第195話 金鎧兵
――それは、まるで地面から湧いて出たように見えた。
何の変哲もない、舗装されていない大地。ところどころに雑草が生えているものの、基本的には水気が無く、しっかりとしている。
割れ目などは見当たらないその場所から……太陽を受けて金色に輝く、どろりとした液体のようなものが湧きだした。
「なッ……」
金色の……不定形の魔物か?
スライム、という単語が真っ先に頭に浮かぶ。しかし、金色のスライムがいるという話は聞いたことがない。
それに、既にこのイェス大陸では、主だったモンスターたちが駆逐されて久しい。
人里離れた遺跡であったり、深い森など……一般的にダンジョンと呼ばれるような場所を除き、人間によって整備された地域にモンスターが現れることはほぼほぼ無くなっている。
「みな、下がりたまえ!」
エイリアへと歩みかけていた俺たちは、突然眼前に湧き出した金色の物体に浮足立っていた。
アイルバトスさんの声を受けて、弾かれたように森へと後退する俺達。
10メートルほど離れた位置で、俺の1.5倍ほどはありそうな大きさまでそそり立った黄金の塊は、無数の触手が螺旋を描くように蠢くと、突如として外見を固定化させた。
逆三角形のシルエット。腕や足にあたる部分は太く、先ほどまでは液体のように見えていたにも関わらず、ぞくりとするほどの質量を感じさせる。
あれに殴られたら、ひとたまりもないと思える。
関節部分だけは細い。あそこを狙えば簡単に崩せそうだ……という予測は、甘さがすぎるだろうか。
「黄金の……人形? 戦闘用……か?」
まるで俺の呟きに反応したかのように、最上部――頭部だろう――が、俺の方へと向いた。
流線形に突き出した嘴のような頭部には、眼球のようなものは見受けられない。
丸太のように太い腕は、一瞬ブレたかと思えば、次の瞬間には鋭い爪を備えた姿へと変貌した。
「レンドウを狙ってるみたいだっ!」レイスの声。
「――わかってらァッ!!」
如何にして周囲の状況を感知しているのかは分からないが、黄金の人形はその巨躯を屈め、俺を圧し潰そうとするように両腕を差し向けてきた。
大きく振るわれた右腕を左にステップすることで躱し、その後に上から叩きつけられる左腕をレンディアナで受け止め……いや、やはり受けるのは怖いな。
背後に飛んで、森の中へ入ってしまおうかと考えたが、必要なくなった。
後ろから水色の奔流が伸びている。アイルバトスさんだ。
「安心してくれ、もう大丈夫だよ」
両腕から伸ばした“創造する力”で人形の両腕を拘束し、その場に縫い留めたようだ。
彼はそのまま俺の前へ歩みを進め、人形の足元でそれを見上げた。
そんなに近づいて大丈夫なのか、と心配させないのがアイルバトスさんクオリティ。
恐らく、人形は既に両腕だけでなく、その内部までも行動を制限されているんだ。
身体の内側から凍り付かされるとか……ううっ、絶対に相手にしたくない。
「これが……そうか、帝国とアラトマフ・ドールの連合軍が使役したとされる、金鎧兵なのだろうな」
いつの間にか、アイルバトスさんが操る“創造する力”は背中から伸びていて、両腕は空いていた。
右腕を伸ばして、人形……金鎧兵の胴体へと直接触れたアイルバトスさんは、ほうっと息を漏らした。
「なるほど。これが金竜が張り巡らせた防衛機構という訳だね」
そう零した数秒後に、ぱしゃんと。そう擬音語を付けるのが相応しいと思える程、あっさりと。
金鎧兵は再び液体に戻るかのように弾け、霞のようになったかと思えば、アイルバトスさんに吸い込まれるようにして消えた。
「問題ありませんか、長」
「ああ、所詮は“創造する力”の塊でしかない。魔法式を破壊さえしてしまえば、通常通り取り込めるさ」
氷竜の戦士隊のリーダーであるリトンの問いに事も無げに答えたアイルバトスさん。彼にとっては、金鎧兵とやらは取るに足らない相手であるらしい。
同列の“龍”である、金竜ドールの力の一端でしかないというならそれも頷けるか。アイルバトスさんを危険に晒すには、金竜ドール本体でもなければ難しいのだろう。別に金竜ドールと敵対する予定はないが……。
それにしても、魔法式。魔法式ねェ。
その魔法を構築するための……なんかか。なんかなんだろうけど、ちょっと分からないな。
この戦いが終わったら、“幻想”とニルドリルによって歪められた魔法学ではなく、正しい魔法学を是非とも学ばせていただきたいところだが。
行く行くは簡単な魔術くらい、俺も使えるようになっておきたいしな。隠密とか。あと、幻術の類も学べれば精神攻撃に対する耐性も得られるかもしれないし。
しゃがみ込み、金鎧兵が出現したあたりの土を触っていたアイルバトスさんは、振り返って俺を見た。
「今、金鎧兵がレンドウ君を優先して狙うような挙動を見せたのは偶然ではない。まず間違いなく、アニマを狙うように命令されているね」
金竜ドールは、明日にも炎竜ルノードとアニマたちが攻撃してくることを知ってる訳だもんな。
エイリアに近づくアニマを排除するよう、金鎧兵とやらに命令を下しておくのは意外でもない。
「アニマを狙う……ってことは、俺だけじゃなくてセリカもってこと……ですよね」
「そうなるだろうね。レンドウ君だけを攻撃しているように見えたのは、エイリアとの距離によるものだろう。標的を追い詰めることよりも、一定範囲内にアニマを立ち入らせないことを優先しているようだ」
後ろをちらりと見やり、木陰からこちらの会話を見守っているセリカの様子を窺う。
驚いた様子はない。彼女もそれが妥当な線だと感じたのだろう。
「この先に進めば、これと同じようなのが二体も三体も出てくると考えるべきだな」
「なるほど……」
ダクトの言葉に相槌を打ったあと、ん? と思い直す。
「……いや、じゃあ俺、この先に進めねェじゃん。いや、全部倒していけばいいのかもしれないけど」
「それは現実的ではないだろうね。皆なら数体程度はどうにでもなるだろうが、金竜ドールの特性は……その底なしのエネルギーにあると聞いている。最悪の場合、数十体が同時に立ち塞がる可能性もあるだろう」
「それに何より、金竜ドールに“敵対している”と思われるような行動は避けるべきよ」
アイルバトスさんの言葉だけなら、「それでも全部倒してやります!」と強がれないこともないかと思ったが、その後に続いたスピナには反論のしようがない。
確かに、金竜ドールの機嫌を損ねるのだけはマズい。
「加えて、これ以上ここで大規模な戦闘行為を行うのはまずい。今はアイルバトスさんが静かに処理してくれたから大丈夫だと思うが」
エイリアの方を顎でしゃくりながら、アシュリーが言ったんだ。
「……そうだな。あんまりエイリアの住人に不審がられるのも避けたいか。でも、だけど」
「大丈夫だよ。僕とアシュリーが向かうのはヴァリアーだし。レンドウがいなくても大丈夫。僕を信じて?」
どうしようもないと思っていながらも、つい食い下がってしまう。そんな俺の肩に手を置いて、やんわりと諭してくるレイス。
「ちっ。だったらさっさと行けよもう」
「――切り替えはやっ!」
最終決戦が明日に迫っていて、大切な人達が戦火に巻き込まれる可能性が高いという状況なのに、自分には何もできない。動くべきではない。
このやきもきする気持ちは、味わう側になんなきゃ一生分かんねェよ。残念ながら、分かってもらう時間すら惜しい。なので、さっさと送り出すしかないって寸法だ。
「おい、俺がいなかったから死んだとか絶対思わせんなよ。無事に戻ってこねェと、お前の墓を建てた後に砕くからな」
「――はいはい。……一回建ててはくれるんだ……」
レイスはそう呆れたように返すと、周囲を促して歩き始めた。
ちっ……。
離れていくエイリア潜入組の背中を眺めながら、無力感に苛まれる。
――本当にこのまま、いざ戦争が開始するまで、俺はここで何もできないまま待つだけなのか?
「んー、あー……」
唸りながら俺の横に立ったのはジェットだ。
「まーアレだ、逆に考えればよ、アニマがエイリアに侵入しようとすれば、金鎧兵とやらが無尽蔵に襲い掛かる訳だろ? だったら、あんだけ落ち着いてるエイリアの中に、まだアニマは入り込んでねーってワケだ。あいつらの安全も確保されてるって言えるんじゃねェの?」
中々的を射た意見だな。
「……そういう見方もできるか」
だが、それにも穴があるような気がしてならない。
本当にアニマ達がエイリアに侵入することができないままだとしても、だ。
その他に、あいつらに害をなす存在が無いとは限らない。
心の底からヴァリアーという組織を信じられていれば、こんな心配をしなくて済んだんだけどな……。
吸血鬼の族長ヴィクターの昔語りなどでちょろっとだけ出ていた金鎧兵が登場。
初めて相手をしたのが氷竜アイルバトスなため、あまり強くないようにも見えましたが。果たして実態は……。