第210話 ロウラ
――4方向から襲い来るロウラの緋翼。
レンドウの両手が閃き、それら全てが断ち切られる。
切断された部分から緋翼が形を保てなくなり、所有権を失った“創造する力”として僅かな時間空間を漂った後、レンドウへと吸収されていく。
と、そこにロウラの仕掛けた罠があった。
レンドウはロウラに肉薄し、振り上げた双剣を叩きつけようとしていた体勢だった。
ロウラの操っていた緋翼が掻き消え、その中から二本の直剣が現れる。
それには見覚えがある。一連の戦いが始まる前に、フーゴが用意していた直剣だ。
二本の剣が、レンドウの両手の動きを阻害するように肩口に突き立つ。
「――ガッ……」
だが、それだけだった。
「――オァァァァァァァァッ!!」
レンドウは対敵から視線を逸らすことなく、その場に縫い止められた形になりながらも緋翼を操作した。
背中から立ち上った巨大な腕のような緋翼が、ロウラを殴りつける。
彼女はそれを相殺しようとしたらしい。しかし、力及ばなかった。
「う……っ」
壁に叩きつけられ、喘ぐロウラ。跳ね返った形になる彼女に向けて、「――悪ィけどな」レンドウはその隙を見逃さないように、傷口が拡張するのにも構わずに強引に二つの剣を抜き、横に放った。「もう、一昨日の俺とは違うんだ」彼我の“創造する力”の優先度の差を理解したのか、さすがのロウラも目を見張り、身体を強張らせていた。一瞬でロウラまでの距離を詰め右腕を伸ばし、首を掴んで地面に引き倒す。いつの間にか、右手の剣は鞘に納められていた。
その動きを見るに、既にレンドウの怪我は癒えているのか。とんでもない治癒速度だ。
これで先ほどアルフレートに力の一部を貸与しているというのだから恐ろしい。
「……何か、言い残すことはあるか……?」
言葉とは裏腹に、レンドウは迷っている。そう感じた。
ここまで同族を斬ることに躊躇を見せなかった彼も、姉殺しには即座に手が動かない様子。
……いや、それは仕方ない。
それでいい、とすら思う。
その感情は捨ててはいけない。
それまで捨ててしまっては、この戦争が終わった後に、誰もあなたについて行かなくなってしまう……。
「私は……死ねない…………!!」
ロウラの口から零れたのは、命乞いにも思える文面だった。力強い発声は、彼女にしては珍しい。
初めて聴くその焦りを含んだ声色は、しかし「みっともない」と嘲る気にはなれない、真摯さを内包していた。
「そんなの、誰だってそう思ってるだろうが」
レンドウの声は冷たい。それでも、即座に剣を振り下ろさないということは…………姉を殺さずに済む理由を、未来を模索しているのだろうか?
「……お前らに殺された一般市民も、ヴァリアーの隊員も、全員がそう思っていたはずだ。自分の番が回って来たからって、みっともなく命乞いをしようってのか?」
その程度じゃ見逃せねェ。もっと言葉を弄せ。
俺を納得させてみせてくれ。
姉に対し馬乗りになり、脅しつける形で次の言葉を促す彼は、泣きそうな表情にも見えた。
「……………………」
「……………………」
長い沈黙の後、ロウラは目を閉じて口を開く。
「…………なら、私の代わりに…………翼同盟の街を……私を裏切った、ロウバーネ。……あの女だけは。……あなたが絶対に殺して」
ロウバーネ。どこかで聞き覚えのあるような気がしないでもないが、それこそ「ロウラに少し似ている」と思う以外、いまいちピンとこない名前だ。
「ロウバーネ……?」
だが、そう呟いたレンドウには、思い当たるものがあったらしい。
「サンスタード帝国皇帝の懐刀……【四騎士】の一人、鎖の騎士ロウバーネ……。翼同盟の街が襲撃される前に、里に接触してきていたのはそいつか…………?」
弟が並べたその人物の情報に、ロウラは驚いたようだった。
「知っているの?」
「知ってたな。いや、今思い出した、の方が正しいか。……あの頃、俺とゲイルに接触してきてたんだよ、あの女。お前も似たクチか?」
「きっと、もっと酷いでしょうね。交友を持ちたいと嘯いたあの女に、私は里の情報を引き出された挙句、師匠……ライラ様から受け継いだ鎖操術までをも盗まれたんだから」
「……きっついな、そりゃ」
私も初めて聴く話だった。
幼い日のロウラが、敵である帝国人に里の情報を渡してしまっていたとは。
……もしかしなくとも、それこそが彼女が里から離れて黒騎士としての外部活動に傾倒した理由だろう。
例え族長がそれを不問にしたとしても、彼女自身が、皆と共に里に残ることを選ばせなかった。
「そのロウバーネって奴がどうしても許せなくて、そいつを殺すまでは死ねない。……それがお前の事情だってんだな?」
「……ええ」
「だったら、なんでこんなところに来ちまったんだよ。なんで俺の敵として立ちはだかっちまったんだ。里から離れて、ルノードから離れて。一人でロウバーネを殺すことだけを考えて、生きていってくれていれば……」
レンドウは不幸な世界を嘆くように心情を吐露するが、その内容はあまりにも身勝手がすぎた。そんな、自分にだけ都合のいい世界は存在しない。それは彼も分かっているのだろうけど。
「あの時の失態を取り戻すために、黒騎士として同族のために仕事をしたかった。そうしなければ、私が私でいられそうもなかったから。……その延長線上に今日があって、あなたたちと戦うことになった。それ自体に後悔はないわ。ただ……」
ロウラの眦から、涙が流れ落ちていた。
それが演技かどうかは分からない。けど、少なくとも私はロウラという女性は、そう簡単に涙を見せる人物ではないと思っていた。
「――目的を達成することなく、敗れてしまったこと。それがとても悲しいし、悔しい。あなたにそれをさせてしまうことも。両親の愛を遠ざけてまでこれだけの力を手に入れたのに。それを軽々しく超えられてしまったことも……」
「……なんだお前、ちゃんと感情はあったんだな」
そう言うレンドウも、全ての記憶を取り戻したのなら知っているはずだ。
かつて黒騎士候補生として家を出て、訓練に明け暮れる以前の彼女は、普通に怒り、笑う、一人の少女でしかなかったことを。
「俺だってお前を手に掛けたくなんかねェよ。例えお前が、これから先俺が作るアニマの国にいられる身分じゃなくても。全ての人間に忌避される、人殺しのアニマだとしても。……俺や両親、アンリに対して二度と剣を向けないって約束してくれるなら。……お前を見逃したい。これが俺の、正直な気持ちだよ」
ロウラはふーっと長い息を吐き、一度目をぎゅっと瞑った後、開く。
「次代のグロニクルが、そんなに自分勝手でいいのかしら」
「独裁政治って、聴こえは悪いかもしれねェけど、案外国民に慕われてる場合も多いらしいぜ?」
「……さっきあなたが言ったことだけど、守れる保証は無いわよ。私が二度とあなたたちに刃を向けることがないかなんて……私自身にすら分からない」
「そりゃそうかもな。未来のことは誰にも分からない。けど、賭けてみたいと思うんだよ。何かしらの理由付けをすればお前を殺さずに済むっていうなら……多少無理な理論でも、無理やりこじつけたくなるんだ」
「本当に……勝手な弟ね……」
「お前に少しでも家族を……俺を想う心が残ってるなら。目が覚めた後、誰とも戦わないようにここを離れろ。そして、静かに生きていけ。そんで勝手にロウバーネへの復讐計画を練っていろ。余計な人間を殺さずに済む、完全犯罪を考え続ける人生を送れ。……そして何より、生き続けろ。どこかでお前が今も生きていると、そう両親に希望を持たせやがれ。……それが俺が下す、最初で最後の命令だ、クソ姉貴」
そこまで言うと、ロウラの返事を待つことなくレンドウの手が閃き、ロウラの意識を刈り取った。
たっぷりと5秒ほど意識を失った姉の姿を眺めた後、壁に寄りかからせるように移動させ、それから立ち上がったレンドウ。
こちらを振り返った彼の顔には、新たな決意が宿っていた。
「――悪い、セリカ。本当に勝手な行動ばっかりで。お前にはこれから、ロウラを担いでここを離脱して欲しい。できれば、目を覚ましたロウラがここから離れることを見届けてもらいたいんだけど」
「ええ、別に構わないわよ」
私だって、弟が姉を殺す場面を見たかった筈がないでしょう。
「お前は、俺が甘いと思うか?」
「そうね。でも、その甘さを好んで、あなたに付き従うことを決める同族も多いと思うわ」
現族長のシャラミドはその筆頭だろう。
「……あァ、そうだな。……そうだといいな」
何かを吹っ切ったように首を振ったレンドウは、自らが突き破った窓枠へと歩み寄ると、「じゃあ、新技いくぜ」左手を空へと掲げる。
レンドウの手を起点に、空間がぐにゃりと歪んだように見えた。
「ここで時間を食った分、今から取り返さないとな」
――大量のカラス。
音もなく生み出され、灰色の空へと飛び立っていく漆黒のカラスたちは、言うまでもないが緋翼で作られた生命体だろう。
今も生まれ続け、総数を50匹、100匹、150匹と増やしていくカラス……それら全てが固有の自我を持っているのだとすれば、それはもはや新たな種族を創造しているに近い。
さすがに生殖能力は有していないだろうが……。有していたとするならば、それは既に人の領域ではない。龍の御業だろう。
恐らく……いや間違いなく、レンドウはそれらのカラスを目として放っている。
分離したカラスとレンドウが視覚を共有できるとすれば、それはどこまでも強力過ぎる戦略兵器となる。が、一応能力に制限はあるのか、どうやら緋翼を極小の糸のように伸ばし、それぞれのカラスに繋げたままにしているらしいと気づく。
それでも、自分の足でエイリア中を走り回るよりずっと効率的に、次に向かうべき場所を決められるだろう。同時に複数の場所の情報を仕入れることが可能だろうし。
こんな凄まじい力をどのタイミングで……いや、今までのレンドウにそもそも手加減する理由はなかった。
ならば、その左手の魔法剣。アルフレートに貸与されたヴァギリによって、新たな力の使い方をレクチャーされたと見るべきだろう。
造られて何十年経っているのかは分からないが、アニマ以上にアニマを熟知している、これまた恐ろしい魔法剣だ……。
「――そろそろカラスはいいか。じゃあ次は、実働部隊だな」
それが終わった後、今度は大量の四足歩行の動物たち。レンドウの半身ほどもある獣が、エイリアに向けて放たれていく。
馬に、鹿に、ライオン、熊。
あの大量の角を備えたシルエットは、暗黒大陸に生息する馬に似た生物、ナイドだろうか?
カラスよりは圧倒的に創出頻度が遅々としているが、それはすなわち、一体一体に多くの“創造する力”を注ぎ込んでいるということ。
実働部隊。その言葉が意味することは……。
「戦闘用の生物たち、ということ?」
「あァ。こいつらを相手にすれば、普通のアニマなら苦戦するだろうよ」
その説明を聴きながら、私はとめどない昂揚を感じていた。
こんなこと、ルノードにもできるかどうか。
――既にレンドウはルノードの下位互換では無くなっている。
この状況から、彼が龍の座を引き継ぐことがあれば……。
……本当に、絶望に閉ざされかかっていたアニマの未来が拓けるかもしれない。
ついさっきまでは、同族を躊躇なく殺め、目に見えて病んでいくレンドウに不安を覚えていた。
しかし、実の姉と戦い、葛藤の末にそれを見逃す決断を下したことで、彼に人間性が戻ってきた。
……本当に、何がどう作用するのか分からないものだと思う。
――ロウラ。あなたのおかげで、レンドウはまた歩みを進めたわ……。
背中に確かな重量と熱量を伝えてくるロウラの身体を、軽く勢いをつけて背負い直してから、私は図書館を後にした。
そのような意図はなくとも、姉は闇落ちしかけた弟を結果的に救い上げていた。
この先レンドウがどのような行動に出て、それがどんな結末を迎えるのかは、まだ分からない……。