第233話 追悼せよ緋色
「――テンペストォ!!」
年若い少年が悲痛を訴えるような声色で、喚き散らしているドール。
それは痛々しく、ともすれば聞き入れてやりたいと、敵対していた俺ですら思いかけてしまうが。
……あいにく、同情心から自分の在り方を変えるような奴は、今この場所にはいないらしい。
「…………“黄金”。あなたは何か、勘違いをしているみたいね」
それは感情の高ぶりを一切感じさせない、凍てついたような声色だった。
意外だ。災害竜って言うくらいだから、なんていうか、もっとこう……破滅的な。世界に対して収まらない怒りを抱えているみたいな、怪物みたいな人格をしているのかと……。
「勘違い……?」
「ええ。あなたが死ねば、人間の帝国が弱体化すると言ったけれど。あたしにとって、それは別に関係が深いことではないわ」
「馬鹿な! ……全ての魔人を憎んでいるのだろう? お前は――」
「――本当に全ての魔人を憎んでいるなら、とっくに絶滅させていたはずだとは考えないのかしら? ――あたしにそれが、できないとでも?」
深い驚愕に見舞われ、取り乱した様子のドールに。ぴしゃりと言い放ち、今までをも超える圧を放ったテンペスト。
それを向けられているのは俺じゃない、ということだけが、俺が今気絶せずにいられる理由だった。
今まで感じていた龍たちからのプレッシャーは、別に俺達をビビらせようとして放たれていたものじゃないんだな。
強すぎる力に、勝手に俺達がビビっていただけで……。
「なら……お前の目的は……」
「人類の立場を復権させること。こっちの世界しか知らないあなた達には分からないかもしれないけれど、あたしは自由にこっちと向こう側の世界を出入りしているのよ? 向こう側に人間の世界を実現できた時点で、あたしの目的は達成されているわ」
……そうか。いや、考えてみれば、そりゃそうだよな。
テンペストが発生させている“嵐の海域”だ。その当人だけは自由に内外を行き来出来ることに、何の不思議もない。
向こう側に広がっているっていう、魔人が存在しない人間の世界は、そんなに安定した世界なのか。
だが、魔王ルヴェリスはこうも言っていたはずだ。
自分と同じように1000年近く起きていたと思われる災害竜テンペストの生に終わりが近づいているとすれば、再び内の世界と外の世界の交流が始まることもあるかもしれない、と。
そしてそれは、必ずしも幸せな未来に繋がっているとは限らない……。
外の世界の人間は、恐らく魔人の存在を受け入れられないだろうから。
ヒガサは5……いや、6年前にこっちの世界に迷い込んでしまったって話だったけど。もう少し、向こう側の世界について訊いておけばよかったな。いや、まさかこんな日が来るなんて、思いもしなかったから仕方がないが。
イェス大陸の半分だって周ったことがないし、まだ暗黒大陸にだって足を踏み入れたこともないってのに。……外の世界だなんて。
テンペストの自信満々な声色を見るに……あくまで俺の想像でしかないが、テンペストは向こう側の世界に大々的に受け入れられていると見える。
それこそ、彼女をシンと崇める国があっても不思議じゃない。
そこに生きる人々にとって、彼女こそが魔人を駆逐した英雄なのだから。
「大体、あなたは人間の為に努力していたと言うけれど。初代金竜から続くその贖罪すらも、あたしの厚意の上にあることを自覚した方がいいんじゃない?」
「…………なにを」
「地獄の苦しみを味わったあたし達だけど、何も全世界の魔人を滅ぼした訳じゃない。結果的にだけれど、その3分の1すらも殺していないわ。あたしとルノードがこっち側の世界に魔人どもを閉じ込めた後。……ユウコがあたしに頼み込んだからこそ、あたしはそこで虐殺をやめたのよ。……魔人どもが二度と外の世界に出て来ないことを条件に、あたしはあいつらの存在を赦したの」
……ユウコっていうのは、ルヴェリスがユウと呼んでいた人物と同じだよな。ルノードの姉のこと……のはずだ。
「その時、初代金竜が地に頭を付けて詫びたことなんて関係ないのよ。あいつが何代掛けて罪を清算しようと決めようが、それはもうあたしには関係がない。ただ、あいつ自身の罪悪感を雪ぐためのものでしかなかったのよ」
「こちら側の世界で……人間がどうなろうと、魔人が幅を利かせようと。関係がない……と……?」
「そうよ? ……あたしが、人間の幸せのために行動しているとでも思っていたのかしら」
「は……はは…………」
最後の精神的支柱を失ったかのように。ドールは乾いた笑いを浮かべながら、数歩後退した。
それによって白い椅子に座る上位存在に激突するかと思われたが、どうやら上位存在の周囲には見えない障壁のようなものがあるらしい。
ドールはそれに背中を預け、ずるずると崩れ落ちた。
「初代竜に運命づけられたこの贖罪すらも、ただの自己満足でしかなかっただと……? ……なぜ、この私がこれほどまでの苦痛を背負わなければならない? ……私は! 罪を犯した当人ではないのにッ!!」
ドールの頬を、大量の涙が伝っているのが見えた。
「私は、私の為にこの力を使ったことなどない!! 全てを人類のために捧げて来たというのに! 償うべきだった相手に、それすら無意味だと言われたなら!! ……私は。私は、何のために」
何のために生きてきたのか。どうして龍に選ばれたのか。どうして選ばれてしまったのか。
「普通に生きることもできず。普通に死ぬこともできず。何のために、400年の時を耐えたというのだ……?」
己の全てを否定され、深く絶望し、常人なら精神が耐えられない状況。普通なら、自殺を考えてしまうような状態。
あのニルドリルも、最後には自死を選んでしまったのだ。
……だけど、さっきと同じだ。
それでも、金竜ドールは止まらない。止まれない。
初代金竜に掛けられた呪いがある限り、誰に何を言われようとも、自分で自分の過ちに気付こうとも。
自分にその力を向けることはできない。
最終的には、初代金竜の意思のままに動いてしまう。
「……は、は……はははははっ」
全ての気力を失ったはずなのに。それでもドールは無意識にか立ち上がり、そんな己の運命を悟ったのか。
「まだ、動こうとする。してしまう。何の意味もないのに。何の贖罪になりもしないのに。ただ、奴の遺志のままに」
その泣き笑いの表情は、初代金竜への憎しみで満ちていた。
「なら……殺してくれよ……! この、止まれない身体を。何の意味もなく、ただ操られたように動くだけの……どうしようもない生を! ――お前の手で終わりにしてくれよおおおおッ!!」
その叫びを聞きながら、俺は泣きそうな気分になっていた。
それは、ともすれば。
順当に行けば、炎竜ルノードの後釜として龍となり、全ての人間からの恨みを背負う、アニマの王。
俺自身の、未来の姿にも見えたから……。
殺してくれと叫びながら、テンペストのいる世界へと走り出したドール。
だが、身体が雷鳴轟く世界へと侵入を果たすことは無かった。その両手が虚しく宙を叩く。
「…………ッ!!」
まるで見えない壁があるかのように、ドールの身体は花畑とテンペストがいる世界の狭間で止められた。勢いよく壁に激突した、という訳ではないようだが……。
「アアアアアアアアア――――ッ!!」
泣きじゃくりながら、虚空を引っ掻くように腕を振り回すドール。
それを哀れに思ったのだろうか?
「…………フゥ」
テンペストが左手を上げた。その人差し指が伸ばされているのか。――金竜ドールを、殺してやるつもりなのか。
そう、思われたところで。
「…………?」
テンペストが持ち上げかけていた左腕が止まった。
――ドールの傍らに、紫色の気配が移動していた。
そいつは、後ろからドールを抱きしめるかのように。
両腕でドールの頭部を包み込み。
「……そっちじゃあないだろう? おまえが憎むべきは。――ほうら、あっちだよ」
そう、囁いた。
「ちょっと、何をしてるんだよ!?」
木竜ストラウスがそれを咎めるような声を発したが、それすらも既に俺は意識していなかった。
――その、声。
こちらを向いたドールの瞳は、酷く虚ろだった。それは初代金竜から受け継いだ呪いに絶望したことによるもの……だけじゃない。
幻術を掛けられている。弱っているところに付け込まれたのか。龍同士でも幻術が通ることがあるのか。
違う。そんなことはどうでもいい。
「――ギアアアアッ!!」
あいつに操られたのか、我を忘れたドールがこっちに向けて突っ込んで来る。
ナージアがそれに応じるように飛び出したことを最低限確認してから……俺は、その脇を走り抜けていた。
全力で。加減なんて、考えもしなかった。
足裏で緋翼を爆発させるように。足先が削れようと、構うものか。そんなもの、すぐに再生してやる。
――俺は、あの声を知っている。前に一度、聴いているからな。
「おや……? ワタシの声を覚えていたのかい? 中々いい記憶力を――」
「“幻想”ォォォォオオッ――――!!」
忘れるわけがない。ニルドリルとの決戦の際、その手から零れ落ちた邪悪な魔法剣、妃逆離を手にした後。
俺はまんまと幻術に掛けられ、お前の言葉に操られた。そうしてレイスを切り刻んだことは、俺の中に今でも癒えない傷として刻み込まれている。忘れてなるものか。
この世界に混乱をもたらし続ける、邪悪な龍。
「テメェだけは! 必ず殺す…………!!」
何を手にしているのか、はたまた何も手にしていないのかは分からない。俺が振るうレンディアナとヴァギリを難なく受け止めると、“幻想”は大きく跳び退って後退した。
それが暗闇の世界に飲まれることに、俺は気づけなかった。
『レンドウだめだ! そこから先は、奴だけの世界だ……!!』
ヴァギリの忠告も虚しく。俺は、両腕を振り上げたままの姿勢で、見えない壁に阻まれてしまった。
「――周りが、見えてないねえ……!!」
「――がッ!?」
腹に蹴りを入れられたのか。そう気づいたのは、花畑の上に広がる青空を見上げた時だった。ぶっ飛ばされて、仰向けに転がされたのか。
「おまえ如きがワタシに勝てる訳がないだろ!? っていうかさぁ、自分と相性がサイアクの相手だって、わからないのかなぁ!? アハハハハハハハハッ!!」
「……………………」
『落ち着け、レンドウ!!』
聴いているだけで頭に血が上ってくる、わざと相手に不快感を与えるための嗤い声。
だが、腹に残る痛みと……咄嗟に緋翼をまとめ上げ、相手の攻撃の威力を和らげてくれたヴァギリの声のおかげで……多少は冷静さを取り戻すことができた。
後ろを見れば、ナージアがドールをうつ伏せにして拘束しているのが見えた。どうやら、ドールには本当に力が殆ど残っていないみたいだな。この空間では、竜門から力を吸収することもできないのか。
ドール自身の世界である金竜の竜門方面にはあいつも立ち入れるはずだし、そこから離れた場所で戦いになったのは幸いだったな……。
「……ハハッ。まさかレンドウ、この状況でおまえが動けるようになるなんて驚きだけどねぇ。何百回やり直したとしても、おまえがワタシに勝つ未来なんてないんだよ」
落ち着け、俺。まともに相手をしようと思うな。
地面に手をついて起き上がると、否応なく花を潰すことになってしまい……多少は申し訳なく思う。
あいつの言うことは腹立たしいが、実際のところ、どうしようもないほどの事実だろう。
己の精神面に自信の無い俺が、最上級の幻術を使える龍に勝てる訳がねェ。少なくとも、一対一では……。
「っていうかそもそも、ワタシを攻撃する理由はなんなのかな? おまえを操って、レイスを切り刻ませちゃったことかな? まだあれを引き摺っちゃってるのかな? 粘着質だねぇ……」
「…………それだけ、じゃねェだろうが」
「へえ? 試しに言ってみてよ。思い出せるかもしれないからさぁ」
両手の人差し指を立て、自分のこめかみに当てた“幻想”。
お前さえ。……お前さえいなければ。
「全部、お前のせいだろうが。お前が操ったから、ニルドリルは自殺することになったんだ。操られていたニルドリルの行動によって、エスビィポートは火の海になって、大勢の人が死んだ。アロンデイテルの政府は、その責をランス達に負わせることになった。それに怒り狂ったルノードが、アロンデイテルの首都……シルクレイズを焼き払って……この世界におけるアニマの立場が最悪になったんじゃ――、」
「アハハハハッ!! そんなことまでワタシのせいにするのかい!? 途中からはルノードの罪じゃないか!! ――いいや、いいよ、凄くいい!!」
腹を抱えて“幻想”は嗤い、嘲るように両腕を広げた。
「君たちアニマの立場が最悪になったのも! シルクレイズが滅びたのも! エスビィポートで大勢死んだのも! 各地で避難民が溢れていることも! 魔王ルヴェリスが、悲しみに包まれながらその生涯を終えたことも! ヴァリアー襲撃事件が起きたのも! ぜーんぶワタシのせいにすればいい……!!」
楽しくって仕方が無いというように、俺と仲間達の心の傷を抉り続けた後に。
「……で、だからどうしたって言うんだよ?」
そこで、“幻想”の声は大きく色を変えた。
「――ワタシに責任を押し付けることで、自分の心を軽くしたいだけだろ。結局は自分の心の弱さが原因だって。騙されて利用される方が悪いんだって、そんな単純なことに気付けないから。だからおまえらは、何度でも繰り返すんだよ」
酷く冷たく、肌を刺すような声色だった。
「自分は悪くありませーん。純粋すぎて、何度も騙されちゃうんです~ってお涙頂戴してれば、何回でも周りが助けてくれるとでも思ってるんだろ」
恐らくは能面のような無表情で、淡々を告げているだろうその言葉に。
「ルノードが自制心を持って、シルクレイズを焼くことさえ無ければ。こんな情勢でアニマをレンドウに任せることにはならなかっただろ。それが出来なかったのは、間違いなくあいつの弱さのせいだよ」
その迫力に、俺はいつの間にか飲まれていたのか。
「アニマのこれからを嘆くなら、大勢の人間の前で泣きながら自殺でもしてみればいいんじゃないの。ちょっとは同情を引いて、アニマの今後に好影響を与えるかもしれないよ……?」
またしても、こいつの術中に嵌るところだったのか。
「……さっきからゴチャゴチャ言ってくれてるけどなァ。――テメェの煽りに反応しちまった奴らが、全部悪いだと? そんなワケねェだろうがッ!! なんでそれで、それだけのことで、テメェの悪性が帳消しにされてンだよッ!!」
その叫び声のおかげで、俺は正気を取り戻すことができた。
「心の弱さのせいで、テメェの言葉に踊らされたとしてもな……騙したヤツが悪くないなんてことは、ゼッテェにあり得ねェんだよ」
俺の左隣に立ち、両腕の至る所からトゲを生やしている少年。
「なんでこんなヤツに騙されてんだよレンドォッ!!」
――ジェット……!!
その背中からは……まるで魔王ルヴェリスが振るっていた“創造する力”だ。いや、そのものなのか。灰色の光が螺旋を描き、頼りなげに片翼を描こうとしている。左の翼だけ、か?
「テメェの策謀のせいで、魔王様が悲しんだ。オレにとっては、それが全てだ」
「……へぇ……ジェット、か。有象無象の一匹だと思ってたけど、どうして動けるんだろうねぇ。……怒りか? ……黒竜は、それぞれの感情を見ているのかな……?」
“幻想”の言葉のうち、その後半はジェットに向けられたものではなく、ぼそぼそと独り言ちているものだった。だが、俺はそれを聴き逃してはいない。
「――テメェはオレが、いつか殺す」
「アハハッ、今日は無理だって思っちゃってるあたりがウケる! 期待しているよ!」
ドスの効いたジェットの台詞を明るく笑い飛ばすと、“幻想”はその視線を俺の向こう側へと向けたらしい。
「……で、ドールはどうするのかな? 結局、最後に場を掻きまわす爆弾にすらなれなかったポンコツだけど……おまえたちが処理するのかなぁ……?」
できるのか? と煽るような、面白がるような声色を完全に取り戻した“幻想”。
理由は分からないが、謎の力に目覚めたジェットが“幻想”の方を睨み続けていることを確認してから、ドールの方を振り返る。
ナージアに抑えつけられ、力なく「殺してくれ……」と零すだけの、悲しすぎる存在。
――できることなら、殺したくなんかない。
初代金竜から受け継いだという呪い……底なしの義務感を解くことができれば、友好関係……は無理だとしても、今からでもあいつなりの人生を送って欲しいとすら思う。
だけど、そんな方法は無いんだろう。これだけ龍が集まった場所で、誰も助け船を出せないのであれば。
「――ボクが代わろう」
俺の手が震えていることを見かねてか、木竜ストラウスの声がした。
見れば、彼女が自分の世界から出て、花畑に足を踏み入れるところだった。
若葉色のシルエットの右手に“創造する力”が練り上げられている。それをドールに向けようとしていることは明白だ。
だけど…………それは逃げだ。木竜ストラウスの善意に甘えることは。
「いえ、俺がやります……ストラウスさん。この剣に、その力を込めてもらえれば、俺が」
だから、そう宣言する。自分から逃げ道を無くすために。
右手のレンディアナを上へと掲げ、真っすぐにストラウスの顔を見た。
――その時だった。
大きすぎる力が、全身を貫いたのは。
「――ッ!? 亜餓亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜――――ッ」
痛みとはまた違う感覚。だが、それを上手く言葉にすることはできそうもない。一瞬にも、数分にも思える衝撃から解放されると、見える世界は大きく異なっていた。
――多分これ、一瞬しか時間が経ってないタイプのやつだな。
目の前にいたはずの若葉色のシルエットは、今は人の姿をしていた。
妙齢の女性。
柔らかそうな布地で編まれた丈の長い服。全体的にヒラヒラとした……ひだの多いそれは、異国の民族衣装を思わせるものだった。
茶褐色を基調にした全身に、肩口で揃えられた若葉色の髪。翡翠を思わせるその瞳……。
「……木竜、ストラウス……さん?」
自信なさげに呟くと、果たして、目の前の人物は……首肯した。
「そうだけど……どうして。このタイミングで、レンドウ君が龍に成ったってこと……?」
俺が……龍に? だから急に、ストラウスの姿がちゃんと見えるように……って、うおっ!?
いつの間にか、俺が掲げているレンディアナが、巨大な炎となって燃えている。それを握る俺の右手まで炎に包まれていたせいで、慌ててしまう。が、よくよく考えてみれば、今まで気づかなかったくらいだ……自分には害のない炎だと考えていいんだろう。
「レンドウ君と……ジェット君だっけ。二人に力を与えたのは……この状況でも動くことができたから……そうなのかな? イズ……?」
イズ。ストラウスが口にしたその名前は……十中八九、そこに座っている上位存在のことだろう。
そして、そいつは先ほど、“幻想”からは黒竜と呼ばれていた。
黒竜イズ。それが、上位存在の名前。
彼女の問いに答えることは無く、……黒竜イズは右手を持ち上げ、軽く振った、のか。
それだけで、景色が歪んだ。
森が、滝が、雷鳴が、海が、暗闇が。足元の花畑が滲み、歪む。
その瞬間、悟った。
――元の場所に、戻される……!!
なんでこのタイミングで。いや、ストラウスの言葉を額面通りに受け取るなら……今までずっと、黒竜イズは俺達を観察していて……その結果、俺とジェットが選ばれた……のか。
用が終わったのだとすれば、後は戻されるだけ。そういうことなのか。
「――おいおい、まだこの楽しい時間に終わってもらっちゃあ困るよ」
「キミはもう黙っていろ! こっちに出てくるなっ!!」
自分の世界から再び出て来ようとする“幻想”。それを妨害しようとするストラウス。“幻想”の足元から大量の蔓のようなものが生えてきて、瞬く間に“幻想”の世界と花畑の境界を塞いでいく。
「ちょっとちょっと“深緑”、そりゃないよ……」という言葉すらも遮られ、“幻想”の姿は見えなくなった。
見えなくなる寸前、“幻想”の姿は……ダメだ。見えるようになったはずなのに、奴は認識阻害の魔術を自分に施しているのか。その姿は紫色のオーラを纏った、漆黒の人型にしか見えなかった。
「――レンドウ君っ、時間が出来たら暗黒大陸を……ベルナティエル魔国連合からずっと南、大森林を目指してくれ! ボクはそこにいるから……っ!!」
最後のストラウスの声に、返答する前に。
俺達ははじき出され、元の世界に叩きつけられて……は、いないな?
「は……ッ!?」
まるで、夢から覚めたかのようだった。
急激に熱気に包まれ、全身に刺すような痛みが戻ってくる。
――そうだよな、元々はこうだった。
ここは、金竜の竜門。その上階部分だ。
目の前には黄金の塊があり……後ろを振り返れば、相変わらず巨竜の姿をしたナージアが、力なく項垂れている。
だけど、その瞳が告げている。今までの出来事は、夢でも幻でもないと。
さっきまで俺達全員がいたのは……精神世界、とでも言うべきものだった……のか?
「レンドウ君っ!」
そのアドラスの声に、弾かれたように振り返ると……身の丈ほどもある黄金の塊から、しゅうしゅうと異音が放たれ……黄金の“創造する力”が立ち上っている……!!
「オラァァァァァァッ――――ッ!!」
俺の横を飛ぶように駆け抜けたジェットが、片刃だけのハサミに変貌させた右腕を振り下ろし、黄金の塊の中央に叩きつけた。
灰色の光を伴ったそれは塊にヒビを入れ、そこからも黄翼があふれ出す。
「チッ……!」
それによって火傷のようなダメージを負ったのか。ジェットが後退する。
動くのが遅れて悪ィな、ジェット。これが終わったら、すぐに回復させてやるから。
「――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオァァァァアアアアアアッ!!!!!」
意味を成さない、ただ全身に力を込める為だけの声を放ちながら。
身体の右側で揃えた双剣に、今度こそ本物の炎を灯し。
黄金の塊の隣をすり抜けるように、疾駆した。
手ごたえは、無さ過ぎるくらいだった。
何の抵抗も受けることが無かったかのように。しかし確実に、炎は塊の内部に在ったものを焼き尽くした。それが分かった。
黄金の塊が、その一片も残さずに宙に溶けていく際。
それを取り巻くように踊る炎もまた、役割を終えて消えていく。
……死んだ生物の魂が生まれ変わって、また別の生物になるなんて、本気で信じちゃいないけど。
もし、俺が中々龍の位を引き継がなかったことに、ルノードの……残滓のようなものが関係していたのなら。
――見ていてくれたのか? ルノード。
そう思うことくらいは……ポジティブな方向性のものだし、許されてもいいだろう。
炎竜ルノード。
……そしてついでに、金竜ドールも。
些細なかけ違いから、やがて大陸全土を巻き込むほどの大きな過ちへと発展させてしまった後悔も。
取り払えぬ宿命をその身に課され、それに応えようとするだけで人生の全てを消費し尽くしてしまった嘆きも。
俺が全部未来に引き摺って、乗り越えてやるから。
――どうか、安らかに。
頬を伝った涙は、地面に落ちる前に蒸発した。恐らく、仲間の誰にも気づかれることは無かったと思う。
【第13章】 了
ご愛読いただきありがとうございます。これにて13章も終了です。
残すはエピローグとして数話と、番外編がいくつかの予定です。
それにしてもジェット、「オレは馬鹿だから難しいことはよく分かんねェけどよォ……」とか言いそう。言わなかったけど。
あと“幻想”は性格が悪すぎる。次回作で酷い目に遭わせてやる(誓い)
そしてストラウスはボクっ娘カワイイヤッター(ひいき目)