第220話 ダクト
◆アミカゼ◆
宙に浮かべている剣槍を新たに一つ手に取り、無造作に下方へと突き立てる。
退屈を紛らわすように、この動作をもう何度繰り返しただろうか。
足元で、身体中を漆黒に染めたクラウディオが、全身を剣槍によって貼り付けにされている。
――先刻、大の字に地面に叩きつけた後から、クラウディオの姿勢はずっとこのままだ。
黒翼のベールの裏側で、どれほどの焦りを浮かべているのか想像すると、少し退屈が紛れた。
頭、腕、脚、全身の至る所を剣槍によって貫かれ、なんとも前衛的なアートの体を成しているクラウディオだが、今現在は苦痛に苛まれている訳ではないはずだ。
私はまだお世話になったことのない技術だが……“先行する治癒”と呼ばれる超回復状態は、まるで攻撃が肉体をすり抜けたかのような、俗っぽい表現をすれば無敵状態に近い。
しかし強力すぎる代償として、“創造する力”の消費量が尋常ではない。
それこそこのクラウディオ本人も、敵対するアニマが“先行する治癒”を使った際、その身体に武器を突き入れた状態をキープすることで打ち破っていたのだ。
何よりも効果的な対処法として自分が行っていた攻撃を、今度は自らが受ける側となっている。
……それにしても、5分以上もの間この状態を保っているクラウディオは異常だと言っていい。
いつ効果が切れても、意識を失ってもおかしくない。だが、耐えている。
効果が途切れた時、クラウディオは人生で最大の苦痛を受けて死ぬことが約束されている。全身を凶器で同時に貫かれる痛み。
それが常に迫っている状態。そして何より、“先行する治癒”で全身を完全に覆い隠している今、視界もゼロのはず。
精神が崩壊しても不思議じゃない……。
「一体どんな経験を積んだら、あなたのようになれるのかしら……?」
その強さに思わず嫉妬を覚え、いつまで耐えきれるものかと、煽るような口調で新たな剣槍を突き立てた。
そんなに頑張って、何の意味があるというの。
――それとも、もっと単純に。苦痛を感じる時を先延ばしにしたいだけなのかしら……?
だが、クラウディオの努力を否定しようとしたことは間違いだったと。そう認めなければならない時がきた。
極小の気配だった。“創造する力”を含んでいる、だが、小さい。
ドラグナーとしては弱すぎる気配。
最初は「なんだ、取るに足りない雑魚がまた現れたのね」と思った。
だが、おかしい。
――速すぎる。
上の階に現れたと思った二つの気配。それが、既に頭上の大穴にある。
水色の輝き。顔を上げれば、そこにあったのは……。
「……滑り台?」
螺旋を描くように、水色に光る滑り台としか形容できないものが建造されていく。その終端はこの階を目指して今も拡張を続けている。
そしてその終端には、常に二つの影があった。
――黒い。黒すぎる。
影の一つは滑り台を最後まで滑り切ったが、もう一つの影は違う。途中で飛び降りた。こちらに向かっている。
その手には、氷を纏ったような短剣。内部には黒い刃が見える。その武器を芯に、“創造する力”を纏わせている……?
だが、その黒すぎる姿は一体何なのか。そいつが存在する空間だけ、まるでこの世界から切り取られたように黒い。
まるで、私の…………そうか、認識阻害の魔、法…………!?
朧げに理解すると同時に、眼前に迫っていた氷の刃を右手の剣槍で防ぐ。
その一手だけで、対敵の強さはある程度計れた。
落ちていた気分が、一瞬で昂揚する。
――この黒い人物は、強い……!!
気配と噛み合っていない強さ。まさか、この二人の人物に掛けられている認識阻害は、気配まで抑える働きがあるのか。
素晴らしい。夢がある。一見しただけでは強さを悟らせない強者が、まだこの世界には溢れているのかもしれないと思える。
「あははは、あははははっ!!」
二撃、三撃と刃を交わし、躱して、飛び退る。
――凄い、手加減などする余裕がない! 強い!
クラウディオに刺さっていた50を超えるだろう剣槍を、一斉に浮かべる。これを使わずに勝てる相手じゃない。それに、もう一人の実力もまだ未知数だ。
いいわ、とてもいい。同時にかかって来なさい……?
両手に剣槍を、そして周囲には98本の剣槍を浮かべ、哄笑を上げながら突撃する。
目の前にいる敵が誰なのか、この時点で私は気づいていた。
「――本代ダクトォ――――――――ッ!!」
◆ダクト◆
アミカゼが俺の正体を看破し、名前を叫んでも、俺を包む認識阻害の魔法が消えることはない。
エイシッドの幻術(正しくは奴が使っていたザツギシュの能力だが)、ニルドリルの幻術、魔王ルヴェリスの幻術と、多種多様な魔法を見てきたが、ロッテの魔法は決してそれらの完全下位互換ではなかった。
他者の目にはどこまでも黒い姿としてのみ認識させる、見ただけでは正体を悟らせないための認識阻害の魔法。
一見しただけでは、“そこに存在していることを隠せない”時点で弱い部類の力に見える。
だが、この魔法の真髄はそこにはない。
仲間と共に同じ漆黒の外見で揃え、ついでに気配をも極小にすることができる。それこそが最大の強みだ。
既にアミカゼは俺の正体が本代ダクトだということに気付いている。しかし、問題ない。
俺が、俺だけにできる立ち回りをすればいい。
人間形態のまま、俺とよく似たサイズの武器を手に、アミカゼ目掛けて疾駆するナージア。
後退し、その姿に重なるように後ろにつく。
これにより、アミカゼはナージアの後ろに隠れた俺を正しく認識できない。
世界から切り取られたような漆黒の塊が二つ重なって、どこからどこまでが一人目で、どこからどこまでが二人目なのかが分からなくなる。ナージアの攻撃を受け止めることが出来ても、その後ろから飛び出してきた俺への反応が、どうしても遅れる。
その遅れを埋めるように、多方面から飛来する剣槍。
一体何があって、一度にこれだけ沢山の緋翼を扱えるようになっていやがる。
部屋の隅にある白い繭と関係あるのか……? まさか、高位の氷竜の誰かの力が奪われたのか。いや、今はそれはいい。
「――ざぁッ!!」
この俺が戦闘中に声を上げることになるとは。裂帛の気合いと共に、一本目の剣槍の刃を横から叩く。
黒銀のナイフを包むのは、ナージアが全力で生成した氷翼だ。ニルドリルとの決戦の際、レンドウもこうして戦ったらしい。
今のアミカゼがどれだけの力を手にしているとしても、こいつは龍じゃない。
龍としての位を引き継いだナージアの氷翼が、負けるはずがない……!!
「――ざらァッ!! せいッ!!」
それでも、気合いは必要だった。一本目を砕いた時点で分かる。気を抜けば、この槍は砕けない。一瞬で命を持っていかれる。
俺はこの剣でしかアミカゼの緋翼に対抗できない。だがナージアは違う。
右手の剣でも、腕や背中から放出した薄い氷翼でも効果的にダメージを与えられる……!
ナージアの右肩に手を突いて、身体を入れ替えるように跳躍。前に出たナージアが伸ばした左手を軸に氷翼を噴出させる。
その影響下に陥った剣槍の群れは、掻き消えることはないものの、動きを鈍らせ、地面に落ちていく。
アミカゼの防御力が下がったところで、前へと駆けだすナージアの背中を、思い切り蹴りとばす。
予め計画していた動きの一つだった。一気に飛び出したナージアは、身体の前面を氷翼で覆い、盾を構えた格好で突撃したような効果を得る。
アニマの……ゲンジって奴が得意としていた動きそのものだ。それに俺の筋力とタイミングを計る力が加わり、アミカゼの意表を突く。
「――――っ!?」
激突。はじけ飛ぶアミカゼの身体。その隙に、俺はクラウディオの身体を抱き寄せて、下がる。
アミカゼに穴だらけにされていたような、全身を黒く染めていた人物。それをクラウディオだと認識できたのは、ついさっきのことだった。
超回復状態を維持する力で、なんとか耐えていた……ってところか。
このフロアに安全な場所は無い。とりあえず、味方の氷竜が生成したと思われる白い繭の裏にクラウディオを隠す。
すぐに戦いに戻らなければ。龍に成ったとはいえ、ナージア一人であの怪物に勝てる保証はない。
アミカゼ。あれは最凶最悪のアニマだ。
――ヒトの危険性は、持って生まれた筋力や魔法で決まるんじゃない。
そいつが抱いている思想が、どれほど危険化によって決まるんだ。
食べた者が、食べられた者の能力の一部を得る。
それがこの惑星に根付いた、隠されたルールだったのだろう。
この半年間の研究の結果、俺はそう確信している。
人間よりも魔人の方がその傾向が強いだけであって、どんな生物にもその性質はある。
この世界を作り出した奴が一体何を思ってそんなシステムを組んだのかは分からない。だが、それのせいで時たま、こういう怪物が生まれるんだろう。
元々身体能力にも種族特有の魔法の性能にも恵まれ、今日の戦場でも極上の力を喰らい、取り込み続けたと思われるアミカゼ。
一目見て分かる暴力的な思想で、一体この先の未来、どれだけ世界を震え上がらせることになるか……。
――断じて許す訳にはいかねぇ。
この俺が気づいたんだ。本代ダクトが、お前のような危険な魔人を、ここで逃がす訳にはいかない……。
「――お前だけは、ここで確実に殺す」
宣言と共に、跳躍する。
アミカゼは、ナージアの胴に右手を突き入れたところだった。
周囲の剣槍が再び浮かび上がっている。黒かったはずの剣槍が、紅蓮に燃え滾り、宙を駆けていた。
そうだった。高位のアニマは炎も扱える。なぜこいつにできないと思った……!
ナージアの体内で緋翼が荒れ狂ったのか。吹き飛ばされ、壁に叩きつけられるナージア。気絶させられたか。確認する暇はない。
それらの赤い剣槍たちが、ナージアや白い繭、その後ろのクラウディオに向けられる前に。
俺が、こいつの意識をかっさらう。
「アァミィカァゼェェェェェェェェェェェェェェェェ――――――――!!」
黒銀のナイフを包んでいた氷翼が解ける。やはりナージアは意識を失ったのか。
「あははははははははっ!! 残念だったわね…………!!」
自らの勝利を疑わないように、嗤い声と共に紅蓮の槍を俺へと差し向けるアミカゼ。
その瞳が、驚愕に見開かれる。
一度は解けたはずの氷翼が、再び結集し、再度黒銀のナイフを覆う。
「――――なっ!?」
ナージアは気絶した振りをした……訳ではないはずだ。そんな打ち合わせはしていない。
恐らくは、意識を失いかけ、それでも再度力を集中させただけ。
「なぜっ、そんな……自身に満ちた特攻ができるの!? ただの……人間風情がぁっ!!」
「――ただの、じゃねぇんだよ」
どうして俺が、レンドウの戦闘訓練に熱心に付き合ってやったと思ってる。
――お前らアニマに対する対抗策を練るために決まってんだろうが!!
例えナージアが本当に意識を失っていて、氷翼による攻撃力を失っても構わなかった。
その時は……何十分でも、何時間でもお前の剣槍の雨を避け続けるだけだと。そう考えて特攻しただけだ。
――俺は、本代ダクト。多くの人間を護る使命を背負って生まれた、本代の人間なんだぜ。
――はじめっから強靭な肉体を持って生まれたアニマ風情が、鍛え上げた人間を舐めてかかるな。
飛来する剣槍を打ち払い、足場にして、アミカゼまでの距離を一気に詰める。
「――これが、本代だ」
覚えておかなくていいぜ。
そうして、俺は対敵の首に刃を通し、後ろ側へと抜けた。
――音を立てることなく全ての剣槍がその場に転がり、アミカゼは頽れた。
まさかアミカゼに勝つために、ようやく再登場したばかりのロッテの魔法が使われることになるとは……。かなりアドリブで展開を決めている作品でもあるので、第一章を書いていた際は「この“認識阻害の魔法”をいつか強敵を倒す手段にしよう」などとは全く考えていませんでした。
勿論、物語の大まかな流れは最初から決まってましたけどね。魔王城での「魔王×炎王の対話」あたりがこの作品を書く最大のモチベーションでした(じゃあもう終わっちゃってるじゃん)。
今はとにかく「作品を完結させてみたい!」という想いが強いです。