくるのだろう。
薔薇騎士には知る由もないが、それは一部のアニマの間で“鎖操術”と呼ばれる戦闘技術だった。
「…………了解したよ」
その勢いに気圧され、薔薇騎士はなんとかそう返答し、足早に去っていく鎖の騎士……ロウバーネ・サオトメ・ヘイスティングズを見送った。
薔薇騎士としては、四騎士の中で唯一の同性であるサオトメとは、もう少し親交を深めたいと常々思っているのだが。
生憎サオトメの方には、歩み寄りたい気持ちがあまり存在しようだった。
――この雑念は、そう簡単には消えてくれそうにないよ。
故郷へ戻る。家族を取り戻すという彼女の悲願を成就させるには、この組織に属することは間違いではないはずだ。
しかし、かつての仲間たちの姿を見て、彼女は少なからず動揺してしまっていた。
――ダクト君、大生君、レンドウ君……皆。元気そうなのは何よりだけど。
――このままだと、君たちと刃を交えることになってしまいそうだよ……。
はぁ、とため息と共に左手で頭を抑え、柱に背中を預けた薔薇騎士……ヴァレンティーナ・ラーツォヴァー。
「雑念は良くないね。戦いの勘を鈍らせる。いい戦いが出来ないことは、人生の損失だよ……」
そんな彼女に、黙々と槍の手入れをしていた双槍の騎士がぼそりと言った。
ヴァレンティーナが出会ってきた中で、最も静かな戦闘狂。
「……………………」
ヴィンセント・E・パルメへと返事をすることはなく、彼女もまた廃聖堂を後にした。
双槍の騎士は無視されたことを気にしていないのか、それとも、そもそも薔薇騎士に向けて話しているつもりすらなかったのか。
「炎を操る吸血鬼……アニマ、かぁ。そんなに強いなら楽しみだなぁ」
本当に期待に胸を躍らせているのか、判断に困る声色で。
「……今までのどの吸血鬼より、手強いといいけどなぁ……」
数多の吸血鬼を葬ってきた愛槍、黒葬を撫でながら、そう呟いた。
古の時代に7本製造された、竜狩りの力を秘めるという銀色の魔槍は、ヴィンセントの家に受け継がれる宝物である。
代々龍の血に連なる者の血液を吸い続けたそれは先端から黒く染まり、より禍々しい形へと変貌し続けている。
現代では伝承の存在と言われるまでに吸血鬼が数を減らした背景には、常に彼の一族の働きがあった。
「9年前に今の僕がいれば、翼同盟の街とやらから生き残りを出すことも無かっただろうにね……」
かつて、稀代の戦士と言われた父ですら全滅させられなかったという、超種族の片割れ。
「楽しみだなぁ……炎竜レンドウくん……」
恋焦がれるようにその頭目の名を呼び上げ、最凶の吸血鬼ハンターは、己が炎竜の首を落とす光景を夢想した。
【緋色のグロニクル】 完
――という訳で、これにて「緋色のグロニクル」の本編は終了です!
最終話でも新キャララッシュみたいになっちゃってごめんなさい!一応言い訳しておくと、ヴィンセント以外は全員がどこかしらで名前くらいは出ていたはずです。
最終話までお付き合い下さり、本当にありがとうございました。近いうちに本編全体についてのあとがき回を個別に設けたいと思っています。その後は番外編をいくつか。
【番外編案】
・レンドウとマリアンネが仲良くしている、翼同盟の街を書いた過去回
・アドラスとニルドリルの出会いが明かされる過去回
・アミカゼが登場する戦闘回
など!
では、読者の皆様は是非ともヴィンセントと同じように、次回作でレンドウに会える時を楽しみにしていてください。