第217話 サイバ
◆アミカゼ◆
血の臭いに満ちたヴァリアー地下3階の空間。
束の間の高揚感は消え去り、終わりの時が来た。
――もうあなたと戦えないなんて、残念ね。
「コヒュー……ッ……」
喉から異音を垂れ流すことしかできなくなったジェットの首に、剣槍を突き立てる――寸前だった。
「あーっ! ちょっ……と待ってアミカゼ!」
と、戦場にはそぐわないお気楽な調子の声が響いた。
手を止めて振り返れば、階段を降り、この空間に新たに姿を現したのは……サイバだった。
すたすたとこちらに向かい歩き続けるサイバ。武器は手にしていない。しかし、おかしい。
私の中にある何らかの感覚器官、もしくは第六感とでも言うべきものが、危険の接近を知らせている。
素早くサイバの後ろにある階段を、首を横に向けて地下4階への階段を、そして頭上の大穴を見やる。
この時点で、私はほぼ確信していた。
――目の前にいるサイバが発生源だ。
私に攻撃するつもりね……?
「あら、どうして止めるのかしら……?」
どうして裏切るような真似をするのだろうか、とは考えなかった。
理由があるのかもしれないし、ないのかもしれない。
あるいは、目の前の人物が私にはサイバに見えているだけで、実際は他の何者かが擬態した姿なのかもしれない。
――どれでもいい。どうでもいい。
これから戦いになるのであれば、どうか私を楽しませてくれと願うだけ。
「あー……もうすぐそいつの仲間がここに来そうなんだよね」
「それで?」
どうやら、問答によって私に隙を作ろうと考えているらしい。
付き合うフリをしてみるのも一興だろう。唐突に攻撃を開始して、本当に私の意表でも突けたのなら、それはそれで面白い。
「殺しちゃったら、人質には使えなくなる。君のお姉さんだっていつもそう言ってるだろ?」
そう言葉を紡ぎながら、サイバは部屋中に視線を這わせる。状況を把握しようと努めている。
その視線が、唯一残った姉の両足で止まる。「アサグラ……なのか……?」口元に手を当て、思案する様子を見せるサイバ。
私から先に攻撃してくるとは、考えもしていないのか。いや、そんなはずはない。演技をしている。サイバの顎から汗が滴り落ちる。
「ええ、姉さんは死んだわ。それで、あなたの方はクラウディオを殺せたの?」
聞くと、サイバはギョっとしたように少し後退した。
「君、は…………いや。……どうして、僕がクラウディオと戦ったって知ってるんだい?」
「それは…………この力を手にしてから、あなたたちの居場所が手に取る用に解るからよ」
嘘だ。手に取るように、は誇張している。現に、今もクラウディオが近くに潜んでいるのだとすれば、その位置を把握できてはいない。
分かるのは、サイバと能力をぶつけ合っていた強力な気配が消えていないままだということ。
「――チッ」
舌打ちと共に、サイバの右手が閃く。
彼の指先が大腿部にあるベルトに伸びたと思った時には、既に私の両の眼球にダガーが迫っている。
顔を横に向ける。ダガーが一本、頬を食い破ってくる。
「――あはははははははははっ!!」
畳み掛けるように接近し、左手に握ったダガーを私の首に突き立てようとしたサイバ……声を上げながら、右足で地面を強く踏みしめる。
「ぐっ……!」
周囲の床を支配下に置く。私の緋翼の影響を受けた漆黒のフィールドは、直径3メートルにも迫る。
そこから、無数の棘が屹立する。股下から、対象を食い破るように。
寸前で飛び退ったサイバ。
「――焦るなサイバ! 挟み撃ちにするぞ!!」
そこで、大声と共に振動。ジェットと同じように、天井に空いた穴から飛び降りてきたのだ。
筋肉質で長身の、吸血鬼随一の戦士。
「――クラウディオ・サルガード!! あははははっ、今日は本当に面白い、大漁ねっ!!」
両手に髪を芯にした剣槍を一本ずつ。石突付近を持ち、その長さを最大限に活かす。
ぐるりと大きく身を翻し、遠心力と共にサイバに迫る。
「いいわ、同時に相手を……してあげる――させ、なさいっ! 私を……満足させてみせてっ!?」
「ぐがっ……」
両手に刃を下向きにしたダガーを持ったサイバは、肘を曲げた防御の構えでそれを受けた。
サイバは身軽で、筋肉の量が多い訳でもない。容易く吹き飛んでいく。ただの一撃で壁に背をつけることになったサイバは焦りを感じたのか、すぐさま左へと駆けだした。
いいわね、常に挟撃を意識しなさい……。
振り返る。クラウディオが偃月刀を振り上げている。
それが振り下ろされる際、ふと力比べをしてみたくなった。
それが良くなかったのか。横薙ぎに振るった私の剣槍が、急激に高度を落とす。
――捕まった。
クラウディオの得意技だ。偃月刀は逆向きに振り下ろされていた。
刃の裏側には返しと言われる切れ込みがあり、その部分を丁度剣槍の柄に被せたのだ。
私の右腕が痺れ、身体までが一瞬硬直する。そこに、斜めに跳ね上げられた偃月刀の刃が迫る。
狙いは、首か。
首を最大限横に傾けながらバックステップ。間に合わないが、間に合わせる。
牙で偃月刀の刃を受け止める。受け止められるはずがない。クラウディオは怪力だ。
頬がざっくりと裂け、喉奥まで刃が蹂躙してこようとする。それは防がせてもらう。
鼻より下、首までを緋翼の超自然回復の対象に指定する。漆黒に染まった部位は、まるで敵の得物を素通りさせるような形になる……はずだった。
だが、足りない。クラウディオ・サルガードはこの“先行する治癒”と呼ばれる奥義の対策すらも研究している。吸血鬼でありながら、吸血鬼やアニマを殺す術に長けている。
――相手の体内に得物を潜り込ませたまま、斬り裂かず、停滞させる技術を持っている……!
「ぶぁぁっあっあ……!!」
笑い声も、頬がぐちゃぐちゃに裂けていれば異音に化けた。
最高だ、クラウディオ。面白い。“先行する治癒”は緋翼の消費量が馬鹿にならない。このまま耐え凌ぐことは悪手だ。
しかし、こちらにやられっぱなしという状況はない。
私の緋翼はサイバ、クラウディオ両名の操る“創造する力”よりずっと高位のものとなっている。
これを無視することはできない。今、周囲の地面は私が掌握している……。
私の顔に刃を突き立てた代わりに、既にクラウディオは膝付近まで緋翼に使っていた。
別に吸血鬼の姫を食べたことがある訳じゃない。私の緋翼は相手を地面の下に引きずり込み、飲み込むような芸当はできない……。
ただ、相手の身体を這いあがり、動きを阻害するだけだ。ああそうだ、この戦いが終わったら、次は吸血鬼の姫が食べてみたい。
クラウディオは私の口内を刃で埋め続けることを諦め、私の緋翼を引きずったまま跳び退った。私が左腕に持つ剣槍で振り払ったこともあるだろう。完璧に躱された。距離が出来れば、私の緋翼ですらもクラウディオに取り込まれていく。クラウディオの黒翼の総量が増えてしまう。上手い動きだ。
――あの妹の方は以前よりも厳重な警護体制に移ってしまっただろうか。居場所を特定するのも骨が折れる。
姉の方、フェリス・マリアンネなら所在地が分かる。ルナ・グラシリウス城だ。純血種の血液は、さぞ私を満足させる味だろう……。
思考が脱線しすぎた。私の妄想を断ち切るように、背中に刃が突き立つ。3本……4本。立て続けに突き刺さった衝撃に、身体が前へと傾く。
サイバが投げたものだ。背中に力を入れ、緋翼を噴出させると共にダガーを吹き飛ばす。
傷は一瞬で癒える。緋翼の残量もまだまだある。やはり、劫火様から貸与された緋翼はいい。
あぁ、残念だ。王子様の血を取り込んだ今なら、もっと多くの緋翼を受け取れたのに。
「――ゴラァァァァァァァァッ!!」
クラウディオの強烈な蹴りを、腹部に貰ったのか。
「がはっ……」
大きく仰け反り、気がつけば足元に私の展開していた沼がない。弾き出されている。
「はぁっ……あはっ……!」
両腕を振り回し、掌を開く。
何も知らない者が見れば、自暴自棄を起こして武器を手放したように見えるかもしれない。
髪の毛を芯にした特製の剣槍2本は、私の手を離れても意のままに操れる。
勿論、その状態で威力を出す為には、直接手で振るうよりも多くの緋翼を消費するが……。
こんなにも楽しい強敵との戦いに、出し惜しみはもったいない。
――どうせ、勝てば“創造する力”を奪い取れるのだから。
両腕を曲げ、首の後ろに潜り込ませる。長い髪を一気に持ち上げるように――、
――伸ばした爪で斬り裂いた。
「――なにッ!?」
「――――っ!!」
クラウディオの驚愕の声。背後から私に肉薄していたサイバから感じる、恐怖。
ああ、気持ちがいい。
肩口から切りそろえた私の髪。斬られた部分は、全て。
今ここで、芯にする。
――100本の剣槍が、空間を蹂躙する。
それはまるで、小さな魚たちが群れを作ることで巨大魚を退ける、遠い昔に読み聞かされた御伽噺のような光景だった。
はじめての試みだったが、上手くいった。
いや、上手くいく確信があった。私にできないはずがない。
背後を飛び回った剣槍の群れが、部屋の外周を大きくぐるりと回って、今、前方へと横殴りに叩きつけようとしている。
後ろで、穴だらけになったサイバが崩れ落ちる音がした。
「あぁ、これでもう一人だけ、ね……?」
再び両腕で2本の剣槍をそれぞれ握りしめると、剣槍の群れに合わせるように、私自身もクラウディオへと向けて疾駆する。
相手が一人となれば、最早慎重に行動する必要も無い。私に負けはない。
「……舐めるなよ、灼熱の申し子」
――クラウディオは、最後まで諦める様子を見せることはなかった。
◆クラウディオ◆
「――あー待ってクラウディオ。やめよう」
突然距離を取ったかと思えば、サイバがそんなことを言い出した。
「……なんだと……?」
だまし討ちができるタイプのアニマではないことを確信していたこともあり、俺は苛立ちながらも偃月刀を床に突き刺した。手まで離すことはないが。
頬にべっとりと付いた血を袖で拭うと、ダガーを太腿のベルトに差し込むサイバ。
「分かるんだよ。今、ここの地下で、アミカゼの力がずっと強くなった」
「アミカゼ……? ああ……」
言われて考え、早々に思い至る程度には印象に残り易い奴だった。
アミカゼ。あの戦闘狂の女アニマか。遠い昔は、あんな人格ではなかったように記憶しているが……。
「よほど高位の“創造する力”の使い手を食べたんだろうね。あいつにこれ以上力をつけさせるのは、まずいんだ。……クラウディオ、どうしてか分かる?」
「……思想…………か? あと、考えられるとすれば……序列、か」
ピンポーン、と呟きながら、サイバは右手の人差し指を突き立てた。
「アミカゼは筋金入りの戦闘狂だ。姉が監督していられる間はまだマシなんだけど……もし、アサグラがいなくなったらとってもまずい」
「あいつの姉も来ているのか……」
アミカゼとアサグラ。いや、二人は同列ではない。
界隈では、姉のアサグラの方が有名だ。
翼同盟が崩れた後も、アサグラが黒騎士として目覚ましい活躍を上げていることは伝わってきていたほどなのだ。
イェス大陸の各地でアニマに敵対する可能性のある存在を血祭りに上げていたその戦果は、聞いた者に畏怖は与えても、好感を抱かせることは決してなかったが……。
「そう。アミカゼに、アサグラ。この二人は思想が危険だ。劫火様以上に、世界を壊しかねない存在なんだ。劫火様は、アニマ以外の全ての種族を滅ぼそうと考えている訳じゃない。人間にだって、アラロマフ・ドールとサンスタードに攻撃を仕掛けるだけで、金竜に関係の無い国まで滅ぼそうとは考えちゃいない。……だからこそ、僕は怖いんだ」
怖い、だと?
この、いつでも飄々としていて、人を食ったような態度を崩さないサイバがそう言ったのか?
しかし、その瞳は真剣だった。
「――劫火様が確実にこの世界を取ってくれるなら、このまま付き従っても良かったんだ。こっちに付いたことを後悔することはなかった。……でも、劫火様だっていずれはこの世を去るんだろう。その後に龍の座を引き継ぐのが、万が一にでもあの姉妹であっちゃいけないんだ」
「……言いたいことは見えてきた。それで?」
「大きな力を手にしたらしいアミカゼに、既にボロボロの劫火様。劫火様は今、上で金竜の憑依体とやり合ってる……。全ての憑依体を殺し尽くすまでに、もう少し手傷を負うだろうね。そして、それでもまだ、金竜ドール本体との戦いが残ってる……」
その時、丁度上階で再び爆発音が響いた。
手負いとはいえ、最強の龍だという炎竜ルノードに対し、金竜ドールの憑依体ごときがそれほど長く持ちこたえるとは思えない。この場所には複数の憑依体が配置されていたのだろうか。
「……お前、炎竜ルノードが負ける可能性を考えているのか」
問うと、サイバは重々しく頷いた。
……驚いた。向こうに付いたアニマは皆、盲目的にルノード最強伝説を信じているのかと思っていた。
――いや。むしろこんな風に、ギリギリのところで揺れているアニマも多かったのかもしれない……。
しかし。既に命を失ったアニマ達に同情までくれてやる余裕は、今はない。
「念のため確認するが、サイバ。お前はまだ、人間を一人も殺していないな?」
「そりゃ、そうじゃなきゃそもそもこんな話してないでしょ。僕は臆病で、計算高くて……狡いから、さ」
「そうか」
その在り方がいいとも、悪いとも俺には言えなかった。言う必要すらないと思った。
――俺は、暗君に無理やり従属させられたことがないからだ。
「遅かれ早かれ劫火様がいなくなる日が来るなら、次の龍は王子様で合って欲しい。……そういう話なんだけど、分かってくれるかな」
「把握した。……お前は、アミカゼに対して刃を振るうことを、躊躇せずにいられるんだな?」
「それに関しては問題ないよ」
むしろ……と、サイバは一段と声のトーンを落とし、
「――僕と君の二人でも、あまり楽観視していい相手じゃない。……それが一番心配だよ」
二人がかりで、全力を以ってしても勝てない可能性。
ラ・アニマでの戦いに参加していた限りでは、俺の目にアミカゼという女はそれほどの脅威として映らなかった。
しかし、それはあくまで身体能力の話だと、そういうことなのだろうか。
危険な思想を持った人物が、計り知れない力を手にしてしまった時……何が起きるのか。
――俺はまだ、正しく理解できていなかった。
クラウディオの無敗伝説が崩れてしまうのか……。
(ラ・アニマにて炎竜ルノードの本体にレンドウ共々気絶させられたのはノーカン。龍とそれ以外の生物では、そもそも勝負にすらならないので)