第202話 撃ち堕とせ死星
この回が、今までで一番の難産でした。
――燃え盛るエイリアの街。
あり合わせの木材や、ぼろをまとった家屋は一瞬で炎に飲まれ、その中で震えていた人間たちごとこの世から消え去ったのだろう。
鋭敏すぎる聴覚が、その竜の一手により人々の悲鳴の数が確実に減少したことをありありと痛感させる。
あそこには、俺の仲間たちがいるんだぞ。知り合いだって、大勢。
唐突に人間界に連れ出された俺を受け入れてくれた、あの街には。
ああ……。
俺は、アニマという種族の現状を正しく認識できていなかったのだと。そう思った。
一夜にして貿易国家アロンデイテルの首都、シルクレイズを滅ぼしたというルノードの推定殺害人数は、15,000人にも及んだ。
恐ろしい数だ。
――しかし、それをこの目で見た訳でも無かった俺は、愚かにも勘違いをしてしまっていた。
奴さえ倒せば。
炎竜ルノードの首を取りさえすれば、もう一度人間社会とアニマの融和を目指せるかもしれないと。
むしろ、正義に目覚め、創造主に反旗を翻した英雄のような扱いさえ期待していた。
――だけど、もう、だめだ。
今の一撃で死んだ人間の数は、何千人だろうか。
もしかすると、運が良ければ、千にも満たないのかもしれない。
それはシルクレイズの変に比べればまだ少ない。数としてみればそうだ。
だが……数じゃなかった。そういうことなんだろう。その行為こそが問題だ。
希望を抱いて、他のアニマを焚きつけた他ならぬ俺本人が、心から思ってしまったから。
――こんな怪物と、その子供たちが、人間社会から受け入れられる日は永遠に訪れない、と。
「――――――――ッ」
我を忘れて前方へ駆け出そうとした俺の左腕を掴んだのは、一体誰だっただろうか。
訳の分からない言葉を叫び、その手を強引に振り払おうとした気がする。
結果、腹部に強烈な打撃を貰い、現在は地面に胃の内容物を垂れ流している。
「……頭は冷えたかよ?」
…………どうやら、俺を殴ったのはジェットだったらしいな。
「お前はッ……なんで……」
俺よりも年下の癖に、凄惨な光景を見ても冷静さを失わずにいられるのは……エイリアという人間の街に思い入れが無いからか。
「オレか? オレァ…………暗黒大陸の、ベルナタ本国じゃなァ。こんな光景はしょっちゅうだったからかもな」
「…………自分はグロテスクなコンテンツにも耐性がありますアピールかよ」
中等教育生かよ。いや、丁度そんくらいの年齢なのか。じゃあ仕方ないのか。
「オマエが前に出たって、またあの金鎧兵とやらに襲われるのがオチだろーが。今は大人しく、アイルバトスを信じて見てるべきだろ」
「――ちっ」
そうだ。俺が前に出ることに何らメリットはない。ジェットに言われるとどうにも反発したくなるが、それは間違いない。
吐瀉物の近くに居続けるのも気分が悪いので、地面に手を突いて起き上がり、数歩後退する。
顔を上げると、もう覚悟していたことではあるが、エイリアの中心部は壊滅状態だった。
建物の残骸。黒い支柱が、燃えかすとして残っているだけだ。
300平方キロメートル近くまで拡張しつつあったエイリアの街。その中心部にあたる1割ほどが、先の一撃で消滅した。
かろうじて無事かもしれないと思えるのは、堅牢な建物であるヴァリアーと、古代文明の遺物を利用している図書館と時計塔だけか。
だが、その時計塔こそが竜が炎を撒き散らした地点であり、その向かいにある図書館の中にいた人物とて、確実に無事だとは言えない。
それに、それ以外の破壊を免れた建物であっても。
――次の一撃に見舞われれば、運命を同じくするだろう。
「大丈夫……これ以上はありませんわ。あの竜はこれより、自らが犯した過ちを思い知るでしょう。あの方が、あの一帯に攻撃を躊躇する理由が無くなってしまったんですもの」
氷竜の戦士隊第四位、サターラが誰にともなくそう言うのが早かったか。それとも、アイルバトスさんの身体が掻き消える方が早かったのか。
いつの間にかエイリアの上空に出現していたアイルバトスさんの巨躯。
ルノードは俺とは違い、当然それに逸早く反応している。
反応していた。しようとはしていた。
だが、できなかった。
宙に浮かぶは氷竜のみにあらず。その周囲にアイルバトスさんの頭部に匹敵するほど大きな氷柱が何十個も――いや、下手をすれば百個にも達しているのか――立ち並ぶ。
それらはまるで、人間界で見た銃弾のような勢いで次々と撃ち込まれる。
何を推進力としているのかも分からない。俺は緋翼を飛ばすとき、力任せに振り払っているだけだから。
ルノードは大口を開け、再び紅蓮の炎を吐き散らかした。
その光景に、なんとなく違和感を覚えた。
違和感の正体に気付くより先に大量の氷柱が炎を裂き、ルノードの翼に突き立ち、胴体を打ち付けて吹き飛ばす。
時計塔から叩き落される形になったルノードの腹部を特大の氷柱が貫き、奴を地面に縫い止めた。
そこに、上空から叩きつけるアイルバトスさんの巨体。
身体を捻ることでそれを躱そうとしたルノード。しかし、逃れられない。
ルノードの左半身にぶつかる形になったアイルバトスさん。
――勝敗は、既にそこで決していたようにも見えた。
ルノードの左腕、そして左翼が吹き飛び、弾かれたように身体が半回転する。
バランスの取れなくなった相手へ、氷竜の長は一切の容赦なく追撃を仕掛ける。
アイルバトスさんの頭部にそびえる二本の角が、水色の光を帯び、倍以上に伸びていた。
それによる。一閃。
それが何らかの抵抗を受け停滞したのは、一瞬だけだった。
右から左へと走り抜けるように、アイルバトスさんの首が振り抜かれ。
――真紅の竜の頭部が千切れ飛び、図書館の屋上へ落下して跳ねた。
ゾクッとする感覚が俺の背筋を走った。
終わった、のか。
「殺し……、死んだ……のか…………?」
「や、まだ分かんねェぞ。何が起こっても不思議じゃねェよ」
頭部が吹き飛んだぞ。これで…………安心していいのか。もう既に疲弊しきってしまった心が、安寧を求めにかかる。
そんな俺を窘めるように、ジェットが厳しい口調で言ったんだ。
改めて、その……既に死体としか思えない姿となった竜を見る。
ルノードの長い首の先から、鮮血が噴き出すことは無かったらしい。
その身体全体が、どうやら霜のようなものに覆われているようだ。アイルバトスさんの魔法によるものだろう。
唐突に、周囲の温度が急激に下がったような感覚。いや、これは気のせいじゃない。
一瞬の死闘を演じた2体の竜。その周囲の建物は、図書館と時計塔を除けば無残な有様だが、その更に外周の建物は、今もかろうじてその形を保ちながら炎上し、少しずつ崩れていく。
アイルバトスさんの周囲から立ち上る白いもやが急激にその範囲を広げ、既に俺達の元まで届いていた。
そういうことなんだろう。そして、それはエイリアの街に残る炎を一掃してくれた。
アイルバトスさんは、左の前脚でルノードの身体を抑えつけるようにしながら、ゆっくりと口を開いた。
吹雪のブレス。
そう形容すればいいのか。氷竜アイルバトスの口から溢れ出した白き奔流が、頭部を失ったルノードの身体を氷漬けにしていく。
動かなくなった赤い巨体が、それに抵抗する様子はない。
俺の目には……どう見ても、最初に首を刎ねられた時点で絶命していたように思えた。
「……ふーっ」
その声は、氷竜の戦士隊の誰かのものだろうか。
そうだよな、俺だって音を立てて息を吐きたい。
大声で勝利を喜びたい。
……いや、それは…………嘘になるか。複雑な心境だ。俺の創造主が命を落としたのだから。
誰もが安堵し、息を吐こうとした。
――その瞬間に、それは起きた。
急激に、眼前に地面が迫っていた。
足腰から力が抜けてしまったように、膝から崩れ落ちたんだ。
「……………………!!」
声を上げることもできない。身体の芯から凍り付くような、この悪寒。
アイルバトスさんによって撒かれていた冷気のせいで、それに気づくのが遅れた。
――これは、まさか。
地面と顔面の間に両腕を挟み込み、耐える。
二度目で無ければ、反応できなかっただろう。
周囲の物質・生物から、熱を根こそぎ奪い去る。
これと同じ現象を、俺は半年前に魔王城で体験している。
だけど、これは……ッ!!
あいつの……ルノードの技だろう!?
必死に首を持ち上げるが、それでも見えない程の高度で、何らかの光が爆ぜた。
かと思えば、その発生源でどれほどの熱量が生まれているのか考えるのも恐ろしい程の熱風が吹き付けてくる。
この感覚も初めてじゃない。
その光の中からは恐らく、途轍もなく巨大な物体が姿を現し…………アイルバトスさんは…………どうなった。大丈夫なのか。
「――皆の者、我らも出るぞ!!」
驚愕に打ち震える俺の思考を裂くように、戦士隊のリーダーであるリトンさんが叫んだんだ。
「わかってますわ!」
「ハイッ!!」
俺の横を走り抜け、平野へと駆けだした氷竜の戦士隊たち。
それら全員の身体が発光していく。竜の姿となり、戦場に馳せ参じるつもりらしい。
「……………………ッ」
「っ」
「……グッ……が……」
左右に視線を走らせると、ジェット、セリカも同じように地面に倒れ込んでいたことが分かる。
最後の、後ろから聴こえたうめき声はクラウディオだろう。よく声を絞り出せるもんだな。回復が早いのか。
「大丈夫かい?」
左肩に置かれる手。戦士隊第八位のロテスが、俺の顔を覗き込んでいた。
そちらに目を向け、力なく頷く。
――俺のことはいいですから。今は、あいつを。
その意思が伝わったのか、ロテスは俺に対して頷き返すと、先に走り出した皆を追った。
閃光が煌めき、そこからナージアよりも一回り大きい白竜が飛び立つ。その向こうには、先に飛び立った五人の氷竜たちが見える。
「――たの……みます。あいつを……」
殺してくれ。これ以上の悪夢を、生み出させないでくれ!!
ようやく膝立ちになれるまで回復し、戦場を睨みつけ、絶句する。
――既に戦況は進みつつあった。
アイルバトスさんが背中を掴まれ、地面に引き倒される。
先ほどアイルバトスさんが戦っていた竜よりも、更に大きい真紅の巨竜。そのフォルムは、先ほどまでの竜と瓜二つだ。
あれが、突如として上空からアイルバトスさんの上に落ちてきたのか。
不意打ちによる一撃で脳震盪を起こしたのか。意識が朦朧としたように力なく身体を時計塔に預けるアイルバトスさん。
その傍らには、未だに頭部を無くしたままで氷漬けにされたさっきの竜の死体がある。
……クソが!!
アイルバトスさんが危惧していた通り、本当にあれはルノードじゃなかったってのかよ……。
だが、どうやって気づけたというのだろうか。
アイルバトスさんは聡明で、替え玉の可能性すら疑っていた。
ルノードに裏をかかれまいと、その答えまでに辿り着き、しかしそれはあり得ないと結論付けた。
あの竜の力は本物だった。世界を滅ぼしても当然の力を有していた。だから、アイルバトスさんが全力を以って叩き潰しに掛かったことは、何ら間違いじゃなかったはずだ。
しかし、あのアイルバトスさんですらも、僅かに気を緩め、油断した瞬間があったのか。
――いや、それだけじゃない。
彼が冷気の力を使い、念入りに先の竜の死体を処理し、同時に街に残った炎を消化しに掛かる。
その隙を作る為だけに、あの先の竜は現れ、囮になったんだ。
自らの命を投げ打って。吐き気を催す程の覚悟だ。
誰だか知らねェが、お前みたいな奴がこっち側に付いてくれていれば……!!
ルノードが、アイルバトスさんの首の付け根を左手で鷲掴みにした。そのまま地面を削るように引き摺って、図書館の入り口を塞ぐように叩きつける。
地面が抉れ、肉が裂ける。どれほどの衝撃が起こったのか想像もつかない破壊音が、
「――ギアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
思わず身が竦んでしまう、甲高い鳥の鳴き声のような叫びに塗りつぶされた。
これがルノードの叫びなのか。確かに、棘の少ない真紅の竜のシルエットは、見ようによっては鳥のようにも思える。
ルノードは、自らの両腕と図書館でアイルバトスさんを挟み込んだ体勢のまま、外れたんじゃないかと思える程大きく、その口を開けた。
ま……ずい!!
あれが、始まってしまう。
そして、終わる。
全てが。
――炎竜ルノードの必殺技がくる。
周囲の全てから体温を奪う技。
それは、その後に始まる絶対的な破壊の前段階でしかない。
魔王ルヴェリスに何度も忠告された、1000年前より炎竜ルノードを最強たらしめた能力。
……“青い炎”が、世界を蹂躙する。
アイルバトスさんは、それが放たれる寸前に意識を取り戻したのか。
彼の両翼はルノードがのしかかるようにして抑えつけている。
その翼ではない、氷によって急速に形作られた二枚の翼が、彼の頭部を護るように覆い被さった。
そして、爆発。
急速に生成される氷と蒼炎が衝突し、水蒸気爆発を起こしたのか。
真っ白な蒸気が大量に飛び散ったかと思えば、その中から紅蓮の炎が拡散し、その蒸気は一瞬にして掻き消えた。
アイルバトスさんは氷翼の護りを失い、“青い炎”の直撃を受けていた。
「――ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」
その音が、あのいつでも冷静で、誰よりも頼れる俺達の頭目。
アイルバトスさんから発せられた声だということを理解するのに時間が掛かった。
苦痛と怒りを感じさせる、地獄の底から響いてくるような声だった。
一瞬で勝負がついてしまうのかと焦るも、アイルバトスさんは耐えている。
炎を当てられている部分が無事だとは思えないが、きっと今も何らかの防御手段を用いて、なんとかダメージを軽減しようとしている。
まだ彼は諦めてはいない。
――彼は、一人では無かったからだ。
「……頼む、皆……!」
祈るように絞り出した俺の懇願に応えてくれたかのように。
2体の巨竜の周辺に、それに比べれば小柄な白竜たちが次々と降り立った。
図書館の屋上……先ほど転がった竜の頭部の隣に一人。時計塔の最上部に一人、中間部分に一人。
俺達に背を向ける形で、空中に留まっている白竜が一人。その人物と挟み込む形になるように、向こう側にも一人。さすがに、どれが誰なのかはまだ判別できないな。
その竜たちに混ざろうと、今も全力で飛行を続けているのがロテスなのは確実だろうが。
それぞれ距離を空けた5人の氷竜が、彼らのシンを押さえつける赤竜を取り囲んだ。
何をしようとしているのかは分かる。
かつてナージアが、ニルドリルとの最終決戦で見せた技だ。
――破壊光線。
氷竜たちの口から眩い白色の線が伸び、瞬間的にルノードの体表へ到達する。
亡霊の嘆きを思わせる、甲高い絶叫のような音がいくつも重なったかと思えば、世界から音が消えた。
俺の耳が、音の許容量をオーバーしたのか。
一時的なものだと思うが、音の無い世界に放り出された俺は、最早視界に頼るしかなくなる。
そこで起きる全てを見逃さないように、今一度強く戦場を睨みつける。
アイルバトスさんを抑えつけながら“青い炎”を吐き続けているルノードは、アイルバトスさんを解放する訳にもいかないのだろう、周囲から降り注ぐ破壊光線を回避することはできなかったらしい。
さすがに、いくつもの破壊光線を受けても何らダメージを受けない、ということは無いはずだと信じたい。
一匹の蟻が人間に損害を与えるのは難しいだろうが、彼らは蟻じゃない。龍ではないが、竜同士ではあるんだ。
子供たちが集団で力を合わせれば、大人を殺すことは可能だろう。
そう思いたかった。
が、空中で弾けた赤い飛沫と。
眼前の荒野に激突し、数回激しくバウンドしてから転がった氷竜の一体が、俺に現実を知らしめる。
あれだ。今もアイルバトスさんに炎を吹き付け続けている体勢のまま、ルノードは周囲に緋翼の塊を幾つも浮かべ、使役している。
それは……槍のようにも見える。アミカゼが浮かべていた槍に似ている。いや、どちらがその原型かは考えるまでもないだろう。アミカゼは、あれを参考にした戦い方を実践していたんだ。
いつの間に呼び出したのか、全く気づけなかった。
氷竜の戦士隊たちも同じく気づけなかったのか、気づいてはいたものの、破壊光線を放っている状態では対応できなかったのか。
全員が放たれた槍に撃墜され、吹き飛ばされた。中には生存が危ぶまれる者もいるかもしれない。それほどの衝撃に見えた。
前方に転がる氷竜の身体が頼りない光に包まれ、収縮していく。強制的に人の姿に戻されたのだろうか。
その身体の真下から、じわじわと赤い液体が広がっていく。
怒りと悲しみに喉を震わせるが、そんな自分の声すらも聴こえなかった。
終わる。このままじゃ。
氷竜の戦士隊の長、リトンさんまでもが一撃で葬られたのか。
こんなところで、俺達は終わるのか。
俺達の世界は滅ぼされてしまうのか。
今までの全部が無駄に終わるのか。
アイルバトスさんは必死に叫び声を上げながら、地面を引っ搔くように起き上がろうとしている。
だが、身体を抑えつける超重量のドラゴンと、そこから吐き続けられる大質量のブレスによって地面に縫い止められ、少しずつ焼かれ、存在を削り取られていく。
その時、二匹の竜の周囲。地面から黄金の液体が沸き上がる。金鎧兵か。
…………なんでもっと…………早く出てこなかったんだよ……!!
金竜ドールの連携力の無さに、怒りが噴出する。
まるで、氷竜勢力のピンチを黙って見過ごし続けていたかのような、作為的なタイミングにすら思えた。
どこから戦場を見ているのか知らないが、お前一体何様のつもりなんだ……!?
この世界の全員が、お前を護るために我が身を犠牲にして当たり前だとでも思ってんのか……!
十数体の金鎧兵は、俺に反応して湧き出たものよりもずっと大きい。
2体の巨竜の半身ほどもある金鎧兵達の腕が伸び、ルノードの巨躯の各所に突き立てられる。
即座に黒い槍が空中を旋回し、金鎧兵たちの頭部が吹き飛ばされる。
だが、金鎧兵は純粋な脊椎動物とは違うのか、頭部を吹き飛ばされたことに拘泥する様子もなく、身体ごとルノードに突っ込んでいく。
自らに纏わりつく存在に危機感を覚えたのか、ルノードの前身の鱗の間に裂け目ができ、そこから煮えたぎるようなオレンジ色の光が走る。熱を放出する能力か。
全ての金鎧兵の身体が熱に溶かされたようにドロドロになり、弾けた。
周囲の地面にべちゃりと張り付いた黄金の液体は相当に熱されたのか、蒸気を上げて……いや、あれは熱されたことに関係なく、元々黄金の液体が持つ特性なのか。
地面を溶かしている……のか?
ルノード自身にも少量ながら返り血のように跳ねたそれは、奴に何らかのダメージを与えることに成功したのだろうか。
――周囲に浮かんでいた黒い槍が消失し。
狼狽するように身をよじり、アイルバトスさんに向けられた“青い炎”の密度が本の僅かに和らぐ。
――そこに、最後の氷竜が飛び込んだ。
……ロテス……!!
圧倒的な死の熱量に怯えることなく、自らも口から破壊光線を発射しながら、蒼き焔に身を投げたロテス。
だが、それは、決して自殺じゃない。
それこそが最もこの状況を変える手段であると確信した上での……いや、主への信頼が成せる行為だった。
ロテスの破壊光線は、“青い炎”の勢いを一瞬だけ和らげたのち、その奔流に飲み込まれた。
戦士隊の最後の一人すらも、轟炎の中に。その存在ごとこの世界から抹消させられる……寸前だった。
ルノードの身体が浮き上がる。真下からの衝撃に、突き上げられるように。
ロテスの身体は、“青い炎”の範囲から出るように、向こう側に付き飛ばされたように見えた。
そして、そのロテスとバトンタッチするように。
身体を回転させて仰向けになる形となった氷竜アイルバトスが、真正面から吹雪のブレスを放った。
――吹雪のブレスと、“青い炎”。
その拮抗は一瞬だった。
『氷竜は、世界を管理する上位存在が、劫火に対抗する存在として力を与えた龍なのではないか、と。私はそう考えずにはいられないよ』
――かつての魔王ルヴェリスの言葉を証明するかのように。
白い奔流が蒼を塗り潰し、また大きく包み込むように広がった。
己の口元まで迫った冷気から逃げるように、ルノードは翼をはためかせ、地を強く蹴った。
“青い炎”では受け止めきれなかった吹雪は、二つに分かれるように拡散し、ルノードの翼に纏わりついていた。
それにより、思うように飛行することが叶わなかったのか。
ぎこちない羽ばたきで場所を移動しようとしたルノード。その両翼が、中央から破裂した。
アイルバトスさんの背中から伸びた槍、いや、触手か。鋭い先端をもつそれが閃き、ルノードの両翼は八つ裂きにされた。
撃墜された形になったルノード。翼を失ったトカゲ野郎は、しかし失った翼を補うように即座に緋翼で翼を生成したのか。
真紅の身体の途中から、漆黒に移り変わった形となる炎竜は、悪魔を思わせる黒い翼で空を覆った。
そこから、黒い雨が降りしきる。
アイルバトスさんは、それを回避しようとする意志を見せなかった。
満身創痍の身体で、しかし黒い雨粒を全身に浴びて尚、立ち続けている。
ただ、その時を待っているかのように。
両者のブレスは既に終わっていた。次を吐く様子が無いことを見るに、恐らくはもう打ち止めなのだろう。
アイルバトスさんは、顔の右半分を大きく欠損していた。
肉が焼け爛れ、骨が露出している。右の視界はゼロだろう。氷竜は回復能力に優れた竜ではないと聞く。あの状態から回復できるのか。
……いや、違う。
彼は既に、今後のことなど考えていない。
命を諦めた訳じゃない。だが、それを投げ打つ覚悟は決まっている。
頭上に跋扈する“焦土の魔王”を討てるのなら、己の命を対価にしてもお釣りがくると考えている。
そんな風に見えた。
『――終わりにしよう、炎竜ルノード』
少しずつ戻りつつある聴覚だが、その言葉は俺にもはっきりと聴こえた。念話は耳を通して伝わってくるものではないからだ。
『……ああ、お前はこの生における最大の障壁だったぞ、氷竜アイルバトス』
世界最強の生物である龍が、殺し合いの最中に会話を交わすなど。ダクトに言わせれば、笑い話もいい所だろうか。
お互いがお互いを殺し合い、配下の大勢が既に命を落とした状態で。
今更言葉を交えてなんの意味がある。そうなじる権利は、部外者の俺には存在しないのだろう。
俺がその立場になる日まで、きっと二人の気持ちは理解できない。
――炎竜ルノードの緋翼による翼が凍り付き、地面に落下する。
――氷竜アイルバトスの全身に纏わりついていた黒い雨が燃え盛る。
炎に全身を蝕まれたまま、ルノードの落下地点に体当たりを敢行する氷竜。
――衝撃、破砕、暴風、血の臭い。
焼け落ちた家屋をいくつも通り抜け、二体の龍の姿は噴煙の中に消えた。
回復した聴覚を再びいたぶる様に、幾度も爆発音が轟く。
先ほどのように、超高温と超低温が繰り返し接触しているのだろう。
地面が抉れ、建材が弾き飛ばされ、各所で煙が上がる。
エイリアの空が灰色に染まり、炎竜の能力によるものではない、黒く濁った雨が降り出した。
――そのまま、どれほどの時間が流れたのか。
永遠にも思える程の爆発音の後、やがて、それらは止んだ。
噴煙の合間から現れたのは…………真紅の竜。その一体だけだということを認識すると。
俺の膝から力が抜け、衝撃が頭を揺らした。
思うことは、一つだけ。
ただただ、
――負けたんだな、と。
俺達は全力を以って臨んで、そして敢え無く敗北したのだと理解した。
【第12章】 了
長らくの間、第12章にお付き合いいただきありがとうございました。
あとは最終章を残すのみです。(一応その後にエピローグも予定していますが)