第230話 形態変化
◆サイバ◆
崩れ落ちた金鎧兵の残骸を、緋翼を纏わせたブーツで踏み砕きながら、僕はそれを見ていた。
竜化する、と。そう宣言したナージア目掛け、動き出そうとしていた巨大な金鎧兵。
それに比べれば小人にすら見える大きさの劫火様……いや、ルノードが。持ち前の怪力で金鎧兵を引き倒し、金竜ドールの竜体へと投げ飛ばした。
それを両腕で受け止めたドールが大口を開け、そこから黄色の炎が迸った直後に。ルノードもまた竜の姿をした左手の先から、“蒼炎”を躍らせた。
まだ溜めていた……残していた力があったのか。そう驚く間もなく、ナージアが竜化する際の光に、全ての事象は飲み込まれた。
そして――――。
「ルノード…………様…………」
両腕を根元から失い、血だまりの中で仰向けに倒れ、身じろぎ一つしない。
そんな姿は、見たくなかった。
例え反旗を翻し、レンドウ側に付いた今となっても。
「劫火様……劫火様……っ」
思わず走り寄って膝をつき、背中に手を回して上半身を起き上がらせる。呼び方はいつしか、今までのものに戻ってしまっていた。
「ゴアアアアアアアアアアア――――ッ!!」
視界の隅で、金竜ドールの竜体よりも大きいかもしれない、巨竜の姿となったナージアが咆哮し、ドールに向けて掴みかかった。
しかし、そちらにあまり意識を割くことはできなかった。
劫火様が死んでしまう。その血が、僕のボディスーツを染めていく。
持てるだけの緋翼の全てを放出し、劫火様の傷に当てていく。
この空間が崩壊するのではないかという轟音の中、体内に残存する緋翼が五分の一を切ったあたりで、ようやく劫火様はその目を薄く開いてくれた。
「サイバ……お前は…………本当に愚かな奴だ…………」
口元は緩やかに孤を描きつつも、その台詞は辛辣だった。
「す……すみません、でも、僕は……そこまで強くない」
実力の話じゃない。僕自身、アニマの……それも黒仮面の中でも戦闘能力に秀でていたことは自覚している。だけど、心の奥底はどうしようもなかった。
そういう性質だからこそ、劫火様よりもレンドウを選んだのかもしれない。
「いいさ……お前は、それで……」
龍の身体を生成するためには大量の“創造する力”が必要なのか。それとも、まだあのレイスという少年の能力によって回復を阻害されているのか。あるいは、ドールに何かをされたのか。
いや、それらの全てか。分からないが、とにかく劫火様の両腕の治療は遅々として進まない。
僕が劫火様を支えている側の反対の地面を、白いブーツが踏みしめた。
「……しっかりしなさいよ。あんたが、アイルバトス様を……」
長い白髪が揺れている。レイネだ。ゆっくりとそちらを見た劫火様の首元を右手でふん掴み、僅かに引き寄せた。
「あんたには責任があるんだッ。今、あたしの弟があんたの代わりにドールと戦ってる。もし弟が死んだら、あたしがこの先の未来でどう行動するか、分かったもんじゃないわよ……?」
脅すような口調だけど、実際、どうするっていうんだ。
まさかレイネは。激情に任せて全てのアニマを殺し尽くすべく行動するとでも言うつもりなのか?
「あんたは暴虐の炎王でしょッ!? アイルバトス様を殺しておいて、そのザマなのッ!? ――最後までッ! ――やり切り、なさいよ…………ッ!!」
現状生き残っているアニマは、全て新しい族長となるレンドウの庇護下にあるはずなのに。彼と敵対してでも、劫火様の心を傷つけるためだけに悪魔になるとでもいうのか。
目を向いてレイネの顔を注視するも、既に彼女は左手の先から氷翼を零すようにして、劫火様に“創造する力”を提供し始めていた。
思わず、ホッと胸をなでおろす。強い言葉で責め立てたかっただけで、実際にそうするつもりはないんだ……と、信じたい。
「……お前たちの望みは。今ここで、金竜ドールを殺すこと。……それで…………いいんだな……?」
「そうに決まってる……でしょ……ッ」
「なら……己が。……お前たちに…………道を、与えたい…………」
轟音。ドールの攻撃によるものか、ナージアの竜体が吹き飛ばされ、こちらに激突するところだったのか。
僕たちからの治療を打ち切るように劫火様はがばっと起き上がり、瞬時に回復速度を増したように形作られた左腕を伸ばした。
竜の姿をした左腕。しかし、それは完全ではないのか。半透明にすら見える……向こう側の景色が透けている。
物理的な攻撃など出来そうもない、頼りなくすら見える左腕だが、ナージアの巨体は見えない何かに背中を抑えられたように、その場で縫い止められた。
劫火様の右腕は、肘まですら再生が進んでいない。左腕だけを優先して回復させたのだろうか。
「――なにッ!? なんて言った? ――聴こえないわよッ!!」
レイネの怒号に耳を貸す様子はなく、劫火様は咆哮した。
竜の姿をした半透明の左腕が、根元から破裂するように切断され。右腕の肘からも鮮血が噴き出した。
鮮血が空中で捻じれるようにうねったかと思えば、唐突に燃え上がり、幾条もの炎の弾丸として周囲に散った。
それが収束するのは……当然金竜ドールのいる位置だ。
半透明の左腕は地面に落ち、不気味に鳴動している。
それらが起こす結果を確認する前に、劫火様は踵を返して走り出していた。
重い足取り。しかし、一歩一歩を全力で踏みしめていると分かる、命を削っていると分かる速度だった。
『――レンドウ!! 全てを終わらせる!! 前に出ろ! 己に……触れろ! そうすれば、己が……………………!!』
魂までを劈くような、大音量の念話だった。レンドウに向けて放たれたそれだが、僕にも……僅かにでも“創造する力”に適性を持つものなら、この大陸のどこにいても届くのではないかという程の叫びだった。
「サ、セ、ル、カアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
――それは当然、敵であるドールにも聴こえている訳で。
劫火様の声色にただならぬものを感じたのは、奴も同じだったらしい。
両腕までもを足のように使い、四足の獣のように劫火様を追いかけようとする。
「――ゴアアアッ!!」
ナージアがそれを妨害するために、右手と右の翼を広げて道を塞ごうとする。だが、ドールの本気の突進を抑えつけるには、実力も、竜体への慣れも足りていなかった。そういうことか。ナージアの右翼はズタズタに引き裂かれ、その巨体が冗談のように回転しながら吹き飛ばされる。
他の者たちにとっては毒となるため、避ける必要がある中央の黄金の泉。
しかし、それはドールにとっては癒しの空間に他ならない。ざぶざぶとその内部を突き進み、同時に全身が変容していく。
ドールの両前脚。そう、最早それは腕ではない。完全に四足歩行の獣のようなフォルムになっている。僅か数秒にして。ブレードにも水かきのようにも見えるものが生え。
頭部はより流線形に。背中からは後ろに向けて長く伸びる、触手のようなものが生えだした。そしてそれをかき分けるように、鮫のような背びれが姿を見せる。
……まるで、暗黒大陸の奥地に生息するという水棲生物だ。一瞬にして別の生命体になってしまったかのようなその変貌は、この先起こることに備えてのものか。
竜門から湧き出す黄金の泉は、金竜ドールにとって最大の武器。剣であり、鎧であり、補給地点でもある。その内部での移動に特化した姿に変わりつつ、身を沈めていくということは……。
――極大の攻撃を、警戒しているのか。
潜行する巨体が向かう先、遠くでレンドウと仲間たちが慄いているのが分かる。それはそうだろう。
突如として炎竜と金竜が、自分たちの方に向かってきたのだから。それも、片方は原始的な恐怖を呼び起こす、怪獣のような姿をしている。
血液を撒き散らしながら進む劫火様に対して、黄金の泉を進むドールの速度はとても速い。数秒後には、もう追いつかれる……!
その時だった。水面に見える背びれを目印にしたのか。その下に僅かに見える背中に向けて、飛び出して来る影があった。
それは……先ほど、劫火様が切り離した竜の左腕……!?
切断面から零れ落ちる血液を燃料にしているかのように、爆発的な推進力をもったそれが、半ばから割れ、形状を変える。
がぱり、と。
腕の形をしていたそれは、僅か数瞬後には巨大な顎と化していた。ドールの背中の肉に、深く喰らいつく。
「ナ……ッ!? ガ、ガ――――ジャララララッ!!」
ドールは驚き、怯み、咄嗟に泉へと深く潜り込んだ。それによって、負ったばかりの傷は容易く回復され、その巨体が泉から飛び出してきた頃には、すでに背中に取り付いたはずの顎も分解されてしまっていたようだった。
だが、それで充分だった。
泉から飛び出したドールが両前脚を広げ。それを交差するように閉じることで、側面のブレードで劫火様を引き裂こうとした時点で。
――既に劫火様の背中には、レンドウがその両手を当てていた。