第232話 龍の花園
――上位存在。
1000年前から、己が選んだ相手に“龍”としての力を与えているという、謎の存在。
それが今、再び俺の目の前に現れた。
ラ・アニマの炎竜の門で、一瞬だけ姿を見せた時とは違う。
今度はすぐに消える様子はない。その姿をはっきりと視認することができた。
いや、それでも今回もまた、その本質まで見えているとは言い難いが……。
すらりとした長い手足を持ち、頭部には突起が……側頭部から2本の角が生えているのか? ということは、なんとか分かる。
だが、全身が漆黒に染め上げられているせいで、かろうじて人型の生物だということが推察できるだけだ。
最早、当然のように認識阻害の魔法で自身を覆っているんだろう。
けっ、下々の者には姿を拝ませすらしないってか。
……どうして、このタイミングで姿を現したんだ。何のために。
あと少しで金竜ドールに止めを刺すところだったのに……って、ことは……。
ドールを守るために現れた……のか?
「――――」
オイてめぇ、と。口を開いて声を発しようとした。
だけど、できなかった。
その瞬間に周囲から発せられた、強烈なプレッシャーのせいだ。
周囲の――花畑を中心として、円状に広がる――5つの異なる世界に、いくつもの気配が現出した。
そのどれもが、人型をしていると分かるが……明確な外見は分からなかった。
背の高い木々に囲まれた、森の世界。そこに、若葉色の気配。
海の底を思わせる、蒼い世界。そこに、紺色の気配。
雷が断続的に瞬く世界。崖を背に、二つの気配。……片方は明るい黄色……サンフラワー、とでも言えばいいのか?
もう一つは……なんだ。サンフラワーの人物よりも、更に大きな力を感じさせる、強烈な気配だ。
だというのに……なんと言えばいいのか。力の方向性を推察させない。無色とでも言えばいいのか。奇妙な感覚だ。
奇妙な程に勢いのない、巨大な滝が流れている世界。そこに、青い気配。
光なき暗闇の世界。そこに、紫色の気配。
……それぞれを色で例えようとしたのは、別に詩的な表現をしようと努めた訳じゃない。
それぞれの身体から立ち上る、隠しようもない気配……“創造する力”の色を、俺の目がそう映しただけだ。
……なんで一体だけ色の分からない奴が混じっているんだよって感じだが。しかも、そいつの気配がこの中で群を抜いて強ェ……。
今の俺なら理解できる。いや、仲間たち全員も理解しているかもしれない。そんなに鈍い奴はこの場所にはいないはずだから。
――こいつら全員が、龍の位を持つ奴らだ…………!!
俺だけじゃない。仲間たち全員が、この状況に気圧されているのが分かる。たとえダクトでも、アドラスであっても。今は口を開くことができない。
指先を軽く動かすだけで、俺達を存在ごと消し飛ばすことができるであろう連中が。
一堂に会している……!!
――考えろ。今がどういう状況なのか。
中央の花畑で白い椅子に座ってやがる黒い奴が、この場で最も力を持つ、上位存在なんだろう。
なら、あいつが……それぞれの龍たちの現在位置を花畑と繋げて――何をどうやったらそんなことができるのか、想像もつかないが――全員を会わせようとした訳か?
殺されかけていた金竜を守るため……だとすれば、今から俺達は全ての龍たちからリンチされるのか。
だとすれば、絶望するしかない。抵抗する意味すら最早ないだろう。
いや、何もせずに殺されてやるつもりはねェけど……。
だけど、そもそも指一本も動かせないんだ。眼球を動かして、それぞれの気配を注視することさえも、苦痛を伴わずには実行できない。後で目が筋肉痛に苛まれそうだ。
「――あの。そこの黒い人。……あなたが、おれ達をここに集めたんです……か?」
…………そうだ、お前がいてくれた。
ナージア。俺達の仲間内で、唯一の龍。今日の戦いの最中、アイルバトスさんから氷の龍の位を引き継いだばかりだという。
大量の龍から受けるプレッシャーにも、同じ龍であるナージアなら耐えられるのか。
……じゃあ、逆に言うなら。
この状況に耐えられていない俺は、やっぱり炎の龍の位を引き継いでいないんじゃないか……?
――おいおい、ルノード……お前!!
間違いなく俺が龍の座を引き継ぐことになるって、あれだけ太鼓判を押してたじゃねェか!?
これで他の奴が龍に選ばれてたら…………いや、選ばれていたら、今この場所に集められていないとおかしいのか?
だとすれば、炎の龍として新しく任命された人物は、この世界のどこにもいない……?
ルヴェリスが言っていたな。氷竜アイルバトスは、強すぎる炎竜ルノードに対抗できる力を与えられた龍なのではないか、と。
だとすれば、上位存在はルノードを……いや、もしかすると炎の龍を。消し去りたかったのかもしれない、とも考えられるか……?
それなら、新しい龍が任命されないことも頷ける。
魔王ルヴェリスの死後、彼と同種の灰色の“創造する力”を扱う龍は確認されていない。
勿論、新たに龍の力を手にしたものが表舞台に上がることを避け、ひっそりと生きることを選択した可能性もあったが。
今この状況を見る限りでは……必ずしも、同じ属性の龍が新たに任命される訳じゃない、ってことか。
ルノードが司っていた炎と、ルヴェリスの無属性とも言うべき力。それらの龍は、今の世界には必要無いと判断された……とか、か?
…………と、俺がここまで長々と思考を巡らせることができたのは、長時間に渡って誰も声を発していないためだ。
「……………………」
俺を庇うように一歩前に出てくれたナージアだが、漆黒の人物からいつまで経っても返答が得られないため、冷や汗を浮かべている。
困ったように俺へと視線を投げかけてくるナージアだが……情けない話だけど、俺はまだ到底動けそうにない。ぱちぱちと瞬きだけを数回返した。謝罪の意を込めたつもりだ。
ふーっ、と息を吐いてから、自らに気合いを入れるように両手で頬をぱしぱしと叩くと、ナージアは周囲の気配を見渡しながら口を開く。
「お…………おれ達は! ……あと一歩で、金竜ドールに止めを刺せるところでした。それを妨害するようなタイミングでこの……龍のみなさんが集められる現象が起きたってことは。……おれ達を邪魔する意図があったんですよね? 金竜を殺すことが、そこの黒い人にとって問題だったんでしょうか? ……どなたか、教えてもらえると嬉しいんですが……」
微かに震えを隠せていない声ではあったが、お前は立派だよナージア。俺なんて動けないもん。それに比べたら何しても立派だわ。そもそもお前、以前は同族以外と会話するのがあんなに苦手だったのにな。
「……あぁ~、なるほど。そういうことね」
ナージアの努力が実ったのか、ついに返答があった。
しかし、それは漆黒の上位存在ではない。
深い森の世界にいる、若葉色の気配から発せられた声だ。
「いや、かく言うボクもこうやって集められるのは初めてなんだけどね。ただ、今の氷竜君の言葉で、大体の状況は推察できたかな」
若い、落ち着いたトーンの女性らしい声色だった。いや、実際の年齢は分からないが。例え若く聴こえようが、1000年近く生きてるのかもしれないよな……。
「ボクも状況が分からなくて、とりあえず静観してたんだけど……ほんとごめんね。急にこんな沢山の龍たちの前に引っ張り出されて、怖かったよね。ここからはボクが同じ龍の先輩として、出来るだけ協力するから」
……いい奴……なのか?
いや、まだ脳死で信頼するには危険な段階な気もするが。声を聴いている限りでは、人が良さそうだなと感じる。
それに、こいつもこの場では上位の力を持っている訳では無さそうだし、危険度で言えばまだマシな部類だろう、と失礼ながら思った。
「えっと……あの、おれはナージアって言います。氷竜……であることは既に……ご存知、みたいでしたね。……あなたは……?」
「ボクはストラウス。全く馴染みがないと思うけど、木竜って名乗ってる。まぁ、なんとなく想像できると思うけど、植物とかを操れるんだ。よろしくね、ナージア君」
ぼくりゅう……ストラウス。
植物を操る……ってことは、ぼくりゅうのカン字は……木竜、か。
……あ。「もしかして木竜だからボクっ娘なんですか?」とか訊いたらブッ殺されるだろうか。どうせ口は動かないから、訊き様がないんだけど。
いや、仕方ないだろ? 思ってしまったもんは……。
若葉色の“創造する力”を扱うということは推察できても、それだけでは能力は確定しない。
自らの種族名と、その能力の一端でも公開してくれたというなら、少しは信用してもいいのかもしれないな。
「ストラウスさん。あの……黒い人は、いつも喋らないんですか?」
「基本的には……喋らないね。あの人、将来有望な龍候補の前には何回か姿を現したりすることもあるみたいなんだけど……多分、自分の目で確認しに行ってるんだろうね。で、ボクが以前に会った時は、龍に任命されるその時だったよ。ボク一人だけが、そこの花園に呼ばれたんだ」
「……おれは、龍に成る前も、なる時も会った記憶がないですけど……」
「や、別にしょげる必要はないと思うよ? わざわざ確認するまでもなく、次の氷の龍はキミだろうって、前から確信してくれていたって考えればいいんじゃないかな」
……俺は、ラ・アニマで一度会ってるよな。
ってことは、木竜ストラウスのその理論だと……俺はその目で確認された結果、炎の龍の器足り得ないと判断されちまった……のか?
まァ別にい……いや良くない。違う奴が選ばれたら、また酷いことになりかねないんだ。ルノードも言っていただろ。危険な思想を持つ奴にだけは、龍の力を渡してはいけないと……。
「多分だけど、あの人はボクたち全員をここに集めて、ボクたちに判断させようとしているんじゃないかな」
「なにを、ですか……?」
「金竜ドールが、このまま殺されてもいいのかどうか。この先の世界のことを考えて、それを妨害するべきだという龍がいるなら。その龍に、機会を与えようとしたんじゃないかな?」
木竜ストラウスの透き通る声は落ち着いていて、一滴の悪意も感じさせない。
ヒトとしての顔は見えないが、優しそうな表情を浮かべているのだろうと思う。
「……………………」
しかし、他の龍達はどうか。無言のプレッシャーに貫かれ、ナージアは冷や汗をダラダラと流していた。
「……でも、この空気を見る限り、他の皆もボクと同じみたいだね。こんな風に龍たちが一度に集められて、お互いのいる場所が見えたのなんて初めてなんだ。同じように警戒して、状況を見守っていたんだと思う」
――クソッ! 俺が龍に選ばれてさえいれば!
ナージアの隣に立って、一緒に立ち向かってやれたのに。
「このまま行けば、キミたちにとって悪いようにはならないんじゃないかな。表立って君たちと敵対してまで、金竜ドールを助けようっていう龍はいないように見えるよ」
ストラウスがそう言い、ナージアがほっと息を吐いた時だった。
「――そんな馬鹿なことがあるか!!」
夜の闇を切り裂くような怒声が響き渡り、俺は身を竦ませた。身じろぎ一つできなかったが、できたなら飛び退っていただろう。
そいつは、今まで隠れていたのか。それとも、隠されていたのか。
白い椅子に座る上位存在の前に、黄金に淡く輝く光が出現していた。
それは人の形をしていて……いや、そいつが何者なのかは、答えを提示してもらわなくても分かった。
「ドール……!」
ナージアが呻いた。
それには反応することなく。金竜ドールは、熱に浮かされたように。俺達には目もくれずに、周囲の空間を睨みつけていた。
「私が死ねば、この先の世界にどれだけの悪影響があると思っている!? あの愚かな炎竜は自らが創出した種族のことしか見えていなかったようだがな!」
ルノードのことを悪し様に言うドールに、ふつふつと怒りが湧いてくる。
一度は俺達に論破された問答を、再びここで繰り返そうというのか。
――だけど、確かにまずい。
誰か一人でも、ドールを生かした方がいいと考える龍がいれば……。
俺達全員、その龍にここで消されちまう……のか。最悪ドールを殺すことさえ諦めれば、俺達の命は見逃してもらえるのか。分からない。ただ、全身が汗でびっしょりになっていくのが分かる。
「お前たちは違うはずだ!! 私がいなくなれば! 人類の衰退は避けられない!!」
人の姿をしていれば、間違いなく唾を飛ばしまくっているだろう勢いで、黄金色の輝きが激しく揺れ。
「――メロア!! ――起きていないのかっ!?」
巨大な滝の世界に向けて呼びかけた後、ドールはある方向をねめつけた。
「お前は特に困るだろう、」
雷鳴轟く、灰色の空を背景にした断崖だ。
「――テンペストォ!!」
その叫びを受けて、じっと状況を静観していたその人物が、ゆっくりと目を開いた。そう感じた。
実際にはその人物には色がなく、シルエットすらも分からないのだが。
――ビリビリ来るな。
この場で最も大きなプレッシャーを放つあいつが。
イェス大陸をはじめとした、俺達がいるこの世界を止まない嵐で包み込み、その外にあるという“魔人の存在しない世界”と隔絶させた龍。
災害竜、テンペスト……!!
またやりやがったよ、この作者。
この最終局面で、一気に大量の新キャラを投入するなんて。まったく、最後まで悪い癖が出まくりだぜ。