第208話 理解者
◆アルフレート◆
「上ッ――!?」
アンリエルがそう叫び声を上げたことで、俺の身体はすぐに反応した。
自らが叫んだ内容であるにも関わらず驚きが含まれているように感じたのは、それがアンリエルにのみ聴こえる、ヴァギリの声をそのまま転写した内容だからだろう。
――もう慣れてきていた。アンリエルとリバイアの手を引き、かろうじて原型を留めていた近くの建物の壁に押し付ける。
そして視線を上げ、狙えるのが俺だけとなり、その刃をこちらに向けたアニマを見る。
逆光になってその顔は判別できない。だが、今日の朝までは俺の仲間だったはずのアニマ。裏切ったのは、他ならぬ俺だが。
「ぐがああああああああッ――――――――」
痛みに声が漏れ出ることを抑えられない。既に緋翼による自動修復も見込めない。俺は力を使い果たしていた。
屋根の上から飛び降りてきたのだろう。曲剣による体重を乗せた一撃が、俺の左肩から入って、胸までを斜めに斬り裂いて抜けた。
あと少しで心臓に到達するところだった。危なかったと息を吐くには、脅威は去っていない。
崩れ落ちそうになる身体を、右手を地面につくことで支えようとするも、丁度尖った面を上に向けていた瓦礫に、甲を貫かれる。
「――ぐうッ」
情けない。こんなところで、俺は終わるのか。
こちらに向けて曲剣を突き出そうとしている青年は、アラドか。短い黒髪の下に、恨みの籠もった表情を浮かべている。
「終わりだぜ……裏切りもんがよ!」
そりゃあ、裏切者を始末する場面だものな。罪悪感などを感じることもなく、ただ憎しみのままに邪魔者を排除する。それを成せば、さぞ気分が晴れることだろう。
――いいぜ、やれよ。
だが、その一撃で心臓を貫かれようとも、お前も道連れにしてやる。
アニマの腕力に鋭すぎる刃は、まるで俺の身体を素通りするかのように、抵抗を感じさせない。
それを逆手にとってそのまま前進し、お前の首に牙を突き立ててやる。
そう考え、血が弾けることに構わず瓦礫に突き刺さった右手に力を入れ、跳躍の速度を確保する……寸前だった。
アラドの姿が掻き消える。
その場に突如として現れた人影によって、弾き飛ばされたのか。反対側の建物の壁に激突したアラドの元へ、追い打ちのように黒い槍が4本、いや、5本突き立つ。
……穴だらけとなったアラドは、一瞬で絶命したのか。
巨大な黒いオーラを纏う下手人は、俺達の前に静かに鎮座していた。
俺は二の句が継げなくなって、ただ茫然とその人影を見上げる。
血のように赤い髪が揺れている。いや、元の色もそうだが、それだけでなく、実際に血に濡れそぼっているのだ。
土煙が立ち込めるエイリアの路地に立つそれは、一族が長年に渡って復活を望み続けた、精悍な顔つきの少年だった。
「――レンドウさんっ!!」
後ろからリバイアの泣きそうな声が響いたかと思えば、それはすぐに横を通り抜け、レンドウへと飛びついていた。
「……あァ、リバイア。無事でよかった。アンリも」
「大変だったんです! 金色の目をした人たちに、檻の中に閉じ込められて!」
「そりゃお勤めご苦労様だったな……」
左腕でリバイアの背中をポンポンと叩き、後ろのアンリエルを見、そしてレンドウは俺で視線を止めた。
「アル、お前も無事で何よりだよ。こうやって二人を守ってるってことは、お前はこっち側なんだな」
「…………そうだ」
意識を失いそうなほど疲弊し、声を出すのも億劫だったが……その質問にだけはきちんと答えておかなければならなかった。
――勘違いからレンドウに殺されてしまってはたまらない。
レンドウは頷いて、
「そいつァ良かった。お前が敵じゃねェってのは、このクソッタレな一日の中で最高のニュースだよ。ありがとう、アル。俺の仲間を守ってくれて。……俺の仲間で居続けてくれて」
「あぁ。…………あぁ」
視界が滲むのを自覚し、素早く瞬きを繰り返して耐える。
その言葉だけで、俺は救われたような気がするよ。これは口には出さないが。
差し出されたレンドウの左手に、穴の開いた右手を震えながらも伸ばす。その甲を包むように握りしめられたかと思えば、刺すような痛みは一瞬で消えていた。
「――なッ……!? お前、これは……」
患部を直接握られたことに驚く暇すら与えられなかった。
「驚かせちまったらワリィな。でも、すぐに良くなるから」
レンドウの声には、こちらを気遣う色があった。
違う、俺は痛みに喘いだんじゃない。痛みなんて既に欠片もない。
余りにも一瞬で回復した怪我に、戦慄させられたんだ。
――これが今のレンドウなのか。
――どれほどの高みにいる。
ラ・アニマで、何を見た。何を経験した?
どれほどの痛みと、血を浴びてきたんだ。
「お前……さっきアラドに撃ち込んだ、あの黒い槍は誰に教わった?」
「あァ、さっきの龍同士の戦いで、ルノードが使ってたやつだよ。その前にアミカゼが使ってるのも見てたし。さっき実際に使ってみて、もう覚えた」
何でもないことのように言うと、レンドウは俺の右手を離した左の掌を上に向ける。
そこから黒い緋翼が立ち上り、小さな槍の姿を形作ったかと思えば、今度は溶けるように赤い炎へと転じ、それから翼を持つ……漆黒の小鳥のような形へと変化した。
「…………!!」
その小鳥は、まるで己の意思を持つかのようにレンドウの頭の周りを周回した後、右手の短剣へと突っ込んだ。
飲み込まれた? あれはヴァギリと同じ……魔法剣なのか。
凄まじい能力だ。他のアニマにできることは、今のこいつには全て再現できるんだな。そして、それは間違いなく再現を超えている。
歴代のアニマが創出してきた全ての才能をこいつが再び練り直し、進化させていく。これが……指導者の器か。
お前を英雄と持ち上げたい民は歓喜するだろう。だが、お前を古くからよく知る連中は……そしてお前の幸せを願うシャラミドは。
その凄絶とも言えるギラついた笑みを見れば、ともすれば悲しみを覚えるのではないか。
人間性を捨てている。
――ここに来るまでに、既に知り合いを何人か殺しているな。
そう直感する。
だが、俺にできることは何もない。
間違いなく今のエイリアにおいて最大級の戦力であるレンドウが、アドレナリンの大量分泌によって昂揚し、死が蔓延した戦場でも萎えずに戦えているのであれば……その邪魔をするべきじゃない。
例えこの戦争が終わったあと、こいつが後悔することになるかもしれないとしても……。
善人になることはやめ、俺は俺の目的のために動く。そのためにレンドウを利用する。
そう腹を決め、
「レンドウ、お前の力をある程度俺に分けてくれないか? それを使って、ガキ二人は俺が責任を以ってこの場所から離脱させてやる」
ともすれば裏切りを狙っているようにも聴こえる要請だったと思う。
「いいぜ? ぶっちゃけ、有り余るほどあって困ってるまであんだよ。どうせルノードと戦うなら、どっかで緋翼は使い切っておかないとって思ってたし」
だが、レンドウは二つ返事で了承した。人を疑うことを知らないのか?
いや、他ならぬ俺の頼みだから受け入れてくれたのだと、喜ぶべきなのか。
「…………渡し過ぎだろう、これは」
「十分の一も渡してねェけど」
重ね重ね、規格外な奴だ。先程までの気だるさはどこへやら、活力がみなぎった身体を起こし、後ろのアンリエルに手を伸ばす。
「アンリエル、こっちに来い」
「は、はい」
「悪いが、その剣をレンドウに渡してくれるか?」
「わかりました」
今もレンドウに引っ付いて、少々行動の邪魔になっているリバイアと違い、アンリエルは無駄口を叩かない。
信頼を込めた視線だけを投げかけ、レンドウの左手に清廉・穿牙を置き渡した。
俺が作った流れに逆らわずに短剣を握りしめたレンドウ。
「なんで俺にヴァギリを?」
レンドウはその短剣を銘ではなく、それに宿る思念体の名で呼ぶ。俺にその声が聴こえないことを歯がゆく思いつつ、口を開く。レンドウ、お前は持たざる者の気持ちが分かるか。……いや、今はいい。
「己の意思を持ち、自分で緋翼を操ってくれる魔法剣だからな。ルノードの前に出るときは、全ての緋翼をそいつに預ければいい。恐らくは……それで奪われなくなるはずだ」
「……そんな便利な使い方があったのか」
「だが、油断はするな。奪われないというだけで、あいつと戦う際に緋翼が使えないことに変わりは無いんだからな」
「了解」
そう言ってレンドウは両腕を伸ばし、その先に握られたそれぞれの魔法剣を眺めた。
「……控えめに言って、全能感が半端じゃないな。レンディアナとヴァギリの魔法剣二刀流とか、誰にも負ける気がしないんだが」
その魔法剣が二つとも存在しなくとも、既にお前はこの戦場で誰よりも強いかもしれないぞ。炎竜ルノードと金竜ドールを除けばな。
そう言ってやろうかとも思ったが、無駄に増長させることもないだろうと判断し、やめておく。
「うぁ、レンドウさん~」
「駄々っ子か。いい加減レンドウの邪魔をするのをやめろ」
左手でリバイアの首根っこを掴んで引きはがし、レンドウに対しヴァリアーの方角を顎でしゃくる。
「これでお前がヴァリアーに向かえない理由は無くなったな。すぐに行くのか?」
恐らくそうなるだろうと思っての質問だ。それ故に、既に視線を周囲に彷徨わせ、警戒に移っていた。時計塔の上部にセリカの姿が見える。こちらの視線に気づき、無感情に小さく手を挙げるセリカ。俺に対し敵対する意思が無いことを伝えるために、嫌々披露した手信号か? レンドウと共に行動していたのはこいつだったか。確かに、セリカの性格であればルノードを見限り、レンドウを選んでもおかしくないな。
「――いや、もう少し、エイリアのアニマの対処をしてからにするよ」
「……………………は?」
既に返答を決めつけていた。だからこそ、そのレンドウの返答が予想外だったことに気付くのが遅れた。
「何故…………すぐに向かわない理由が何かあったか?」
エイリアで暴れているアニマたちもまた、対処しなければ民間人が次々に犠牲になっていく案件であることは分かる。
だが、ルノードを殺せる可能性を持つ本物の戦士の数は限られている。間違いなくそこに属しているお前は、外の喧騒は他の者に任せ、ルノードの討伐だけを考えて動くべきじゃないのか。
先ほどまでは「自分の力が逆に奪われる可能性がある」ことを憂慮していたのだとしても、これからは。
――まるで、わざとルノードを殺すタイミングを遅らせているかのようじゃないか?
何を考えているのかが分からず、真正面からレンドウの顔を見据え、視線を交錯させる。
その顔が小さく、横に振られたように見えた。
『理由は訊かないでくれ』
言葉はなくとも、そう言いたいのであろうことが伝わってきた。
――何か、明確に考えがあってのことではあるんだな。
だが、この期に及んで俺に対して何かを隠す必要があるのか。
……いや、待て。
――リバイアとアンリエルに聴かれることを嫌がった……のか?
まともな感性を持った人物であれば反対するような、なにか後ろ暗いことをしようと考えている……………………?
だとするなら、考えられることは。
そうして、人生で一番かもしれないと思える衝撃が、俺の脳に突き刺さった。
かつて燃え盛る故郷を背に、アドラスにヴァリアーへ入隊するように勧誘されたあの日。それを超えるかもしれないと思うほどの衝撃。
――まさか、そうなのか?
俺と同じ考えに、お前も至ったのか。
俺が力及ばず、自分に相応しい役どころでは無いからと、切って捨てた選択肢。
こいつのようないい子ちゃんには、逆立ちしても浮かばない発想だと決めつけていた。
だが、本当にそうだとすれば。
何度血反吐を吐いても足りない茨の道を突き進むことを、こいつ自身が決めたというなら。
この世界の滅びを止めるだけに留まらず、まだアニマという種族にも未来はあるな。
今日この日が終わっても、レンドウの心が壊れていなければだが……。
いや、違うか。
こいつが壊れないように、俺が支えなければならないんだ。
――悪の理解者となって。
「なぁ、レンドウ」
「…………なんだ?」
「もしもの話だ。お前が今日これから、周りの望む結果を残せなかったとしても」
ありったけの想いを、その言葉に乗せる。
「……………………」
「お前の行いが、俺達の未来を思ってのものだったなら。俺はそれを責めたりはしない」
俺は素直な感情を相手に伝えることが苦手だ。リバイアのような純粋な少女に好かれるためにも、これからの人生で改めていこうと考えていた。
それがまさか、初日から要求されることになろうとは。
「…………あァ」
「…………ブチかましてこい。お前がいなくなっても、後のことは俺がなんとかしてやる」
傍から聴いていれば、「お前が死んだあとは俺が代わりに働いてやる」という意味に聴こえたかもしれない。
リバイアが不満そうな視線を向けてくるが、違う。
本質はそうじゃない。
俺はレンドウが死ぬとは思っちゃいない。むしろ、死ぬことなど許さない。
お前は生き残って、お前が選んだ血塗れの道を歩み続ける責任がある。
そうだろう…………?
「お前の信頼に応えられるよう、頑張ってみるよ。……んじゃ」
二振りの魔法剣を手に、最強のアニマが新たな得物を求めて走り去るのを待たず、俺はガキどもの手を取っての移動を再開した。
例え人間界がお前の所業を許さずとも。
仲間内の過半数がお前を非難しようとも。
俺はお前が、お前にしかできない汚れ役を選択することを決意したことを支持する。
――本来なら成人として、それを諫めなければならない立場だったのかもしれない。
この世界に更なる混乱をもたらす、新たな魔王の登場を阻止するべきだったのかもしれない。
だけど、それは本当は俺が背負いたかったものでもあったから。
俺はこの日、レンドウの考えに気付きながらも見逃すことを選んだ。
この選択が正しかったのかどうかは、後の世になってみなければ判断できないだろう……。
切れ者のアルフレートは、僅かな手がかりからレンドウの企みを察しつつも、それを黙認することに決めました。彼はレンドウを気に入っていますが、自らの境遇のこともあってか同時に嫉妬も覚えており、レンドウが自ら苦難の道を歩もうとするのを止めない理由はそこにもあるのかも。
ここで彼が違う行動を取っていれば、果たして未来はどう変わっていたのか。