第204話 ヴァギリ
「――――さっきから…………もしかして、その剣が喋ってるんでしょう…………か?」
――この少年には、我の声が聴こえている……!
そうか、そういえばそうだったな。
アンリエル・クラルティは、半年前にレンドウやルノードが我を扱っているところを見ている。
そればかりか、レンドウによってミッドレーヴェルでの出来事を説明された際、我についての説明も受けていたはずだ。
……しかし、その当初は特に“創造する力”に秀でていた訳でもない、ただの少年といった風だったが。
一体なぜアルフレートを超える程の緋翼への適性を、今この時になって見せたのか。
いや、今まで誰もその才能に気付く機会が無かっただけで、能力的には元々備わっていたものなのか。
魔王ルヴェリスの手助けの元、子供たちに対して記憶の操作・情報統制を行い、「自分たちはエルフである」と思わせてきた吸血鬼の里。
そこで暮らす子供たちは、里の大人たちに黒翼を回収され続けることで、自分たちの力に気付くことなく生きてきた。
吸血鬼とアニマのハーフであるアンリエルの場合は、黒翼だけでなく緋翼も回収されていたのだろう。
そうして、自分の能力に気付けるはずもない人生で、“想像する力”の根源に接触したことがなかった。
吸血鬼を生み出した龍……が存在するのかは謎だが、それとその竜門に近づいたことがないのは前提として。
翼同盟の街、そこが滅びた後は吸血鬼の里へと居住区を移したアンリエルは、炎竜の竜門があるラ・アニマに一度も立ち寄ったことがなく、かつ炎竜ルノードに接触したことも無いのだ。
9年前、翼同盟の崩壊後。ラ・アニマに逃げ延びたアニマ、そしてそれ以降そこで生まれたアニマは、一人の例外もなくルノード自ら緋翼を与えられている。
その者の許容量を推し量り、身体が崩壊しないラインで怪我や病気に打ち勝てるだけの緋翼を与えるルノードの儀は、“祝福”と呼ばれていた。
その“祝福”を受けていないアンリは、アニマとしてのスタートラインにも立っていなかったと言えるのかもしれない。
そうして今日、炎竜と大量のアニマによって緋翼に満ちたこのエイリアで、ようやくその力に目覚めた。
周囲を漂う緋翼の粒子は王の資質を持つ個体を嗅ぎ分け、この場所へと集まってきている。
そういうことなのかもしれない。
アルフレートにより吹き飛ばされたドアからは、廊下越しの窓から太陽光が照りつけている。
その柔らかな光が、突如として紅蓮に染まる。
そして、耳障りな音を立てながら全ての窓ガラスが割れ、こちら側に向けて飛び散る。
「――――――――ッ!!」
アルフレートは咄嗟に右手を後ろに伸ばし、緋翼を放出して長方形のドアの跡を塞ぎに掛かる。
それでやんわりとガラスの破片を受け止めると、アンリエルへと向き直り、
「竜の息吹……始まったのか……。時間がない。アンリエル、この短剣の声が聴こえるんだな!?」
「はっ……はい! 聴こえます!」
「なら、お前の方が俺よりも力を引き出せるはずだ! お前が使え!」
そこまで言うと、アルフレートは左手で我を優しく放った。
10センチほどの檻の隙間を縫い、無回転で中への侵入を果たした我を、アンリエルが両手で抱きとめた。
「ええと……なにさんでしたっけ。どうすれば……?」
『我の名はヴァギリ。方法はどれでもいい、緋翼さえ放出してくれれば、後はこちらでやろう』
「お……お願いしますっ!」
アンリエルは腰のベルトに鞘を留めると、右手で我を引き抜いた。
そして、左腕を口元に持って行ったかと思えば、親指の付け根あたりを咥えた。
吸血鬼とのハーフであれば、さぞ鋭い犬歯を備えているのだろう。
それを用いて、軽く肉に穴を空けたらしい。
どうやら、自傷を伴わずに“創造する力”を発動させるのは、まだ難しい段階のようだ。
自らに備わった力を自覚したのも最近なのだから、仕方がないだろうが。
傷口を塞ぐように湧き出た黒い“創造する力”……黒翼と緋翼が交じり合っているな。実に興味深い。
当然ながら、黒翼には我は干渉できなかった。黒翼が瞬く間に傷を治癒していくのを尻目に緋翼の権限を掠め取り、アンリエルの体内からあるだけ引き出す。
それを纏うことで、我は漆黒の長剣へと姿を変えた。その後は、傷を癒した後に余った黒翼をも貪欲に吸収させてもらう。
『素晴らしい才能だ。力む必要は無い。滑らせるように我を振るえ、アンリエル』
「ありがとうございます……? アンリでいいですよ、ヴァギリさ……んっ!」
緊張の面持ちで我を檻へ押し当て、ゆっくりと右へ滑らせるアンリエル……改めアンリ。
刀身に熱を走らせると同時に、檻の表面を覆う金色の“創造する力”を喰う。
結果、金色の間に見えた金属部分を溶かす形となる。
結果的にアンリが二度腕を動かしただけで6本の格子がバラバラと倒れ、充分に人が通り抜けられる広さとなった。
格子が床に散らばって金属質の音を立てると、リバイアの肩が震えた。ハッとした様子で、向こう側のアルフレートを見る。
「剣の声が聴こえる」と唐突にアンリが言い出したことで中断されていたアルフレートとリバイアの口論が、再開されてしまうのか。
「……これからの俺の生き様で、証明してやる。俺がお前たちの為に動ける人間だってことを」
残った格子の断面に足をや頭を引っかけない様に、慎重に身を屈めながら檻から出たアンリ。
その後ろで、それに追従することに気後れするように目線を下げたリバイアへ、アルフレートが言ったのだ。
「――これが最初の一回なんだ。騙されたと思って、俺に付いてきてくれ」
そう言いながら、手を差し出したアルフレート。
この子の行く先を、いつまでも見守りたいと思った。
『アンリ。君からもお願いできないだろうか。この子……アルフレートは不器用ではあるが、嘘を吐いて好意に付け込むような輩ではないのだ』
我の言葉にアンリは即座に頷いた。
「……リバイアさん。僕はさっきからずっと、ヴァギリさん……この魔法剣の声を聴いてたんだ。僕に聴かれているとも知らなかった、この剣の声を。彼の言葉を聞く限り、アルフレートさんが僕らを騙そうとしているとは思えないな」
なんと素直な子供なのだろう。
それにしても、誰かに聞かせようと思考していたつもりは無かったのだが。
これは想像以上にアンリには才能があり、我の思考が筒抜けだったということだろうか。
まさか肉体を手放した後で、このような羞恥を覚える日が来ようとは……。
こっそりと零した人間の呟きを、その部屋に立てかけてあった魔法剣が実は聴いていた……などであれば、古今東西の物語で使い古された手法だと思うが。
魔法剣である我が思考を一方的に覗かれる側になるなど。これだからこの世界は面白い。
などと考えていると、アンリは微妙な笑みを浮かべた。我の思考を読んでしまうことを、申し訳なく思っているのかもしれない。
アンリの言葉を受け、リバイアはおずおずとこちら側へ進み出た。
差し出されたアルフレートの手を取るかと思えば、その手を軽く叩いて下げさせる。
それは大して力が込められたものではなく、見様によっては友好の動作にも見えなくもないものだった。
アルフレート側の想定した動作では無かったため、心を通わせたハイタッチとまでは行かないが。
「……まぁ、アンリさんの力でせっかく開いたので出ますけど。アンリさんのおかげで」
「……チッ……かわいくねーガキ。お前そのまんま成人迎えてみろ。誰も守ってくれなくなっからな」
お互いに憎まれ口を叩いた後は、さすがはヴァリアーの隊員と言うべきか。
素早く身を翻したアルフレートに追従し、リバイアも駆け出した。アンリが慌ててその後に続く。
ヴァリアー3階の廊下に出る。
割れた窓ガラスの向こうには、変わり果てたエイリアの街が。
巨大な白竜が、真紅の竜に向けて白い息を……ブレスを浴びせかけていた。
それを受けて凍り付いていく真紅の竜には、頭部がない。
「勝って、る……。もう、これで終わり……?」
グロテスクな光景に吐き気を催したか、口元を抑えたリバイアの言葉に、
「いや違う、あれは替え玉だ。この後に本命が来る」
アルフレートが訂正を加えた。
そうだな、あれが炎竜ルノードの本体で、既に決着が着いていたならどれほど良かっただろうか。
「ぐッ……」
「あっ……!?」
「う……」
三人は突如として身体の自由が奪われたように前のめりになる。窓枠に縋りつこうとし、その手からも力が抜け、そのままズルズルと体勢は崩れ、横倒しになった。
急激に体温を奪われたのだ。
一見すると先程の白竜……氷竜アイルバトスが何か悪さをしたかのようにも見える状況だが、否。
上空より出現した、炎竜ルノードの能力だ。
あらゆるものを焼き尽くす蒼炎が踊るその前に訪れる、死の足音。
それは、周囲の生物が体温を失い、倒れ伏すことで察せられる。
察しても、何もかもが遅いのだが。
恒温動物であっても、それから逃れることは出来ない。一度それが始まれば、立っていた場所が悪ければ、もうその命に未来はない。
――窓の外が、閃光に包まれる。
ある意味ここにいる三人にとっては、倒れることで外の様子が分からなくなったのは幸いかもしれない。
無駄に目を傷つけられることも、ショッキングな光景を目にする必要もないだろう。
蒼炎はこちらに向けて放たれているのではなく、氷竜アイルバトスただ一人に向け、延々と吐き続けられているらしい。
アイルバトスを殺しきるまで、全ての力を出し尽くすつもりか。
ルノードはどうやら、アイルバトスこそを本日の最大の敵と定めたようだ。金竜ドール戦に向け、体力を温存しようという意思が感じられない。
10秒、20秒と蒼炎が吐き続けられる内に、世界に温度が戻ってくる。
三人の指先が動き、肘が動き、上半身が持ち上がる。
『できれば窓の外はあまり見ない方がいい、目を焼かれてしまうぞ。外の様子は我が感知する。君たちは早々に脱出経路を確保するべきだ』
「……できれば窓の外はあまり――――」
素早く警告すると、アンリがそれを口に出して伝播する。
残りの二名も頷き、窓枠の下で壁に背を預ける形になった。
氷竜の子らが一斉に光線を吐き、それらが重なることで大音量となったのか。
三人は一斉に耳を塞いだ。その音の直撃を受けなかったのは幸いだった。壁を挟んでいなければ、気絶する者が出てもおかしくなかっただろう。
永久に続く地獄のように思えた蒼炎にも、ついに終わりがきた。
『いつアイルバトスが敗れてもおかしくない状況だ。敗戦になる前提で動こう。向こうの……東側の窓から飛び降りるのだ』
外の戦いが悲惨な結末へと向かっていることを感じつつ、我は告げた。
「アイルバトス様は負けそうみたいです……! 向こうの窓から飛び降りて逃げろと、ヴァギリさんがっ!」
アンリは苦悶の表情を浮かべながら東を指さし、そう伝える。
東側の窓へと走り、その溶けた窓枠に手を伸ばしたアルフレートが……足を止めた。
「動くな」と。そう言葉を掛けられていたためだ。
東側の壁に突き当たれば、右手には先ほどまでは見えなかった廊下が伸びている。
その向こうで、こちらに向けて右の掌を差し向けている人物がいる。
その恰好は、「動けば撃つ」とでも言いたいかのようで。
いや、実際そうなのだろう。彼の人物は、やろうと思えば何らかの攻撃を射出し、強制的にアルフレートらの歩みを止めることができる。
がっしりとした長身を包むは、帝国の教会で聖職者が身にまとうものに酷似した黄土色のローブ。
短い金髪は加齢によるものか、色あせたように白が混じっている。
「≪歩く辞書≫よ、その子らを檻へ戻しなさい。その子らに移動されることは、こちらにとって不都合となるのでな」
瞳の輝きは温かみを感じさせる金色だが、その温かさがこの子たちに向けられるようには思えなかった。
「≪ロード≫……!!」
憎々し気に吐き捨てたアルフレートが二人の子供を庇うように前に出て、ロードに対抗するように左手を前へかざした。
それを蛮勇と評しなければならないこの世界を、我は憎らしく思った。
アルフレートでは、逆立ちしてもこの老人には太刀打ちできない。
酷薄な笑みを浮かべた老人の瞳。
――その奥からこちらを睥睨するは、金竜ドールその人だからだ。
金竜ドールが喋るのは、第3章の「断章 ◇黄金の言葉◇」以来です。
ロードという人間としては、それより更に前。番外編1の「七全議会」以来です。
まだヒガサが活躍してたくらい初期ですね。懐かしすぎる。
どっちも小説家になろうに投稿し始める以前に書いていた部分なので、作者としてはこのキャラを書くのは5年ぶりなんだ……。