第209話 セリカ
◆セリカ◆
アルフレートにアンリエル、そして水色の少女を送り出したレンドウ。
彼に向かって「こっちに来て」と手招きすると、それを見るや否や、こちらに向けて跳躍。
50メートル以上の距離があったはずなのに、それを一瞬で埋めた身体は背中から黒い翼を生やすことで減速し、時計塔の上部、私の向かいにふわりと降り立った。
「なにか見つけたのか?」
どんな身体能力なの。と言いたくなるのを堪え、大通りを挟んで反対側にある頑丈な作りの建物を指差す。
「あの建物……図書館だったかしら。狙撃しているのがいるわ。気配を殺そうとはしているみたいだけど、弾丸が緋翼で出来ているから、あなたにもすぐわかる筈。向こう側の窓から、もう何人もの民間人が撃ち抜かれてるみたい」
「……分かった。なら、次を待つ必要はないな。すぐに突入する」
言って、レンドウは壁を蹴り、その身を宙に躍らせる。
私の言うことを疑わず、すぐさま行動に移ってくれることはありがたいのだが、彼の精神状態には不安が残る。
――良心の呵責なく、同族を殺せるはずがないのだ。
一度大きく翼をはためかせた後、自分自身が弾丸になるように翼を畳むと、レンドウの身体は図書館の窓枠へと吸い込まれた。
熱によってガラスは全て割れていたが、その向こうは黒い遮光カーテンのようなもので覆われている。
ルノード本体が現れる以前、一体目の真紅の竜によって直接炎を浴びた箇所だと思われるが、そのカーテンは炎に耐性を持つ素材で作られていたのだろうか。
それによって、図書館の内部は未だ隠されたままとなっていた。
カーテンを突き破り、内部へ侵入したレンドウ。
「ガアアアア――――――――ッ!!」
彼の獰猛な咆哮の後に、何者かの悲鳴が続く。
ひとまず奇襲には成功しているように見受けられる。今のレンドウが格下のアニマに対し繰り広げる戦闘に、果たして私の出る幕があるのかは分からないが、壁を蹴って後を追う。
窓枠に手をかけ這い上がり、頭を突き出して室内の様子を一瞥。
部屋中を飛び回り、居並ぶアニマ……5名ほどの狙撃手を、レンドウが斬り裂き、蹴り倒し、蹂躙しているようだ。
足に力を入れ、窓枠から身体をねじ込むように、回転しつつ室内へと降り立つ。
反対側の窓枠には弓を手にまごついているアニマ。狙撃に使われていたのは弓だったらしい。
木材を切り出して作られたらしい弓だが、矢は緋翼を加工して作っているのか。
その答えはすぐに明らかになった。少女のアニマ……シュティは慌てふためきつつも右手を閃かせ――頭部から髪を数本抜き取った――それを弓につがえる。その向く先は、私。
セリカ。あなたを殺したくはないけれど。そんな心の声が聴こえた気がした。
彼女の両目から涙が零れ落ちると同時に、私は思い切り右へと跳んでいた。
「――ッ」
本棚に突っ込む形になり、右肩を強打してしまった。だが、弓矢という武器は脅威だ。あのアニマ手製の矢なら、一発でも貰えば私の身体に穴が空くだろう。
素早く態勢を立て直し、シュティの方へ緋翼を飛ばそうと……したが、もう必要なくなっていた。
丁度他の狙撃手を片付けたレンドウが疾駆、シュティの胴を左手の、骨製の魔剣で薙いだところだった。
目から光を無くし、崩れ落ちる少女。
余りにも躊躇が無い。
善性を捨て去ったようにも見えるレンドウの所業だが、それは同時に“戦士の才能”でもある。
戦争を勝利に導けば、その才能を持つ者は英雄として語り継がれるものだけれど。
だが、同族に対してそれを振るうことができているというのは……もはや、まるで人間のようだ。
それが正しいことなのかどうなのかは、私には判断がつかない。でも、見ていて気持ちのいいものじゃない。
こんなことは、早く終わりにしないといけない。
相手が人殺しのアニマでなければ必ずしも命を奪う必要は無いはずだが、それはレンドウも分かっているはず。
まぁ、状況を見れば分かる。この建物で狙撃手を務めていたアニマ達は、全員手遅れだろう。余りにも人を殺し過ぎている。
「――ゴラァァァァッ!!」
レンドウに蹴倒されていた一人のアニマが、起き上がろうとしたのか。
叫び声を上げつつ、その背中に長剣と化したレンディアナを突き立てたレンドウ。
どうやら激昂しているらしい。あまりに躊躇がなさすぎた一連の行為もそれ故だったのか。さっきの今で、急に怒りを覚えるような出来事があったのか。
「レンドウ、落ち着い――っ!?」
彼に近づいて宥めようとした矢先、背後から強い衝撃。
吹き飛ばされる身体。頭部を庇うように反射的に前方に腕を伸ばすと、前にした右腕が折れる感触。
私は……うつぶせになって倒れている。隣にはレンドウの気配が。彼の近くまで飛ばされたのか。
左手を地面について、身体を捻じる様に仰向けになり、首を上げる。
下手人の正体は……レンドウが高らかに叫んだことで確信が持てた。
「――ロウラァァァァァァァァッッ!!」
割れた窓から吹き付ける風に黒髪を揺らしながら、ロウラは鋭い眼差しで周囲の状況を見渡している。
ここからでは見えないが、風の流れを見るに屋上への扉が開きっぱなしになっているようだ。ロウラはそこから現れたのか。
「……全員殺されたのね」
黒騎士の中でも特に上位の実力者。そして、レンドウの姉でもある女性。
「セリカ。まさかあなたが、私よりもレンドウ側を選ぶなんてね……」
――私とだって、知らない仲じゃない。
「今、そこの狙撃手が誰を撃ってやがったのか、お前は分かってんのかッ!!」
喉が裂けていそうなほどがなり、唾を飛ばしながら血だまりに沈むアニマを指差すレンドウ。
「――アンリを狙ってたんだぞ! それで、それを庇ったアルフレートが倒れた! てめえ、ぜってェに……!!」
……そういうこと。
レンドウの家庭事情は複雑だが、ロウラとアンリエル・クラルティの父親が同じなのは知っている。
彼女にとって、アンリエルは間違いなく弟だ。血縁上は、だが。
「許さない、かしら。だったらどうだというの」
対するロウラは嫌味なほど冷静で、弟が死にかけていたことに拘泥する様子を見せない。
「レンドウ、状況を理解出来ていないのはあなたの方。氷竜アイルバトスは劫火様に敗れたのよ? もはやどちらの陣営が勝利するかは決まっているの。セリカ共々降参して、劫火様に降るのが……両親の未来のためにもなると思わないの?」
「思わねェよクソ。親父もお袋も、俺を信じて送り出してくれてんだ。二人が一番望んでんのは、お前が帰ってくることだよ、クソ姉貴……!」
「……まさか、まだ劫火様に勝てる可能性があると思っているのかしら」
「そう信じてるから、俺も仲間たちも死の物狂いで戦ってんだよ。ルノードは既に満身創痍なんだ。全てを投げ打てば、俺らは勝てる…………」
「悪いけど。私は、あなたの語る夢物語に同調したことは一度も無いの」
そう言うと、ロウラは両腕を広げた。
ローブの袖から、音もなく緋翼で構成された触手が4本伸びる。
以前までは同じように鎖を服の中から伸ばしていたロウラの特殊な戦い方だ。
私が打刀を失ったように、ロウラも現在は鎖を失っている。あの触手は代用品だろう。
「――俺はアンリを守る。お前を殺してでも、弟を守るッ!!」
レンドウが叫び、前傾姿勢で疾駆する。
左手の剣を前方で横に構え、右手の剣を肩の上に小さく振り上げた形だ。
左の剣は防御寄り、右手の剣は攻撃に寄った位置。どちらも、いつでも左向きに攻撃を開始できる。
そこに、ロウラの操る触手が次々に襲い掛かる。
――決着までは、一瞬だった。