第212話 カーリー
◆カーリー◆
……どうして、こんなことになってしまったんだろう。
この光景を見ると、どうしてもそんな、もうどうにもならないことを考えてしまう。
登り階段では、予想通り複数のアニマによる妨害を受け続けた。
卓越した“創造する力”によりそれらを撥ね退け、肉薄する傍からアニマを斬り捨てていったレイネは、本物の戦士だ。
それは疑いようがない。けれど、それでも倒せなかった相手がいた。
アニマの里で会った、アミカゼという女に似ている。しかし、彼女よりも上背があり、顔つきも大人びているような気がする。
赤みがかった長い髪をいくつもの房に分けたその女が、レイネの攻撃を逃れ、ヴァリアーの地下3階へと逃げ込んだ。
それを追いかけて、広々とした空間に足を踏み入れた私たち。
――地下3階の訓練場は、地獄絵図と化していた。
一つの階を丸々と使い、直径100メートルもある円形の台が設置されている。その上で、同時に何十組もの隊員が演習に望むことができた。
その全てを包み、地下2階の床から突き出すように屹立した強化ガラスのドームは、どれほどの衝撃を受けたのだろうか、その殆どが内側から砕けたように、地下3階の壁際に降り積もっている。
……そのガラス片に貫かれて絶命したと思える隊員が、十数名。
円形の台座の上で、アニマに敗北したと思われる隊員たちが、12……13人。
半年以上前。ニルドリルによって扇動された、魔王軍の一部にヴァリアーが襲撃された日を、否が応でも思い出してしまう光景だった。
あの時、私は壁際で倒れているだけの一人だった。でも、今回はそうなる訳にはいかない……!!
中央付近には、まだ起きて戦っている人間が二人いた。
清流の国出身者である、水色の髪の少年たちだった。
――神明守に、宝竜貫太……!
私やレンドウとも交流を深めていた、魔王城への遠征を共にした仲間だ。
「――はあああっ!!」
叫び声と共に、守がロングソードを振り抜いた。
普段の眠そうな様子とは裏腹に、選りすぐりの剣士としての気迫を伴っていた。
私であれば、あの剣を受け止めることは叶わないだろうと確信できる太刀筋。回避に専念するしかないだろうと思われたその一撃を軽々と受け止め、いなした人物。
ロングソードを受け止めたのは、漆黒の剣槍。狂気を孕んだ女のアニマ、アミカゼだった。
「あはっ。本当に面白い子供。こういうのがたまに混じってるから、人間って素敵ね」
アミカゼが槍を手にしていない左手を振ると、守の背後に一本の剣槍が生成される。高位の“創造する力”の使い手は、遠隔操作をも可能にする。
「――あなたの血は、どんな味がするのかしら」
背後から守を貫くつもりだ……!
「レイネさんっ!」「――わかってる」
レイネが一陣の風となり、地を蹴る。とてつもない風圧が発生し、思わず顔を背けそうになる。
台座の上に滑るように着地したレイネが守に向けて手を伸ばすが、未だに50メートルほどの距離がある。届かないのか。
いや、しかし、守の斜め後ろをキープしていた貫太もまた、お荷物では無かった。
右手を真っすぐに前へと伸ばし、その付け根を左手で抑えている。あの構えは。
貫太の右腕が白い光を放ったかと思えばと、その先端から目で追うことも難しい光弾が発射された、らしい。
結果として、守の背後に生成された剣槍が砕け散ったことだけは分かる。
貫太の右腕に憑りついているという、ザツギシュの能力によるものだ。
――ああやって二人で護り合って、ここまで生き延びてきたんだ。
若くしてヴァリアーに目を掛けられ、次代の主戦力と目されている二人。その二人であっても、自分たちが生き残るだけで精いっぱいだった。
周囲に倒れ伏す隊員たちを目の端に捉え、少年たちは涙を流しながら戦っている。
もしかすると二人がまだ生き残っていられたのは、遊びが終わることを嫌ったアミカゼの気紛れによるものなのかもしれない。
だけど、それでいい。何でもいい。一人でも多くの人が生き残ってくれれば。
そして、そのお遊びがあなたの命運を決めるの、アミカゼ。
守が剣を滑らせると、アミカゼの剣槍に掛かっていた抵抗が無くなり、彼女の体勢が前方へと傾く。
右足を踏み出し、強く地面を蹴るアミカゼ。
身を翻すように、守に背を向ける形になりながら、自分へと疾駆するレイネへと左手を向ける。
「――あら、強そうな竜人。なら、この子たちはもういらないかしら?」
やはり、先ほどまでは遊んでいたのだろうか。
守の背後に生成した時とは雲泥の差。一瞬で目の前に5本もの剣槍を浮かべると、それをレイネに向けて立て続けに発射。
「邪魔っ!!」
文句をつけつつ、レイネが両手を振る。右手の白い短剣が剣槍を砕くのはまだ分かる。だが、何も持っていないように見えた左手の甲で払っただけでも剣槍が砕け散るのは、一体どういう理屈なのか。
いや、味方だから、強ければ強いだけありがたいんだけど。
もしかすると、それが“アニマと氷竜の相性”ということなのだろうか?
アニマの操る緋翼は、氷竜の操る氷翼に弱い。
レイネを中心に、霜のようなものが周囲に振りまかれていた。
「あら?」
アミカゼは何らかの違和感を覚えたらしい。
剣槍を飛ばしてレイネを足止めしている間に、守と貫太を始末しようと考えたらしいアミカゼ。
しかしその動きは緩慢で、守のロングソードが、アミカゼが右手に持つ剣槍を地面に抑えつける結果となった。
……きっと、レイネの霜がアミカゼの動きを制限しているに違いない。そして、守の右肩の上を通るように、貫太の右腕が突き出される。至近距離から光弾を浴びせるつもりだ。
「あはははははははは――――」
戦いを心から楽しんでいると分かる、アミカゼの高らかな笑い声が、貫太のザツギシュが放つ光弾に飲み込まれる。そこまで轟音と言えるほどでもないが、耳元で光弾を発射された守は大丈夫なのだろうか。
いや、大丈夫ではなかった。意識が朦朧とした様子の守が前方へと倒れ込む。
剣で床を突くことで身体を支えようとするも、そのままぐしゃりと崩れ落ちてしまう。
貫太はそんな守を庇うように前へ出ると、噴煙の中から現れた血塗れのアミカゼの腹部へ、白く光り輝く右手を押し付けた。
「――――ははははははははっ!!」
「ここから居なくなれええええええええッッッ!!」
腹部と左の大腿部に幾つもの穴を空け、周囲に肉片と血液を撒き散らしたアミカゼ。だが、その状態でも右足が閃き、貫太の身体がくの字に折れ曲がる。
「――ぐばっ……」
何十メートルも吹き飛ばされ、床に当たって跳ね返り、そのまま台座から転がり落ちて見えなくなる貫太。まずい。あれでは肋骨が折れ、内臓が傷ついている可能性が高い……。
一人足元に残った守。持ち上げたままの右の踵をその頭部に振り下ろそうとしたところで、アミカゼの右足が半ばから吹き飛んだ。
レイネだ。全ての剣槍を消滅させたレイネが、短剣から光線を撃ちだしたのだ。あの短剣もまた、魔法剣なのかもしれない。
衝撃を受けて反時計回りに回転しかかったアミカゼの身体。
「うっ……」
声から余裕が消え、次に見えた表情は、痛みに喘ぐ女性のそれだった。しかし、それもすぐに喜びに塗り替えられた。
床を踏みしめられる足は穴の開いた左足だけだというのに、レイネの飛び込むような突きを左手で受けたアミカゼ。レイネの短剣は、アミカゼの左の掌を深く穿っている……。
「っ!?」
「やっぱり、ままごとじゃないホンモノの殺し合いは素敵ね……!」
――レイネの驚愕が、ここまで伝わるようだった。
左の掌がより深く貫かれることにも構わず、アミカゼはレイネの右手を包むように、短剣を持つ右手を封じた。
そして、膝上から消失していた右足。持ち上げるだけでも激痛が走る筈のそれをレイネの胴へと押し当てたかと思えば、レイネの背中から幾つもの槍が飛び出した。
体内を貫通させたんだ。
だけど、どうして。どうやって。
レイネならアミカゼの緋翼を封じられるんじゃ……。
いや、まさか……治癒能力。自己防衛機能が成す、傷口の治癒に当てられる際の緋翼を、全て攻撃に転化した……?
そんなことが可能なのかは分からない。だけど、翼の力を持つものが最初に己の力を認識するために通るプロセスは、自らの傷が癒えていく感覚を知ること……。
その原始的なブーストこそが、格上の力を破る唯一の方法だったのかもしれない。
それが意図してのものだったのか、無意識だったのかは分からない。ただ一つ言えることは、アミカゼほどの狂気が無ければ、それは成せなかったであろうということ。
体内を槍の群れに蹂躙されつつも、レイネは己のやるべきことを見失っていない。
「――ぶっ……はぁっ……」
口の端から血を垂れ流しつつ、レイネは巨大な翼を形作る。レイネを包み込むように広がったそれは、同時にアミカゼを圧し潰そうとする万力でもあった。
「ははっ! はっ! ふぅっ……」
小刻みに、笑いが混じった吐息を漏らしつつ、片足だけのアミカゼが左手を開き、レイネから離れる為に後ろへ数回飛ぶ。そして、そのまま仰向けに崩れる。
あれだけではまだ死なないだろう。アニマには高すぎる治癒能力がある。いや、しかしレイネの攻撃によるものか、アミカゼの腹部や左の大腿部、半ばから欠損した右足が治癒する様子はない……。
レイネが周囲に撒き散らかした霜の影響だろうか? だとすれば、その影響範囲から離脱するまでアミカゼの体力が持たなかったことは僥倖と言えるのかもしれない。
レイネは白い翼に包まれ、繭のような格好になっている。氷竜の治癒能力は高くない。恐らく、今はああやって繭の中に閉じこもって、治癒に専念しなければならない状況なんだ……。
――今のうちに、私がやるんだ。
今なら、私でもアミカゼに止めを刺せる。
――いや、待って。
もう一人いたはずだ。私とレイネが追いかけてきた、アミカゼによく似たアニマが。
台座によじ登り、中央に向けて走り出そうとした時点で、ようやくそれに思い至った。
倒れ伏した大量の隊員たちと、今にも命を失いかねなかった守と貫太を目にしたせいで、今の今まで忘れていた。
あのアニマがなぜアミカゼとレイネの戦いに乱入しなかったのかは分からない。
が、アミカゼに止めを刺そうとする私を、むざむざ見逃すとは思えない……!
そこまで考えたところで、右へと跳んでいた。
攻撃が来ると分かっていた訳じゃない。ただ、嫌な予感だけがあった。
まるで、今まで天井に張り付いていたとでも言うかのように、私がいた場所へと静かに降り立った影。
その静かさは、攻撃をしようとしていたようには見えない。私が回避行動を取ったことで、技を出すのを取りやめたのかもしれない。
「あぁ…………気づかれちゃったか」
いや……それとも、大して力を入れずとも、撫でるような動きだけで私を殺すことができる人物なのだろうか。
その可能性は高い。額に冷や汗が滲むのを感じる。
「……ぼくの名前はアサグラ。悪いけど、ぼくは妹とは違う」
女性にしては低めの、理性的とすら表現できる、落ち着いた声。
アミカゼとよく似た顔立ちの……アサグラと名乗ったアニマは後ろに手を伸ばすと、いくつもの房に纏めた髪の毛の一つを引きちぎった。
それが音もなく薙刀のような形を取ると、私へと真っすぐに向けられる。
共に戦ってくれるものはいない。このアニマに相対するは、私一人だけ。
「――きみがどれほどの弱者であっても、手心を加えることはしないからよろしくね」
その声の落ち着きが、彼女にとって私を殺すことなど造作もなく、また至極当然のことであるのだと認識する。
震える足に内心で喝を入れ、その薙刀の先端を注視する。
ああ、レンドウ。
死ぬ前にもう一度、あなたに会いたい。