第200話 臆病者の一撃
◆ルノード◆
目を閉じたままの世界に、明滅する光がある。
暗闇の中を進む赤い光は、一つ一つが我が眷属だ。
「そうか、アルフレート……そっちを選んだか」
己とあいつの間に、僅かに残していたリンク。
それが完全に断たれたことで、あいつは選択出来たのだと悟る。
既に向こうからは念話が届かず、こちらからも強制力のあるアクションなど起こしようもないが……アルフレートもまたアニマであり、緋翼を保有している以上、居場所は把握可能だ。
半分は己の血族である、アンリエル・クラルティの座標に向かっていることが分かる。
お前が仲間と思える連中と、その仲間たちにとって大切な人物を助けに向かったんだな。
己の陣営から抜けたアルフレートに対して、恨みや悪感情などは湧いてこなかった。
むしろ、あいつが自分の未来を自分で選択できたことを嬉しく思う気持ちすらあった。
――いや、そもそもあいつは。
元々己への忠誠心が低く、人間たちに付いてラ・アニマを出ていく覚悟を、少年時代に一度決めていた男だ。
二度目の転機にも同じ道を選ぶことは、意外でもないのかもしれない。
――殺したくはない。
できることなら、あいつなりの幸せを掴み取って欲しい。
それでも、必要とあらば己はやるだろう。
今あいつがいるのは……ヴァリアーの3階。
地上部分にも恐らく一体は金竜の憑依体がいるはずだ。アルフレートの記憶から……今までの傾向から察するに、ヴァリアーの局長≪ロード≫。
厳めしい老人の姿を取った金竜の一部を、まずは屠る必要がある。
来たるべき時のために、ヴァリアー内部に潜伏した全ての眷属の動向を把握し、地形を暗記しておこう。
そう考えていた己の脳を、衝撃が貫いた。
「な……にを…………している…………!?」
目を開ける。視界に広がるのは寂れた荒野。
眼下には小さくアンダーリバーへと繋がる地下洞窟を望める、エイリアの東側の台地。
周囲には40人ばかりの配下たちが控えている。
「お前たち……どういうことだ? 己を……謀ったのか……?」
問いかけつつも、何が起きたのかは把握している。
――ヴァリアーに侵入していた配下の者たちが、大々的に破壊工作を開始したのだ。
己が立ち上がり、周囲の面々を見渡すと、皆一様におびえた様子を見せた。
――いや、一人だけは明確に異なる視線を己に向けていた。
初めからこうなると分かっていたように。
己の人間体よりもずっと背が高く、筋肉質の身体をしている。
黒髪の間から覗く眼には、挑戦的な光が宿っていた。
ゲンジ。お前に好かれていないことは分かっていた。だが、まさか他の者までを、こいつが……?
……これこそが、己の過ちだったということか。
皆を力と恐怖で隷属させることしかできず、信頼を勝ち取ることができなかった。
その行きつく先がこれか。
「なんということをしてくれたのだ……」
傍らに目を向ける。驚いた様子でこちらを見返すレヴァンは、慌てたように首を横に振った。
「――レヴァンには話してませんでしたよ。そいつは劫火様にべったりですから」
「……それで、お前たちは……何が目的だ。期日を守らせず……炎竜ルノードは屑だと、そう後世に残すことが目的だとでも言うのか」
そんな訳もなかろう。だが、明確な答えは浮かばない。
己は混乱している。年甲斐もなく。
何がゲンジの逆鱗に触れたのかさえ分からない、出来損ないの指導者でしかなかった。
ゲンジの腕が己のコートの首元を掴むと、そのまま乱暴に引き寄せられる。
長らく命の危機など感じることがなかった己は、抵抗せずにそれを受け入れる。今もそうだ。どのような結果になろうとも、己の肉体がダメージを受けることはない。
「あんたはァっ……!」
「無礼だぞ、ゲンジッ!!」
唾を飛ばしながら己を一発殴ろうとしたのか。そんなゲンジを、己と同じかそれ以上に困惑した様子のレヴァンが止めに掛かる。
「――お前は黙ってやがれ!!」
軌道を変えた拳に突き飛ばされ、尻餅をつくレヴァン。
レヴァンは、何故こんなことが起きるのかと、理解できないものを見る目をゲンジに向けていた。
その通りだ。このような状況、凡そ龍とその眷属の間で起こり得る状況ではない。
激昂し掴みかかってきたゲンジだが、己が抵抗の意思を見せれば容易く吹き飛ばされ……いや、己が力加減を間違えれば、虫のように砕けて消えることは想像に難くない。
自らを生かすも殺すも、眼前の創造主次第。
そんな状況で、それでもゲンジを突き動かす怒りの理由を、己は理解しなければならない。
「お前たちが何を計画したのか。何故その結論に至ったのかを話してくれ。何も分からない、この……不甲斐ない王に」
そう思ったからこそ、己はただ、言葉の続きを促した。
「……この場にいる大多数の同胞と、ヴァリアーに潜入したアミカゼ達。俺らで前もって騒ぎを起こし、なし崩し的に劫火様も戦線に引きずり出す。語ってしまえば、それだけですよ」
「何故……。なぜ、そうする必要があると考えた?」
「そうしなければ、この戦争には勝てないと考えたからです」
「己の力が信じられないと?」
それは、ともすればゲンジに対する脅しにも聴こえる台詞だったことだろう。
己の力を体験してみたければ、その身で受けてみるか? と。
しかし、それでも彼が握りしめる拳の力は揺らがない。
より強くなった力に引かれ、至近距離からゲンジの瞳を直視することになる。
「――こんな風に話さなくったって、勝手に俺の頭ン中でも覗いてくれりゃあいいんじゃないですか? ……ラ・アニマでレンドウの前に姿を現した時に。あいつの頭ン中を読んだって。そこで氷竜アイルバトスとやらの存在を知ったって。そう我らに教えてくださったのはあんたでしょう」
その通りだ。だからこそ――、
「己は氷竜アイルバトスの存在を前提に動くことができた……」
「それが……それじゃあ、全然足りてねェっつってンだよ!! じゃああんたが里に仕掛けた布陣で、向こうの戦力が削れたかよ? 削れなかっただろ!? あいつらは五体満足でここまで来た! それどころか、大多数の同胞がレンドウに付いた!!」
それは己の方が知り尽くしている。シャラミドとセリカの二人の座標を追うだけでも、彼らが和解したことは疑いようのない事実だった。
「勝てねェ可能性は充分にある。氷竜アイルバトスにあんたが負ければ、俺達は全員破滅だ。……それなのに、あんたが全てを投げ打って鬼にならず、ここで悠長に明日を待っている理由はなんだってんだ……?」
「……………………魔王ルヴェリスとの約束を反故にしたことを悔いている。今度こそ……戦争だとしても。戦争だからこそ……不意打ちのような真似は避けたかった」
「――そのあんたのエゴが、俺達全員を滅ぼすんだ」
そこまで言われて、己はようやく理解した。
理解することができた。
「……いい加減にしやがれ。いつまでも死んだ魔王ルヴェリスなんかに縛られやがって」
…………こんな無能な王は、家臣によって誅されても仕方が無いだろう。
「今を見ろ、向こうは氷竜アイルバトス、あんたに相性抜群の野郎が、あんたの対策をして来ているんだ」
これが中世であれば。教科書に名前が残ることもない、載ったとしても数行で事足りる、暗君の一人に過ぎなかったことだろう。
「……あんたに道連れにされる全ての同胞のために、約束も誇りもかなぐり捨てて、勝つことだけを考えるべきなんじゃないのか」
惜しむらくは、その愚か者が世界最強の武力を有していたということか。
「あんた自身の名誉を勝ち取るためじゃなく。俺達の未来を本気で繋ぎたいと思ってくれるなら、どうか。悪に堕ちてくれよ。我らがシン」
「わかった」
「俺が……あっ?」
「――承知したと言ったんだ」
己が小さきものたちの願いを聞き届けるとは想像もしていなかったのか。それとも、それにはまだ言葉を弄する必要があると思っていたのか。
ゲンジが毒気を抜かれたような声を上げたことが、少し面白いと思ってしまった。
抑えろ。笑う権利など、この身にあるものか。
「己が間違っていた。お前たちが全面的に正しい」
「劫火、様……」
レヴァンが、泣きそうな声を漏らすのは珍しい。
普通のアニマとして生み出してやれなかったせいで、普段は感情表現に乏しいのだが。
すまないな。お前が信じる、人生の指針であったはずの男がこのザマで。
「……全て、お前たちの判断に従おう。お前たちに安寧の世を渡せなかった、不甲斐ない王だが……力だけは……ある」
ゲンジは、ゆっくりと己の首元を掴んでいた手を開くと、頷いた。
その手は、身体は、今更ながらに震えていた。
怖くない筈がなかったのだ。我を忘れれば一夜にして国一つを滅ぼしてしまうドラゴンが、目の前にいるのだから。
「俺もこの命を賭けます。この場の誰よりも。……劫火様、作戦を聞いてください」
「傾聴しよう」
果たして、ゲンジの激昂は己に話を聞かせるための交渉術の一環だっただろうか?
いや、そんなことはないはずだ。
あれは間違いなく本物の怒りで、だからこそ己の胸を打った。
しかし、願いが聞き届けられるや否やそれは鳴りを潜め、ゲンジは冷静な口調を取り戻した。
こんな己への敬称すら忘れていない。
――様付けなど、されるべき存在でもないというのに。
願わくば、彼らと対等に言葉を交わしたかった。
だが、きっとそれはもう叶わないのだろう。
1000年前に、姉と元通りの関係に戻れなかったように。
間違い続けた己の間違いが、今回こそ最後であれと。
竜の姿を取った右手でゲンジに触れながら、そう願った。
「まずは、氷竜アイルバトスを戦場に引きずり出しましょう」
「ああ。――よろしく頼む」
臆病者の一撃に、己は……自分の生き方を曲げると決めた。
誰に言われたからでなく、ここから先は、己自身の意思。
俺自身の罪だ。
――姉さん。
例えあなたに軽蔑されたとしても、俺はこの道を行きます。
これもずっと書きたかった話の一つです。
これを丁度200話にしたくて、ここ数話を調整していたりします。
(まさか「第193話 最終調整」はそういう意味の調整だったのか……!?)
創造主に対して配下がブチギレるけど、キレたからといって力の差はどうしようもなく、創造主がその気になれば指先一つで消されてしまうような存在でしかない。
それでも言葉を弄する臆病者と、それに殴られようと思い直した創造主。