第211話 ゲンジの偉業
◆クラウディオ◆
上部が砕かれた正門を抜け、俺は生まれて初めてヴァリアーの基地へと足を踏み入れた。
一度ここに来たことがあるジェットに先行してもらい、ヴァリアーの本体とも言える地下への階段を目指す……その途中のことだった。
遠くからは人々の悲鳴が断続的に響いてくる。堅牢な建物が崩壊させられたような音は、今も地上でルノードが破壊工作を行っている故だろうか。
氷竜アイルバトスが死んだ今、彼の竜は一体何に向けてその力を振るっているのか。想像できなくもない。
――大方、地上に散らばって配置されている“金竜ドールの憑依体”を潰して回っているんだろう。
それが済み次第、いよいよもって奴はヴァリアーの地下に……金竜ドールの本体に向けて侵攻を開始するはずだ。
ならば、その前に怪我人や、戦闘能力に乏しい人間たちを避難させてしまいたい。
一刻の猶予もないこの状況で、地下へと向かう俺達の前に立ちはだかったのは、一人のアニマだった。
ダークグリーンの髪を持つ、やせ型の青年。
イヌ科を思わせる、前面に突き出したフォルムの黒仮面をつけていない。紛失したのだろうか。
仮面によって持ち上げられていた前髪は降ろされ、その端正な顔立ちを覆い隠そうとしている。
「…………サイバ」
翼同盟が瓦解してから、俺とこいつは交流が無くなった。
その素顔を見るのは今回の旅路において初めてだが、すぐに分かった。
異性受けしそうな顔を晒すことを嫌い、人を食ったような態度で他者を深くまで近づけさせない変わり者。
「やあ、クラウディオ。ちゃんと話すのは9年ぶりかな」
「俺は長話するつもりはないが。そこを通せ」
無理だろうと思いつつも一応要求すると、しかしサイバは口元に手を当て、思案する様子を見せる。
「……場合によっては……いいよ。僕は、君と二人だけで話がしたい。いや、話の後は結局戦うことになると思うんだけど」
嘘を吐けるアニマは例外だ。俺が知る限り、こいつは例外ではない。見ない間に性質を変えた可能性はあるが。
ならば確かめてやろう、と俺は隣のジェットを顎で示した。
「こちらも、場合によってはそれを受けよう。こいつを黙って先に行かせろ。そうすれば、話を聞いてやる」
「ああ、それならいいよ。というか、二対一じゃ僕には荷が重いからね。願ったりかなったりだよ」
それは本心……なのだろうか。サイバという男は真の実力を隠している。俺は長らくそう考えていた。
こいつなら、俺とジェットの二人を同時に捌いたとしても意外には思わない。
「だ、そうだ。ジェット、先に行ってくれ」
「…………お前がそう言うなら、じゃあ行くけどな」
ジェットは戦闘狂のようで、きちんと優先順位を把握している。いや、そもそも戦い始める前は冷静なのだろう。アドレナリンの分泌が始まると、見境がなくなりやすいだけで。
サイバと俺を見比べた後、ジェットは地下への階段を駆け下りていく。
己の横をジェットが通り過ぎる際に、サイバが攻撃の機会を窺う様子もない。
しばしの静寂。そしてそれが再び外から響いてくる破砕音に貫かれたあたりで、俺は口を開く。
「それで、話とはなんだ? お前は時間が稼げるだけ嬉しいかもしれないが、こっちは違う。今にもルノードがここに向かって来るかもしれないんだ」
少し苛立ち交じりの声色になってしまったが、サイバはそれを買うことなく、沈痛な面持ちで佇んでいる。
「そもそも、俺の前に立ちはだかるのがお前なのが意外だ。ゲンジはどうした? あいつは、今更一度負けたくらいで俺への挑戦を諦めまい……」
「――ゲンジは死んだよ」
黙っているならこっちが話すが、と始めた話題が、丁度サイバが話そうとしていたことそのものだったのだろうか。
「……なんだと?」
「今日、この戦いの中でゲンジは死んだ。君も見ていたはずだけど、ゲンジがどこにいたか分かるかい」
戦争で死人が出ることは、意外でもなんでもない。他人だろうと知り合いだろうと、死ぬときは容赦なく死んでいく。
俺は既にそれを知っている。今更驚くほどのことではない……。しかし、あの何度も俺に立ち向かってきた少年が――今は青年だったか――もうこの世に存在しないと言われれば、心中に重いものがのしかかるのは確かだ。
それより、俺も見ていたはず、と言ったか?
期日を待つことなく、突如として開かれた戦線。
街を焼いた真紅の竜。それを討伐した氷竜アイルバトス。
氷竜と雌雄を決した炎竜ルノード。
そしてその後、街中に溢れ、暴れ回っているアニマ。
その中で、決して誰にも見過ごせない立ち位置といえば、どれだ。
――まさか。
あの、一体目の真紅の竜。
「…………あの竜が、ゲンジだったと言うのか? 氷竜アイルバトスに首を落とされた…………?」
言うと、サイバはゆっくりと頷いた。
「……そうだよ。……いや、自分で気づいてもらった方が、僕から言うより信じてもらいやすいかと思ってさ」
「これで自分で気づいたと言えるか。それに、信じがたい。……どういうことだ。ゲンジにそんな才能があっただと? いや……あれほどのサイズの竜になったんだ、ただの竜化ではないだろう」
「ゲンジには丸っきり才能が無かったわけじゃない。というより、そもそもアニマという種族全体が、今までは劫火様によって与えられる力をセーブされていたんだ。あの方が氷竜アイルバトスの勢力みたいに……民の一人一人にもっと力を与えていれば、今頃多くのアニマが竜化能力に覚醒していたはずだよ。現に、ラ・アニマで劫火様に力を与えられたじいさんは、竜化してアイルバトスを迎え撃ったんだろう? ……成すすべなく敗北したみたいだけど」
じいさんとは、現グロニクルのシャラミドのことだろう。
確かに、この目で見た訳じゃないが、竜化したシャラミドは氷竜アイルバトスに手も足も出なかったと聞く。
「なら、今この戦場で暴れているアニマどもは、皆ルノードからあの巨大な竜化ができるだけの力を受けとったということか?」
それが本当だとすれば、この戦いに勝ち目など存在しないように思えてくるが。
「いや、さすがにそんな訳ないでしょ。アニマには……翼の力の保有者には、それぞれに力の許容量がある。この戦場にいる多くのアニマは、以前までとそう変わらないよ。まぁ、僕みたいなエリートは、かなり力を貰っても平気だったけどね」
サイバのような……つまり黒騎士連中は、ラ・アニマで戦った時と同じだとは思うな、と。そういうことか。
「ゲンジの覚悟が異常だったんだよ。自分の命が確実に終わることを認識した上で、劫火様に食って掛かったんだ。劫火様の甘さを糾弾し、絶対悪として今すぐエイリアに攻撃するよう上奏した。そして、自ら望んで身の丈に合わない量の緋翼を下賜され、異常なサイズの竜化を成し遂げたんだ」
自らの種族が崇めるシンに噛みつく……とはな。
シンを持たない吸血鬼である俺が、それに必要な覚悟を正しく推し量ってやれているかは分からない。
だが、俺なんかは族長の意向に逆らおうと考えたことがそもそもない。ヴィクター様の御考えがいつも素晴らしいことも原因だが……。
しかし、それはとてもゲンジらしいことのように思えた。
「……ふっ」
思わず口元に笑みを浮かべてしまう。
死人を馬鹿にしたように感じられたくは無いな、と思い慌てて消すが、それを気にした様子もなく、サイバは言葉を続ける。
「ゲンジは氷竜アイルバトスに殺されたけど、実際戦わなくても死ぬ未来だったんだ。あの身体は10分と持たないはずだった。それでも、自分の命を投げ打って、劫火様が氷竜アイルバトスに確実に勝てる状況を作り出したんだ」
「……なるほど、な」
「それが、僕らの勝因ってわけ。ゲンジが僕らを勝たせたんだ。それを、君は知っておくべきかと思ってさ」
……そうか。それで俺に話を持ち掛けた訳だ。だが。
「まだ勝負はついていないと思うがな」
「僕は君に負ける気はしないけどね。それとも……あの王子様に期待してるってこと? あれがこの戦況を変えるって?」
その疑問には答えない。俺も嘘は嫌いだ。なら何も言わないに限る。
今のレンドウが……こいつらの知らない、規格外の力を手にしていることを、わざわざ教えてやる必要もないだろう。
「俺に勝つつもりでいるなら、なぜ俺にわざわざゲンジの話をした。やはり、時間稼ぎだったのか」
「違うよ。そっち側の誰かにも……ゲンジの覚悟を知っておいて欲しかった。あの偉大な行為が、後世に伝わらなかったら悲しいなって。それだけだよ」
そう言うと、サイバは腰の位置を少し落とした。話は終わりということらしい。
「……それに、クラウディオ。なんとなく……君は戦争の勝敗に関わらず、生き残りそうな気がしてるしね」
その言葉を最後にサイバは口を引き結ぶと、両腰から双短剣を引き抜いて、手の中で回した。
――勝敗に関わらず生き残る?
生き汚いと言いたいのだろうか。仲間全員が命を落としても、俺だけはなんだかんだ、のらりくらり逃げおおせると。
確かに、この戦争にそこまでの執着はない。俺が命を賭すべきは、吸血鬼の里の皆を護ることだ。
だが、むざむざ知り合いの死を見過ごすほど薄情でもない。
例え戦争に敗れようとも、一人でも多くの知り合いを救う。
それが今日ここで、俺が成すべきことだ。
――偃月刀の刃を右に、柄で飛来した短剣を弾くと、俺は勢いよく大地を蹴った。
サイバ。悪いが、俺はこんなところで敗れはしない。
随分掛かりましたが、再びコツコツ更新していきたく思う所存。