第205話 アルフレート
◆アルフレート◆
俺は……ルノードに心を読まれた。
あのアンダーリバーから伸び、エイリアとヴァリアーを繋げている地下通路は、この襲撃の為に用意したものではない。
レンドウとカーリーのために、有事の際にあそこの住人をヴァリアーの手から逃がす為に用意したものだった。
……それがまさか、アニマ達によって襲撃ルートとして採用されることになるなんて。
俺が善意で起こした行動が、俺の仲間たちを傷つけている。
それが何より、辛い。
状況は既に、謝って済む段階には無い。
――ならば俺が今すべきことは、行動だ。
この身を張って、守りたい命を守る。
俺の後ろで震える、リバイアとアンリエル。
この二人だけは、絶対に生きてここから逃がしてのける。
もはやそれしか、レンドウに顔向けする方法は無い。
――目の前には金竜ドールが憑依する、ヴァリアー局長≪ロード≫。
前方へと左手をかざし、必要があれば防護幕を張ろうと構えてはいるが……奴がその気になれば、俺など三手と持たないだろう。
だが、天が味方すれば。ありとあらゆる条件が俺に微笑めば、あるいはその数手でも。
「≪歩く辞書≫よ。お前とそこのハーフは特に、炎竜に対する肉の盾となれるのだ。みすみす見逃す訳にはいくまい」
人類全体の繁栄のためには、使えるものは全て使い倒す。例えそれが人間であっても。
魔人であれば尚のこと、容赦なく使い潰す。それが金竜ドールの在り方だ。
だが、それには心から異を唱えさせてもらう。
「……そいつが機能するかは怪しいとこだ。ルノードが覚悟を決めちまってるなら、俺達というカードに価値は無くなってるかもしれないぜ?」
自らに従う同族のみを後世に残し、敵対する意思を見せたアニマ……つまり俺やアンリエル、ラ・アニマに残った者たちは庇護の対象からは既に外れているはず。
護る対象から外すということが、イコールで「積極的に殺したい」へと変化するかと言えばそうでもないのかもしれないが。
少なくとも、俺が肉の盾とされたところでルノードがドールへの攻撃を躊躇うとは思えない。
あの“青い炎”で、俺ごと消し去るだろう。
「……………………」
だが、≪ロード≫は目を細めただけで無言だった。
言葉を弄しても、見逃してもらえるはずもないか。
……裏切者の辛いところだよな、これ。
ガキの頃はアドラスに誘われ、ラ・アニマを捨ててヴァリアーに加入した。
去年にはルノードに憑依され、魔王城への旅の最中にルノードへと情報を与え続けた。……これに関しては俺の意思じゃないが。
そして今日。ルノードと袂を分かち、仲間のためだけに行動しようとしている。
目の前にはヴァリアーという組織のトップがいるというのに、その命令に反そうとしている。
全てが俺のせいでは無かったとしても、ここまで自分の所属した場所を裏切り続けた男を信じられる者の方が、むしろ奇特だろう。
アドラス。お前はどうなんだ。
俺がヴァリアーよりもレンドウを選んだと知れば、お前は……悲しむか?
ここ数年、俺にすら本心を語ることが無くなったお前の心は、今どこにある。
いや、考えるまでもないか。お前が護りたいのは、いつだって一つだけ……。
≪ロード≫が、皺の刻まれた右手を俺へと差し向けた。
その掌が金色の輝きに包まれる。球状に膨らんだその光に、すぐに≪ロード≫の姿は見えなくなった。
――消される? いや、違う。
あいつは俺とアンリエルを捕えたがっている。殺すつもりは無いだろう。
だが、一撃で無力化するつもりだ。
両手を前方で打ち合わせ、全ての緋翼を注ぎ込む。
――これは、賭けだ。
同時に複数の賭けをすることに決めた。
負ければ終わり。勝てば……勝ちなどあるのだろうか? いや、それでも何もしないよりはいい。
「――ぐッオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
ありったけの力を爆発させ、廊下の全てを飲み込ませる。いや、溢れていい。この≪ロード≫の一撃だけは確実に防ぎ、そして出来る限り、割れた窓の外に緋翼が漏れ出すように。
ここで巨大な力がぶつかり合ったことに、あいつが気づけるように。
それだけを考え、全ての力を出し切った。
もう、一滴の緋翼すら生み出せそうにない。
膝から崩れそうになる身体を、左腕を窓枠に引っ掛けることでなんとか支える。
「…………その悪あがきに何の意味があるというのだ。これで終わりだろうに」
緋翼が弾け、消え去る。俺の支配権が失われた瞬間に、その全てが眼前の老人に吸い取られたのだろう。当たり前だ。俺とこいつでは“創造する力”の格が違う。
≪ロード≫は先ほどから変わらない姿勢のまま、再び右の掌に金色の輝きを灯し……。
「わたしがっ……!」
「――いい、やめろ! 俺が賭けに勝っていればきっと……」
俺を庇うように前に出ようとしたリバイアを、右手を振るうようにして押しとどめる。
「……っ!」
目線を≪ロード≫から逸らせないため確信はないが、腕の先が彼女のデリケートな部位に触れたような気がしなくもない。が、緊急時だ、許せ。
黄金の輝きが、俺に向けて放たれる寸前で。
突如として左側から襲い掛かった大質量の衝撃が、眼前の空間を削り取った。
――来てくれたか。
いや、来やがったか、が正しいのか。
俺は背後へと吹き飛ばされ、後ろの二人を巻き込みながら壁へと激突した。
しかし、意外にダメージは少ない。俺達を包み込むように、恐らくはヴァギリが緋翼を巨大なクッションとして展開したんだ。
――数秒前まで≪ロード≫が立っていた場所には、地面がない。
一撃で壁も床も抉り取られ、ヴァリアー3階の東側廊下は二つに分断された。
分断された廊下の真上、つまり足元に地面が無い状態で、そいつは背中から生えた黒い翼によって滞空している。
黄玉の瞳で俺達を一瞥した後、すぐに空中で旋回し、己の一撃を回避するために大きく飛び退っていた老人へと身体を向けた。
そいつには左腕が根元から存在しなかった。今も鮮血が噴き出している。
その治癒能力を以てしても、癒せない外傷を負ったのか。いや、それはある意味では内傷と言うべきものなのか。緋翼の消耗を、内蔵の害と数えるならば……。
――ルノード…………。
伸び放題の黒髪をたなびかせ、圧倒的な存在感で見るものすべてを畏怖させる、炎竜ルノードの人間形態。
――その顔は、レンドウに瓜二つだ。
いや、本来は後に生まれたレンドウの方こそ、ルノードに瓜二つと評されるべきなのだろうが。
「見つけたぞ、一体目」
声が掠れているように感じられるのは、一重に消耗によるものだろう。
どうやら氷竜アイルバトスとの戦いに勝利したらしいルノードだが、それは決して快勝では無かったみたいだな。
一体目、というのは……これから殺して回る予定である金竜ドールの憑依体……その一体目、という意味だろう。
1000年近く前、初代金竜が産み出した種族“オーロス”。その血を引く人物である≪ロード≫を初めとして、ヴァリアーには数人の憑依体候補が用意されている。
普通に考えれば、本体の金竜ドールを殺せばそれで終わりとなるはずだが……ルノードは“例外”を想定しているのか、全ての憑依体を先に殺すつもりなのか?
例え本体が殺されたとしても、憑依体が残っていればそこから復活できる……?
そんな、常識では考えられないような……言わば“命をストックする”ような反則的な行為も、金竜というある種特別な龍であれば可能なのだろうか。
分からない。だが、ルノードがそこまで想定し、前もって憑依体を潰して回る選択を取ってくれたなら、有難い。
こうして、まんまと≪ロード≫と傷ついたルノードを対峙させることができたのだから。
……どうだ、一つ目の賭けに勝ったぞ。
金竜の力と緋翼を衝突させ、大げさに緋翼を拡散させてみせる。
それによってルノードを引き寄せ≪ロード≫に捕縛されることを防ぎ、脱出の機会に恵まれた。
そして、俺の賭けはまだ続いている。
素早く振り返り、リバイアとアンリエルを立たせる。
「立て、ガキどもッ! ――飛び降りるぞッ!!」
どんなに不格好な墜落でもいい。
そう考え、子供たちを窓枠に押し込む。
「うわぁっ――!?」「きゃああっ――!?」
ヴァギリが緋翼を用いて、落下した俺達を受け止めてくれること。
既に浅くない傷を負っているルノードが≪ロード≫から注意を逸らすことを嫌い、俺達を見逃すこと。
ヴァギリが放出した緋翼を妨害する、第三者が存在しないこと。
――それら全てに、賭けたんだ。
だが、もしかすれば。
≪ロード≫から注意を逸らさないため、俺達を見逃す……それはともすれば、俺の浅薄な希望であるだけに留まらず。
――ルノードにとっても、俺達を殺さずに済む……免罪符であったのかもしれない。
そこまで考えた時、眼前には地面が迫っていた。
想定通り、ヴァギリの放出した緋翼に包まれ、大した衝撃もなく地上へ転がった俺達。
だが、悠長に寝ている暇はない。
大音量。はじけ飛ぶ瓦礫。
ヴァリアーの3階部分が吹き飛んだ。いや、その衝撃は斜め下に向けて放たれていたのか。南側は一階部分まで吹き飛んでいるのか。
ルノードが≪ロード≫を消し去った。そうとしか思えない。
ひどい傷を負ってはいたが、あの最強の龍が、金竜が憑依しただけの人間に敗北するとは少しも思えなかった。
ぎゃーぎゃー喚くガキども――いや、俺の成すこと全てに文句をつけてくるのはリバイアだけか――の襟首を引っ掴み、ヴァリアーの敷地から出る為に歩き出す。
向かう先のエイリアでは、今も新たな火の手が上がっているようだ。街中でアニマが暴れ回っているのだろう。
「絶対に生き残らせるんだ。こいつらだけは、絶対に……」
奥歯が砕けそうなほど強く噛みしめながら、俺はヴァリアーの正門を抜けた。
頑張れアルフレート。きっといつかリバイアの信頼も勝ち取れると信じて。